レポート

今日(2005.6.10)の春秋(日経新聞)

公開日 : 2005年06月10日
最終更新 :

http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/20050609MS3M0901009062005.html

機内の話ではなく街中でのことですが、パリや旅行先のヨーロッパの他の都市で、私が子連れだからか、旅行者から話しかけられることがあります。道を尋ねられること、お住まいですか?とか子供連れで旅行ですか?と訊かれること、いろいろです。

中高年の方の非礼に接することもしばしば。

明らかに私の方が年少だと見えたとしても、初対面の相手に、しかも自分が困って人に助けを求めるという状況で、敬語、丁寧語さえ使えない日本語力の不十分な方。

親の躾が悪いのか、謝辞も述べずに立ち去る方。

パリでしばしばこういう中高年の方に出会ってしまいます。
自分の子供への躾・教育には使えますがね、「間違えてもこういう人間にはなるな」と。

日本は礼儀正しいというのがステレオタイプでしたが、こういう親たちに育てられた「最近の若いもん」が礼儀正しくなるわけがない、と思ってしまいます。

もちろん、一概には言えず、すばらしい方もいます。

バンドーム広場で道を教えた我々にご丁寧に礼を言われたうえ、海外に住む苦労に労いのことばをかけて頂いた老(といったら失礼か)夫婦の姿は今でも鮮明に記憶に残っています。

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2件のコメント

  • Re: 今日(2005.6.10)の春秋(日経新聞)

    こんにちは。

    十数年前のことですが。10代の終わりに、
    言語の切り替わりがうまくいかず、とっさに
    一言出ないことがありました。

    ドイツ語圏に旅行にゆき、
    市街地で地下鉄にのり、座っていると、目の前に立つ
    12から13歳くらいの男の子、友達とふざけて、自分の靴がちょっと
    私の靴に触れただけなのに
    「あ、ごめんなさい」ドイツ語ではっきりと、目を見て言ってきました。
    とっさに、「いいんですよ」というドイツ語が思い浮かばず
    同行の弟が、私の膝を軽く叩いて返事を促したのですが
    なんでもない一言なのに、ついに返せませんでした。
    男の子は、気を悪くして向こうに歩いて場所をかえました。

    別にドイツ語じゃなくとも、相手はその場の雰囲気で察しますから
    なんでも返せばよかったのに、どうして出てこなかったんだろうと
    そのときの気持ちが、ずっと離れませんでした。

    NYで地下鉄に乗ると、
    少し体が触れるだけで、きちんと謝ってくる人が多い、
    それは昔からですが、最近は東京の地下鉄とのギャップを感じます。
    礼儀正しい素敵なお姉さんが、肩が触れるたび
    何度も謝ってくれたことがあり、そのたびに違う言葉なのに
    同じ単語でしか返せない自分の語彙の少なさが恥ずかしいことがありましたが
    何語でも同じ言葉でもいいから、一言ちゃんとかえそうと、その気力だけは
    あれ以来もつように、しています。うまくいかないこともありますが。

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    退会ユーザ @*******
    05/06/11 21:43

    とっさの一言

    みさーるさん、こんばんは。

    青春の(いえ、今もお若いですけど)ひとこま、ですね。
    なんだか微笑ましい気持ちがしました。

    でも、私もいまだに一言が出なくて、あとあと気になることがあります。

    やはり、言葉に出す、ということは大切だと思い、
    これも習慣に近いところがありますから、
    スーパーのレジなどでも、こんにちは、どうもありがとう、と言うようにしています。

    話はうんと飛んでしまうのですが、
    我が子を、口に出してほめるのも、けっこう難しいことがあります。
    ウチでは、子供が幼稚園の時に、夏休みに親に宿題が出て、
    「いいことたくさん見つけた」ということで、
    どんなことでも、我が子のいいところを見つけて、日記のように書き出して、
    9月に提出する、というのがありました。
    これが随分練習になりました。

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  • 退会ユーザ @*******
    05/06/11 14:08

    Re: 今日(2005.6.10)の春秋(日経新聞)

    トベロラカシさん、お久しぶりです。

    日本にいても同様のことを感じるのですから、
    「旅の恥は掻き捨て」感覚の日本人は、海外ではなおさらなのでしょうね。

    以前は、バスや電車で携帯電話をオフにせず、平気で話をしているのは若い人たちだけでしたが、
    この頃、若い人たちはメールの入力をカチカチとやっていることの方が多く、
    凄い大音響で着信音がなり、その方向を見ると、平気な顔で話し始めるのはオジチャン、オバチャンが多くなりました。

    私の職場は、小学校なのですが、校内で顔を合わせて、相手から挨拶されることは稀になりました。
    こちらから声をかけても知らん振りの人の方が多いのです。

    席を立ったら椅子をしまう、すれ違うときに道を譲り合う、など当たり前のことができていなくて
    いつも声を掛けていれば、先生って神経質だよねと言われる始末。

    日本は、いまや二極化しているように思えます。
    そして悲しいかな、躾もマナーもあったものじゃない方たちが、ポコポコ子どもを産んでいるような気がするのです。
    (もちろんまともな感覚の人もいますから、彼らは、対極の方たちに学校で接してびっくりする…)

    老後、この日本で穏やかな気持ちで暮らせるか・・・とても不安です。

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    退会ユーザ @*******
    05/06/11 15:42

    Re^2: 今日(2005.6.10)の春秋(日経新聞)

    グラツィアさん、横からこんにちは。

    >そして悲しいかな、躾もマナーもあったものじゃない方たちが、ポコポコ子どもを産んでいるような気がするのです。

    まともな感覚の人の多くが、子どもを持たないこと、結婚しないことを選択した結果でしょうね。
    そして、子どもを持たない人、結婚しない人の理論は子どものいる側には多くは通用しないのではないでしょうか。
    理屈や理論だけでは成り行かない世界ですから。
    ほんとに悲しいことですけど。

    私自身は自分の子どもに思うように躾をつけられず、ちょっと嘆かわしい気持ちなのですが
    (自分の親がかなり厳しかったので)
    実質はそれほどひどくはないのかもしれません。

    夫の職場も小学校なのですが
    それで、時折、現在の子どもや家庭に危うさがあることが伝わるのですが
    我が家は何の自慢もないのですが、酷いところは酷いらしいのです。

    今、子どものいる人の多くはなかなか穏やかな気持ちで過ごしてませんから..
    どうなるのでしょうね、将来・・・私もなかなかよく、考えられません。

    外国で暮らしてる日本人の方が、日本の伝統をしっかり守ってらっしゃるのではないかとよく思います。

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