レポート

埔里・布袋(嘉義)のお酒と食事 その1

公開日 : 2019年05月21日
最終更新 :

4.埔里酒廠展售中心(埔里)
私は台中から霧社に行った帰りに寄った。埔里のバスターミナルからは歩いて20分くらいかかるが、台中-埔里を結ぶバスは埔里酒廠前(正式なバス停名は忘れたが)に停まるので、埔里で最後に寄って、帰りはここから台中行きのバスに乗るのが道順としてはいいような気がする。

烏日と異なり、観光客も多く、ショップもでかい。レストランは一か所開いていて、団体客が食事をしていたが・・・ここはTTLの商品の全ラインナップが揃っているようで、TTLの「シャルドネの白ワイン」なんかも売っていた。飲んでみたい誘惑には駆られたが・・・いかんせん、ここも有料試飲はなし。

紹興酒の製造ラインは動いていて、説明無しだったが見ることができる。私は強行軍で時間が無かったので、博物館的なところは全てカット。台湾にとってはワインも紹興酒もよそから来たお酒と言うことでは同じ(ビールや高粱酒の方がもうちょい歴史がある?)なので、特に紹興酒も飲んで見ようとは思わなかったが、やはり、見た目、紹興の黄酒博物館の紹興酒の方が美味しそう。

余談だが、私は馬祖列島、金門島等、人民解放軍との島の奪い合いは全て台湾が勝ったと思っていたのだが、大陳島という第七艦隊に守られながら住民が台湾本土に撤退・移住したところがあることを今回知って、それまでは「中華民国浙江省政府」というのがあったそうで、紹興酒があってもおかしくはないのか・・・とは思った。上海からそんなに遠くないので、「共産化された島(?)」もいつか行ってみたい。

敷地内に屋台コーナーがあり、紹興酒香腸のコーナーが一番賑わっていた。あんな物をビールも飲まずにみんな食べているが、余計なお世話ながら、ソーセージ売場の隣にタップ五つのビールサーバーを置く、という発想にならないんだろうか。紹興酒に限らず、TTLの全てを知りたい(向かいにはTTL便利商店、というのもあった。)人向きの観光センターである。

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5件のコメント

  • なんで

    マルコさんにも返信してあげなよ。

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    社会人としてのマナーが欠けた方はどこにもいます

    自分の時間を削ってコメントしてくれた方には全員、ひとこと礼を書くのが掲示板利用者としてのトピ主の最低限のマナーです。明らかなアラシの場合は無視してもいいでしょうが。

    自分にとって全く参考にならないコメントでも、「参考になりました、ありがとう」と。ありがとうは書きたくなければ、単に「参考になりました」だけでも。

    お礼コメントは一人一人が理想的ですが、余りに多くのコメントが殺到したときはまとめて「みなさん、ありがとう」でもいいかと。
    回答、アドバイスしたの誰にも返レスしないのは論外ですが、自分の意に反するコメントには返レスしない方も見受けられます。

    私から見ると、しばしば明らかな間違いを書かれているのでよく、ユーザーがそれを本当と思わないように、注意喚起的に訂正させていただいております。旅好きユーザーが大勢見ている掲示板では必要なことと思いますので。

    もちろん、私の指摘がすべて正しいわけでもなく、それに対して反論していただければ、私も「私の勘違いでした、失礼しました」となるのですが、故意に答えをさけておられるようです。

    間違いでは?との指摘に対して反論できない場合、ユーザーは指摘の通りだと思うでしょうから無理に返レスは求めるようなことはしておりません。

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  • 浙江省出身の蒋介石に由来するのでは?

    >それまでは「中華民国浙江省政府」というのがあったそうで、紹興酒があってもおかしくはないのか・・・とは思った。

    同政府は浙江省沖の離島群に置かれ、台湾に撤収時に廃止、住民は花蓮に移住ということなので、中華民国浙江省政府と台湾の埔里酒廠のとは関係ないと思います。

    時の最高権力者であった浙江省出身の蒋介石(と浙江省出身の軍幹部・政府幹部)のために埔里で紹興酒の生産を始めたと聞いています。埔里が選ばれたのは同地の水が紹興での紹興酒醸造用の水としていた浙江省鑑湖の水質と似ていたからだそうです。

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  • 埔里酒廠の酒文化館

    >>埔里酒廠展售中心(埔里)
    >>私は強行軍で時間が無かったので、博物館的なところは全てカット。
    →関連事項を書かせていただきます。
    この埔里酒廠にある酒文化館には、日本統治時代の埔里の町の様子や神社の写真なども展示してあります。おそらくかなり貴重な写真ではないかと思っています。(あくまでも私の主観です。) ※下記リンク先ご参照。

    ちなみに、かつて埔里には、いくつかの神社があったようです。
    1つは、現在の地理中心碑のあるの山の頂上です。現在もよく探せば、石灯籠の一部が転がってたりします。狛犬や多くの石灯籠は、埔里市内の醒霊寺に移設されています。 ※下記リンク先ご参照。

    もう1つの神社は、埔里酒廠の裏側(北側)にあったようです。現在は、社殿の土台部分だけが残っています。また、今年2月に現地を訪れた時には、左隣の敷地に「鳥居」という名前の日本様式の大きなレストランが営業していました。インスタ映えするような大きな鳥居などが設置してありました。(営業用の鳥居なので歴史的な価値は無いように思えます。Google Mapのストリートビューでも確認できます。公誠路 沿い。)

    以上、関連情報を書かせていただきました。もし何らかのご参考になれば幸いです。


    (ご参考)
    ●埔里酒廠の酒文化館を訪れた時の様子。(当時の写真など)
    https://gogo-kyorochan.official.jp/volume_016/1612_shounansha-shrine/

    ●台湾地理中心碑公園(虎子山)にある神社の遺構(石灯籠の一部など)
    https://gogo-kyorochan.official.jp/volume_016/1611_noukousha-shrine/

    ●醒霊寺 (台湾地理中心碑公園(虎子山)にあった神社の石灯籠や狛犬の移設先のお寺)
    https://gogo-kyorochan.official.jp/volume_016/1613_komainu-noukousha-shrine/

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    ためになります

    たいらさんとは違って、有益情報です。

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  • 大陳故事館 (花蓮市)

    >>大陳島という第七艦隊に守られながら住民が台湾本土に撤退・移住したところがあることを今回知って
    →この記述がありましたので、関連した情報を書いておきます。
    1年半くらい前、台湾の花蓮市を訪れた時、偶然「大陳故事館」というのを見つけたので立ち寄りました。
    ちなみに、その当時 私は「大陳島」のことは島の名前を含め全く知りませんでした。台湾原住民の故事館(博物館)と思って立ち寄った次第です。
    展示物の説明は中国語だけでしたので詳細なことはわかりませんでしたが、漢字の拾い読みをして「中国との戦いで敗れて島を放棄した・・・。島民は花蓮市に移住した・・・」ということがわかりました。
    大陳島の島民が花蓮に移住したので、花蓮この「大陳故事館」が設立されたようです。
    もし、何らかのご参考なればと思い、書かせていただきました。

    (ご参考)
    大陳故事館(花蓮市)を訪れた時の様子は下記ご参照。
    https://gogo-kyorochan.official.jp/volume_016/1654_da-chen-story-house/

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    造詣が深いです

    たいらさんの、ふかい、と違って、グッドジョブです。

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  • 埔里・布袋(嘉義)のお酒と食事 その2

    5.布袋漁港観光漁市(嘉義)
    ここは近くの高跟鞋教堂が有名だが、嘉義站からバスで一時間半位かかる。嘉儀前站(阿里山鉄道のある方)の駅前バス停から1時間に1本程度。私は台中から霧社を往復してその後にやってきたので、15時過ぎに嘉義に着き、次のバスが16時発、帰りの最終が漁港19時50発で、相当迷ったが、取りあえず行ってみることにした。当然ながら、魚市場は午前中の方が絶対いいし、そもそも全て閉まっている可能性もある。

    バス自体は「嘉義県横断の旅」になり、北回帰線の碑や県庁(余談だが台湾の県庁は、その県の最大都市には置かない、というルールとのこと。日本も例えば政令指定市には都道府県庁を置かない、としたらいいような気がするが)、高鉄嘉義站を通り、行かなかったが通りの近くに獣魂碑(屠殺した動物の鎮魂碑で日本人が昭和9年に建てた、とのこと。)があることを知った等、そこそこ冒険旅行になる。(記載の通り、高鉄嘉義站の方が布袋には近いが、市内までバスで30分かかるので、荷物を持って降りました、そして・・・の後が続かない。)

    布袋漁港は牡蠣が有名(らしい)とのことで、牡蠣を食べたいと思っていたのだが、何となく、岡山の日生みたいなイメージを考えていた。が、着いたのが17時過ぎ。さすがに市場に17時過ぎに着くと何もない・・・はずだが、観光漁市だけあって、お店も食堂もそこそこ開いている。一番賑やかそうなところ(もちろん、台湾ビールの冷蔵庫があることを確認の上)として、品鱻海産という食堂に入った。

    またも中文のメニューである。蝦と蠣がいつも混乱するのだが、まずは蚵酥(カキの漢字も色々とあり、これも悩ましい)を頼むことにした。この蚵酥の「酥」だが、後で調べて分ったのだけど「サクサクしたもの」という状態を示す意味とのことで、鳳梨酥の酥といっしょだ、なんて言われても・・・私は酢と間違えて(本当に)酢牡蠣みたいなものをイメージしたら、牡蠣フライ(と言うか揚げ物)が出てきた。「青蚵」というのが生牡蠣のことみたいなのだが・・・次回挑戦である。

    次がいよいよ生魚片である。私は外国では生で魚は食べない(生の肉は食べるが)主義だが、台湾はさすがに大丈夫だろうという何の根拠もない判断に従って、150元の方を頼んでみた。これはなかなかの成功で醤油もそれほど甘くない。(一時期九州に住んだことがあり、例えばキッコーマンとフンドーキンの違いはすぐに分る。)

    他の食堂でも言われたのだが、こういう場合、必ず「飯は何にするか?」と聞かれる。(ジェスチャーで)私のようにつまみとビールだけという注文がどうも変らしい、と感じたのだが、ここでは従って蝦卵炒飯を頼むことにした。大陸だとたいていある揚州炒飯がない(あれは共産主義者のチャーハンなのだろうか。他でも見なかった)ため、漢字に頼ったのだが、たまごを意味する「蛋」でなく「卵」が使われていることに若干違和感を持った。当然のごとく「小エビと炒り卵のチャーハン」が来ると思っていた。

    が、蝦卵というのは、香港で麺に練り込んだりする「蝦子」のことでそれが全体に入っている。(親えびも入っていたと思う。)食感的にはとびっ子が全体に入っている感じで、高級チャーハンなのかも知れないが、やや辛めでビールにもちょうどいい(金牌は2本飲んだ。)。もう一度、どこかで食べてみたい。
    https://tabisuke.arukikata.co.jp/album/29040?page=3
    (3ページ、下から三番目の写真がメニュー)

    バスで漁港を出発したのが19時過ぎ。嘉義に戻り、台南まで「区間」で行ってホテルにチェックインしたのは22時を過ぎていた。

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    「貞愛親王殿下御上陸紀念之碑」と布袋故事館

    >>布袋漁港観光漁市(嘉義)
    →布袋港にも行かれたんですね。私も2か月前(2019/3)に布袋港を訪れました。あの有名な高跟鞋教堂(ハイヒール教会)等を訪れるために。
    またこの時、布袋港バス停から歩いて数分の所にある日本統治時代の記念碑(石碑)の「貞愛親王殿下御上陸紀念之碑」も訪れました。
    記念碑(石碑)のまわりは、とてもきれいに整備されており、また、記念碑(石碑)には説明板(中国語)も設置されていました。
    台湾の人たちに感謝です!
    この「貞愛親王殿下御上陸紀念之碑」の隣には、新築された「布袋故事館」(布袋の歴史などを展示する資料館)の開館準備作業が行われていました。作業中にもかかわらず館内を見学させていただきました。
    現地のスタッフさんが「2019/5月ごろに開館予定(詳細日付未定)」と言っておられたので、もしかしたら既に開館しているかもしれませんね。
    もし、再度布袋港を訪れる機会があり、またこれらのことにご興味がおありのようでしたら、ちょこっと立ち寄られてはいかがでしょうか。

    布袋港がカキで有名ということは知りませんでした。なので、高跟鞋教堂(ハイヒール教会)へ行く時に布袋漁港観光漁市の前を素通りしていました。(何でこんな場所にこんな広大な駐車場があるんだろう・・・と思いながら歩いていました。)
    次回訪れる機会があれば、ぜひカキを食してみたいと思います。


    (ご参考)
    「貞愛親王殿下御上陸紀念之碑」と布袋故事館(開館準備中)を訪れた時の様子は下記ご参照。
    https://gogo-kyorochan.official.jp/volume_024/2442_budai-jpn-memorial/