Q&A

寂しくなりましたね。

公開日 : 2021年01月04日
最終更新 :

コロナのせいで海外へ行けなくなり、掲示板への書き込みもなくなってしまいました。
寂しくなりましたね。

私の方ですが、海外旅行から遠ざかって1年が経ちました。
今年のお盆くらいには、「行けたらいいなぁ。」と思って、毎日を過ごしています。

さて、年末年始は過去の旅日記とアルバムを片付けていました。
旅行中は、食べた物や買った物、出来事を日記に書いています。
読み返すと、当時の記憶が甦ってきました。

掲示板が寂しいので、旅行中の出来事を書いていこうと思います。
時間のある方は、お付き合いください。

皆さんの書き込みも歓迎です。ミャンマー以外の国でも結構です。

それでは。





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  • 今日は、ミャンマー寺に行ってきました。

    今日は、北九州市の門司にある世界平和パゴダに行ってきました。

    夜中に出発して、朝6時前に到着。

    6時に中に入りましたが、すでに本堂は開いていました。

    本尊は、ミャンマースタイルでしたね。

    ただ、本堂内は、あまり整理整頓はされていませんでした(笑)
    この辺は、ミャンマー人なんでしょうね。

    ミャンマー人らしき、お坊さんも見ました。

    「ミャンマーに平和が訪れます様に。」と、祈ってきました。







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  • ある物乞いの女性。(インド・ティルチラパッリ)

    ある物乞いの女性が、記憶に残っています。

    当時の日記に書いた文章を、そのまま載せます。

    表現が悪く、気分を害するかもしれません。

    ティルチラパッリのバススタンドで、マドゥライ行きのバスを確認した後の事です。

    「足に何かが、当たった。

    ふと見ると、小人の女性だ。

    顔は中年だが、手足はほとんどない。

    2ルピーのバクシーシ。

    彼女は、残った短い手で、小さい袋を取り出した。

    2ルピーのコインを袋に入れると、大事そうに袋を閉じた。

    そして、オレに向かって手を合わせた。」





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  • 2011年の民主化前の光景。(ミャンマー)

    髪の毛を染めたり、Gパン・スカートを穿いたりする人は、ほとんどいなかったんですよ。

    みんな、ロンジーに黒髪。

    軍事政権の締め付けは、厳しかったんですね。



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  • ミャンマーの物価について。

    2001年の12月に、初めてミャンマーに行きました。
    その時の、日記を見ると・・・

    1ドル=130円=700Kとなっていました。
    1K=0.186円ですね。

    2019年12月から2020年1月にかけての旅行では、
    1ドル=112円=1500Kで計算しています。
    この数字は、大雑把ですので、参考までに。
    1K=0.075円ですね。

    ミネラルウォーター1ℓ
    昔⇒80~100K⇒15~18円
    今⇒300K⇒22.5円

    ローカル食堂でのチェッターヒン(チキンカレー)
    昔⇒300K⇒56円
    今⇒1500K⇒113円

    ラペッイエ
    昔⇒60K⇒12円
    今⇒300K⇒23円

    宿代(ピイのパンガバ・G.H シャワー・トイレ別)
    昔⇒3ドル⇒390円
    今⇒9000K⇒675円

    宿代(バガンのLarge Golden Pot G.H シャワー・トイレ付き)
    昔⇒3ドル⇒390円
    今⇒15ドル⇒1680円

    物価はかなり上がっていますが、円高とチャットの下落を考えると、
    ミャンマーは、まだ安く旅行が出来ますね。

    しかし、現地の人たちの生活は大変でしょう。

     




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  • JJバスに乗った感想。(ミャンマー・ヤンゴン⇒バガン)

    2018年の12月に、初めてJJバスに乗りました。

    感想は、快適でした。

    でも、面白味はありませんでした。

    日本出発の前日は、16時まで仕事。

    夕食後に、大阪の実家に向けて出発。
    夜間の走行距離は、約500㎞。

    早朝、実家の駐車場に車を置いて、すぐに関西空港へ。

    午前便のCX597ーKA254と乗り継いで、ヤンゴン着は16:23。

    タクシーで、アウンミンガラーへ移動して、20時発のJJのバスで、バガンへ。

    1人掛けの席でしたので、ぐっすり眠る事ができました。

    面白味がなかったと書いたのは、

    ミャンマー人と思われる乗客がゼロ。外国人ばかり。

    1回目の休憩地点が、JJ専用?のきれいな所。ケンタッキーが、ありましたね。
    ローカル感がゼロ。

    TVで、ミャンマーのドラマや音楽が流れない。


    私には、おんぼろバスが似合ってると思いますが、

    体力温存の移動を考えれば、JJバスは100点ですね。








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  • 初めて見た南京虫。(インド・プ―ナ)

    「痒い。何か痒い。」
    夜中に目を覚ましました。

    電気を点けてベッドのシーツを見ると、点々と血が付いていました。
    枕元には、虫が2匹いました。

    「何の虫?」

    「もしかして、これが南京虫?」

    今まで、南京虫の被害には遭った事はありませんでした。

    背中が痒いので、鏡で見てみました。
    ゾッとしました。

    100か所くらい、喰いつかれていました。
    背中は、ボコボコです。

    恐る恐る、、ベッドのマットレスをめくると・・・

    そこには、数十匹の南京虫が・・・
    呆然としましたが、
    「殺してやる!」

    蚊取線香用に持ってたライターで、一匹残らず焼き殺してやりました。
    その晩は、寝ずに、ひたすら南京虫を探していました。

    しかし、このゲストハウスには3泊しましたが、被害に遭ったのは3泊目なんですよね。
    不思議です。

    幸い、痒みは大した事はなかったので、良かったです。

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  •  唾をかけてくる、クソガキ!(インド・アウランガ―バード)

    ビービー・カ・マクバラ―からの帰り道、宿へ向かって歩いていた時の事です。

    前から、小学校低学年くらいの男の子が、自転車に乗ってやって来ました。

    私の所に来ると、いきなり唾を掛けてきました。

    そして、「1ルピー!」
    要求してきました。

    訳が分かりません。

    唾は、私のサンダルに掛かりました。

    どついてやりたくなりましたが、ぐっと我慢しました。

    インドなんですよねぇ~。
    何が起こるか分かりません。

    どこの国でも、クソガキは立ちが悪い。
    しばいてやった事もあります。

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  • パキスタンで、マルカワ・ガム。(パキスタン・ペシャワール)

    とある商店で見つけました。

    見つけた時は、思わず笑ってしまいました。

    小さな箱に、パチンコ玉くらいの大きさのガムが4コ入ってるやつです。

    買いました。オレンジ味です。
    1コ2ルピー(日本円で4円。)

    日本より安いぞ!

    開けてみると、3コしか入っていませんでした。

    「4コ入りじゃなかった?不良品?」

    謎です。



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  • 蟻に喰いつかれた話。(カンボジア・シェムリアップ)

    シェムリアップのプサー・ルー(市場)で、写真を撮っていました。

    すると、右足の甲と足首付近に激痛が走りました。

    見ると、蟻がいっぱい!

    「痛い!痛い!」

    足を振って、蟻を振り落としました。

    どうやら、私は、蟻に巣を踏んづけていたようです。

    その後、火傷のように水ぶくれが出来て、皮がべろんべろんに、めくれてしまいました。

    1週間くらい痛みが続きましたが、かなり痛かったですね。

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  • 人間の目って、暗闇の中で光るんですね。(ミャンマー・ピイ⇒バガン、夜行バス移動中)

    軍事政権時代の話です。

    当時、高速道路はなかったので、ヤンゴンからバガンへ向かうバスは、ピイ経由でした。
    ヤンゴンを15時くらいに出発し、バガン着は翌朝5時くらい。
    ピイからバガンへ直接向かうには、ヤンゴンからのバスに途中乗車する方法しかありませんでした。

    ピイに滞在していた私は、ヤンゴンからのバスに途中乗車して、バガンに向かいました。
    ピイを出発したのは、21時30分くらいでした。

    日付が変わって、時刻は1時。
    バスが停まりました。
    トイレ休憩かと思いましたが、故障の様です。

    停まったのは、とある家の前でした。
    どうやら、修理工場の様です。
    バスの修理が始まりました。

    当時から、ミャンマーの電力事情は悪く、この時も停電していました。
    修理は、懐中電灯の下で行われました。

    修理を待ってる間、私はぷらぷらしていました。
    その日は、新月のようです。
    街灯などはなく、闇夜。
    足元は、ほとんど見えません。

    修理工場の近くに、トラックが3台停まってるのが、分かりました。
    その近くに行ってみました。
    何気に、トラックの荷台を覗いてみました。

    「!」

    丸くて白い物が、いっぱい光って見えます。

    「何?」

    悟りました。

    「人間の目です。」

    荷台に居たのは、兵士です。
    銃を持っていました。

    彼らは、こちらを見ていました。
    驚いた私は、後ずさりして離れました。

    しばらくして、トラックは走り出しました。

    今も思い出しますが、異様な光景でしたね。

    バスの修理が終わったのは、5時間後。
    バガンに到着した時には、くたくたでした。






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  • むさくるしい男たちが見ていたものは・・・(パキスタン・ギルギット)

    石けんを買いに、とある雑貨店に入りました。

    店の中には、男たちが数人居て、テレビを見ていました。

    「何を見てるんだろう?」

    テレビの画面を見ると・・・。

    何と、アメリカの女子プロレス!

    「こいつら、こんな物見てんのか(笑)。」

    私も、しばらくの間、一緒に見ていました。

    パキスタンは、街中には女の人が全然いないですからね。
    男たちの気持ちも、よく分かります。

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  • 大事なマンゴーを強奪された話。(インド・マトゥラー)

    私はマンゴーが大好きで、ほとんど毎日買っていました。

    その日も、一日街歩きをした後、屋台でマンゴーを1㎏40ルピーで買って、宿に向かっていました。

    歩いてると、左手に持ったマンゴーの入ったナイロン袋を引っ張られました。

    「!」

    見ると、猿が3匹視界に入りました。

    そして、破れたナイロン袋から、こぼれ落ちるマンゴー!

    「あっ!」

    大好きなマンゴーが・・・。

    すべて、猿に持ち去られてしまいました。

    もう一度、買いに行く気力もなく、宿に帰りました。



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  • 「ははぁ~!」(インド・ハイデラバード)

    ハイデラバードで、オートリクシャーで移動していました。

    信号待ちで停まっていた時に、物乞いのおじいさんが、やって来ました。

    私を見て、外国人と分かったのでしょう。

    おじいさんは、自分のおでこを私の右足の甲につけました。

    「ははぁ~!」(実際は、何と言ったかは分かりませんが。)

    これまでに、何人の物乞いに出会ったかは、分かりませんが、
    こんな事をされたのは、初めてです。

    私は、お金をあげませんでした。
    おじいさんは、笑って立ち去りました。

    当時の日記に、こう書かれていました。

    「嫌悪感。」



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  • 泥棒にやられた話。その2(ネパールから、バンコク乗り換えで日本へ向かう途中。)

    ネパールでトレッキングに行った後、
    タイ航空のバンコク乗り換えの便で、日本に向かいました。

    帰国後、荷物の整理をしていました。

    「ない!」

    サロモンのトレッキングシューズが、ありません。

    「やられた・・・。」

    いつも、60ℓの大型ザックを使っていますが、
    鍵は掛けられません。

    仕方が、ありませんね。

    被害額は、2万円でした。




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  • 泥棒にやられた話。その1(インド・ニューデリー)

    「67」の話で登場したウプハール・ゲストハウスです。

    外から帰って来て、部屋の中に入りました。

    「おかしい・・・?」

    荷物の位置が、微妙に変わっています。

    「まさか泥棒?」

    荷物をチェックしました。

    「ない!」

    予備のカメラのレンズが、ありません。

    「やられた・・・。」

    ショックでした。

    現金は、必ず持ち歩くので、被害はありませんでした。

    ゲストハウスのスタッフに話をして、警察を呼んでもらいました。
    事情を話した後、宿泊者全員の荷物をチェック。

    インドは、薬に手を出すような奴が多いですから、
    金に困って、人の物を盗む輩がいます。

    レンズは、出てきませんでした。

    その後、警察にレポートを書いてもらいましたが、ヒンディー語なので分かりません。
    後日、カトマンズに入った後、ネパール人の友人にレポートを見てもらいましたが、
    盗難ではなく、「私が紛失した。」という、内容でした(笑)

    「やっぱり、インドやなぁ。」

    レンズは、カトマンズで買い直しました。
    値段は、約3万円。

    日本に帰国後、保険会社に請求し、3万円は戻ってきました。

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  • 血が流れるのは、仕方がありません。(現在の、ミャンマーについて。)

    彼らの国、彼らの大地です。

    自由は、自分たちで掴まなければなりません。

    ここで、屈してしまったら、1988年・2007年と同じことを繰り返すだけです。

    また、あの暗黒の日々に戻るのでしょうか?

    2001年の12月から、ミャンマーに通っています。

    当時は、市場の露店は、警察に排除され、人々は怯えた顔で逃げ回っていました。

    茶店では、無線機を持った私服の警察が居て、人々が政府の悪口を言わないか見張っていました。
    外国人の私も例外ではなく、3回隣りに座られました。

    そんな生活に戻ってはいけません。

    今こそ、立ち上がる時です。

    私は、ただ見守る事しかできません。

    でも・・・。
    誰も、傷ついて欲しくないなぁ・・・。





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  • 忘れられない夜中に見た光景。(ミャンマー・シュエニャウン⇒ヤンゴン、バス移動中)

    インレー湖を訪れた後、夜行バスでヤンゴンに向かってた時の事です。

    夜中の1時くらいに、トイレ休憩がありました。

    開いてる食堂は、ありませんでしたが、物売りの人たちが数人いました。

    その中に、小さな台でミカンを売ってる女性がいました。
    その隣りでは、幼稚園くらいの小さな女の子が、立っていました。

    女性は、おそらくお母さんでしょう。
    小さな女の子は、ニコニコしながら、話をしていました。

    夜中の1時、1時です。
    子供が起きてる時間では、ありません。

    少し離れたところから、しばらくの間、ふたりの様子を見ていました。

    「自分は、恵まれてるなぁ。」

    そう思い、立ち去りました。

    この話は、19年前の事ですが、よく思い出します。

    「みかんを買ってやればよかったなぁ。」
    未だに、そう思います。







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  • 今までの旅で、最安の宿は。(インド・ニューデリー)

    過去の日記を調べてみました。

    1997年・5月のニューデリーのウプハール・ゲストハウスです。

    伝説(?)のウパです。

    今でも、あるのでしょうか?

    狭い部屋に、ベッドが置いてあるだけのシングルです。
    もちろん、トイレ・シャワーは別です。
    (私は、ドミには泊まりません。)

    1泊50ルピー!
    当時のレートで、1泊184円でした。

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  • くそ汚い靴を、インド人に売りつけた話。(インド・ニューデリー)

    アジア横断中の話です。

    2月初めに日本を出発、トルコ⇒イラン⇒パキスタンと歩き、4月後半にはインドに入ってきました。

    4月のインドは酷暑期で、靴なんか履いてられません。

    靴が、邪魔になってきました。

    「ただ捨てるのは、もったいない。売って、少しでもお金にしよう。」

    当時、パハールガンジには、薬の売人がいました。

    通りを歩いていると、すれ違いざまに、「マリファナ?ハシシ?」
    と言ってきます。

    「こいつらなら、買ってくれるだろう。」そう、考えました。

    声を掛けて来た売人に話を持ち掛けました。
    「いいよ。でも日本製か?」

    「そうだ。日本製だ。」

    「そうか。それならついて来いよ。」

    ついて行くと、そこは雑貨店でした。
    居たのは、若い兄ちゃん。
    汚い靴でしたが、興味津々だったので、

    「よし、売れるぞ!」

    商談が始まりました。

    こちらは、ダメもとの1000ルピーからスタート。
    予想外に、すんなり話はまとまり、300ルピーで交渉成立。

    当時のレートは、1ルピーが3.5円でした。

    300ルピーは、2泊分の宿代となりました。

    めでたしめでたし。








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  • 物乞いにお金をあげますか?

    90年代中頃から、本格的にバックパックを背負い、
    南アジア(インド・ネパール・パキスタン)を中心に旅をしていました。

    物乞いの多さは、断トツでインドですが、お金をあげるのは、数回に1回くらいでした。
    物乞いの数が多すぎて、キリがない。しつこ過ぎる。
    お金がもったいない。と言う理由からでした。

    2000年代に入り、ミャンマー・カンボジアへと旅の舞台が移ってきました。

    「自分の心の貧しさを知った時。」での経験は強烈で、考えが変わってきました。

    今は、物乞いが来たら、100%あげる事にしてます。

    旅行中は、小遣い帳をつけていますが、
    物乞いにあげた金額も書いています。

    参考までに、
    ミャンマーでは、1人100Kで、1日500K。(日本円で、40円くらい。)

    カンボジアでは、1人500Rで、1日2000R。(日本円で、60円くらい。)

    10日間くらい旅行しても、金額は知れています。

    収入は少ないですが、食うには困っていません。
    コロナの影響は全く受けていません。

    恵まれた環境で生きていますので、これからも施しをしていこうと思っています。







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  • 「電力不足」の国は、多いです。

    2006年から、2007年にかけて、ネパールに滞在しましたが、「計画停電」をしていました。
    新聞に、1週間分の停電の計画が、載っていました。
    「何曜日の、何時から、何時は、停電」と、計画的に、停電していました。
    具体的には、夕方6時になると、ぱっと、電気が消えました。(午後6時から、午後9時まで、毎日、停電していました)
    テレビを見ていても、消えます。
    親切な、ゲストハウス・スタッフが、ろうそくを持ってきてくれました。
    でも、電気なしでは、何をする気にもなれず、さっさと、寝るようになりました。

    2007年から、2008年まで、滞在した、インドでは、ネットカフェにいるときに、よく、停電になりました。
    ぱっと、パソコンが、ダウンします。
    たいていの店では、発電機を持っているので、発電機を、外に出して、作動させていました。
    みんなが、一斉に、発電機を外に出して、作動させるので、「ウー」と、うるさい音が、響き渡ります。
    そのうるさい音で、「停電になった」と分かります。
    発電機は、ガソリンで動くんじゃないかと、思います。




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  • 寂しいですよねー

    初めてまして。
    寂しいですよね。
    私はリモートワークのため半年前に無理やりヨーロッパに行きましたが、いまは到底どこにも行けません。

    マスクしながらでもいいので早く気軽に行ける日がくるといいですよね

    https://saameblogdephotos.fc2.net/

    旅ブログをしているので良ければ覗いてみてください。
    いずれは国外もレポートしたいですが、いまのところは国内で非日常を味わえる場所をお伝えしております

    ではでは

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  • 日本人ジャーナリストが殺された現場に行ってみた。(ミャンマー・ヤンゴン)

    2007年9月に、日本人ジャーナリストが殺されました。

    その3か月後に、ミャンマーに行きました。

    VISAの取得に3週間掛かったものの、意外に早く発給されました。

    殺害現場は、スーレーの北側、すぐそばです。

    大体の現場は、殺害の映像から分かっていたので、近くの店で聞きながら現場へ。

    ミャンマー人に場所を尋ねましたが、小声で「あそこだ。」
    どこで警察が見張ってるか分かりません。
    周りに注意していました。

    殺害現場に立ち止まる訳にはいきませんので、歩きながら手を合わせてきました。

    この国は、いつも血が流れます。

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  • エロ本を没収された日本人男性。(イラン・マク―⇒テヘラン、バス移動中)

    トルコからイランへ入ってきました。

    マク―からテヘランへはバスで移動しましたが、途中検問がありました。

    私と、もうひとりの日本人男性が外へ出されました。
    建物の中に入ると、男が数人いました。
    「荷物を全部出して。」

    荷物を全部出しました。

    もうひとりの日本人男性は、エロ本を没収されていました(笑)

    ちなみに私の方ですが、地球の歩き方のトルコ編を持っていましたが、
    その中に、ベリーダンスの写真がありました。
    この写真を切り取られてしまいました。

    エロ本と切り取られた写真の行方は?
    絶対、男たちが見てると思います。

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  • ある日本人女性が言いました。「LSDをやったら、怖くなったので止めたの。」(インド・カルカッタ)

    カルカッタのサダルストリートで、日本人の女性に話し掛けられました。

    しばらく雑談をしてると、彼女が言いました。
    「ゴアで、LSDをやったら、怖くなったので止めたの。」
    「これ以上続けたら、止められなくなる。」

    「そうですか・・・」

    私は薬には興味がないので、適当な所で話を切り上げて、彼女から離れました。
    余計なトラブルに巻き込まれるのは御免です。





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    どうやったら、そういう経験ができるのか、わかりません。

    12年間も、海外放浪しましたが、薬物には、縁がありませんでした。
    新聞等を読んでいると、わかりますが、麻薬の売人と、警察は、つるんでいます。
    麻薬の売人は、密告して、密告報奨金を得ます。
    だから、警察は、外国人を調べて、「空振り」することがありません。
    逮捕されている人は、買った相手に、密告されているんですよ。

    警察は、押収した麻薬を、配下の売人に、渡して、売らせ、2,3割のみかじめ料を、得るそうです。

    ドミトリーなんかでは、他人のベッドなんかに、麻薬を隠すそうです。
    泊る部屋は、シングルの、バスルーム付きの部屋に、しましょう。

  • のたうち回る男。(インド・ジャイプール)

    ジャイプール駅前を歩いてた時の事です。

    路上で横たわってる人が見えました。
    インドでは、ありふれた光景です。
    近づいてみると、男が苦しそうに、のたうち回っていました。

    髪はぼさぼさで、髭はぼうぼう、裸足です。
    ウンコまみれで、もの凄い臭いでした。
    おびただしい数のハエが群がっていました。


    しばらく、男の様子を見ていました。
    インド人たちは、避けて歩いてました。
    誰も助けにいきません。

    「日本とは、違うなぁ・・・。」

    男が、その後どうなったかは分かりません。

    写真は、残っています。



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  • 雪の残る峠を、除雪して通過。(パキスタン・シャンドゥール峠・3720m)

    カラッシュ族の村を訪れた後、チトラールからギルギットへ向かいました。
    途中に、3720mのシャンドゥール峠がありますが、4月後半では残雪の為に通れるか分かりません。

    ダメもとで、ランクルをチャーターして出発しました。

    峠近くのソーラスプール村で宿泊しましたが、やっぱり雪が多いとの事。

    「無理か・・・」そう思っていました。

    しかし、ドライバーから話がありました。
    「村人を雇って除雪をすれば、通れるぞ。金を出せるか?」

    「出すよ。いくらだ?」

    村人10人、6000ルピーで交渉成立。(1ルピーは約2円)

    翌朝から作業をしてもらい、無事に通過。

    このルートは、絶景が広がります。
    もう一度、走りたいですね。

    この後、クンジェラーブ峠を越えて、中国・カシュガルに向かいました。











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  • 「あと3500人しかいないよ。」(パキスタン・ブンブレット)

    もう20年前の話になります。2001年の4月です。

    カラッシュ族の村を訪れました。
    その時に泊った、カラッシュ・ホテルのおじいさんが言ってた言葉です。

    カラッシュ族の人口は、年々減ってるそうです。
    おじいさんの悲しそうな顔を今も覚えています。

    ホテルの庭で、ふたりで1時間程話をしましたが、
    何とも言えない不思議な時間が流れていました。

    翌年もブンブレットに行く予定でしたが、アメリカでのテロの影響でパキスタンの治安は急速に悪化しました。
    確かドイツ人旅行者がスワートで殺され、ブンブレット再訪を断念しました。
    アフガン人の多い地域の為、危険すぎました。

    それから20年の年月が流れました。

    おじいさんは、もう亡くなったでしょう。






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  • 「イヤリングは、女の子にとってすごく重要なんだ。」(ミャンマー・バガン)

    1年前の旅のレポートにも書きましたが、バガンのとあるパゴダに、ずっと通っています。
    ここに、絵を売っている男がいますが、現在、その娘の大学の学費を支援しています。年間400ドルです。

    このパゴダには、管理をしている母娘がいました。(娘は17歳)
    父親は、早くに亡くなったようです。
    生活は苦しいようです。
    いつも同じ服を着ており、家はぼろぼろでした。

    ある時、絵を売っている男に頼まれました。

    「イヤリングは、女の子にとってすごく重要なんだ。彼女(17歳の子)は貧しくてイヤリングを買えない。
    買ってあげて欲しいんだ。」

    ミャンマー人にとって、イヤリングをしていない女の子は、全くダメなようです。
    ちなみに男は履物らしいです。

    「そうか。」

    母娘の様子は、ずっと見てきました。
    「買ってあげようか。」

    イヤリングの値段は、30から40ドルくらいだそうです。
    それくらいなら、買えます。

    2日後、絵を売ってる男と17歳の女の子と私の3人でイヤリングを買いに行きました。
    市場で彼女が選んだのは、70ドルの物でした。
    「予算オーバーや。」

    「もう少し安いのにして!」と、言い掛けましたが、彼女の嬉しそうな顔を見てると、
    「まぁ、いいか。」という、気持ちになりました。

    「女の子やもんなぁ。おしゃれは大事や。」


    それから1年後に、このパゴダを訪れました。
    その時、絵を売っている男から、こんな話を聞かされました。

    「彼女は、イヤリングを売ってしまったんだよ。」

    「はぁ~っ!?」

    生活が苦しい為に、売ってしまったようです。

    話をを聞いたときは、ムッとしました。
    でも、考えてみると仕方がないのかもなぁ、と。

    飯が食えなければ、誰でもそうするだろうと。

    彼女には、イヤリングの事は聞きませんでした。

    現在、彼女は結婚をして土産物を売って暮らしています。
    相変わらず、生活は苦しい様です。










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  • ベッドに水を掛けても暑くて寝られない。(インド・ブサバル)

    アジャンターに行く為に、コルカタから夜行列車に乗って、ブサバルにやって来ました。

    ここで1泊です。

    酷暑期の4月で、猛烈な暑さでした。
    夜になっても、気温が下がりません。
    ホテルの部屋の窓を開けても、熱い空気が入ってきます。

    寝られないので、ベッドに水を撒いて気化熱を利用して、温度を下げました。
    しかし、すぐに乾いてしまいますので、また熱くなります。

    夜はずっと、これを繰り返しました。

    旅行人の蔵前さんの本に、これと同じ事が書いてあったのを思い出しました。

    こんな経験をしたのは、この時だけでしたね。

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  • 苦闘!バス34時間の旅。(パキスタン・クエッタ⇒ペシャワール)

    アジア横断中の話です。

    イランからパキスタンに入ってきました。

    カラチへ行くかペシャワールへ行くかで迷いましたが、ペシャワールに行く事にしました。

    宿のスタッフに聞くと、直行バスがあると言う事なので、バス会社にチケットを買いに行きました。

    チケットを買った時の話では、「翌日の朝に着く。」という話でしたので、
    「余裕や!」そう思っていました。

    出発当日、バスは14時に出ました。

    バスは、満席。悪路を進みます。
    ガタガタ、ガタガタ、ずっと体が震えている様な感じです。
    体にはきついです。
    スピードは、全く出ません。
    夜になり、あたりは真っ暗です。
    民家の明かりは、全く見あたりません。
    トイレ休憩はあるものの、オープントイレです。

    晩ごはんは、夜中の1時でした(笑)
    ここまで11時間です。

    朝になり、到着すると思っていましたが、着きません。
    昼になり、夜になり、もうどうでもよくなってきました。

    思考回路は停止です。
    「いつか、着くだろう。」

    0時を過ぎて、ようやく到着しました。
    辺りは、霧で真っ白です。
    バススタンドなのか、どこなのか分かりません。

    道中、色々話しかけてくれた老夫婦がいました。
    「今日は、ここで泊った方がいい。」と言われ、近くの小屋(?)に案内されました。
    そばでは、老人ふたりが焚火をしていました。
    その光景は、よく覚えています。

    小屋の中には、ベッドが並んでいました。
    一応、宿の様です。

    あまりに疲れていたので、ベッドに倒れ込みました。

    世話を焼いてくれた老夫婦に、きちんとお礼を言えなかったのが心残りです。

    ハードなバスの旅でしたが、いい思い出です。












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  • おぞましき巨大なウンコ(インド・ニューデリー)

    ニューデリー滞在中、朝ごはんを食べた後は、ニューデリー駅からサダルバザール駅付近を通り、オールドデリー駅方面へ散歩に行ってました。

    道を歩きながら写真を撮り、時々線路に入ったりしていました。

    インド経験者なら分かると思いますが、朝の線路沿いは、水の入った入れ物を片手に、インド人がウンコをする為にやって来ます。

    そんなインド人を時々撮っていました。

    他人がウンコをする姿を見られるのは、インドくらいでしょう。

    その日も、せっせと撮っていました。

    ある男を撮った後、用を済ませた場所へ行ってみました。

    「これが、ウンコ?」
    「1人前?」
    「人間の?」

    何という巨大なウンコでしょうか!
    びっくりしました。

    記念にアップで撮っておきました。


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  • 賄賂は、25インドルピー(インド・アターリー)

    アジア横断中の話です。

    パキスタン側・ワガ―からインド側・アターリーへ国境を越えました。

    パキスタン側は問題なく出国できました。
    心配してたのは、インドです。
    当時、インドの税関では外貨申告がありました。
    手持ちの、米ドルと日本円の金額を税関申請書に書きました。

    問題は、インドルピーです。

    インドルピーの国外への持ち出し、国内への持ち込みは禁止されていました。
    見つかると没収です。

    しかし、旅行者がパキスタン側で、パキスタンルピーをインドルピーに両替していることを、税関の奴らは知っています。
    私も、パキスタン側のイミグレ裏で闇両替をしました。

    「持っている外貨を全部見せて!」
    役人が言いました。

    「やっぱり来たか・・・。」

    見せると、お金を数えられ、知らないうちに抜かれます。

    「どうする?見せるか?」

    続けて役人が言いました。
    「インドルピーは、持ってるよね。」

    やっぱり狙っていました。

    「握らせるか?」

    ダメもとで、ポケットの中に入れていた25ルピーを出しました。
    「これで、昼ごはんを食べて。」

    役人は、それをポケットに入れました。

    私は、そそくさと税関を離れました。

    やっぱりインドやなぁ~。



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    闇両替は、駄目ですね。

    弱みがあると、ゆすられます。

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  • セブ島在住

    フィリピンの掲示板をたまに見ていますが、もう半年以上投稿がありません。
    僕は今もセブにいますが、何もしていないのでブログやTwitterのネタがありません。笑
    https://cebuyuki.com
    たまに、「いつ旅行できますか?」という質問がありますが、観光客が来るのは数年かかるかもしれませんね。
    海外在住者の何割くらい帰国したんでしょうか?

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  • 「wine please!」「more wine!」(バンコク⇒インド・コルカタ、機内にて)

    バンコクからインドのコルカタへ、タイ航空で向かっていた時の事です。

    私の隣りは、インド人のおじいさんでした。

    離陸後、水平飛行に入り、シートベルト着用のサインが消えました。

    隣のおじいさんが、CAさんを呼びました。
    すると、「wine please!」

    「はぁ?何を考えてんでしょう、このじいさんは。」
    そう、思いました。

    CAさんは、断りました。
    しかし、このじいさんは諦めません。
    他のCAさんに、再び
    「wine please!」
    でも、もらえませんでした。

    機内食が配られ、この時にようやくワインをゲットしたじいさんですが、欲の皮が突っ張っていました。
    「more wine!」
    2杯目をゲットしました。

    しかし、これで終わりではありませんでした。
    3杯目を狙っていました。
    「more wine!」
    でも、CAさんは無視です。

    じいさんは、諦めません。
    CAさんが、通るたびに「more wine!」

    今度は、CAさんの呼び出しボタンを押しますが、CAさんは来てくれません。

    私は、隣で笑っていました。
    「やっぱりインド人やなぁ。」

    機内食を回収する時にも、「more wine!」

    恐るべしインド人!




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    私が、インド国内線で、見た光景は……

    インド人男性が、コーラを、何杯も、注文して、仲間に配っていました。
    茶色い液体は、ぱっと見、ビールでしたが、「コーラ」と言って、もらっていました。
    自慢そうに、していました。
    ヒンドゥー教は、酒は、禁止です。



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  • 2013年6月30日、エジプトで、クーデター発生。私は、何も知らず、ルクソールにいました。

    ルクソールで泊っていたホテルは、1泊400円くらいでした。(ベッド2つ、バスルーム付き。一人使用)
    連日、40度くらいまで、気温が上がりました。
    熱いので、午前10時以降は、外に、出られませんでした。

    部屋代は、安いので、エアコンは、ありません。
    ファンは、ありましたが、使わず、水シャワーを、1日に、6回くらい、浴びていました。

    毎日、新聞売り場に行って、新聞の一面の写真を、見ていました。
    ある日、一面に、装甲車が、行進する写真が、載っていました。
    大勢の軍人が、整列している写真も、ありました。

    「変だな」とは、思いましたが、カイロでは、毎日、どこかここかで、デモが行われていたので、あまり気になりませんでした。
    (当時は、「反モルシ・デモ」が行われていました。とことん、デモが好きな、国民なんです)

    その夜、泊っていたホテルの回りで、デモが行われている声が、聞こえてきました。
    その夜だけで、あとは、何もありませんでした。

    クーデターは、首都だけが、関係して、そのほかの町は、関係なかったのです。

    7月10日には、ラマダンが始まりました。
    エジプト人は、ラマダンのことで、頭がいっぱいのようでした。

    7月30日に、列車で、カイロに、帰りました。
    町中、あちこちに、装甲車があり、びっくりしました。
    装甲車の上には、兵隊が立って、身じろぎもせずに、じっと、銃を構えていました。
    テレビ局の前には、放射線状に、数台の装甲車がありました。
    そのそばも通りましたが、道行くエジプト人は、普通の生活をしているようでした。

    私は、「絶対、何か起きている!」と思いました。
    私は、ザマレクに、歩いて行き、路上で売っている、英字新聞を買いました。
    アレキサンドリアに、バスで、行って、ホテルで、英語の辞書を、引きながら、新聞を読みました。

    いつもと違って、何が何だか、わかりませんでした。
    報道統制されているようでした。
    そのうち、やっと、「クーデターだ」とわかりました。
    急いで、バスで、カイロに帰り、飛行機で、ヨルダンの首都アンマンに向かいました。

    もし、クーデターが起きたとき、カイロにいたら、私も、他の外国人と一緒に、国際空港に殺到して、高いエアチケットを買って、外国に、出国していたかもしれません。
    実は、地方へ行くと、何も、起きていないんです。

    海外旅行の自慢は、このくらい、スケールが大きくないと、駄目では、ないでしょうか。

    2014年5月22日のタイのクーデターのときは、私は、1月から、3月まで、バンコクに滞在し、「今か、今か」と待ち構えていましたが、3か月のビザが切れて、私が、マレーシアの首都クアラルンプールに行った後、クーデターが起きました。
    タイのクーデターは、7、8年に1回、必ず起きて、しかも、無血クーデターなので、「ぜひ、装甲車の行進を見たい」と、期待していたのですが、見れませんでした。(2014年のクーデターでは、装甲車は出なかったそうです)
    タイでは、事前に、「クーデターが近い」と、マスコミでも、報道されます。






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  • 2012年、春頃だったと思います。エジプトのカイロで。

    私は、タフリール通りにある、(確か)レナホテルに、長期連泊していました。
    床と鉄格子だけのエレベータ―で、5階か、6階に上ると、そこのワンフロア―全体が、ホテルになっていました。

    カイロの安ホテルのエレベーターの怖さは、経験しなければ、わかりません。
    チェックインするときは、トランクが重いし、それ以降も、階段は、大変なので、エレベーターを使うのですが、エレベーターに、壁がありません。
    床と、鉄格子だけです。
    ガチャ―ンと、自分で、鉄格子のドアを開け閉めし、ボタンを押して、目的の階へ、上ります。
    目的の階に着くと、自分で、開けて、降りなければいけません。

    ときどき、エレベーターが、途中で、止まることもあります。
    壁がないので、宙吊りになります。
    その時は、大声を出して、人を呼んで、エレベーターを、作動して、もらわなければいけません。
    エジプト人男性は、女性に、優しいので、たいてい、誰か彼かが、気が付いて、エレベーターを、作動してくれます。

    初めて、カイロの、このタイプのエレベーターに乗った時には、「キャー!!怖いよー!!」と、絶叫してしまいました。
    (高級ホテルのエレベーターは、こんなことはありません)
    カイロでは、毎日、デモがありましたが、エレベーターがあるので、デモ隊は、上ってこれません。

    今では、いい思い出です。

    レナホテルは、交渉で、値段が決まりましたが、1泊1000円くらいだったと思います。
    大きな部屋で、3つくらいベッドがあって(バスルーム付き)、何人も泊れそうでしたが、一人で、利用できました。

    革命中で、外国人観光客が、いなかったのです。
    当時は、選挙の最中でした。
    モルシ大統領が、当選した選挙です。
    ムスリム同胞団が、圧勝した選挙です。

    私は、毎日、タフリール広場へ行き、新聞売り場を、のぞいていました。
    アラビア語は、わかりませんが、一面に載っている、写真だけでも、見ていました。
    選挙の最中の、支持率などが、円グラフになって、載っていました。
    街中には、立候補者の写真が、大きく貼りだしていました。
    女性が、頭から、チャドルをかぶって、目だけ出している写真も、ありました。
    街中にいる女性は、頭には、スカーフをかぶっていますが、顔は、普通、出しています。
    カイロの女性は、スカーフ、上着、長いスカートを、うまくコーディネートして、大変おしゃれです。
    色彩感覚が、抜群に、いいです。




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    「レナ」でなくて、「ルナ」でした。

    先の記事を、訂正します。
    いいホテルでした。
    フロントには、若い女性が、座っていました。

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  • 写真1枚の重み。(ミャンマー・バゴー)

    旅行中は、観光もしますが、市場で写真を撮ってる事が多いですね。

    ズームレンズを使って、人々の色んな表情を撮るのが楽しみです。

    撮った写真は、プリントをして、ラミネートフィルムを張り付けて持っていきます。

    バゴーでの出来事です。

    写真を配った後、あるおばさんが泣きながら私の所にやって来ました。
    彼女は何やら言ってますが、全然分かりません。
    手には、服売りのおじさんの写真がありました。

    「何か、まずかったのだろうか?」

    英語を話せる人が間に入ってくれました。

    写ってるおじさんは、彼女の旦那さんで、亡くなったそうです。
    写真は、ほとんどなかったので、おばさんは嬉しくて私の所にお礼を言いに来た、という事です。

    今も昔もミャンマーでは、写真は喜ばれます。
    スマホが普及して、写真は簡単に撮れるかもしれませんが、プリントには敵わないと思います。

    写真は、時が止まるんですよね。
    それが、撮り続けてる理由です。



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  • 警察に付きまとわれた話。(ミャンマー・ヤンゴン)

    初めてミャンマーに行った時の話です

    今のミャンマーは、ゆるゆるですが、当時のミャンマーは軍事政権でした。

    政治の話はタブー、写真を撮るのも気を遣っていました。

    ヤンゴンのスーレー近くのティンジーマーケットで写真を撮っていた時の事です。

    その時、露店の取り締まりが始まりました。
    警察官が数人、物売りを排除していきます。容赦有りません。
    警察官のひとりが、私に気付きました。
    今でも、よく覚えていますが、目つきの悪い小太りの男です。
    リーダーの様でした。

    私の所に来て、何やら言いました。ミャンマー語なので分かりませんが、
    「撮るな!」という事でしょう。

    大人しく、その場を立ち去りました。

    それから、街中をぷらぷらしていました。
    ある時、気付きました。自分の周りに、常に警察官の姿がある事に・・・。

    どこに行っても、警察官がいます。
    「あの顔は、見たことがあるぞ。こいつの顔もだ。」

    「ゾッとしました。見張られてる・・・。」

    警察官は、こっそり見張ってるという感じではありませんでした。
    堂々と姿を見せて、
    「見張ってるぞ。」

    翌日も、半日は同じ様な感じでした。
    街中で色々撮ってましたが、周りには注意してました。

    軍人や警察官が写らないか、政府関係の建物がないか。

    特に、トラブルはありませんでしたが、緊張感ありまくりでした。







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    私は、カメラは、持って行きません。

    カメラそのものが、狙われるし、警察や軍人は、写真を取られるのを、嫌がります。
    ノートパソコンや、スマホも、狙われます。

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  • 「みし!みし!」(ミャンマー・ピイ)

    ピイの市場での出来事です。

    散歩をしてると、ご飯屋台のおばあさんが、「みし!みし!」と言ってきました。

    「?」

    「もしかして、めし、飯の事?」

    おばあさんに、「めし?」と言うと、笑顔になりました。

    戦争の影響でしょう。
    確か、ピイの近くには日本軍が駐留していたと思います。

    これが、きっかけで、このおばあさんの屋台に通う事になりました。
    もう、おばあさんは亡くなってしまいましたが、毎年会えるのが楽しみでした。



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  • 日本に、技能実習生に行ったことがある外国人の意見は………

    ネパールの首都カトマンズの西洋料理店のオーナー
    「私、技能実習生で、日本に行ったね」
    「自動販売機、凄いね。指で、ぷっと押すと、ガチャンと、下から、コーヒーが出てくるね。おいしいね」
    すっかり、自動販売機に、感心していました。

    インドネシアのバリ島のゲストハウスのスタッフ
    「俺、技能実習生で、日本に行ったね」
    「休みの日に、東京に行って、ギターを買ったね。これね」
    彼は、暇があったら、そのギターを弾いていました。
    それ以外は、日本に、いいイメージは、持っていないように、見えました。

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  • 2010年5月、バンコク騒乱を避けて、ミャンマー・ヤンゴンへ

    2010年5月の24日か、25日だったと思います。
    当時、バンコクで、長期滞在していた私は(カオサン滞在)、連日の騒動を、インターネットカフェで、毎日チェックしていました。(カオサンは、安全でした。危険な場所は、ほんの一部)
    「エンポリウムが、焼けた」
    「パラゴンも、焼けた」
    軍と、デモ隊の衝突は、略奪、放火へと発展し、行き慣れたデパートも「焼けた」と、ネットで、情報が流れ、私は、嫌になって、タイ脱出を考えました。
    (この放火情報は、嘘でした)
    「まだ、行っていなかったミャンマーへ行こう」と思い立ちました。
    当時は、ミャンマーは、ビザもややこしく、「行きにくい国」というイメージでした。
    バンコクには、紀伊国屋書店があるので、そこで、ミャンマーの旅行用ガイドブックを買って、バンコクにある、ミャンマー大使館で、ビザを取る方法を調べました。
    ビザを取るのは、思いのほか、簡単でした。

    ミャンマーのヤンゴンへ、飛行機(エアアジア)で行きました。
    ヤンゴンの空港では、軍人さんが、私のパスポートをひったくって、代わりに、入国書類を書いてくれました。
    ガイドブックに載っていたホテルに、タクシーで行きました。
    ミャンマーの町は、インドを彷彿とさせる貧しさでした。
    でも、露天商のおじさんは、ボッタクってきませんでした。
    小さな目覚まし時計を探していたんですが、値段交渉をすると、いきなり、ミャンマーチャットで、日本円に換算して、150円程度の値段を言ってきました。
    普通、ボッタクってくるので、私は、びっくりして、即決しました。
    こんな正直な国民を見たのは、初めてでした。
    東南アジア中、旅行してきましたが、最も、正直な国だと思いました。
    古くから、ミャンマーは、東南アジア一の強国だったそうです。
    国民も、優秀なんです。


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    タイのガイドブックに、ミャンマービザの取得方法は、載っていました。

    先の記事を、訂正します。

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  • 私は、「First Class」の人間なのか?(ミャンマー・バガン)

    私が初めてミャンマーに行った時の話です。

    バガンでは、自転車に乗ってパゴダ巡りをしてました。

    ローカナンダー・パヤーに行った帰りの出来事です。
    疲れていた私は、自転車を押しながら歩いていました。

    川沿いにきれいなレストランがありました。
    私が、決して入る事のないような店です。高級店!

    「高そうだな。」

    店の中を見ながら、そう思っていました。

    中には、きれいな服を着た女性が何人もいました。

    店の入り口に差し掛かると、その内のひとりがやって来て、笑顔で入り口の門を開けました。
    私を、客と思ったのでしょう。

    「違うよ、違うよ。」

    私は、手を振りました。

    女性は、残念そうな顔をしました。

    その女性の横にあった、大きな看板に目が行きました。

    英語でこう書かれていました。

    「Only First Class」

    オレが、First Class?

    First Classって何?

    金を持ってれば、First Class?

    外国人であれば、First Class?

    今もよく覚えてますが、不思議な変な気持ちになりました。




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  • 蛇使いに追いかけられた話。(インド・コルカタ)

    ニューマーケットの近くで、蛇使いに出会いました。

    蛇使いを見たのは、初めてでした。

    「これが、蛇使いか・・・」

    男が笛を吹くと、コブラがゆらゆら揺れてました。
    「お~っ!」
    感動しました。

    男に、カメラを向けると、コブラを首に巻いてポーズを取ってくれました。

    チップの1ルピーを渡そうとしましたが、男は受け取りません。

    「いらないの?」

    もう一度、渡そうとしましたが、やっぱり男は受け取りません。

    「なんだ、いらないのか。ただで撮れてラッキー!」

    足早にその場を立ち去りました。
    「男の気が変わらないうちに。」そう思ったからです。

    歩き出すと、何やら声が聞こえました。
    振り返ると、男がコブラ片手に走ってきました。

    こちらも走り出しました。
    トラブル発生です。
    揉めるのは面倒です。

    しばらく走りましたが、男はまだ追ってきます。
    「まずい!」「こいつは、しつこいタイプだ。」

    100mくらい走りましたが、まだ追ってきます。

    手に持ってた1ルピーを投げると、男はそれを拾い、追うのをやめました。

    「最初から、受け取れよ!」

    インドでは、何が起きるか分かりません。









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  • プーリーへのこだわり。(ミャンマー・ヤンゴン)

    個人的な好みですが・・・

    インド滞在中は、よくプーリーを食べました。
    しかし、揚げたてで、パンパンに膨らんだものを出してくれる店は、なかなかありませんでした。

    そんな私の欲求不満を解消してくれる店がヤンゴンにあります。

    その名は、ニューデリー レストランです。

    場所はですね、スーレーを北へ。
    左に曲がって、アノーヤター通りへ。
    ヒンドゥー寺院の手前にあります。
    寺院を超えると行き過ぎです。
    英語表記はあります。

    「プーリー!」と注文すると、プーリー2枚とカレーなどが運ばれてきます。

    パンパンに膨らんだものが来たら、ラッキーです。
    しぼんだものが来たら、運が悪かったものと思いましょう。

    膨らんでる内に、プーリーを破りましょう。
    「バフッ!」
    水蒸気が出ます。
    この瞬間が、至福の時です。

    プーリーは、1枚単位で追加注文できます。
    私は、いつも2枚追加していました。
    カレーも、おかわり出来ます。
    プーリーを食べるなら、朝早くですね。
    6時くらいが、いいと思います。
    プーリーに飽きたら、ドーサもいいと思います。

    この店ですが、カレーもおいしいですね。
    お昼ごはんは、ベジタブルカレーがお勧めです。
    食べ放題で、お腹いっぱいになります。












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  • 「彼は、どこへ行ったのだろう?」(ミャンマー・ヤンゴン)

    ヤンゴン滞在中、私の朝の行動は決まっています。

    朝5時にスーレーがオープンしますので、まずはお参り。
    その後は、朝ごはんの第1ラウンドです。

    スーレーを出て、マハバンドゥ―ラ通りを西へ5分程歩くと、茶店があります。
    この時間に開いてる茶店は、ここだけです。
    看板はありませんが、店内には「南山茗茶」と書かれています。
    中国系でしょう。主人らしき人の顔は、そんな感じです。

    この店の前に、物乞いの男がひとりいました。
    モスリム帽を被り、座っています。
    この店に立ち寄る時は、必ず見かけました。
    お金を渡すと、奪い取るかのような感じでした。

    そんな彼を初めて見たのは、2001年の12月。
    それから、毎年彼を見ていました。
    しかし、2011年の12月を最後に、姿を見る事はありませんでした。

    「どこへ、行ったのだろう?」

    今も、時々ヤンゴンに滞在します。
    茶店に立ち寄る時は、「いるかなぁ?」
    期待してる自分が居ます。














     

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    インドのバナラシで見た物乞い………

    2008年1月、インドのババラシは、ガンジス川のほとりで見た光景です。
    ひとりの金持ちそうなインド人女性が、財布から、お金を出して、物乞いにやろうとしました。
    次の瞬間、そこら中の物乞いが、一斉に、その女性に向かって突進しました。
    物乞いは、200人は、いたでしょう。
    その女性は、悲鳴を上げていました。
    そして、物乞いに、もみくちゃにされ、群衆に埋もれて、私の視界からは、見えなくなってしまいました。

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  • 「おぞましき、溢れるウンコ」(カカルビッタ⇒カトマンズ・バス移動中)

    インドのスリグリーからバスに乗り、国境へ。

    ネパールに入国し、カカルビッタへやって来ました。

    カトマンズへは、夜行バスで16時間です。

    朝5時くらいに、休憩がありました。
    お腹の調子がちょっと悪かったので、
    「トイレはどこ?」
    ドライバーに聞きました。
    「あそこだよ。」

    田んぼのあぜ道にあったのは、
    日本の工事現場にある簡易トイレの木造版ですね。
    ぼろぼろで隙間が空いているので、外から中が見えます。

    「こんなところでするの?」

    ドアを開けました。
    「ゾッとしました。」

    便器からウンコが溢れています。
    凄まじい量です。
    一体、何人分のウンコでしょうか?

    「よく他人のウンコの上にウンコをするよな。」

    諦めて、カトマンズまで我慢しました。











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    カトマンズ ー カーカルビッタは、危険なので、飛行機にしたほうが、いいです。

    ネパールに限りませんが、夜行バスは、特に危険です。
    2008年1月に、インドのバナラシの日本人向け食堂で、読んだ、英字新聞には、バスジャックの話が、載っていました。
    夕方に、発車する、夜行バスです。
    マフラーで、顔を隠した、数人の若い男たちが、バスが走り出して、しばらくすると、ナイフを取り出して、「金を出せ」だったそうです。

    私は、インドやネパールの国内移動は、できるだけ、飛行機を使っていました。


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  • 「彼は、撃ち殺されたよ。」(パキスタン・ペシャワール)

    以前に撮った写真を持って、ペシャワールを訪れました。

    その中の1枚に、野菜売りの男の写真がありました。
    笑顔の写真です。

    彼に渡そうと、撮った所まで行きましたが、彼はいませんでした。

    近くの食堂で、彼の事を聞きました。

    「彼は、撃ち殺されたよ。」

    殺された理由は分かりません。

    渡せなかったのは、残念です。




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  • ゴキブリを食べた話。(パキスタン・ギルギット)

    お昼ごはんの話です。

    小さな食堂で、マトンテッカを注文しました。
    マトンテッカは、マトンを鉄鍋で焼いたものです。
    肉はナンと一緒に食べます。

    肉があと1コになりました。
    ふと鍋を見ると、肉の横に何かあります。
    「あれ?虫?」

    虫の様です。
    左半身(?)がありません。

    「この感じは・・・」

    「うぎゃ~!ゴキブリ!」

    鍋を見ましたが、ゴキブリの残り半分がありません。

    どうやら、食ってしまったようです。










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  • とある食堂にて。(ミャンマー・マンダレー)

    その日は、バガンからマンダレーへ、7時間かけて移動してきました。
    当時は、メッティーラ経由しかありませんでした。

    現在は、ミンジャン経由が主流ですね。所要5時間くらいです。

    朝から何も食べてなかった私は、腹ペコでした。

    「よし食うぞ!」

    市場ににあった、とある食堂に入りました。
    その食堂は、旅行者が入るようなところではありません。
    小さな、小さな店でした。

    チェッターヒン(チキンカレー)を注文し、さらにフライドチキンを1本、スプライトを頼んで待ってました。

    しばらくすると、親子連れと思われる客、4人が入ってきました。

    両親と小学生くらいの女の子2人です。
    服は、ぼろです。
    私の隣りのテーブルに座りました。

    料理が運ばれてきました。
    腹ペコの私は食いつきました。
    食べてると、何やら視線を感じます。
    隣りの4人がこちらを見ているのに気付きました。

    「食べにくいなぁ」そう。思ってました。

    4人の方にも料理が運ばれ、食べ始めました。

    「何を食べてるんだろう?」
    ちらっと見ました。

    4人それぞれ小さなお皿に、白飯がありました。

    テーブルの真ん中には、どんぶりがひとつ。
    中はスープの様です。
    スープをすくっては、白飯を食べてました。

    どんぶりの中ですが、具がないんですよ・・・

    何とも言えない気持ちになりました。

    その後のご飯は、味がしませんでした。















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