何もしないのが 目的です。

ニートの海外版みたいなものです。
しかし 彼らだって ビザの期間が過ぎないように
考えて 滞在しています。  日本のニートは
先が見えないし 出ていくきっかけもつかめないのでは
 ないでしょうか。
お金がかからず 毎日ぶらぶらすることを やった者は
それこそ 麻薬みたいに 楽しいものです。
私は 若いときに こんな 生活にあこがれてました。
今 そんな生活に入って 今度は 体の心配が 出て来ましたが。
インドなどのように 毎日はっぱを吸って 一日過ごす人は
不法滞在をして こんどは 麻薬に手を出し いよいよ
野垂れ死にするおそれが ありますが、それを 誰も止めることは
出来ません。  普通は インドだから こういうことが
出来ると思って 日本に帰るまでの 日々を過ごしていると
思っています。 
お金が無くなれば 日本に帰り働きまたやってきます。
それを繰り返す人はそんなに 多くは無いです。
日本で ホームレスをしている人と 大差はないでしょうね。
たぶん 推測ですが、私も人目が無ければ ホームレスみたいに
開き直って生活していたかもしれません。
毎日働くのは 私にとって 大変プレッシャーがありましたから。
何もしない日々は 解放感でいっぱいになりますよ。
 
 

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1件のコメント

  • 10/02/28 20:40

    なるほど

    そう言えば、僕も小学校の時は、毎日、それに、夏休みや春休みも、僅かな宿題をさっと済ませて、あとは一日中遊んでいたですね。中学校後半から、退職するまで、いつも明日や、もっと先のことを考えて行動してました。本当にプレッシャーだったから、今でも殆ど毎日、仕事をしてる時の夢を見て、はっと目覚めてほっとする。その意味で、幼児性と、なにもしないことには、関連があるかもしれない。だが、幼児は決して何もしないのでは無くて、遊ぶことで体を鍛え、能力を蓄えてるのだと思う。
    だから、「何もしないのが目的」って、非論理的言葉になるのじゃないだろうか?むしろ、目的なし、が正しいと思う。違いますかね?
    僕は今、自分で目的を作っている。日々の詰らん目的をノートに書いて、これを、こちこちと消化してます。もうちょっと高度な目的も考えよ~っと。
    今になって考えると、プレッシャーって、本人の気の持ち様じゃないでしょうか。仕事をゲームとか遊びと考えるべきだったんだね。命まで取られることはないんじゃから。面白がってりゃいいんじゃないかな。でも僕は気持が小さかったんだよね。必死になってやってたから。なんで必死にならなあかんの?だね。ゲーム!ゲーム!工夫を楽しめばいいんじゃよ。

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    10/02/28 20:48

    でも、今の人へのプレッシャーは

    僕らの時代より先行きが不透明すぎるよね。
    頑張って報われるには、相当の工夫がいるから。