お返事、遅くなりました。 もう、タイへは、行かれたんでしょうね? もう、空港の占拠は、しないそうです。 10日の、軍隊と赤シャツ隊の衝突は、流血の惨事となり、20名以上が死亡、約900名が負傷、という惨事になりました。 その日、BTSに乗ったんですが、午後2時くらいでしょうか、サイアム駅を降りたとき、駅が閉まり始めました。 駅員に言って、外に出してもらったんですが、「何事だろう?」と思いました。 タイ語がわからないので、何が起きているのか、わからないんです。 船で、パンファ橋まで帰ると(この周辺に、赤シャツ隊が宿営していました)、異様な雰囲気で、「大丈夫かなあ」と思いながら、赤シャツ隊の中を横断しました。 (私が通過して、30分から1時間後くらいで、強制排除が始まったそうです) そのころ、外国人の姿が見えないことに、気がつきました。 (欧米人は、情報が早いです) 私は、いつも、夜、早いんです。 その夜は、ベッドの中で、「外が、やけにうるさいなあ」と思いました。 タイ人が、爆竹でも、しているのかと思いました。 翌朝、外を歩いて、びっくりです。 カオサンのすぐそば、ビッグバーガーの前で、カオサンに、はみ出して、衝突の跡がなまなましく、残っていました。 その通りは、ビッグバーガーから、ロータリーまで、さながら内戦跡でした。 幾重にも、バリケードが作られ、破られ、コンクリートの破片が散らばり、バリケードにされた車が、いくつも、転がっていました。 車のフロントガラスは、蜂の巣です。 通りにある建物の柱には、弾痕が走っていました。 銃の乱射が、あったことがわかります。 ロータリーに近いほうでは、装甲車が、タイヤをパンクさせられていました。 カオサンに近いところの道路では、コンクリートの破片が小さく盛られ、赤いバラが手向けられた場所がいくつもありました。 何人も死んだんです。(人が死んだ場所です) 民主記念塔に近いところ(道路)まで、見に行ったんですが、こちらのほうが、もっと、すごかったです。 こちらには、タイヤだとパンクさせられるから、キャタピラーの装甲車が、何台も投入されていました。 どの装甲車もひっくり返され、キャタピラーを切られて、動かなくさせられていました。 こちらにも、人が死んだあとに、赤いバラを手向けていました。 11日には、民主記念塔で、大掛かりな葬儀が行われました。 私は、もう、ソンクランは、中止だろうと思いました。 ところが、12日から、ソンクランは、通常通りに行われました。 赤シャツ隊の人も、ひっくり返った装甲車のそばで、水掛けをしているんです。 道路が血で赤く染まっているのに、そのそばで、水掛けをしているんです。 カオサンに、はみだして、衝突があり、そばで人が死んだのに、カオサンでは、いつもどおり、水掛けをしているんです。 タイ人て、どういう人たちなのか、日本の常識では計り知れません。