10/04/21 15:28

お返事、遅くなりました。

もう、タイへは、行かれたんでしょうね?
もう、空港の占拠は、しないそうです。
10日の、軍隊と赤シャツ隊の衝突は、流血の惨事となり、20名以上が死亡、約900名が負傷、という惨事になりました。
その日、BTSに乗ったんですが、午後2時くらいでしょうか、サイアム駅を降りたとき、駅が閉まり始めました。
駅員に言って、外に出してもらったんですが、「何事だろう?」と思いました。
タイ語がわからないので、何が起きているのか、わからないんです。
船で、パンファ橋まで帰ると(この周辺に、赤シャツ隊が宿営していました)、異様な雰囲気で、「大丈夫かなあ」と思いながら、赤シャツ隊の中を横断しました。
(私が通過して、30分から1時間後くらいで、強制排除が始まったそうです)
そのころ、外国人の姿が見えないことに、気がつきました。
(欧米人は、情報が早いです)
私は、いつも、夜、早いんです。
その夜は、ベッドの中で、「外が、やけにうるさいなあ」と思いました。
タイ人が、爆竹でも、しているのかと思いました。
翌朝、外を歩いて、びっくりです。
カオサンのすぐそば、ビッグバーガーの前で、カオサンに、はみ出して、衝突の跡がなまなましく、残っていました。
その通りは、ビッグバーガーから、ロータリーまで、さながら内戦跡でした。
幾重にも、バリケードが作られ、破られ、コンクリートの破片が散らばり、バリケードにされた車が、いくつも、転がっていました。
車のフロントガラスは、蜂の巣です。
通りにある建物の柱には、弾痕が走っていました。
銃の乱射が、あったことがわかります。
ロータリーに近いほうでは、装甲車が、タイヤをパンクさせられていました。
カオサンに近いところの道路では、コンクリートの破片が小さく盛られ、赤いバラが手向けられた場所がいくつもありました。
何人も死んだんです。(人が死んだ場所です)
民主記念塔に近いところ(道路)まで、見に行ったんですが、こちらのほうが、もっと、すごかったです。
こちらには、タイヤだとパンクさせられるから、キャタピラーの装甲車が、何台も投入されていました。
どの装甲車もひっくり返され、キャタピラーを切られて、動かなくさせられていました。
こちらにも、人が死んだあとに、赤いバラを手向けていました。
11日には、民主記念塔で、大掛かりな葬儀が行われました。
私は、もう、ソンクランは、中止だろうと思いました。
ところが、12日から、ソンクランは、通常通りに行われました。
赤シャツ隊の人も、ひっくり返った装甲車のそばで、水掛けをしているんです。
道路が血で赤く染まっているのに、そのそばで、水掛けをしているんです。
カオサンに、はみだして、衝突があり、そばで人が死んだのに、カオサンでは、いつもどおり、水掛けをしているんです。
タイ人て、どういう人たちなのか、日本の常識では計り知れません。


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