その後のご報告

矮鶏唐棕櫚様

おひさしぶりです。

お元気でしょうか。このときはいろいろお世話になりました。

その後のことですが。。。。。

アレ依頼、彼女とは絶交状態になっています。

本当の内容は実はこうなのです。

南ラオスは7年ほど前に息子と、タイ人ガイド、シチチャイ(20年の付き合いです。今ガイドをやめて、奥さんの実家の文房具店の店員として大家族で暮らしています)と一緒に今回とほぼ同じ予定で旅行しました。

夫に世界遺産に登録されたワットプーとコーンパペンの滝とその周辺の島を見せたくて、団社長に頼んで予定をくんでもらいました。それが10月ごろのことです。
友人に12月末に1月に行くというと、「私も一緒にいくわ」というので、追加でホテルなどをとってもらったのです。予定表がタイ語だったので、友人にファックスして読んでもらいました。もちろん団社長から訳してもらっています。

うきうき楽しく一緒に飛行機に乗り込み国境の街ウボンに着き、あのオカマ?彼女彼?にであったのです。
友人にはいつも世話になっているので、ホテル代のみ支払ってもらい、食事代、ガイド代、車代すべて私が支払うと話しておきました。彼女の息子さんが彼女の分のエアチケットを買ってくれたので、彼女はホテル代金4泊4800バーツ約、1万3000円ほどだけで旅行できたのです。

ウボンについてガイドとタイ語で話していました。内容は3分の1程度しか私にはわかりません。予定をいろいろ話しているのだということはわかりましたが。

実際、私の希望していた、滝だけは見ることが出来ましたが、コンーンの島々には時間がないということで、行ってもらえませんでした。「オカマが嘘をついたのです。滝のすぐ傍に船着場があって、ワイヤーで引っ張るフェリーで車ごと島々にいけます)その結果予定のホテルには早くつきすぎて(2時ごろ)、友人の「こんな何もないホテルに2時からいるのいやだ」のひとことで、そのホテルをキャンセル料一部屋600バーツ1600円ほど支払って、パクセというところのホテルに行きました。その日の早朝に水があふれたのです。

彼女はパクセの市場に行きたいといい、市場に行くと、ワットプー、コーヒー農園と両方にはいけないから、今回はコーヒー農園に行き、瓦礫の山のワットプーなんかやめましょうと、ガイドと決めてしまい、一番の目的のワットプーにはいけなかったのです。

夫は「島はどうしたの、ワットプーはどうしたんだい」というので、私は本当に困っていました。
私が、ガイドに文句言っても、ニヤニヤしていて、答えないのです。ホテルからウボンの旅行会社にクレームの電話をしようと電話したのですが、何故か国際電話ができないのです。フロントに言うと、なんと、例のオカマが出てきたのです。

例のオカマは友人が自分のオーナーだと思ったでしょう。「スーパースター恵子、1,2,3.123.」となんかいも何回も写真を写していました。多分4日間でカメラのチップを2,3回替えていましたから、4日間で1000枚ほどは撮っていたでしょう。
その間待っているのってつらいものです。私たちとしてはスーパースター恵子さんの写真撮影旅行に付き合わされた気分でいたのです。

水没事件と、いかなかった島と世界遺産のワットプー、私はニコニコできないでいたのです。
彼女はそれがきにいらなかったようです。

この3月20日頃、又バンコクに行き、団社長と一緒に食事したときに聞きました。
私はどのようにあのときの旅行をオーダーしたのかと。

社長は答えました。恵子さんは追加、オーナーはラファエルさんご家族。行き先はコーンの滝と島々、そのためのリゾートホテル、そしてワットプーとコーヒー農園とその周辺の滝めぐり。
あの恵子さんを誘ったのが間違い、あの人はイニシャチブをとるに決まっている。あのオカマはウボンの会社も知らないガイドで多分、ガイドが下請けさせたのでしょう。
ラファエルさんもラファエルさんですね。なぜ「私の旅ですからだまっていてください」と言わなかったの?
言いたかったけど、タイ語でやられて、きがついたらいけなくなっていたのです。
団社長は、私は彼女のようなタイプきらいですと。。。団社長も彼女が取り仕切りやだということを見抜いていました

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