警察に付きまとわれた話。(ミャンマー・ヤンゴン) 初めてミャンマーに行った時の話です 今のミャンマーは、ゆるゆるですが、当時のミャンマーは軍事政権でした。 政治の話はタブー、写真を撮るのも気を遣っていました。 ヤンゴンのスーレー近くのティンジーマーケットで写真を撮っていた時の事です。 その時、露店の取り締まりが始まりました。 警察官が数人、物売りを排除していきます。容赦有りません。 警察官のひとりが、私に気付きました。 今でも、よく覚えていますが、目つきの悪い小太りの男です。 リーダーの様でした。 私の所に来て、何やら言いました。ミャンマー語なので分かりませんが、 「撮るな!」という事でしょう。 大人しく、その場を立ち去りました。 それから、街中をぷらぷらしていました。 ある時、気付きました。自分の周りに、常に警察官の姿がある事に・・・。 どこに行っても、警察官がいます。 「あの顔は、見たことがあるぞ。こいつの顔もだ。」 「ゾッとしました。見張られてる・・・。」 警察官は、こっそり見張ってるという感じではありませんでした。 堂々と姿を見せて、 「見張ってるぞ。」 翌日も、半日は同じ様な感じでした。 街中で色々撮ってましたが、周りには注意してました。 軍人や警察官が写らないか、政府関係の建物がないか。 特に、トラブルはありませんでしたが、緊張感ありまくりでした。
警察署に連行された話。(パキスタン・ラホール) ラホール駅近くの路上で、写真を撮っていました。 すると、ひとりのじいさんが、やって来ました。 「ここで、撮るんじゃない!」 文句を言ってきました。 時々、難癖をつけて来る輩がいます。 日本語で、「うるさいんじゃ、ボケ!」と、言ってやりました。 しばらくすると、じいさんが警官2人を連れて来ました。 「何してんの?ちょっと来て!」 連行される事になりました。 警官について行くと、どこかの細い路地に入りました。 中は薄暗くて、迷路です。 どこをどう歩いたか分かりません。 警察署らしき所に、着きました。 ボスらしき人の所へ連れて行かれ、尋問です。 大した事は聞かれませんでしたが、最後にこう言われました。 「撮ってもいいが、書くなよ。」 解放されました。
警察は、普通、現地人の話だけ、聞いて、外国人の話は、聞いてくれません。 ある人に聞いた話では、ホテルの宿泊代を、ごまかされそうになって、フロントで、もめていると、警察を呼ばれ、手錠を掛けられ、拘置所に入れられたそうです。 タイのバンコク、カオサンの話ですが。 カオサンには、警察署がありますよね。 タイに限らないかもしれませんが、外国の警察官は、日本語を、しゃべりません。 普通、英語も、しゃべりません。 通訳なんか、呼んでくれません。 タイ人の話だけ、聞いて、対応します。 タイ人に、何を言われたかも、わかりません。 拘置所の中は、牢屋みたいで、便器と、水道だけ、あったそうです。 食事時になっても、食事も、飲み物も、出なかったそうです。 ほかの人は、誰かに、金を渡して、食べ物を、買ってきてもらって、いたそうです。 何時間かして、誰かわからないけど、若い男の人が、携帯電話を、差し出してきて、手に取ると、「日本大使館の○○です」と声がして、「100バーツ払って、出てきてください」と言われたそうです。 事情なんかは、聞いてこなかったそうです。 タイ警察と、日本人の言うことが、違うのは、当たり前だからです。 慣れ切っているんです。 その後、拘置所を出て、警察署の方に移り、何が書いてあるのか、わからない、タイ語の書類に、サインさせられ、100バーツ払って、出てきたそうです。 (1バーツが、3,5円くらいです。) 日本では、「人権!人権!」と言いますが、相互主義でいいと思います。 日本人の払った税金で、外国人の人権を、守る必要は、ないです。 、
「何を書いてるんだ!」警察に捕まった話。(イラン・アフワーズ) アジア横断中、イランには約3週間滞在しました。 旅行しづらい国と思ってましたが、人々は優しく楽しかったですね。 ただ、「コミテ」と呼ばれる宗教警察は、別でした。 奴らは、私服なんですね。どこにいるかは分かりません。 滞在中は、ほとんど毎日、警察に捕まっていました。 原因は、カメラです。 制服の人間は、パスポートチェック程度で済みましたが、 コミテは、そうはいきませんでした。 尋問が待っていました。しつこいです。 アフワーズでは、1時間程捕まりました。 街角の工場の人々や走ってるバイク、車を撮っていた時です。 写真の枚数が多いため、何を撮ったかは、ノートに書いてました。 これが、引っ掛かったようです。 4人の男に、声を掛けられました。 「何を書いてるんだ!?」 説明しましたが、分かってもらえません。 ノートは、取られてしまいました。 さらに尋問は続きます。 パスポートをチェックされ、 「今まで、どこの国に行った?」等、色々聞かれました。 なかなか解放してもらえません。 しばらくすると、 車3台がやって来て、むさくるしい男が10人くらい降りて来ました。 ムスッとした表情です。 「こりゃ、ブタ箱かな。」 覚悟しました。 同じ様な事を聞かれましたが、 その内のひとりが、笑顔で握手を求めてきました。 そして、言いました。 「注意してね。」 指揮官でしょうか? ようやく解放され、ノートも返してもらえました。 冷や汗もんでした。
「フィルム没収だ!罰金を払え!」(インド・コルカタ) 大失敗談です。 デジカメが出る前の事です。 暇なので、サダルストリートからハウラー駅まで散歩に出かけました。 途中、ハウラー橋を渡ってると、ガートが見えました。 「撮ろうか。」 日本を出て、2日目。まだ、旅の感覚が戻っていません。 橋が撮影禁止なのを、すっかり忘れてました。 撮った後、すぐに警官に声を掛けられました。 警官は、私の真後ろにいたんです。 「ここは、撮影禁止だ。フィルムを出せ」 「やってしまったなぁ~。」 ごねると面倒な事になるので、おとなしく渡しました。 続けて警官は言いました。 「罰金だ。金を払え!」 金を渡しても、この警官の懐に入るのは目に見えています。 「金は持ってない。ホテルに置いてある。」 「ダメだ。罰金だ!」 押し問答の末、警官は諦めました。 大事な写真が・・・ 悔やまれてなりません。
インドで、一番良かったのは、ゴアです。 ゴアでは、魚介類が食べられます。 ゴアの、バガビーチに、2007年10月から、11月まで、滞在しました。 1泊500ルピー(約1500円)の安宿でした。 毎日、ビーチで、長椅子に寝そべり、朝食セットを食べ、本を読み、のどが乾いたら、飲み物を注文し、何時間も、過ごしました。 紺碧のアラビア海を眺めながら、最高のひと時を過ごしました。 (12月になると、ヨーロッパから、たくさんの旅行者が、チャーター機で、ゴアに来るそうです。ホテル代が、跳ね上がるので、私は、11月末で、デリーに、移動しました) 日本の海と違って、アラビア海は、毎日、色が変わりませんでした。 いつも、紺碧でした。 水平線の向こうには、アラビア半島があるはずでした。 インドでは、食べ物がまずくて、閉口しますが、ゴアだけは、おいしかったです。 ゴアだけは、インドの女の子も、Tシャツを着て、短パンツをはいていました。 ゴアは、元ポルトガル領なので、キリスト教徒が多いそうです。 インドへ旅行するなら、ゴアがお勧めです。
私は、カメラは、持って行きません。 カメラそのものが、狙われるし、警察や軍人は、写真を取られるのを、嫌がります。 ノートパソコンや、スマホも、狙われます。