レポート

アフガニスタン(バーミヤン)旅行記 準備・ビザ

公開日 : 2015年08月15日
最終更新 :

2013年9月にタジキスタンのホーログ経由でアフガニスタンのイシュカシムを訪れて以来、かの国に対する興味は多少の波はあっても途切れることはなかった。とりわけ惹かれたのがバーミヤンだ。石窟や湖の景観もさることながら、なによりもそこに住むハザーラ(Hazara)の人々が気になった。コーカソイドとモンゴロイドの混血に対する親近感もあれば、民族的宗教的(シーア)な少数派としての迫害と差別の歴史への関心もあった。

しかしアフガニスタンとなると、そうそう気軽に旅行に踏み切れるものではない。2014年末のISAFの撤退を経て、やがて2015年。治安状況は悪くなることはあっても、よくなる気配はない。ほとんどあきらめかけていたときに、たまたまイギリス人とアフガニスタン人が共同で立ち上げたUntamed Bordersの存在を知った。

http://www.untamedborders.com/

アフガン旅行を手配してくれるというではないか。実績もそれなりにありそうだ。さっそくメールで問い合わせると、すぐに返事が返ってくる。当初は6月下旬から7月上旬にかけての旅行を計画していたが、ラマダンと重なるということで、7月下旬から8月上旬に変更した。また、カブールの出迎えと宿の手配、バーミヤンまでの航空券の入手だけを希望したのだが、「whole tripに責任を持ちたい」というUntamed Bordersの意向から、全行程にガイドを付けることにした。最終的に決定した旅程は次のとおり。

29th July (Wed.): Arrival at Kabul (via Dubai)
30th July (Thurs.): Flight to Bamian
31st July to 2nd August (Fri. - Sun.): Stay in Bamian
3rd August (Mon.): Return flight to Kabul
4th August (Tues.): End of trip (Flight to Dubai)


問題はビザ。ドバイで簡単にビザを取れると考えていたのだが、どうもそうではないらしい。Untamed Bordersのメールによると、"Japanese and Korean visitors to Afghanistan do find it harder to obtain a visa than other nationalities"というではないか。Untamed Bordersの勧めにしたがってドバイのアフガン領事館に電話で問い合わせると、ビザ申請のためにはletter from your countryが必要とのこと。

この時点でふたたびあきらめモードに。ドバイの日本領事館がそのような手紙を出してくれる可能性はゼロに近く、東京のアフガン大使館へビザ申請がむなしいことは2年前にすでに経験している。しかしまあ後悔しないようにやれることはすべてやっておこうと6月上旬に郵送で駐日アフガン大使館にビザを申請しておいた。ほとんど期待していなかったが、郵送してから10日ほどして、アフガン大使館から自宅に電話があった。

大使館員「アフガニスタンに知り合いはいるのか」
私「いない」
大使館員「本国ではアフガン滞在中のあなたのセキュリティを心配している」
私「今回の旅行はすべてUntamed Bordersのガイド付きとなっているから、大丈夫だ」
大使館館員「ではそれを証明するような文書を送って貰えないないだろうか」

ここでビザはOKとの感触を得た。さっさくUntamed BordersにLetter of Invitationを送ってもらい、アフガン大使館に転送。数日後に大使館から再度電話があり「ビザを発行できるので、料金の80ドルを振り込んでくれ」とのことだった。

80ドルを振り込み、関空発ドバイ経由カブール行きエミレーツ便の航空券を購入、7月上旬には出発を待つばかりとなった。

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9件のコメント

  • 貴重な情報ありがとうございます

    当方も、アフガニスタンの旅を夢見ている者です。
    この旅程での予算を参考までに教えて頂ければ幸いです。

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    15/08/16 12:38

    Re: 貴重な情報ありがとうございます

    ひとりでガイドをドライバーを雇うことになるため、かなり高くつきます。
    総額で1700英国ポンドです。帰りのバーミヤンからカブールのフライトにはガイドが付き添わなかったため、ここから1人分の復路航空費100米国ドルが返還され、現地でガイドから受け取りました。つまりUntamed Bordersに支払ったの1700ポンドから100ドルを差し引いた額です。

    この金額の中には、宿泊費、ガイド費、ドライバー費、車両費、空路を含む交通費、朝食が含まれていますが、昼食費と夕食費は含まれていません(ただしカブールのゲストハウスでの夕食費は含まれています)。食事代は一食200円から400円くらいでしょう。私はホテルシルクロードにガイドとドライバーを招待して和食をとったりしたので、もっと高くなりましたが。日本からカブールまでの航空運賃も含まれていません。私の場合は、エミレーツを利用して、13万ちょっとでした。

    言うまでもありませんが、複数で参加すれば、1人あたりの金額はもっと安くなるはずです。またUntamed Bordersではグループツアーも募集しています。詳しくは問い合わせてください。

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  • 15/08/15 20:04

    まとめと動画

    アフガン旅行でもっとも気になるのが治安だ。タリバンに加え、イスラム国(IS)がアフガンへ触手を伸ばしている今、状況は決して楽観できない。政府とタリバンの交渉も始まろうとしているが、交渉を有利に進めるためにタリバンが攻勢を強める可能性もある。実際、私が発った3日後の8月7日にはカブールで連続テロが発生し、少なくとも50人が死亡している。

    私もUntamed Bordersのサポートがなければたぶん踏み切れなかっただろう。もっとも、アフガニスタンに知人でもいない限り、Untamed Bordersに頼るしか観光ビザを取得する手立てがない。いうまでもないが、Untamed Bordersでは客の安全に細心の注意を払っている。ひとりでも死者が出ればEnd of businessであることは十分に承知している。現地にさまざまな情報のネットワークを持ち、ここで詳細を書くことは控えるが、ゲストハウスの選択、飛行機がキャンセルされた場合の移動手段の確保などについても二重三重の策を考えている。

    だからといって安全が100%保証されるわけではない。行くか行かないかは最終的には個人の決断になる。アフガニスタンに限らず、現在の状況下のエジプトやトルコへ行く場合でも同様だろう。私としてはリスクを覚悟して行っただけの価値は十二分にあった。

    ひとつだけ蛇足。2年前にイシュカシムへ行ったときには、女性はほぼ全員がブルカを着用していた。自宅にいるときや農作業しているときにはブルカ姿でないが、買い物に出かける場合には99%ブルカを着用していたように思う。しかし、カブールでもバーミヤンでもブルカ姿の女性はあきらかに少数派だった。これにはちょっとびっくり。タリバンの影響が強いカンダハールなどではまた別かもしれないが。

    今回のアフガン旅行の動画を20本ほどYoutubeにアップしているので見てもらったら幸い(私のYoutubeのチャンネル名はchojiro22)。

    Travel to Afghanistan 2015 アフガニスタンへの旅 2015年
    https://youtu.be/SlnhLc3Fc3g

    Afghanistan: Making Bread (Naan) in Bamyan アフガニスタン:バーミヤンのパン屋
    https://youtu.be/wTKdW2grbxs

    Afghanistan: Live Hazara Music in Bamyan 1/3 アフガン音楽生演奏1/3
    https://youtu.be/SOeWuv0S7WU

    Afghanistan: Driving in Kabul アフガニスタン:カブールをドライブ
    https://youtu.be/CaHNKamek-Y

    Afghanistan: Walking in Bamyan アフガニスタン:バーミヤンを歩く
    https://youtu.be/Un3A0AApCaU

    Afghanistan: Amazing Band E Amir Lakes アフガニスタン:バンデ・アミールの湖
    https://youtu.be/oXBtJjTiRek

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    15/08/16 00:22

    こんにちは。

     私も昨年あるつてをたどってバーミヤンに行きましたのでその時の緊張や興奮がよみがえってきて食い入るように読ませていただきました。ビザが緩和されてバーミヤンだけでももう少し気軽に(?)訪問できるようになれたら嬉しいです。おっしゃるように生涯最も印象に残る旅の一つになられたことでしょう。とにかく無事に帰られて何よりでした。
    貴重な旅行記ありがとうございました。

  • 15/08/15 20:01

    第七日目

    カブール発ドバイ行き13時半のフライトだが、Gullには早めに迎えに来てもらい、午前10時前に宿を出る。カブールは渋滞が激しいうえ、空港に入るまでに何回もセキュリティ・チェックがあるので十分に余裕をもって出たほうが安心だ。

    フライトはほぼ予定どおり。ドバイに着いたときには、「これでやっとアフガニスタンから無事に帰還できた」とホッとしたのも事実。夜中3時の関空発の便まで10時間近くも待ち時間がある。ドバイの街に出ようかとも考えていたが、飛行機を降りたとたんのムッとした暑気にその気も萎えた。出発ロビー内のホテルは6時間パックでも200ドル以上と、選択の範囲内ではない。エミレーツから提供されたミール・バウチャーで空腹を凌ぎ、空港内でただただ待つ。

    飛行機は午前3時に予定どおりにドバイを発ち、夕方6時半ごろに関空着。これまでに最も印象に残る旅の終了。

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  • 15/08/15 19:58

    第六日目

    この日はカブールへ戻る日。Kausarは別の旅行者を迎えるためにバーミヤンに残り、私は1人でカブールに飛ぶ。カブールでは別のガイドが待っているはずだ。1人とはいえ同宿のAliも同じ便でカブールへ帰るので心強い。

    45分の飛行のあと、カブール空港の外ではガイドのGullが待っていた。Aliとは知り合いらしく、挨拶を交わしていた。Gullはハザーラだが、生まれも育ちもカブールとのこと。

    初日と同じゲストハウスに再度チェックイン。しばらく休んでからカーブルの観光に出る。まず地雷博物館。地雷だけではさまざまな武器が展示してある。博物館を出るときに記帳を求められたので、日本語で「日本製の地雷がなかったのは幸い」と書いておく。

    続いて国立博物館(ナショナル・ミュージアム)。内戦で破壊されたあとで再建された博物館だ。

    昼食はレストランで。このとき、かつて私がYoutubeで見たBBCのアフガン関係の番組に登場していたのがGullであることに気がついた。カナダ人の女性ジャーナリストのインタビューを受け、Gullは「ツーリスト・カンパニーを立ち上げるのが夢」と語っていた。GullはUntamed Bordersに雇用されているのではく、自分のオフィスを持っていること、Untamed Bordersとは協力関係にあることを知った。

    カブールを一望できる丘を訪れたあと、私の腹具合が悪くなり、宿に戻る。一休みしたあと、カブールで過ごす時間ももう残り少ない。チキン・ストリートやフラワー・ストリートをGullと散策し、カフェでマンゴ・ジュース(おいしかった)を飲みながら、雑談。これでカブールの全日程、つまりアフガン旅行の全日程は終了だ。ゲストハウスでビュフェ式の夕食をとったあと、外出してしばらく買い物をして、明日のフライトの準備。

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  • 15/08/15 19:56

    第五日目

    バーミヤン最後の日。この日はまずBuddhist Cavesを訪れ、続いて車で10分ほどかかるDragon Valleyに向かった。Dragon Valleyは広大な岩山が2つに裂けたような谷間となっている景勝地だ。5、6人の子供を含む家族が遊びに来ている以外、風の音しか聞こえない静かな地で、さまざまな形の岩が果てしなく広がっている。この家族からは昼食をごちそうになった。顔立ちからからしてたぶんハザーラだろう。

    バーミヤンに戻り、昨日とは別のチャイハナに寄る。アフガンの家族から昼食をごちそうになっているので腹はいっぱいだったので、ナンは抜きにしてケバブの肉だけを食べる。隣の席からターバンに髭、するどい目つきの男がじっと私のほうを見ている。典型的なタリバンにも見えなくはない男からじっと見つめられるのはあまり気持ちのよいものではない。やがてその男とガイドのKausarが会話。あとでKausarに聞くと、私が目立ったのは英語で話していたからで、日本人(ないしは中国人)と思われたからではないという。「5歳のときにアフガンを離れて欧州に移ったため、現地の言葉をしゃべれないのだ」というKausarの説明に男は納得したとのこと。しかし、街を歩いていたとき、突然「ありがとう」と声をかけられたこともあり、私には見かけからしてもアフガニスタン人ではない何かがあったのだろう。

    午後は特にすることもなく、インターネットカフェに立ち寄ったあと(宿ではWifiにはつながったのだが、おそらくプロバイダの側の不調でネットにはつながらなかった)、若干のCDとDVDを購入して宿に戻った。

    宿の中庭でお茶を飲みながらガイドKausarと話す。毎回の食事どきをはじめ、彼とはずいぶん話した。アフガニスタンに関する私の情報はもっぱらBBCやEconomistの西側の報道によるもので、Kausarとの食い違いが少なからずあった。たとえば、前回の大統領選。「本来ならアブドラ・アブドラが勝っていた選挙だが、ガニーが勝利したことになったため、混乱を防ぐためやむなく二頭体制になった」という私の認識に対して、Kausarは「勝ったのはガニーだが、アブドラが武力衝突で脅かしために二頭体制になった」という見方だった。Kausarの強い反米レトリックには驚いたが、こうした反米感情がアフガニスタン人の間でどれほど一般的は確かでない。

    タリバンによるハザーラの迫害についても、Kausarは「確かにタリバンはハザーラを迫害して、子供や老人、女性までも殺した。しかし同じような迫害はマスードも行っている。タリバンだけを取り上げ、マスードによるハザーラの迫害に言及しないのはおかしい。それにバーミヤンではハザーラのミリシャがパシュトゥンやタジクを追い出すという過去もあった」と言う。

    マスードによるハザーラの迫害、ハザーラによるパシュトゥンやタジクの迫害は事実かもしれないが、規模や広がり、残酷さにおいてタリバンによるハザーラの迫害とは比較できないのではないかとも思うが、これはちゃんと調べてみないとわからない。

    Kausarはパシュトゥンだから、そのバイアスもあるのかもしれない。

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  • 15/08/15 19:47

    第四日目

    四日目は晴れ。雲一つない快晴とはいかないが、バンデ・アミールの湖への観光には支障がない。

    バーミヤンから車で1時間半ほど。壮大な岩山に囲まれた深い青色の湖群。写真で何回も見ていたが、写真で見るより美しい。これだけの観光資源が人知れず眠っているのはなんとももったいないが、世界中からドッと観光客が押し寄せるような状態になるのがいいかどうか。

    昼食はバンデ・アミールのチャイハナでとった。どこでもチャイハナのメニューは限れており、ビーフ・ケバブ、ラム・ケバブ、ライスくらい。これにスープとナン、生サラダが付く。スープ、ナン、生サラダは食べ放題のようだ。

    バンデ・アミールからの帰路、荒涼とした土地にいくつかのテントが見える。Kausarによると「遊牧のジプシー」だとのこと。ちょっと立ち寄ることにした。子供たちの写真を撮る。身なりがいかにも貧しい。電気も水もない生活(水は近くの川からとっくるようだ)。アフガンにジプシーがいるとは知らなかった。しかし、彼らはnormadicではあっても、ロマやシンティと呼ばれる欧州のジプシーとは出自や歴史が異なるのではないかと思えた。帰国してから調べると、Koochi(Kuchi)と呼ばれてる集団らしいが、詳しいことはわからない。

    バーミヤンに戻ってから、旧ソ連軍の戦車の墓場で数枚の写真を撮る。

    夕食は宿で。チキンとマントゥ。ジョージアでヒンカリと呼ばれ、中央アジアでマントゥ、ネパールでモモ、中国でチャオズ、韓国ではマンドゥ、日本では餃子と呼ばれるこの食べ物は私の大好物だ。

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  • 15/08/15 19:44

    第三日目

    この日、バーミヤンの空は曇っている。同宿のAliは米国国務省が設立した組織で働いており、女性の起業を支援するためにカブールから当地にやってきた。しかし今日は金曜日で休日。バンデ・アミールの湖を一緒に見に行こうと我々に提案した。だが「曇った空のもとでは湖のブルーがクリアでなく、時間がたっぷりある我々としては後日に訪れたほうがベター」と判断したのはガイドのKausar。結果的にこの判断は正しかった。夕方帰ってきたAliは「バンデ・アミールはとても寒かった」とこぼしていた。一方、我々は翌日の晴れた空のもとで最良のコンディションの湖を見ることになる。

    バンデ・アミール行きを後日に引き延ばした我々の今日の活動の中心はバーミヤン石窟の探索。石窟は宿から100メートルの距離にある。ここで若い女性を中心とする10人ほどのグループに遭遇した。彼らも石窟を見学中だ。なかのひとりが英語をしゃべるというので、しばしの交流となった。カーブルから来た一団かと思ったが、地元のバーミヤンからだという。ハザーラだ。日本から来たことを告げたあと、「Do I look like Hazara?」と問いかけると、いっせいに「Yes!」という答えが返ってくる。「We are in the same group, same familiy」というわけで、日本人とハザーラの人々とのつかの間の連帯が生まれる。

    昨日と同じチャイハナで昼食をとったあと、シャーレ・ゾハークとシャーレ・ゴルゴラという砦の跡を訪れる。どちらもごつごつした岩を登ることになるので、標高2500メートルのもとではどうしても息切れがしてしまう。しかし頂上からの景観はすばらしい。

    夕食は宿ではなく、ホテルシルクロードでとった。これは私の提案で、私がKausarとドライバーを招待する形だ。シルクロードはアフガニスタン人と結婚した日本人女性のHさんが夫とともに経営しているホテルで、和食も提供している。もちろん通常のレストランよりちょっと値がはるが、「バーミヤンにお金を落とす」ことにためらいない。なにはともあれ、アフガニスタンの奥深く、巻き寿司や天ぷらを食べられるのは貴重だ。

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  • 15/08/15 19:40

    第二日目

    この日はEast Horizonの早朝のフライトでバーミヤンに飛ぶ。5時ごろにKausarがホテルに迎えに来た。国内空港は国際空港に隣接している。それなりに厳しいチェックを受けてから搭乗した。7時出発のはずが、実際に飛び立ったのは8時過ぎ。45分の飛行。

    バーミヤン空港には現地のドライバーが迎えに来ていた。バーミヤンの石窟を一望できる丘に立ち寄ってから、石窟のすぐふもとにあるゲストハウスに到着。バーミヤンには電気が通じていないので、発電は太陽光。このゲストハウスでは太陽光で蓄電したゼネレーターを使って夜の7時ごろ11時ごろに限って電気が供給される。ゲストハウスにはほとんど客がいない。観光客を迎えるのは、Kausarが前回に旅行者を案内して以来3か月ぶりだという。アフガニスタン人の客はときたま泊まるようだ。

    しばらく休んでから早速バザールの見物に出る。街は思っていたより大きい。肉屋、パン屋、鍛冶屋などで動画を撮影。昼食はチャイハナでとった。チャイハナでは無料で宿泊も提供しているらしいが、外国人は泊まれないという。

    食後もバザールの散策を続け、夕方には宿に2人の楽士を呼んでもらって、ハザーラの伝統音楽を聞く。30分ほどの演奏で3000円ほどと、アフガニスタンにしては高いが、今回の旅行では「現地にできるだけお金を落とす」ことも目的のひとつなので、悔いはない。すべて即興で、私のことを歌っている部分もあったらしいが、意味はわからない。なかなかいい音楽だった。

    夕食は宿でとる。私とガイド、それにカブールから来た35歳のAli、この3人がこの日の(そしてそれ以降3日間)のこの宿の全ゲストだ。

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  • 15/08/15 19:36

    第一日目

    7月28日23時30分発のエミレーツ便に搭乗、ドバイに向かう。

    本来ならドバイで5時間待ちだったが、フライトが早められ、3時間待ちになった。しかもビジネスシートに格上げ。ここ5年ほどの間にエミレーツでビジネスシートに格上げされたのは今回で3回目。さい先がよい。

    カブールには11時過ぎに到着。イミグレーションはごく簡単に通過、続いてForeigner's Resistration Cardを作成することになる。これにはパスポートサイズの写真が2枚必要だ。同じ便で来た2人の中国人は写真を用意していなく、近くに写真を撮るような設備もないため、途方にくれていた。宿泊するゲストハウスの名前はUntamed Bordersから聞いておらず「アフガンでの滞在先」の項目は空白にしておいたが、問題なかった。

    カブール空港には搭乗者以外は入れない。したがって、待ち合わせ場所にたどり着くには空港の外に出てから数百メートル歩かねばならない。道を尋ねながらなんとかたどり着くと、こちらから探すまでもなく、誰かが近づいてくる。ガイドのKausarだ。Untamed Bordersの共同設立者。さっそく車に乗り、ゲストハウスに向かう。

    途中米国大使館の前を通過。ものものしい警戒はもちろんだが、大使館付近では携帯電話も通じないという。携帯電話を利用した時限爆弾を防ぐためだろう。アフガン北部の実力者、現在は副大統領のドスタムの邸宅は厚いコンクリート壁で囲まれている。こういうところにカメラを向けると問答無用で射殺されるおそれがあるという。

    看板も何もない目立たないゲストハウスに到着。銃を携えた警備員によるボディチェックと荷物検査のあとチェックインした。扇風機しかないが、標高1800メートルのカブールは7月末でもそう暑くはないので、苦にならない。シャワー・トイレとテレビ、Wifi付き。朝食と夕食を込みで50ドルらしい。

    簡単なブリーフィングのあと、2時間ほど部屋の中で休憩。エミレーツのビジネスクラスでたっぷり食べているので昼食は抜き。

    2時間後にKausarが迎えに来て、カブール観光に出る。外出するときはKausarが用意してくれていたアフガンの服を着用した。「これで立派なアフガニスタン人だ」とはKausarの弁。アフガニスタンの人口の10%を占めるモンゴロイド系のハザーラとして十分に通用するというわけだ。最初に訪れたのはBritish Cemetery。受付の管理人が私を怪訝そうに見る。あとで聞くと、私をアフガニスタン人と思い込み、「ローカルの人間がどうしてこんなところに見学に来るのだろう」と思ったそうだ。

    その後、ブッシュマーケット(米軍の横流し品を中心としたマーケット、以前はゴルバチョフマーケットと呼ばれていた)、モスク、Babur's Garden、廃墟と化した旧宮殿などを見物し、夕食。夕食はゲストハウスで提供されるのだが、この日はKausarが案内するレストランでとった。チキンの煮込み、スープ、ライスなどだ。おいしいのだが、なにしろ量が多い。この後、アフガン料理の量の多さにいつも驚かされることになる。

    明日はバーミヤンに向けて飛ぶ。睡眠不足のはずだが、夜中に何回も起きた。

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