先日、所用で、ベイルートを訪れた。
日本人バックパッカーも、なかなか、訪れる機会がないベイルートの街で、目についたものをあげると、
外観は、コンクリートの建物だが、よく見ると、全部の窓がなく、中が真っ黒に焼け焦げた建物(内戦時代の遺物)が、街のあちこちにある。
ホテル・インターコンチネンタル・フェニキア・ベイルートのすぐ南側には、側面に、内戦によるものと思われる大きな穴がいくつも開いている建物があった。
街全体を見ると、大変きれいで、美化に力を入れているらしく、ゴミひとつ落ちていない。
レバノン人は、身なりもよく、大変おしゃれである。
冬は雨季で、雨が、しとしと降っていた。
日本人のイメージするレバノンは、ぎとぎとのアラブで、危険な感じがするが(アラブが危険という意味ではない)、実際のレバノンは、ヨーロッパ的だった。
(エジプトのほうが、アラブっぽい感じがする。
「Egyptians are bloodful,Lebanese are beautiful」という言葉があるそうだ。
カイロのタクシー運転手が教えてくれた)
治安はいいのだが、政情不安である。
街のあちこちに、迷彩服を着た軍人が立っていた。
不穏な感じのする旗が掲げられていたり、建物の陰に、戦車があったりした。
一般に、レバノンの人々は、静かな感じで、内戦や戦争には、飽き飽きしている感じがした。
(トラウマになっている感じがした)
ベイルートの街を歩くと、「近代的な街も、内戦や戦争によって、すぐ、瓦礫(がれき)の山になる」という事実を目の当たりにし、ショックを受ける。
繁栄とは、砂上の楼閣のようなものだとわかる。