Re: 日本人は、ぼったくりの矛盾に妥協する場合が多いです。 (Cat-police)様。こんにちは! コメントを拝見して、自分のことを書かれているようで大変恥ずかしい思いがしました。 私、実は「ぼったくり」という言葉の意味を知ったのは、『歩きかた』にお邪魔するようになってからです。 私自信東京生まれ東京育ち、ドイツに住んでもう長いのですが、きっと日本に住んでいたら、「オレオレ詐欺」のいいカモになっていると自他共に認めるおばさんです。 ちなみに、ドイツも東京みたいに『値切る』習慣はないです。 東京の人が値切れないのは、私の子供の頃の日常の買い物(祖父母の時代から)は、だいたい何処の家でも、御用聞きや、担ぎやさん、富山の薬などが多く、付け払い(今で言えば、信用払い)が多かったからではないかと思います。多摩ニュータウン等が立ちはじめた頃からでしょうか、家に売りに来る人のことを「訪問販売」と呼ぶようになったころから、「付け買い」も無くなって、現金払いになったのは。世の中、ずいぶん変わりましたね。こういうのを『世知辛くなった』というのでしょうか。
ぼったくられたときに、金のあり方を悟る場合があるかも。 ムーミンママさん、こんばんわ。 いまみたら、レスがあったので、 『値切る』習慣はない、ごもっともです。 今でも、田舎の八百屋などでは、付け払いがありますよ。 しかし、私は率直的にいって、 日本人は本質は決して変わらないものを持っていると思います。 言いかえると毒にも薬にもならない、それが日本人です。 強気な事を言ってますが、わたしも昔と違って、年を取って、 受け身な態度で、どうにもならぬものを出来るだけ控えめに しておこうという弱々しさを感じているところです。 ぼったくられたときに、 金のあり方を悟る場合があるかもしれませんね。 ・・・本人がそれに気づけばの話ですけどね。
Re: ぼったくられたときに、金のあり方を悟る場合があるかも。 cat-police+ムーミンママ様 さすけねえは、某地方都市に住んでいますが、幼い頃は医者まで付け払いでした。 本屋もいつも付け払い、少年●●だけは自分で現金払いでしたが。 今は、その患者や客が病院や店が「どこの馬の骨か分からない」時代になったのでは?・・・つまり行動範囲が「町内」ではなくなったのです。 駅から徒歩7分、どこにでもある「本町」の「隣の町内」、江戸時代は飯盛女も置くことが許された中心街・・・私の子供の時あった、パン屋も米屋も豆腐屋も駄菓子屋(子供の徒歩圏内に7軒)も、鍛冶や、銭湯(町内に2軒)全て廃業しました・・・。 米は配達してくれる米屋でなくスーパーに、夕方売りに来た豆腐やも来なくなってスーパーで、八百屋や肉屋も「ご用聞き」から電話で注文が・・・それもなくなり、全てスーパーで買い物です。