1988年8月22日。
エルサレム城内の「ニューインペリアルホテル」33号室で起きた僕は、
ダマスカス門へ行って、サービスタクシーで
イスラエルの出国審査へ。
イスラエルの出国は簡単。
出国税を払うだけ。
あとは、ヨルダンの入国審査へ移動。
ヨルダンでは、この時期(1988年)は、出国してない建前になっていたので、
簡単に手続きが済む。
またサービスタクシーに乗って、アンマンへ。
アンマンのタクシー乗り場へ到着。
ここで、ダマスカス行きのサービスタクシーに乗る。
大型のアメ車に5人乗って、国境へ。
1988年のシリア国境では、100米ドルの強制両替があった。
国境の銀行で、公定レートで強制両替した書類を持って、
入国手続きをして、急がされるまま、またタクシーに乗る。
そうして、ダマスカスへ到着。
ところが、国境を越える時に、外貨申告を忘れていた。
外貨申告がないと、持ち金全部を没収されてしまうと言う噂が…(涙)。
でも僕は、このときは全く知らなかったので、とても気楽でした。
次は、ダマスカスで宿を決めなければならない。
ところがこのとき、まだイランイラク戦争の最中だった。
ダマスカス市内には、戦争を逃れてきたイラン人の金持ち連中が、沢山いて、
ホテルを占拠していたのでした。
という話です。
『エルサレム(イスラエル)からアンマン(ヨルダン)、そのままダマスカス(シリア)へ突入(1988)したが、大切な手続きを忘れていた』
http://homepage3.nifty.com/worldtraveller/asia/jerusalem_amman_damascus.htm
話のネタにどうぞ。
みどりのくつした