2003年に中国東北地方を短期間で鉄道旅行してきました。 その話を途中まで書いて、放ってありました。 中国東北地方(旧満州)旅行記(2003) http://homepage3.nifty.com/worldtraveller/asia/manchuria.htm 発表してない写真もあり、 書いてないネタもたくさんあります。 そこで、再開することにしました。 みどりのくつした
中山広場を囲む建物の写真@大連/遼寧省 大連の表面的な権力の中心。 それは、大広場と呼ばれた、現在の「中山広場」だ。 ここには、官公庁、銀行、大和ホテルなどが、丸く広場を囲んでいた。 この中山広場には10本の道路が集まるロータリーになっている。 大連賓館に泊まった僕は、当然、中山広場の中心に立ち、そこから10個の建物を写真の撮りました。 過去の趣のある建物の後方には、中国の経済発展を表すかのように、高層ビルがそびえている。 ただ、現代の高層ビルは歴史に名を留めないが、過去の建物はいつまでも残るだろう。 そこで、重要でない建物も含めて、10個の写真を公開しました。 中山広場の中央に立ち、大連賓館から、時計回りに周囲の建物の写真を撮る(2003年9月)。 http://d.hatena.ne.jp/worldtraveller/20081025 みどりのくつした
(笑) このタイトルは、おかしな旅行記をチェックする。で如何だろう?。 だから、みどりの大先生はこのサイトのアイドルなんです。 http://d.hatena.ne.jp/worldtraveller/20040502のトルコの写真と、 今回の2003年の写真を見比べると凄くおかしい。いったい何時、中国にいったのですか?それとのほかの旅行記がうそなんですか? (ハリウッドからのアドバイス) これも、一応、旅行記なんだから書く前に過去の旅行記をチェックし た方が良いと思います。 でも先生の旅行記は少しだけですが、頭の体操になりますね、 3流の推理小説よりは少しだけ楽しいです。
T452次列車、乗車駅は「瀋陽北駅」か「瀋陽駅」か???? 瀋陽駅からは、歩いて10分ほどで中山広場の遼寧賓館へ行った。 飛び込みだったが、今回は、シングルがなくて、ダブルの部屋になった。 今度は歩きと市バスで、瀋陽駅へ行き、2日後の大連行きの軟座を買った。 これがT452次列車で、軟座で87元。 それは問題ないのだが、乗車駅が「瀋陽北駅」になっていた。 ところが「地球の歩き方/大連と中国東北地方('03~'04)」には、 「ただし、切符にかかれた駅からしか乗車できない(例えば、切符に瀋陽北駅発とあった場合、信用駅からは乗車できない)-page72-」 とあった。 どう考えてもおかしな記述だが、面倒なので、僕は北駅から乗ることにしました。 でも、本当に瀋陽駅からは乗れないのでしょうか?? 今もってわかりません。 『遼寧賓館に泊まって、市バスで瀋陽駅へ行き、瀋陽北駅発T452次列車の軟座切符を買う』 http://d.hatena.ne.jp/worldtraveller/20081022 みどりのくつした
いつも、笑える情報をありがとうございます。 今度、仕事の関係で中国の大連に行こうと思っています。 世界旅行と言えば、みどりの大先生の信頼できる情報ですね。 2003年の9月4日前後に中国を旅行していたのですね。 でも、みどりの大先生のプログでは、そのころはヨーロッパで金持ちの母娘と会っていたのではありませんか? さすが、世界旅行のベテランともなると凄い行動力ですね。 追伸、もっと、奇想天外な文章で僕の頭の想像力を高めてください。 http://d.hatena.ne.jp/worldtraveller/20081019 中国のプログ http://d.hatena.ne.jp/worldtraveller/20030901 ヨーロッパのプログ みどりのくつしたさんの旅行記はすべて、いい加減な旅行記ですね、
長春から瀋陽へのT122次列車の硬座切符を買う@長春駅 哈爾賓駅から長春駅へT184列車で移動。 長春駅前の春諠賓館に飛び込みでチェックイン(260元)。 すぐに、翌日のT122次列車の切符を買いに行きました。 長春から瀋陽へ、翌日の硬座切符が47元。 次は、長春偽満皇宮博物院へ行きます。 『長春駅前の「春諠賓館」にチェックインして、瀋陽へのT122次列車の切符を買いにいく』 http://d.hatena.ne.jp/worldtraveller/20081021 みどりのくつした
哈爾賓から長春への「T184次」列車の切符を買う 大連から哈爾賓へT261次列車の軟臥で到着。 龍門大厦に宿を取って、ビュフェで朝食をとって、 すぐに寝る。 昼ごろおきて、哈爾賓駅の2階の切符売り場へ行く。 ノートに「T184/181 9月5日 哈爾賓(8:19)→長春(10:51) 1人 軟座」と書いて窓口に出す。 すると、窓口の人は、 僕のノートを手にとって「没有軟 有硬座 38元」と書いて、見せてくれた。 というわけで、硬座で旅をすることにしました。 しかし、切符を見ると、37元とはっきり書いてある。 それでは1元はどこへ行ったのか? 『哈爾賓から長春への「T184次」列車の切符を筆談で買うと、硬座に保険が付いてきた』 http://d.hatena.ne.jp/worldtraveller/20081020 切符の画像などあります。 みどりのくつした
エスペランティスト緑川英子の大きな写真を見る@哈爾賓 日中戦争時代に、中国側の宣伝放送をしていたエスペランティストの長谷川テル(緑川英子)の名前は知っていた。 ところが、ハルビンの「東北烈士紀念館」に行ったら、そこで大きな彼女のパネルを見た。 彼女は、中華人民共和国の成立を見ずに、極貧の中で死亡した。 エリートとして生まれ、エスペらんティストとして生きた長谷川照子の生涯を想って、僕は感慨を深くした。 『東北烈士紀念館で緑川英子(長谷川照子/長谷川テル)の大きな写真を見て感慨を深くする』 http://d.hatena.ne.jp/worldtraveller/20081019 みどりのくつした
聖ソフィア聖堂@哈爾賓/黒龍江省 龍門大厦に宿を決めて、中央大街、松花江をみた。 あとは、聖ソフィア聖堂を見る。 聖ソフィア聖堂は、中は、建築関係の博物館になっていた。 昔のハルビンの地形や、風俗などが展示されていて、興味深かった。 ちょうど日本人旅行者を見つけたので、写真を撮ってもらいました。 『中央大街、松花江のあとは、聖ソフィア聖堂を見て、歩いて帰って、哈爾賓駅前地下街で夕食を取る』 http://d.hatena.ne.jp/worldtraveller/20081018 みどりのくつした
松花江(Songhua Jiang)を見る@哈爾賓(Haerbin)/黒龍江省 哈爾賓の龍門大厦へ宿を決めて、 まだ朝食が食べられる時間だったので、 朝食をゲットして、昼まで寝た。 それから、中央大街を歩いた。 中央大街を歩いていくと、川にぶつかった。 これが松花江/スンガリ川だ。 左を見ると、太陽島へのロープウェイが見える。 右に顔を向けると、黒河へ向かう列車が 鉄橋を越えていくところでした。 『中央大街を歩いて、松花江へ突き当たる。太陽島へのロープウェイを左に見て、鉄橋を渡って黒河へ向かう列車を右に見る』 http://homepage3.nifty.com/worldtraveller/asia/songhua_jiang.htm という話。 みどりのくつした
ハルビン(ハルピン/哈爾濱)中央大街を歩く。 大連からハルビンに到着して、すぐに龍門大厦へチェックインする。 昼過ぎて、ハルビン駅へ行き、切符売り場で、長春行きT184次の切符を取る。 その後、ハルビンの観光地「中央大街」へと歩いていった。 予想していたのとは大きく違って、 完全に観光地として整備されていて、 歩行者天国になっていた。 また、9月の平日だというのに、イヤに人が多かった。 馬車のモニュメントがあったので、そこに座ったところの 写真を撮って貰う。 おまけに 哈爾賓は「ハルピン」なのか「ハルビン」なのか について、 ちょっと考えてみました。 『哈爾賓(ハルビン/ハルピン)中央大街を歩き、ここで生活していた日本人のことを想う』 http://d.hatena.ne.jp/worldtraveller/20081016 みどりのくつした
龍門大廈(旧大和ホテル)@ハルビン駅前/黒龍江省 大連からハルビンに到着したら、まず考えるのが、ハルビン駅で射殺された伊藤博文のこと。 その歴史を踏みしめて、午前8時にはハルビン駅向かいにそびえる「龍門大厦(Longmen Hotel)」にチェックインする。 まだ午前9時前で、フロントは英語がわからないが、 ノートに漢字を書いて、部屋をゲットした。 その1015号室から、ハルビン駅を見下ろした写真を取る。 あとは朝食をつけてもらったので、ビュフェを捜して歩いた。 無事に思い切り朝食を取って、部屋で昼まで寝た。 そのあと、まずは、長春への切符を買いに行きましょう。 『T261次列車でハルビンに到着して、駅前の「龍門大厦(Longmen Hotel)」1015号室にチェックインして、朝食を取る』 http://d.hatena.ne.jp/worldtraveller/20081015#p2 という話です。 みどりのくつした
大連、旅順は1932年3月以降も「旧満洲国」ではありません ウェブサイトの旅行記興味深く読ませてもらいました。 一点、気にかかる表現が。 大連、旅順が「旧満洲国」との認識でしたら間違っています。 貴ウェブサイトのテキストより引用。 ≪旧満州国へ感傷旅行へ旅立つ。…旧満州国の玄関は、昔もいまも大連。≫
Re: 大連、旅順は1932年3月以降も「旧満洲国」ではありません 大連、旅順が旧満州国ではないというのは多分関東州で日本の植民地だった事をおっしゃっているのだと思います。 私も行きましたがツアー広告でも関東州を含めて旧満州といっているのもあります. みどさんもそれくらいは百も承知で書いていると思います。
「T261次列車で大連からハルビンへ」 2003年9月1日、中国短期旅行のビザが不要になった。 僕は、成田から大連へ飛んだ。 短期間の旅行だったので、とにかく鉄道で移動したい。 最初はハルビンへT261次列車で、移動しようと考えた。 そのあと、ハイラルへの「2083/2081」次列車に乗ろうと決意する。 ただ、この列車は隔日運行らしかった。 そこで、とにかく、T261次で、ハルビンへ行きました。 という話。 『世界旅行者は、大連からハイラルまでの「2083/2081」次列車に乗ろうと考える』 http://d.hatena.ne.jp/worldtraveller/20081014 『世界旅行者はT261次列車で移動して、ハルビンの旧大和ホテル・龍門大廈にチェックイン』 http://d.hatena.ne.jp/worldtraveller/20081014#p1 みどりのくつした