「結婚したら、子供は何人欲しい?」
と聞くと、
「一人か、二人」
と答える。
「もし、二人とも女の子だったら?」
インドでは、ダウリー(持参金)がいるので、女の子は好まないはずだ。
「二人とも、女の子でも構わないよ。一人か二人で、十分だよ。インドの人口、増えすぎちゃうよ」
インドは、人口抑制策をとっている。
「ダウリーは?」
「ダウリーなんて………」
彼は、顔をしかめた。
「今、そんな時代じゃないよ」
私が、マハラジャの話をすると、
「カーストなんて、関係ないよ。僕、ラージプットだけど」
ラージプットは、戦士階級だ。
勇敢だとされている。
「貴方は、勇敢なのか?」
と聞くと、
「じゃあ、僕の姉さんは、武器を取って、敵と戦わないといけないわけ?僕、彼女に対してさえ、勇敢じゃないよ。”カースト”じゃなくて、今は、”教育”が大事なんだよ」
ずいぶん、進んだ考え方の持ち主のようだ。
お互いの家族の話をした。
彼には、姉がひとりいて、結婚しているが、バイオテクノロジーの研究者だそうだ。
新興のエリート家庭は、子供の教育に熱心で、大学教育では、手に職をつけさせたがることがわかる。
彼は、両親の住む町へ行く途中だった。
両親と離れて、ひとり暮らしていることを聞いて、
「じゃあ、料理とか、たいへんだね」
と言うと、
「全然。料理は、料理作る人が作るし」
「えっ?!本当?!」
「うん。掃除は、掃除の人がするし、洗濯は、洗濯の人に頼むし。僕、何もすることないよ」
「本当?!」
「うん。洗濯は、人に頼んでも、1ヶ月200ルピーだよ。労働力、安いもん」
ある意味、日本人より、恵まれている。
「うちの会社、日本にも、支店あるよ。日本では、自分で、全部、しないといけないんだってね」
そうなんだよ。
「じゃあ、貴方の彼女、貴方と結婚しても、料理も洗濯も掃除も、しなくていいの?」
「そうだよ」
「本当?!」
「本当」
「じゃあ、彼女、何をするの?」
「今の仕事を、続けるんじゃない」
彼女も高額所得者なんだろう。
そして、彼は、彼女が、仕事を続けることを望んでいる。
「じゃあ、金持ちの奥さん、仕事を持っていなければ、何をするの?」
「何もしないよ。リラックスしてるだけ。あと、お互いの家、訪問したり」
「本当?!」
「本当。料理は、料理する人がするし、洗濯は、洗濯の人に頼むし、掃除は、掃除の人がするし、子守は、子守の人がするし」
そんな世界があったなんて!
私は、思わず
「Will you marry me!」
と叫びそうになったが、一生インド料理を食べることを考えて、思いとどまった。
彼のような、まじめで純情な美青年は、日本では、絶滅した。
インド人男性と結婚する日本人女性は、少なくないが、こういう男性なら、結婚するのも悪くないと思う。
彼と話していて、思ったのは、「感覚、価値観が、日本人と似ている」ということだ。
似ているので、話が通じやすい。
ツーリストエリアにいる、頑迷で、わけのわからないインド人たちとは、「同じ国民だと思えない」を通り越して、「同じ人間だと思えない」。
私は、本当は、この「列車の中で」のレポートを書くつもりはなかった。
でも、「インド最後の夜」の衝撃が、強すぎたようなので、中和剤として書いた。
私が、この「列車の中で」を書くつもりがなかったのは、これを読んだ日本人女性が
「インドの男性って、みんな、そんなにステキなの?!」
と、誤解するといけないからだ。
私が会った、このインド人男性は、例外中の例外である。
こういう、インテリで高額所得者のインド人は、料金の安い列車車両に乗らない。
ツーリストエリアにもいない。
ツーリストエリアの安宿にも、泊まらない。
インドを旅行した場合、「インド最後の夜」のような出来事、さらにもっとひどい目に遭う確立は、高く、私が「列車の中で」で会ったようなインド人に出会う確立は、ゼロに近い。
「インド人なんて、最悪じゃ!インド人なんて、絶滅してしまえ!」
というのが、インドを旅行した普通の日本人の、一般的な感想である。