「命のビザ」で知られる杉原千畝領事代理が、実際に”通過ビザ”を発給したリトアニアのカウナスを訪れました。旧領事館は現在「杉原記念館」として一般に公開されています。入館料は3ユーロ、館内は事務所兼土産物販売室、領事執務室、会議室等に分かれ所せましに資料が展示されていました。会議室では15分ほどのビデオが鑑賞でき、杉原ビザで脱出に成功したユダヤの人々の証言記録が中心に収録されていました。なぜ邦人が1人もいない
リトアニアに、日本は領事館を設置したのでしょうか?本国の意向を無視して”通過ビザ”を発給し続けた杉原に
スポットが当てられがちですが、そのあたりから検証してみると当時の世界の中の日本の立場というのが鮮明に
なって浮かび上がってきます。興味のある方はぜひ検証してみて下さい。
先の大戦で日本は民間人を含め約310万もの尊い人命が失われました。一方欧州ではユダヤ人だけで600万人
とも言われています。これらホロコーストにはナチスのみならず、ソビエトも少なからず関わっていた事実も忘れてはなりません。もう1ケ所千畝に関する資料を展示している場所が、第9要塞博物館です。19世紀末ロシアが
構築、大戦中はナチスがゲットーとして使用し、ホロコーストが行われ約5万人が処刑されました。その他領事館
閉鎖後滞在した、メトロポリスホテルも現在営業しています。
杉原は昭和22年に復員、外務省は離職を強要。その後NHK勤務等を経て、民間企業でモスクワにて勤務、1975年75歳で退職、1986年鎌倉にて死去。その間、1985年「諸国民の中の正義の人」として「ヤド
・バシェム賞」をイスラエル政府より受賞、この賞はユダヤ人以外の人に贈られる賞で、世界で12,000人
以上の人々に贈られています。