レポート

【Basilique de Saint-Denis】 参拝 その1

公開日 : 2017年05月13日
最終更新 :

mamoruさん、その節は色々とご説明頂き、どうもありがとうございました♪
お蔭さまで、イベリアだったら思い通りに動けますが、久しぶりの空港⇔パリ市内(外)で、何とかBasilique de Saint-Denisにて、参拝してくることが出来ました。

----------------------------------------
http://www.saint-denis-basilique.fr/
Bertrand du Guesclin
----------------------------------------

今回は旅の最終日、乗継時間を利用しての、参拝なので、念のためぎりぎりまで色々なニュースを確認していたところ、フランス大統領決選投票間近なので、各国メディアが、「一昨年11月の同時テロ発生の地域」として、取り上げていたので、前日の状況を、テレビで確認出来ました。

また「物騒らしい」と度々聞かされたので、シークレットベストを用意し、現金・クレジットカードのみ、小さなビニール袋に入れ、手荷物を出来る限り平らで小さく準備し、財布やパスポートカバーは預入荷物に入れてしまい、小銭入れのみ出し入れできる状態にしました。

更に、mamoruさんから頂いた情報を編集しなおし、自分でわかるように日本語のまとめ部分、そして乗換えの際、フランス人に確認出来るように、駅名のフランス語明記部分も併記しておき、その他資料をバッグの中に入れておきました。広げてはまずいと思いながら、大きな路線図も、万が一の為に入れます。

ここまでが、承前・・・・

最後のバスク料理を食べ、翌朝の出発に備え、急に夕立模様になって来た旧市街をたち、空港ホテルに移動してちょっと落ち着いてから、【いきなり右上の歯のブリッジ】が落ちてきました(苦悩)。右の歯の噛み合わせがうまくいかなくなってしまったため、まず~くおせんべいを食べ、「はたしてこれで、おフランス料理は、食べられるのだろうか?」、と大いなる疑問を抱きながら就寝。

朝食でかみ合わせを確認したが、やはり右側がよろしくない!!!
まぁ、Tortilla de patataが食べられたからいいかぁ~、と思いつつチェックアウトをし、空港にてチェックイン。ほぼ時間通りに、離発着が行われ、無事にCDG T-2に到着した。

さて、ここからが本題に入るのですが、通常通りであれば、乗り継ぐ前にターミナルにて、EU出国となる所を、違うターミナルに向かわねばならないので、頑固なおっさんと、すったもんだ口論の挙句、PER-Bにつながるターミナル行きのバスに乗り、かつ出国しないままの状態を維持しながら向かうまでに、Terminal Gにて、おっさんのせいで、無駄な20分を過ごし、バス1本分時間を損してしまった!!!、と勿論頑固なおっさんの耳に届くよう、大声で呟いておいた。

そして、Terminal Fにおいては、またまた外に出さないような構造になっているので、右往左往させられ、結局PER-Bの切符売り場にたどり着くまでに、かれこれ1時間弱費やしてしまった・・・・

さて、本題はここから入る。

  • いいね! 0
  • コメント 11件

11件のコメント

  • 17/05/30 19:57

    旅クマさん、楽しいレポート、改めてありがとう。

    Basilique Cathédrale de Saint-Denis に行ったのは、かれこれ15年ほど前で、印象が強烈だったので、いまでも鮮明に覚えています。

    他の墓標は彫像が静かに上向きで寝ているのに、ルイ16世とマリーアントワネットだけはひざまづいてお祈りをしている姿で、他の方々が天寿を全うされたか、病死か、不慮の事故か、だったのに対し、この二人は革命で人為的に断頭台の露と消えたことから、後世の人がひざまづいてお祈りをしている形にしたのか、などと、私の中では勝手に解釈しています。(詳しく調べればその辺のことはわかるかも知れないけれど、そこまで調べる熱意はないので、知らないままです)

    それに、かなりの棺の向きが何でてんでばらばらの向きなのか、何か死者個別の特有の向きががあるのかとも思います。


    スペインの Castilla y León のカテドラルの情報ありがとうございます。
    インターネットで見たところ、ステンドグラスの絵柄はフランスのとはちょっと傾向が違う感じはしますが、きれいな予感はしますね。スペインに行くことがあったら(行くとすればビルバオあたりに行くことになったときかな?)Leonあたりまで足を伸ばしてもいいかと思います。



    A très bientôt! (ではまた、ごく近いうちに)



    • いいね! 0
    • コメント 0件
  • 【Basilique de Saint-Denis】 参拝 その11

    KYOTOの斜め前には、中華屋もあった。遠慮なく覗き込むと、Take out用の、トレーが並んでいる。店頭の写真をみれば、嫌いなパクチー様のでかいのが、丼に入っているので、もう一度、さめているようにしか見えないおかずを覗き込んで、忖度した結果却下!

    KYOTOは非常に角度が不鮮明な、寿司の写真しかないのだが、「右の嚙み合わせがダメ、パクチー様も避けたい、そうなれば、食中毒の可能性があるとはいえ、な~んちゃって和食が一番かとぉ~」と取捨選択し、店内に入り、久しぶりの日本語で、「営業中ですか?」と聞くと、わからな~いときたので、英語に切り替えた。

    更に10分程度、不鮮明な写真と値段で考えた挙句、「MAGURO-DON」にした。生玉葱のみじん切りが浮いた、おふとわかめの生暖かい味噌汁、サラダ、MAGURO-DONが運ばれてきた。

    (>へ<。:)あっま~ぃぃ~~~「かと!」

    MAGURO-DONの最初のひと箸は、お酢の匂いがするにも関わらず、想像だにしえない「甘さ」で、口が満たされた。

    (・_・;) きっと、これは緊張感が続いたせいで、気のせい「かと」・・・・

    (>へ<。:)やっぱり、あっま~ぃぃ~~~「かと!」

    思い過ごしではなく、一体店主の中国系の人は、どこで「甘酢メシ」を習得したんだか、ガリもチョー甘い、寿司メシも甘い、醤油も甘かった!

    (>へ<。:)パリ市内で、「まともな和食を食べられる」と、考えたわたしが【甘かった】のである==33

    「甘い」「甘い」「何で醤油まで甘い」と思いつつ、刺身はしっかり刺身だし、嚙み合わせに刺身は優しいし、まぁ、酢飯が甘かろうが、酢なのでさっぱりしているので、結局、大量の甘~いガリの殆どは残しつつも、食べた! 花の都パリの、「何っちゃ~って酢飯」は、甘い!というのが、今回の落ちである。

    ヒョエェェっと、思いつつ、旅の最後の、まともだった筈だが、やけに甘い食事を終え、20時近くなってきたので、空港へ向かう事にした。ヨーロッパにも、100円ショップもどきが増えているので、そういう店を覗きつつ、来た道をすたすた戻る。Gare de Nordまで戻ると、PERなんたらは、まるで地下鉄もどきなので、Bの文字を探して、もぐったら、まず各駅でんちゃがきたので、見送った。たくましいカルタゴの子孫たちが、どやどやと乗り込んでいった。

    空港直行のPER-Bは、すきすきなので、綺麗目の車両に座り、30分後、無事Terminal-2に戻った。
    まぁ、ここからは自分の向かうべきターミナルへ、進めばいいだけなので、さっさと進んでいったところ、まだロシア人の爆買いはあるのか、Tax Returnにロシア人ばかりが並んでいた。

    以上が、旅の最終日のパリで、Basilique de Saint Denis参拝に、日帰り往復したレポートとなります。mamoruさん、どうもありがとうございました♪ やはり、時間に余裕があって、その点は良かったですが、パリは高いにゃ~っとしみじみ実感させられました。

    あと、やはり酢飯はさっぱりと「甘くない」のが好みだと、この点もしみじみ実感させられました。
    (レポート終了)

    • いいね! 0
    • コメント 4件
    17/05/24 21:59

    旅クマさん、大作、お疲れ様でした

    私のつたない案内を有効利用していただいてありがとうございます。

    サン・ドニ市は、パリの北に位置してあまり芳しくない印象を提供している町の代表みたいなもので、アラブ人やアフリカ人の移民やその子孫がかなり住んでいる所ですね。

    RER-Bで空港からパリ市街に入る少し前に、キャンピングカーが何百台とうち捨てられたような状態で置いてある地区があって、初めはキャンピングカーの廃車場所かと思ったのですが、それにしては広すぎる、あるときフランス人と一緒に乗った際、なぜこのあたりにキャンピングカーが多いのか尋ねたら、寝る場所のない人たちが、使えなくなったキャンピングカーを持ってきて、住居にしている人たちだと(キャンプ用地だが、料金を払えば追い出せない)説明されたので、この沿線は、なるほど、住居もない人もいっぱいいる地区だと理解したのでした。


    私は、サン・ドニ聖堂へは、墓標のみなら行くことはなかったと思いますが、ステンドグラスがきれいだと、どこかに書いてあったので、行ったのです。
    行ってみて、きれいだと思いました。

    その後行った所を順位付けしてみたのが以下の投稿で、
    https://bbs.arukikata.co.jp/bbs/tree.php/id/927806/-/parent_contribution_id/463638/

    一位グループに3カ所あり、

    サン・ドニのステンドグラスは二位グループなので、全体で4位タイ、あたりになりますね。


    デュ・ゲクラン将軍が箱の中だったのは残念でしたね。
    du Guesclin という名前は、フランスの町で道路の名前とか広場の名前、ホテルの名前で目にすることがあって、誰かしらないけれど、フランス人には一応有名な昔の人の名前だろう、という程度にしか思っていませんでしたが、旅クマさんの投稿を見て、初めてどのような時代の人か知りました。


    奥歯のブリッジが外れた場合には、フランス料理では何がいいのでしょう?

    前菜(entree)は オニオンスープ、フォアグラのテリーヌあたりだと、あまり噛まなくても食べられそうです。
    メインディシュ(plat)は、肉は無理だろうから、魚料理でしょうか。でも、仏語の魚の名前を英語で言うのは給仕人にはちょっと難しいと思います。(ツナ、サーモン、いわし、ぐらいは言ってくれると思いますが、ほかの魚は、フィシュで片付けるかも知れません。)そうなると、種類は出たとこ勝負でしょうか。
    漁師のスープ(soupe de pecheur)という料理も、各種の魚が入っていて、ちょっとブイヤベース的な風味もあり、葉が悪くても食べられる料理です。パンもそのスープに浸して食べられます。
    でも、魚をメインにするレストランを探すのがちょっと手間がかかるかも知れません。
    (レストランで、歯が痛いと言えば、給仕人がそれにあったものを勧めてくれるまたは、どこそこの何という店に行けばいい、等と教えてくれることもあります。)

    最後が日本料理なのも、思い出の一品でしたね。


    ps:バスク出身のチョコレート屋の味はいかがでした? 値段はちょっとだけ買って我慢するとして、もしおいしかったら、あの辺によった時、買ってみようかとも思います。



    À bientôt !  (ではまた近いうちに)



     

  • Basilique de Saint-Denis】 参拝 その10

    コバンザメ歩行+カルフール警備員ムッシューの「アレじゃないの?」の指差しで、特に何事も起きず、普通に地下鉄に乗り込んだ。客層は、西アフリカ系、中東系と、少数の寺院観光客で、車内は静か・・・・Hussuman Zarazar駅に到着したので、下車して、初めて”パリ市内”に、後ろ足を踏み出した。

    先程まで小雨が降っていたので、「薄暗い」のであった。
    地上に出て、「アッ、Zarazar一帯の地図は、印刷してこなかったかと」ということで、mamoruさんとむうにゃんさんが、ほとばしるかのごとく、さらさら説明して下さった、「どっちの道をあっちに進むと、○○があって・・・・」がわから~ん!気温12,3度の肌寒い中、テラス席にて、笑いさざめく、普通のフランス人を尻目に、レストランのメニューを確認するが、「しまった、スペイン語ではないので、2 Entreesとあっても、1つを選択するのか、2つ選択するのか、細かい助詞がわから~ん」となり、急にやる気が失せてきたので、前方に見える、アーケードに入った。

    チョコレート屋があるので、首を突っ込んだが、きちんと並ぶ客がいるので、一旦ズズズッと退く。アーケードの奥を目指したら、SEPHORAの表示が見えたので、店内に入ったら、「こ、これが普通のパリかとぉ~」といった感じで、キラキラしていた。

    そこで、初めて「パリ市内訪問」した気になれた!
    セット品があるので、内容を吟味の上、ジップロックがあるのを確認して、更に検討していると、店員元締め姐御が、ペラペラと実に流暢なフランス語で何かを言ってくる。「フランス語はわからないかと、英語は話せないのかと?」と、だる~く尋ねると、今度は片言っぽい英語に切り替わったので、やれやれであった。つまりお得なセット品なので、2つまで、という話なので、了解ということで、レジに持って行くと、そこでもペラペラ何事か言うので、「ホントーに、スペイン語と違って、何言っているんだか、理解出来ないかと~」ということで、先程の繰り返しで、英語にしてもらう。何とかゴミ箱を見つけ、箱を捨て、ジップロックに収納したら、なんともちんまり収まってしまった。

    お次は、先程首を突っ込んだチョコレート屋を見ると、客がいない!しめた、とばかりに店頭で、「このオレンジチョコ下さい」と注文したら、「1本3 Eurosで~っす!」とここは、あっさり英語で答えてくれた。(@o@;)「え?1本1 Euroじゃないの?」と、再確認すると、そこがボリボリパリ価格ときたところで、実に強気!すごすご、3本買って、綺麗に包んでもらった・・・・嗚呼、何てパリって高いんだろう。

    パリ価格に、がっくりきて、「やっぱり、バスク料理を食べたあと、あそこで、チョコを買っておくんだった!」と、後悔しながら、レストランを覗き込むが、肝心の細かい助詞がわからない上、前夜落下した右上のブリッジ部分がないもので、さっぱりステーキだの、食べる気が起きない。

    困ったな~、フライトは深夜なんで、何か食べないといけないんだが・・・・と、路地を回りこんだ所で、「KYOTO 京都」という、久しぶりの日本語が見えた!

    • いいね! 0
    • コメント 0件
  • 【Basilique de Saint-Denis】 参拝 その9

    棺と墓標のオンパレードを、入念に見させて頂き、「ドゥ・ゲクラン将軍の納められている小箱」を、(¬へ¬;)恨みがましく見て、目線を上に上げると、そこには深い紫を基調とした、天窓ステンドグラスがあった。因みにこれは、しっかり「棺の間」に入らなくても、鑑賞できます。

    これが一番電磁亀吉君の写りが、よろしかったです♪

    mamoruさんランキング2位の、ステンドグラスなんですが、ここまで「赤い赤(中華風の黒い赤ではない)基調のステンドグラスは、初めてだ~、と感心しながら、「上を向いて、棺だの生きた人にぶつからぬよう」歩き始めた。電磁亀吉君を向けるが、赤の部分が見事色褪せてしまい、写らない!試しに、カタコンベにある、青といおうか、蒼っぽいステンドグラス(細い)を撮ってみたら、これはまぁまぁ写った。

    さんざんかち合った、あのドイツオヤジの見事な一眼レフと三脚には、意味があったといおうか、空路2時間しか離れていない、用意周到な国民性がなせる業だったのだろうか・・・・と思う。

    まぁ、ブチブチしながら、右往左往しまくって、果ては首の根元をマッサージして、周囲を見渡すと、フランス人グループの一段が、駅方面に行く姿が見えた!時刻はほぼ17時。

    5月上旬は、基本、21時過ぎまでは明るいが、寺院内を見ると、ぐっと参拝客がいなくなっているので、慌てて後を追う。これぞ、みどくつおぢさんが力説していた、「徒歩によるコバンザメ歩行」である。先程は迂回をした建物と建物の間を抜けたら、ケッ==33駅が見えた。行きは三倍迂回をしてしまった・・・・

    そこで、フランス人一段が、ショッピングモールにそれるので、「いかん!」と思い、重そうで頑丈な鉄製買い物籠を押しているマダムの横に、コバンザメをした。歩調を合わせて、現代のカルタゴ兵が走ってきたら、鉄製の籠を間にいれようと歩くので、段々マダムの表情が険しくなる。あちらが歩調を上げるので、こちらも負けずにあげたら、カルフールになった。

    地下へ行く目印に、まったく注意を払わなかったので、黒オバQ姿のマダムと一緒に、「はて~、こんなのに乗ったっけ?」と思いながら下ったら、駐車場入り口に到着。

    慌てて、上にとって返したら、わけがわからなくなったので、先程迂回路を教えてくれた、カルフールの警備員ムッシューに、メトロの入り口を聞くと、胡散臭げに、目の前のM印の階段を指差して、「あれじゃないの?」と冷静に指摘した。因みに、警備員ムッシューの指の先を見るまで、M印は無視しきっていた。

    購入しておいたチケットを、ピッと通したが、怪しげな現代のカルタゴ青年はまったく姿を見なかった。

    Basilique de Saint Denis参拝に関しては、ここまでであるが・・・・mamoruさんの爽やかアドヴァイスには、次があったのだった!

    • いいね! 0
    • コメント 0件
  • 【Basilique de Saint-Denis】 参拝 その8

    ~~~ ノストラダムスの予言 Versets de prophétie de Nostradamus  ~~~

    反対側の階段を上がり、内陣の反対側に出た。

    すると、一番目を惹く場所に、まるで「真っ黒な馬車」のような棺台が、高々と設けられている。そこに、またもや、いいカメラのドイツ人のおっさんが、三脚を用意して、大撮影会の準備中。こりゃ~、なかなかどかないぞ、と思ったので、すごすごと、上から見るのは後回しにして、階段を下り、棺台の前に回った。

    ”アンリ2世とカトリーヌ・ド・メディシス”

    黒い大理石が、鮮やかな墓のカップルは、フランスというよりは、サヴォワ王家で、かつ現イタリアから、2本フォークを嫁入り道具で持ち込んだ、メディチ家の姫様と、ノストラダムスの予言通りに、あの世に逝ってしまった王様でした。ただ、普通に棺台前に立つと、彫刻が見えないんです。クォォォ~っと、背伸びをしてみましたが、クロアチアのサッカー選手でなければ、こりゃダメだ!そういうことで、また階段上に行けば、あのドイツオヤジ、ヨーロッパで精密さと正確性を国民性とするが故か、三脚の位置調整中で、待っていても、こりゃダメだ!が2度重なった。

    仕方なく、2本フォークと、ノストラダムスの予言カップルは、後回しにし、地道に内陣に沿って、配置されている、お墓をめぐり始める。
      ダゴベルト1世(603年 - 639年)
    オォ、フランスというよりは、フランク王国の王様ね!と思い出した。
      ピピン3世(714年 - 768年)
    長靴下のピッピのおじいさんっぽい名前だが、こちらもフランク王国か~、と思う。
    かのThe Abbeyを誇る、旧大英帝国ですら、1066年からなのに、たいしたものぢゃのぅ~、と感慨にふける。

    ユーグ・カペー     → カペー家としてまとまっている
    この方の棺も、2本のフォークに比較すれば、質素であった。まぁ、千年以上前であれば、そうなるものか?
    ゴチャゴチャになりやすい、フランス王家の歴史を、チョロ見すると、かならず「カペー」と出てくるのだが、案の定、後程反対側に戻るのに、カタコンベにもぐったら、「カペー家仕切り」がしっかり存在した。

    アンリ4世
    この方は、個人的にリピートしている、スペインのNavarra地方の王様であると共に、フランスの宮廷に、バスクのダンスを持ち込み、後にそれがクラッシックバレエの原型となった、とも言われる、バスク文化を背負いつつ、フランス国王になった経緯を持ち、ブルボン王朝の始祖ともされるので、個人的に興味を抱いていた王様でした。しか~し、2本フォークには負けていたね・・・・

    フランス諸王朝に関する、薄っぺらい知識を辿りつつ(一応、年表は掲示されているが、フランス語+薄暗いのでよくわからなかった)、大回りに回った所で、ドイツオヤジの大撮影会が終わったようなので、ささっと、階段上に戻った。

    いかん・・・・わたしの電磁亀吉君のズームを、ギュィィィーーンとアップしても、今度は並行すぎて、彫刻の凹凸が平坦になり、まるで「顔平たい族」みたいになってしまう。一体、2本フォークとノストラダムスの予言カップルの、棺台は、何を根拠に、ここまで写真にうつされにくい、高さ、位置、彫刻にしたんだか、まるっきりわからなかった。とはいえ、面倒だし荷物になるので、「宿題の旅」をやっても、せいぜい電磁亀吉君が、もっと若くなっている程度であろう。

    すごすごと、さすがに「大理石・棺・彫刻」に疲れてきたので、目線を上に上げる。

    • いいね! 0
    • コメント 1件
    退会ユーザ @*******
    17/05/19 18:08

    拝見していまーす

    こんにちは?こんばんわ?
    お帰りなさいませ。

    長靴下のピッピのおじいさんのくだり、電車の中で一人笑う怪しい人になってしまいました。

    まだまだ続きますね。
    楽しみにしております。

  • 【Basilique de Saint-Denis】 参拝 その7

    ~~~ ベルサイユの薔薇La rose de Versailles  ~~~

    (¬_¬メ)こ・・・・ここまで気合☆(ファイト~一発~♪系)を入れて、遥々パリのPERだのメトロだの、グルグル回ってきたというのに、将軍様は箱の中!かろうじて、板と板の間に、彫像が見えるのは、シャルル7世だとあるので、王様である!わたしが参拝したいのは、王様ではなく、将軍様なのぢゃ~!!!と思ったのですが、さすがOh~フランス☆ いつ、箱から出され、元の場所に安置されるのか、そんな明確な掲示は、生霊のごとく、ぐるぐる回ってみても、一切掲示が無い==33

    そぅ・・・・毎度のイベリア半島リピーターの儀といい、「復習の旅」というのも、旅の目的の一つであるので、そぅいう予感もしないではなかったが、まぁ数年内というのはありえないであろう。

    気を取り直して、「蕎麦」を食べに行く事にする。

    どうも、先程通り過ぎた、階段の上の、10代カップルの彫像に、ドイツ人のやたらいいカメラを持ったおっさんが、撮り憑いていたので、改めて行けば、『ルイ16世とマリー・アントワネット』が、膝まずいている彫像であった。薄暗い照明の中、「フゥーン、ヨーロッパ人というのは、この位がういういしくていいのよねぇ~。20年後の運命を知っていたら、節税したんだろうかねぇ???」と、感慨にふけりながら、おっさんがやっと脇にどいてくれたので、こちらもパチリと撮った。

    → カタコンベ

    この表示に従って、また階段を下りると、ウゲゲ、そこは夕方以降は入りたくもない、棺と墓標とステンドグラスのオンパレードで、ドラキュラ伯爵が、血をダラダラ飲みながら出てきても、不思議ないような空間になっていた。しか~し、土曜の午後なので、そこまでは気味悪くは無かった。

    どうも、内陣部分の地下を、やたら覗き込むグループがいるので、こちらも覗き込みに行ったら、そこはフランス革命の折、一旦遺体が引きずり出され、大穴に放り込まれた、過去の栄光の方々を、再度棺に安置し、戻した後になっていて、何と言おうか、まぁ、「異様な印象」を受けました。まぁ、変な霊気は感じないのですが、再埋葬ということなので、なんともなぁ~。

    中央の大理石に墓碑名がある所を見れば、そこにベルサイユの薔薇カップルだの、太陽王だのが、埋葬されていました。

    仕切りごとに、王朝をある程度分けているようなんですが、ルイ17世は照明にほの明るく浮き出る陶器の中央部分に、骨の欠片が見えるので、「さぁ~すが、カソリックの聖骨信教」と思いましたね。ここらへんが、この教会に安置されている部分で、一番新しい王朝になるんだ~、とわかってきたので、また反対側の階段を上がり、内陣の反対側に出ました。

    • いいね! 0
    • コメント 0件
  • 【Basilique de Saint-Denis】 参拝 その6

    ~~~ 絢爛豪華たる棺の世界 ~~~

    寺院の内部には、しきりがあるのだが、料金を支払った向こう側は「地下世界へようこそ」であった。

    話が変わるが、普段は海老天蕎麦を食べる際は、「海老」を大事に残しながら食べる性質です。しかし、今回は「海老」から食べる事にして、mamoruさんの示したホームページから印刷した、「棺の配置図」を取り出した。何だかどこもここも同じに見えてきたので、傍らに案内係りとして静かに座り、勉強中と見られる、生きたフランス人大学生に聞いてみた。

    「もぅ~し、そこの生きたお方。ドゥ・ゲクラン将軍はどこにいらっしゃるでしょうか?」
    「あっ、将軍でしたら、そこの奥まった角の、一番小さい所です。」

    (@@;)(;@@)キョロキョロしまくり、ついつい階段を上って、またキョロキョロしていたら、やはりどうも「工事中」としか見えない一角に、将軍がいらっしゃるらしい。そこでぶち当たりかけた、10代後半のカップル♪に見える像の名前を見たら、そこだけ【ベルサイユの薔薇】であった。しかし、海老から攻めたいので、ベルサイユの薔薇カップルは保留にしておいて、注意深く、また階段の下に下り、確認したら、【修理中の一角に、将軍様の名前だけあり、ご本体は箱詰め状態】になっているので、あまりのショックに、生霊のごとく、その一角を、グルグルグルグルさ迷ってしまった・・・・・

    なんたるこったぁ~、「遠路遥々Sanint Denisへ~♪」・・・・
    函館よりも遠い、パリの市外に辿り着いたというのに、わたしを待っていたのは、フランスの西アフリカと中東の狭間に位置し、将軍様は箱詰めであった!!!!という、信じられない現実であった。ラテンのお国の修理というのは、気が長すぎて、一体いつ終わるんだか、わからない。

    • いいね! 0
    • コメント 2件

    残念でしたね…

    旅クマさん

    コリュウです。
    無事でお帰りなさい!

    コリュウも、パリの地下鉄でウロウロしました。(笑)
    都内なら、なんとな~く、「○○行きは違う」とわかるけれど、パリはさっぱりわからん!
    mamoruさんなら、スイスイと乗れるでしょうけれど、何度、路線図を眺めたことか。

    しかも、ルーアンに行く日、切符を買おうと思ったら、30分前に買えなくなるのですね。ガ~ン!

    アルザスの村にレストラン目当てで泊まったら、休みだったりもありました…。

    そして、もしや、匍匐前進?という体験をチラッとしました。
    5/7のパリ滞在はな~んの問題もありませんでしたが、5/9にストラスブールで。

    夕食のレストランに入ってメニューを見ていると、店の人から、「警察から窓から離れるように言われたので奥の席に移ってください」と言われました。
    そして、店の前の道は閉鎖。
    「ボンッ!」という爆発音のようなものが聞こえて、しばらくしたら、閉鎖がとかれたようで、人通りが戻りました。前菜の後、メインを食べていた頃でした。

    レストランの手前に警察官が数名いて、なにやら緊張気味だったのですが、まさか、そんなことが起こるとは…。
    肌寒い日で、止められた人たちは、どこで過ごしていたんだろうと気の毒に思いました。

    旅クマさんが、「サンドニ参拝、リベンジ!」までこだわりるかどうかは別として、見逃した、残念だったは、次の旅のきっかけになったりしますよね~。
    「人間万事塞翁が馬」で、何が悪いか良いかはわからないと思うのでした。(^^)

  • 【Basilique de Saint-Denis】 参拝 その5

    この建築自体は、過去3世紀の蓄積といおうか、時の流れによって、ロマネスク → ゴシックと変化してきているそうだが、建物の前面はロマネスク、内陣はゴシックとなっていた。典型的舟形天井かと思っていたが、案外そうでもなかった所が、意外であった。

    mamoruさんランキング → ステンドグラス第2位です♪
    写真に撮ろうとしたが、あにはからん、赤を基調としていると、色褪せた写真しか撮れない!
    いや、勿論プロ仕様で、しっかりとしたカメラならば、撮れるんだろうさ~、と思ったがとにかく一部しか、はっきりと撮れないのだけは、残念であった。

    旅クマランキング → Catedoral de Leon スペインのステンドグラス第1位!
    反対に、ここのステンドグラスは、青を基調としているので、かなり明確に撮れて、そこは嬉しかった。しかし、場所はパリでもフランスでもなく、隣国スペインの事になる。

    暫く、緊張による疲れを取りがてら、ステンドグラスの鑑賞をして、「いざ出陣!」
    いや、Oh~フランス諸王朝の過去の栄光を拝見するには、中央あたりで一旦外に出て、そこにあるチケット売り場で、切符を購入し、また入らなければならない仕組みになっている・・・・

    <因みに、そこに併設されていたインフォメーションセンターのトイレは、綺麗であった。>

    さて、ここからまた内陣に入りなおしたが、そこからが、【絢爛豪華?たる棺の世界】となった。

    • いいね! 0
    • コメント 0件
  • 【Basilique de Saint-Denis】 参拝 その4

    何とかかんとか、やっと13号線に辿りついたら、何と言おうか、ホームの電気が暗め、かつ、日本語と英語の放送が流れてきたので、そうか~そうなのか~、と思った。

    「手荷物には、気をつけてください。手荷物には、気をつけてください。」

    段々車内の雰囲気が・・・・、と物の本にはあったが、ぶっちゃけ、最初からあまりよろしくない。なので、車両中ほどの空席に、しっかり座ってしまう。中東系というよりは、やはりアフリカ系が多いまま、ほぼ終点近くまで行って下車する。

    ここでも、手荷物に気を付けろ~、という日本語の放送が流れてくる。
    まぁ、別にどうという事がないまま、改札口まで来たので、帰りの切符を買ってしまう事にするが、ぴったりコインがないので、窓口で購入した。ここで、VDG T-2で購入した切符を入れたが、記念品だよ~んとばかりに、出てきたので、そのままもらってきた。

    改札口を飛び越えてくる兄ちゃんが多いのどーの、というのを読んだが、特にそういう人も見かけることなく、ごく普通に地上に出たら、いきなりカルフールでお買い物中の、アフリカ系、アラブ系のマダム達の姿が目に入る。そして、予報通り小雨が降っていた。

    mamoruさんに、「小道が数本あるから、気を付けるように!」とあったが、同じような小道が、同じような宝庫に3本あるので、全くわからない。今度は、カルフールで門番をしている、普通のフランス人のムッシューに聞いてみた。「ん?カテドラル?そこの道を真っ直ぐ行って、左側にあるよ!」ということで、素直にその通りに進んだ。

    1分以上進んでも、ひとけも無く、教会らしき建物もない!
    また1分進んでも、広場らしき所が見えてきただけ・・・・
    もうちょっと進んだら、タクシーがターンしたのを見たので、そちらに行きかけて、たまたま左側を見たら、あった!!!

    折しも、左隣の市庁舎では、アラブ系住人の結婚式の最中なのか、かのアラブ風ヨーデルが、その反対側にある居酒屋に集うおっさん達や、黒オバQ姿のマダムから流れて、太鼓ドンドン状態であった・・・・

    ここでCutieちゃん風に、「ここって、フランスでちよねっ?あたち、ナミブ砂漠の端っこだとか、チュニスの市場の外れにいないでちよね?」、と思ってしまったが、真正面を見ると、BBCで流れたBasilique de Saint Denisが聳え立っている。まぁ、アラブ風のリズムの中、建物について説明を受けるフランス人グループの間を通り、まずロマネスクの入り口の写真を、ささっと撮り、その後ろ足で、さっさと内部に入ろうとしたところで、待ったがかかった!

    「ほら、そこでバッグの中身を見せて!」
    Oh~フランスは、歴史的建造物に入る前は、チェックをするんでちね・・・と思い、まぁ資料とその他程度しかないのを見せて、内部に入った途端、後方の結婚式の一団が、祝砲の空砲をぶっ放したようで、2発、物々し気な爆発音が響き渡った!

    スワっと思ったが、入り口の警備員も動じず、何も起きないので、そこから本来の目的に取り掛かった。

    -------------------------------------------------------
    ここまで、mamoruさんだったら、行きつけたであろう時間+30分。
    そして、空港施設から抜け出して、PER-B駅にたどり着くまでに、離れたTerminal-Gからだったので、2時間半程度かかったという事になる。

    • いいね! 0
    • コメント 0件
  • 【Basilique de Saint-Denis】 参拝 その3

    エレベーターで上に上がったが、モールの中に、地下鉄駅があるみたいで、上の表示を見ても、”PER-E MAGENDA”という表示がどこにもなく、10分以上キョロキョロする。そこに、馴染みの?警官のユニフォームが見えたので、西アフリカの、カラフルな民族衣装の間から、角度を計算して、そちらに移動する。

    「ムッシュー、困ってます。英語話せますか? PER-E MAGENDAの表示を探しているんですが、無いんです!」

    ムッシューはニコニコと、「あっち側をちょっと行けば、MAGENDAって出てきますからね!大丈夫!」
    お礼を言って、言われたように進むと、いきなりMAGENDAの表示が出てきて、そこからMAGENDAになっていた。

    そこから、エスカレーターを下ると、2つホームがあるようで、皆どんどん手前のホームに行くので、何の気なしに、皆と同じように下った。

    がぁっ!!!何だかおかしい・・・・・
    Mamoruさんの説明を取り出して読めば、「1駅乗れば終点です。」とある。終点行きのホームに、こんなに人が待っているものなのか?

    こまって、傍らに立っていた、カラフルな西アフリカの衣装に身を包んだ、180cmばかりのダイナマイト姐御と目があったので、フランス語の駅名をし示し、英語で「ここに行きたいんですが、ここで合ってます?」と聞いてみると腕を大きく振り上げ、フィッっという呼吸音で、盛んに向こう側にある、「人が殆どいないホーム」をさす。

    やっぱり間違っていたんだぁ~、と納得して、姐御にありがとうと述べ、日本の地下鉄の乗換え要領で、とにかく階段を上ったら・・・・下る階段が無い!えぇぇ~っと思いながら、ひたすら、どんどん来た方に戻っていくと、先程MAGENDAと表示されていた入り口まで戻ってしまった。

    深呼吸をして、また先程辿った道に行き、2つのホームを隔てる所で、皆がテレビ画面を見上げるのに、やっと気づいたので、そこで行先の表示を確認したら、やはりさっき降りてしまったのは反対側に行くホームだったので、もう一つ先のホームの表示に行ったら、終点の駅名が表示されていたので、やれやれと思いながら、ホームに降りた。

    そこで乗車する人は少なかったが、2階建て構造の不思議な地下鉄車内は、ほぼ満席!やはり入り口近辺は、スリに狙われやすいし、西アフリカ系、中東系ばかりなので、ぐいぐい車両中心に見えた空席に座ってしまった。

    5分ばかり疾走したら、そこが終点!
    さて、ここからが次のメトロ13号の乗換えになるのだが、ひたすらに歩き、行先表示に従って進んで行ったら、いきなり改札口が現れた。「確か改札を通ってしまうと、切符の買い直しになります。」というmamoruさんの説明を、また引っ張り出して確認していたら、今度は必至の形相の、ドイツ人老夫妻にとっつかまってしまった。しか~し、自分でもわかってないんだもんね。応用が利く状態にないので、実はInformacionが無人であることはわかっていたが、「あそこで尋ねた方がいいよ」と、そちらを指示し、えーいままよ!とばかりに、改札を通ったら、切符も出てきたので、やれ助かった。

    そこから13号線の表示に従って、移動していったら、何だか中東系もいなくなり、アフリカ一色の雰囲気に変わってきたのでした。(だらだら続く予定)

    • いいね! 0
    • コメント 0件
  • 【Basilique de Saint-Denis】 参拝 その2

    実はエスカレーターで降りると、別の鉄道に繋がり、エレベーターを待って降りると、PER-Bの切符売り場に繋がる場所に出る、というのを理解するのに、ここでも右往左往した。

    やっと、PER-B用の切符売り場に降りると、「ここは中東か西アフリカか?」という雰囲気に、ガラッと変わった。4台たばねて設置されている、切符売り場らしき所に行くと、珍しく愛想のいい案内係りの兄さんが、知合いに、「アッサラーム・アレイクム(السلام عليكم」と、チュッチュとキスしながらご挨拶しているので、ジリジリ待って、英語に切り替えてもらい、切符の買い方を聞いた所、「紙幣は受け付けないから、そこの両替機でコインに替えるか、クレジットカードをそこに入れて買ってね~♬」と言われ、「ここでクレジットカードをスキミングされたら、後々面倒かと!」と思い、往復の20 Euros分を替えて、後は英語に切り替えた画面にて、切符を購入する。多分、紙幣を受け付けないのは、紙幣だと大金を持ち逃げされる危険性があるので、わざとコインにしているんではないかと推理する。

    切符を通すと、今度はバッグの検査があったので、そこを通って、ホームに行くと、2本電車が止まっている。テレビ画面になっているので、1 stop とあるものと、11 stopsと出ているもので、駅名の読み取りを懸命にしていたら、急に中国語のおじーさんに、必死の形相で質問された。おじーさんに、「あっしもわからないの、そこににこやかに立っている案内係りに聞いてね!」と伝え、案内の人を手招きして、おじーさんの中国語の質問をさばいてもらい、こっちがやっとガッテンガッテンした時には、11 stopsの電車は出発してしまった。

    これでいいのだ~とばかりに、1 stop表示の電車に乗りこむと、電車はCDG T-1に停車したあとは、ひたすらのんびりだらだら、ガタガタ横揺れがひどい中を、Gare D Nordに向かって前進前進。確かに、mamoruさんが書かれていた通り、追い越しは無かった。定刻通りに、Gare D Nordに到着・・・・

    (@_@;)ゲゲゲ~、何だか構造がわからない、地下ターミナル状態「かとかと~!」になってしまったのであった。(だらだら、適当に続く予定)

    • いいね! 0
    • コメント 0件