言葉もですが、 お互いが理解してあげようって気持になることです。これがなければ、いくら流暢に話せてまったく通じません。 メキシコに長く裁判所用語も理解し、法廷で弁論だってしていますが、よくあるのが店で買い物しても店員がまったく聞く耳なしで、あなたが何語をはなしているのか分からない、ってやられます。 日本でメキシコ産の女房が、誰にでもわかる日本語で「カツドンお願いします」って頼んだら「ノー・イングリシュ!」。「カ・ツ・ド・ン・プリーズ」っていったら通じて大笑い。 むかし、ドイツ語などさっぱりの時、暇つぶしで公園のベンチに坐っていて、これもまた暇つぶしの婆さんと身振り手振りで会話開始。どうやらこの公園に初恋の人と来ていたらしい。それじゃとその初恋の相手を探しに行こうってなり、大昔の記憶をもとにここじゃない、あっちと歩き回り。3日目でやっと「この家」って。婆さんもういいと言うのを振り切って呼び鈴を押したら爺さんが。爺さん、この東洋人何じゃいってもっと後ろをみたら婆さんがいて、みるみる顔がほころび、赤くなっていくのが。 その爺さんと婆さんに食事まで一緒にごちそうになったけど、ドイツ語はダンケしか理解できないのに、不思議とよーく通じました。 これなんか、50年も前のことなのに、今でもよく覚えています。現地でホテルでのフロントやレストラン以外で現地の人と会話がなかった場所って、完全に忘れています。 フランスなんか何度も行って、フランス語も話せるのに、フランス女性にはどんなにしても会話は成り立たないというより、相手にもしてくれないので、特にパリは嫌いなところ。あと、身長が10センチ高くて、足の長さが20センチ長ければと悔やんでいます。パリが好きだという日本人男って???です。 アルゼンチンも言葉ができても、厳しいですね。南に行けば行くほど東洋人など虫ッけら扱い。大学で女学生からマテ茶を一本の金属製のストローで回し飲みさせてもらうのに、何回パタゴニアに通ったことやら。 スペイン行ったら、なんでスペインの美人お姉ちゃんが、風采のあがらん日本人のおっさんに道を聞いてくるのか不思議。着いて右も左も分からんときに、トレドへの行き方聞かれ、それじゃとトレドに一緒に行くことに。オカジスの埋葬はどこって、また他のスペイン人に聞かれたので、トレドのどこに墓地があるか知ら~ん、って答えたら大笑いされた。 アラビア語圏内も言葉できないと厳しいですね。金につながらないとなると笑顔もしてくれん。店のおっさんの呼び込みの「おはィよー(歓迎)」はすぐに理解できたけど。 そこで、命題2の言葉がさっぱり分からん国でも、相手が理解してあげようという気持が大きいところは、旅をしても楽しい。
そうですよね 理解する気持ちが大切だって言うのは仰るとおりです。 言葉が喋れるのに相手にされないって、悲しすぎますよね。 結果、好きな土地を旅することになる。その土地の言葉は自発的に覚えることになる。それがベストですね。