11/11/05 17:11

Re: 白瀬中尉のお墓

白瀬中尉は帰国後講演をして借金の返済に追われ全国を渡り歩いたので昭和21年に吉良で亡くなったようです

話は違いますが終戦直後は江戸時代から明治初期の著名人も生存していました。

当時は政府の支援はなく大隈重信や東郷平八郎などの支援で寄付金に頼り10万円集まったため南極へ出発してその年は一旦豪州に引き返して翌年再び南極へ挑み南緯80度を超えて大和雪原と命名して帰国しました。

当時の募集要項に命の保障なしというのがあります。野村船長は国際航路の船長をなげうって募集に応じました。
それでも今の南極観測船も白瀬と名前が残ったのがせめてです。
秋田県奥羽線金浦駅前の白瀬南極探検記念館に当時の資料や実物が展示されています。

なおはやぶさで有名になった小惑星イトカワも名前が残ってよかったですが、朝日新聞が反糸川のキャンペーンを張り嫌気をさした糸川博士がロケットから手を引いた話もあります。

なんでも最初に手がける人はマスコミの思惑ででどうにでも事実を捻じ曲げられるので大変ですね。
吉良上野介の話も聞いています。

中尉の荒れたお墓が直ったそうですが、似たような話が坂之上の雲の主人公秋山兄弟の銅像が松山郊外に移され私は電車に乗ってわざわざ見に行きましたが、今度TVで放送されるようになって見直されたと聞いています。

最近は悲観論が多いですが、私はあのころの元気な日本人の話で勇気付けられます。

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