08/01/17 21:08

Re: こんにちは。はじめまして。

今晩は、kashi aokiさんはネパールがお好きだと思いましたら山学同志会をごぞんじでしたか。

私は自営業の跡継ぎの為途中で断念したものです。
私が入会したのは半年ずつ募集していた創立1年後の第3期です。
冬の後立山連峰で遭難した私の同期の人の顔がはっきり思い出されます。
会長の斉藤さん兄弟を中心として当時有った朝日山岳会の行き方に飽き足らず
本格的に基礎からロッククライマーを養成しようと独立して山学同志会を立ち上げたと聞きました。

私も基礎を三つ峠や鹿沼で訓練され谷川岳や穂高、剣などへは直ぐには登らせなかったです。
当時は東京電力錦糸町支店で定期的に会合を開いていました。

しかし私の家庭の事情で山登りを続ける環境でなくなりやむを得ず山岳会も辞めざるを得なくなりました。
其の頃は後に有名になる小西さんとは多分数年のずれがあると思います。

私も小西さんの名前を知ったのはあのエヴェレスト登頂で山学同志会の名前が出てからです。多分今井通子さんなども彼と同じ年代だと思います。

創立当時のリーダーたちはヒマラヤやスイスでは名前を聞きませんので又海外登山は未だ出来ませんでした。
しかし海外は無理でも国内とはいえかなり先鋭的な山岳会だったのは間違いないです。
私ももう少し後に生まれていて又跡取りでなければ違った道を通ったかもしれません。

北穂高の滝谷は当時一番の目的でした正直言いますとオーバーハングなど途中で何でこんなところへ来たのかと思ったことは何度もあり、怖いと思ったこともあります。
しかし帰ると又行きたくなるのが、困ったところでした。母親は何時も反対でした。
今になってみると親の気持ちは良くわかります。

私が自由になれたのは60歳を過ぎ妻も亡くなってからです。
今は登山はしませんが一人で冬北極圏へも行けるのは当時の訓練のお陰だと思っています。
今も薄着でのウォーキングやジム通いで鍛錬が苦にならないのは矢張り若い時代の体験が役立っているものと思っています。

1年前にはスイス中を動き回りましたが全部乗り物でスイスは若い時の憧れでした。

今はもうすっかり登山はあきらめ去年も掲示板の冗連ご夫妻とキャンピングカーで小梨平へ行きましたが河童橋から前穂高を眺めて懐かしがっただけでした。
kashi aokiさん私の分までネパールで頑張ってください。

私は長い間冬の富士山訓練で経験したー25度が記録でした。60歳で始めた海外旅行でー31度を経験し半世紀ぶりに私の記録を塗り替えました。
今はー40度を狙っていますが、衣類も当時より格段に改良され、平地の旅行でも役立ってありがたいです。
今日は旭川郊外でー32度まで下がったようですね。

ずるい話で他人だからいえますが、私の子供はすでに40代ですが私と同じ道を通らなくて正直良かったと思います。
我ながら勝手なものです。


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1件のコメント

  • 退会ユーザ @*******
    08/01/18 11:36

    返信、有難うございます。

    EAVOさん。心温まる、素敵な話、有難うございました。         
    まずは、お礼まで。kashiより。

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