レポート

トルコにて

公開日 : 2006年01月04日
最終更新 :

元々、今年末の旅行先の選択肢にトルコはありませんでした。

旅行においては芸術や建築を見てまわるのが好きなのですが、イコン等の宗教美術がどうにも好きになれず、旅先においてもどちらかというと敬遠していたジャンルでした。

しかし2年前旅行したロシアにおいて、正教教会を埋め尽くしていた色鮮やかなイコンに初めて感動。

体中ゾクッ、と来ました。

その後、幾つかの国で一級品の宗教画を見てきましたが、どうもロシアほどの感動が無く、いつも通りにしか見えませんでした。


「あの時の感動をもう一度味わいたい」


というわけで探した旅行先がバルト三国。
これらの国にいくつか残るロシア正教教会を見てまわる予定でした。
でも四ヶ月前の手配にもかかわらず、日程の合う航空券はオールキャンセル待ち状態。

旅行先選択が振り出しに戻り、トボトボと旅行会社をあとにする。

新しい旅行先を探そうと入った本屋で何気なく選んで見てみたトルコのガイドブック。カーリエ博物館を埋め尽くしていた黄金に輝くビザンツ美術。

体に悪寒が走るような衝撃。
すぐさま即決。
ここだ、ここしかない!

ガイドブックを買い、イスタンブール行きの航空券をゲットするべく再び旅行会社へ走る。

こちらの航空券も関空発着は軒並みキャンセル待ち。(おかしくない??)
成田発着もほとんど駄目で、正月休みを一日繰り上げるもったいない日程の、しかもお高いJALの航空券をようやく手配。


航空券を手配してしまえば、後は旅行ルートを決めてトルコの情報を調べるだけです。

どうやらビザンツ美術はロシアのイコンの元祖ともいうべき存在らしい。
全身に感じるものがあったのも、なんだか納得。


今回のトルコ旅行のルートは、JTBなどの大手旅行会社のトルコ周遊ツアー
のルートを元に、僕の独断と偏見でアレンジしたルート。
かいつまんでいえば、初心者でも行けるようなトルコにおけるほぼ定番のルートです。


トロイ→エフェス→パムッカレ→カッパドキア→アンカラ→イスタンブール

と、ほぼ輪の形に一周するいわばトルコ版黄金の輪。

久々のアジア方面寄りの国の旅行、ビビリつつ楽しんできました。


天井知らずに優しいトルコの人たち、何度助けていただいたことか。

手口バレバレな手を使う客引きや勧誘そして物売り、後半うっとおしくて「舌抜いたろか」と本気で思っていましたが、役に立った客引きもいくらかおり、いろんなトルコ人がいていろんな一面を見せてくれて、メチャ面白かったです。

トルコ楽しい!!
トルコの魅力にハマリそうな自分が恐い。

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50件のコメント

  • 1
  • 2
  • あとがき

    毎回旅行の度に新しい発見がある。
    今回はビザンツ美術に出会う事が出来た。

    今回のトルコ旅行を決めた目的は、ロシアのイコンから受けた感動をビザンツ美術の中に追い求めました。

    トルコにおいては素晴らしいビザンツ美術とオスマン建築のモスクに出会う事ができ、これらに負けないくらいの感動を味わえる、素晴らしい美術、建築を追い求めて別の国を探して旅行をする。

    旅行の目的なんてエンドレス。

    次々とこの目に焼き付けておきたい人類の遺産が、旅行を重ねる度に
    ポンポン出てくる。

    見たいものが無くならないから旅行をやめられない。
    次はどんな体験が待っているのだろうと想像するだけでワクワクする。

    もうすぐ30歳になろうかというのに、今もってフラフラしているけど後年、絶対に後悔はしないと信じています。


    とりあえず今は仕事して金を稼がねば。

    次の旅行先は物価の高さで有名な北欧ノルウェー。

    物価の高さよりも有名なムンクの絵画やスターブ教会を訪れる旅行を
    今年の初夏に計画中。

    約2年前から、ずっと温めてきた旅行の構想。
    ノルウェーではどんな発見があるのだろう。

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  • 1月3日「渋谷のハチ公見物(オマケ)」

    昼の1時過ぎ、トルコから無事に成田空港着。

    成田発伊丹行きの飛行機が夕方の6時発、時間が多少あるので東京見物を急遽画策。

    二十年近く前、小学校3年くらいだった僕は1年だけ東京に住んでいたことがあります。

    当時の居住区は板橋区。
    京都ではなかなかない広さの北条公園と石神井川っていうドブ川が印象に残っていますが、実際他の東京を見た記憶は全くといっていいくらい残っていません。

    かろうじて覚えているのは東京タワーに登った事と、池袋サンシャインビル水族館にピラニアを見に行った事。
    あとは歩行者天国という素晴らしい制度があった、という事くらいでしょうか。

    今はいつでもとはいきませんが、ある程度自由に東京にいける身分でありながら、全然ご縁がなかったテリブル東京。


    何を見に行こうか、と東京駅行きリムジンバスの中で迷う。


    東京駅の不案内に苦戦しながら成田エキスプレス4時3分発の切符を買い、やたらに遠い地下鉄乗り場まで辿りつく。
    路線がパリの地下鉄並にゴチャゴチャしていて頭が混乱しそう。

    今は3時過ぎの為、タイムリミットは1時間切ってる。
    なんとなく渋谷行きの切符を買い、地下鉄に乗りこむ。

    ある意味、外国の地下鉄よりも勝手が分からず、しかも
    乗りにくいのは何故??

    渋谷というとNYのタイムズスクエアのパクリのような交差点と奇抜なファッションでクレイジーな若者の集まる所、そしてセレブの住む街、という先入観がある。

    地下鉄を降りて、ふと出口を指し示す標識を見ると「ハチ公前」という
    文字が目に付く。


    ???

    ハチ公って、上野の西郷さんの連れてる犬じゃなかったの?
    渋谷にもハチ公があったのか!

    標識に従って出口を目指す。

    駅を出るとそこはテレビで何度か見たあのタイムズスクエアそっくりの巨大モニターが目立つ交差点が。なんかPRIDEが映ってるし。

    歩いてる人達も、どこと無く垢抜けたような感じですが、思ったよりおもろいファッションの若者は歩いていませんでした。

    ハチ公の銅像は交番の正面にありました。

    ぬぅ・・・

    ただの犬の銅像ですな。

    しかしあまり目立たないところに建てられているような気もしますがね。
    ひっそりと主人の帰りを待ちつづけた、ということを演出してのものでしょうか。

    ふと時計を見るとタイムリミットまであと20分ほど。
    あ、ピンチや!!

    地下鉄に乗ってたら間に合わん。
    タクシーを停めて飛び乗る。

    運転手に事情を話して急いでもらう。

    ここでカルチャーショック。
    なんとタクシーにカーナビが付いてるぞ。

    京都一円ではこんなもん付けてるタクシー、1台も見た事無いぞ。

    運転手の話に寄れば、カーナビ付きタクシーは全体の半分くらい。
    酔っ払い対策に便利だとか。
    東京の酔っ払いは激しそうですな。


    東京駅へ向かう途中、皇居の桜田門が見えました。
    別に皇室ファンではないのですが、激動の歴史の舞台となった旧江戸城。

    1度、中が見たいなぁ。


    4時きっかりに東京駅着。
    後3分。

    駅員に成田エキスプレスの発車場所を聞き、ダッシュで成田空港行き列車に飛び乗る。

    ギリギリ間に合ったぁ・・・

    タクシー料金だけでも2200円ナリ。
    後から「アホみたいな出費だった」と後悔しまくった東京見物でした。

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  • 1月2日「カレンデルハネ・ジャミィ」

    12時くらいに開く、という言葉を信じてシェフザーデ・ジャミィとラーレリ・ジャミィの見学を先に済ませる。

    シェフザーデ・ジャミィはミマール・シナンの若い時代の作品で、後のスレイマニエ、セリミエ等のジャミィの基本となったと思われる建築で、主ドームと副ドームがバランス良くくっつけられていて、均整の取れた外観をしています。

    ラーレリ・ジャミィは通称チューリップ・ジャミィと言われているらしいですが、どこがどうチューリップなのかは不明。

    外観の大きさの割に内部は小さくて明るさもさほど無く、こじんまりとしたジャミィでしょうか。

    12時前にカレンデルハネ・ジャミィに戻ってしばらく待っていると、住宅街のほうから子供がやってきてジャミィの鍵を開ける。

    これでやっと入場。


    内部は光があまり入らない設計構造だからか薄暗く、しかも空気が冷たい。

    オスマン期に建てられたジャミィは綺麗な絨毯が敷き詰められ、内部も明るく座っていても寒さを感じることはありませんが、ゼイレク・ジャミィ、カレンデルハネ・ジャミィなどの元教会のジャミィは設計そのものが教会だからか、薄暗くて寒くて修復もおざなりで小汚い。

    元教会の廃物利用は、所詮2級品として扱われているのだろうか。


    カレンデルハネ・ジャミィは丸いドームと祭壇の装飾版を見学できたものの、いまだにジャミィとして漆喰で壁を塗りこめているのは残念。

    僕のトルコ観光はここまで。

    イスティクラール通りに戻り、チルアウト・ホステルに預けていた荷物を受け取り、タクシム広場近くの高級トルコ料理レストラン「ハジュ・ババ」でホーリー・トリニティー教会のファサードを眺めながらの昼食。

    巨大な登山用バックパックを担いで入店した為か、

    「山にでも登っていたのかい?」

    と店員に聞かれる。

    ラムチョップとピラウ、ビールで33リラ。

    ラムチョップは手の込んだソースみたいなモノはかかっておらず、塩、胡椒のみのシンプルな味付け、でもうまい。

    あまりにおいしかったのでガツガツ食ってるように見られたのでしょうか。
    再び店員に、

    「腹が減っていたのかい?」

    と聞かれてしまう。


    タクシム広場付近のセブンイレブン前から空港行きのハワシュバスが出ている。これに乗車。

    発車直前に係員が料金を徴収する仕組み。
    (8.50リラ)


    リラも使いきったし全力疾走で観光できました。
    今回の旅行も大成功、あー帰ったらイヤな仕事が待っている・・・

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  • 1月2日「スレイマニエ・ジャミィ」

    早朝7時にチルアウト・ホステルをチェックアウト。

    2泊分の宿泊費はドルで支払うことにする。
    (リラだと手持ちが無かった為)

    2泊で20ドル。旧市街のホステルに比べると高いですけど、イスティクラール通りとチュネルに近い立地を考えれば、いいホステルだと思います。


    今日が帰国の日なのですが、帰りの飛行機が夕方6時なので午前中の観光には支障無し。
    ホステルに荷物を預かってもらい、旧市街観光に繰り出す。

    エミノニュからリュステムパシャ・ジャミィの脇を通りぬけ、坂道を登ってスレイマニエ・ジャミィを目指す。

    途中、ロカンタを見つけたので朝食。
    トルコでのスープとパンの朝食もこれで最後。

    スレイマニエ・ジャミィを見ての第一感想は、

    「とりあえずでかい」

    巨大ジャミィが多いイスタンブールにおいて、他のジャミィよりも一際大きく見えます。

    内部入り口は観光客用と礼拝者用とに分かれている。
    前方には柵が施してあって、ミヒラーブには近づけない。

    ブルーモスクなど、観光客の多いジャミィは皆この方式です。
    観光名所ではあっても、本来の用途は礼拝ですので
    あまり観光客が多いと礼拝の邪魔、てな感じでしょうか。

    内部の装飾は黄色などの明るい色を多用し、見事な複合色を放つモザイクステンドグラスから差し込む光が装飾を照らし、柔らかい明るさの空間を生み出している。

    ジャミィ裏手の墓地にあるスレイマン大帝と妃の霊廟も見学。

    イスラムの聖人やスルタンの棺を堂々と見せるのは、やはり礼拝の対象だからでしょうか。そういえばエジプトのあるモスクでは内部に棺を置いて、銀装飾の囲いで覆ってしたけど。

    ミマール・シナンの墓も探しましたが、墓地内の墓石はすべてアラビア文字で書かれており、どれがミマール・シナンの墓かわかりませんでした。

    ジャミィ近辺にはミマール・シナン設計のハマムなどもあり、こちらも興味をそそられましたが、ハマムに入っている時間が無く断念。
    続く目的地、カレンデルハネ・ジャミィへ向かう。

    学校の傍にあるカレンデルハネ・ジャミィはイスタンブールにあるビザンツ時代の元教会の再利用ジャミィの1つで、教会名はアカタレプトス修道院付属教会。

    朝10時の時点では入り口の鍵が開いておらず、内部見学が不可能。
    イマームがどこかにいるはずなのだが、、、

    ジャミィ前の公衆トイレを覗いてみると、イスの上に寝ている子猫が。
    ひょっとしてお前がイマームか?

    通りがかったおじさんを捕まえて、「イマーム ネレデ?」と尋ねる。

    おじさんはジャミィの入口に向かってイマームの名前を呼んでくれるも
    イマームの反応無し。

    おじさんの話では、多分12時頃には開くだろう、とのこと。

    ゼイレク・ジャミィにしてもここにしても、元教会のジャミィってのは
    時間にルーズすぎる気がしてならない。
    元教会だと、お祈りしにくる人も少ないのだろうか。


    ジャミィ南側には教会時代の回廊が残っており、ビザンツ時代の彩色列柱が残っています。当然鍵がかかっているので内部見学は不可能ですが、懐中電灯で照らしつつジックリと鑑賞。

    ジャミィの敷地内に入ってこんなことしてると、誤解されそう。

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  • 1月1日「トルコ最後の夜」

    1度荷物を置きにホステルへ戻り、ハマムヘ行くことにしました。
    ホステルのトイレが急接近している狭いシャワーは気持ち良くないので。

    ホステルから一番近いハマムでは一応、調べた限りではガラタ塔近辺にあるガラタ・ハマムというのが1番近いハマムのようです。

    値段は張りますが、ここは観光客向けのハマムに行ってみる事にする。
    過去二回行った地元密着型ハマムでは、どうしても目立ってしまうので。

    ガラタサライ高校から脇道を曲がってしばらく歩くとガラタサライ・ハマム。

    日が暮れかけの時間帯、噴水があってゴージャスな内部はお客で一杯。
    (ほぼ全員欧米人観光客)


    入ってすぐにレジがあり、ここで料金先払いのシステム。
    しかし前のフランス人グループの交渉が手間取っていて待たされる。
    別の係員が気を利かせて僕の交渉を進めてくれる。

    「フルサービスは50リラ、サーデは40リラ」

    なぬ!?高い!!

    バスマネ・ハマムの4倍の値段。
    さすが観光客向けハマム、英語が通じる手間賃か?

    10リラしか違わないのだから、迷わずサービス付きを選ぶ。

    優しいお湯かけ、気持良い垢すり、痛いマッサージ、トドメの顔面お湯かけ。
    ここはバスマネ・ハマムやヤル・ハマムよりも熱気があって、よりサウナらしい室温。

    値段が高い分、行きやすさはバツグンです。
    ただ、やはり地元の人が多く行く安いハマムのほうが好きです。


    サッパリして元気を回復し、イスティクラール通りのチチェク・パサージュでビールを飲む。

    入り口近くの店に陣取ろうとすると向かいの店の張り紙が目に入る。
    「ビール3リラ」

    僕の座ろうとしている店は「ビール4リラ」とある。

    ジーッ・・・と見比べていると、店員が僕の目線を察して

    「ノーノー!あっちはグラスが小さい!」

    なるほど、言われてみればこっちのグラスのほうが大きい。
    納得して座り、ビールを注文。

    花篭が飾られた美しい装飾のアーケードを眺めながらビールをつまみ無しでグイグイ飲んでいると、横のおじさんがアンカラのバーの時と同じように豆をくれる。

    思わず「テシェッキュル!」

    夕食前なのにビールをジョッキ3杯も飲んでしまう。
    イスティクラール通りをブラブラして酔い覚まし。


    夜7時半。

    ガラタ塔近くのカフェレストラン、「ガラタ・ハウス」へ夕食に行く。
    トルコ最後の晩餐はロシア、グルジア料理で締めくくる事に。

    ここは入り口に鍵がかかっている為、インターホンを鳴らしてご主人かマダムを呼んでドアを開けてもらう必要があります。

    オマケに場所がわかりにくいのなんのって。
    ガラタ塔周辺の人気が無くて、暗い裏路地にわかりにくい目立たない看板があるだけなので、少々迷ってしまいました。
    僕はホームページの地図を元に、ロンプラの地図に大体の場所を書きこんで行きました。

    建物はは元刑務所、という事ですが内部はこじんまりとしていて
    刑務所には見えない。

    ご主人は日本人の絵描きの親友がいらっしゃるそうで、今その方はサンパウロ在住なのだとか。
    トルコに住んでいて今はサンパウロ在住。
    華麗な人生ですな。

    グラス白ワイン2杯、赤カブサラダ、ピロシキ、ヒンカリ、グルジアンチョコレートケーキ、チーズケーキ、エスプレッソと、フルコースで食べて59リラ。

    ヒンカリはグルジアの水餃子。
    水餃子というより、カラフルな茹で肉マンジュウといった感じ。

    デザートのケーキがメチャクチャおいしくて2種類食べてしまいました。


    滅多に食べられないグルジア料理を堪能し、イスティクラール通りへ戻る。

    このガラタ塔近辺は楽器の店が多く、中には変わったトルコの楽器らしきものも並べられていて面白い。楽器屋が多いのは、近くに古楽器博物館があるためなのか。

    イスティクラール通りのチチェク・パサージュ横のワインバー「シャラビ」に入り、グラスワインを傾けつつ最後のトルコの夜を静かに楽しむ。

    ここのグラスワインは場所が大通りに面しているためか、昨日行った「パノ」よりも少々値段が高く、1杯4・5リラ。

    白が飲みやすくておいしかったので、1本お土産に購入。
    ボトルに「シャラビ」と書かれたオリジナルワイン、17リラ。

    いいお土産になりました。

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  • 1月1日「イスティクラール通り」

    エミノニュからチュネルと徒歩で新市街にあるドルマバフチェ宮殿を目指す。

    しかしせっかくしんどい思いをして来たのに今日は閉館だとおっしゃる。
    元日に休みを取るなんて、どのガイドブックにも書いていないぞ。
    他の観光客も続々やってくるのですが、閉館だと知って続々引き上げていく。

    仕方なく傍のドルマバフチェ・ジャミィを見学。
    内部は赤っぽい大理石で飾られ、どことなく洋風でお洒落です。


    今度はタクシム広場からメトロで軍事博物館へ行ってみたものの、こちらも閉館。

    おいおい、どういうことだよ。
    ガイドブックには祝日は休み、なんて1行も書いてないのに。

    こんなことなら旧市街でモザイク博物館とイスラム博物館に言っとけば良かった、と後悔。

    今更旧市街に戻るのも大変だし、そのままイスティクラール通りを散策しつつお土産を探すことにしました。


    まずタクシム広場から通りに入ってホーリートリニティー教会を見学。
    内部は閉まってましたが、ファサードの彫刻は見事。

    近くのハジュ・ベキルの支店でロクムを数種類、会社用のお土産に購入。
    比較的評判が良かったのはピスタチオ等の豆類。
    他は軒並み不評でした。(甘すぎる、とのこと)


    しばらく歩いてエリッツというチョコレート屋でアーモンド入りチョコを購入。銀紙に包んだ板チョコと缶入り粒チョコがあります(缶は高め)

    昨日食事した狭くて騒がしく、活気溢れる魚市場の脇のわかりにくい場所にあるアルメニア教会。(聖グレゴリー聖堂)
    残念ながら周りの建物がゴチャゴチャしていて外観はよく観察できませんでした。内部は暗く厳かな雰囲気。

    お布施をいれて、ロウソクを立てようと思ったらどのロウソクも使い古しばかり。躊躇していると管理人らしきおじさんが新しいロウソクを持って来てくれる、心遣いに感謝。

    イスティクラール通りに戻っていくつかの教会を見学。
    ここは西洋からの商人などが在住していた為か、教会やお洒落な店が多く
    アジアという感じがあまりしない。

    それはそれでいいのですが、ここもスルタンアフメットに負けないくらい多くのアコギな人達がいます。

    一番多かったのが、「タバコの火貸して」とか「今何時?」と声をかけてきて「日本人は好きだ」とか「名古屋に友人がいるんだ」とかなんとか言ってきて酒やお茶に誘うというもの。

    よくよく考えますれば、もし僕が日本において周りに日本人がウンザリするくらいいるのに日本語が通じるかどうかもわからない外国人を掴まえて「今何時?」などと聞くはずがない。

    行きつく先は、、、やはりボッタクリか睡眠薬か。
    中にはパキスタン人もいました。
    はるばるパキスタンから何しに来とんねん!

    あと多かったのは子供の靴磨き。

    今回全く相手にしませんでしたが、調べた限りではまず100%色々理由を付けてボッタくって来るようです。

    子供の頃からアコギな商売覚えるとは、末恐ろしいですな。

    この手の人種は後半、応対するのも嫌でウォークマン聴いて聞こえないフリしてました。無視してれば害はありません。

    ただ、道を教えてくれるような優しい人もいるので見極めが重要です。

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  • 1月1日「ジャミィ巡礼②」

    少年の案内でスムーズにスルタン・セリム・ジャミィに辿りつく。
    高台にあるこの巨大ジャミィは金角湾の眺めの素晴らしさでも有名。

    広いパノラマ部分の中庭にはテーブルとイスが並べられ、寒風吹きすさぶ中、地元の人達がお茶飲んで雑談に興じていたり杖ついたおじいさんが座って一服していたり。

    パノラマからの絶景を冬の強風を感じつつ、しばし眺める。

    中庭が広い為か、ジャミィはどっしりと構えていて圧倒的な存在感を誇っている。

    で、実際に中に入ろうとすると真昼の時間帯にもかかわらず閉まっていました。これはアラーの気まぐれか??

    しかたなく泉亭や回廊の装飾、スルタン・セリムの棺等を見学してパノラマ脇の階段を降りて次なる目的地、ゼイレク・ジャミィを目指して歩き出す。

    迷路のような旧市街の下町、ここでの観光は地元民に頼らなければ目的地に辿りつくのはまず不可能でしょう。

    ゼイレク・ジャミィの場合、スカーフ被った女性が連れていってくれました。

    ゼイレク・ジャミィもフェティエ・ジャミィと同じくビザンツ時代の教会をモスクに再利用したもので元の教会名はパントクラトール教会。

    三つの教会の複合建築で、裏のレストランのほうから全体を見ると色や形の違うクーポラがいくつも突き出している異様な建築。

    肝心のジャミィの扉は閉ざされているようでしたが、案内してくれた女性が入り口向かって右側の味のある木造アパートの上部に向かって何やら呼びかける。するとメガネかけたヒゲもっさりのおじさんが顔を出し、ちょっと待ての合図。

    女性はトルコ語で何やら説明してくれる。
    わかったのはイマームという言葉とさっきのおじさん(イマーム)を5分待てということ、そして2リラをお布施?として払う、ということ。

    女性にお礼を言って別れ、さっき顔を出したイマームを待つ。
    するとアパートから白い導師の服を着たイマームが出てきた。
    わざわざこの服に着替えていたのかな?

    入り口の鍵を開けてもらい、内部を見学。

    内部はオスマン期のジャミィに比べると薄暗く、敷かれている絨毯も緑一色で装飾なしの安物臭い絨毯。ミヒラーブ、ミンバルが取りつけられていますが、これといって美しくない。

    ジャミィとしては2級品に見える。

    しかし漆喰がなければモザイクが出てくるのかもしれません。
    窓の上部の一部は漆喰がはがれ、黄金の装飾モザイクがチラリ顔を覗かせている。柱頭もモスクでは施されないような細かい彫刻が施してあります。

    所々に教会の名残が見受けられて面白いジャミィです。

    三つの教会の複合体にしてはジャミィとして使われているのは南側の1室のみで、入り口は広いものの下駄箱や物置みたいになっている。他の部屋や回廊も気になったのですが、無愛想なイマームが恐くて「見せてくれ」なんて言えませんでした。

    見学を終え出ようとするとイマームが「お金くれ」のジェスチャー。
    あ、ゴメン忘れてた。

    女性の教え通り2リラをイマームに渡す。
    するとイマームは1枚のCDをくれる。
    イスラム教のお祈りの歌のCDだ、スゲー!

    このジャミィは普段ジャミィとして使っているのかどうか疑問。
    使ってる形跡が全く感じられなかったので。

    イマームもイマームやめて、ここを博物館にして館長になればいいのに。
    バチ当たりかもしれませんが、漆喰をはがした内部が見てみたいものです。
    しかしこんな面白い建築が見れて、しかも記念のお土産付きで2リラは安い。


    いざヴァレンス水道橋まで行こうとすると、レストラン・ゼイレクハネの階段から近道で降りることが出来るはずだったのですが、レストランが休業していた為階段を降りることが出来ない。

    本当だったらこのレストランで旧市街の眺めを楽しみながら昼食、という予定を組んでいたのですが残念。遠回りして住宅街を通り巨大な水道橋へ出る。

    近くのバス停でエミノニュ行きのバスを探し、乗りこんでエミノニュへ。

    エミノニュでケバブの種類が豊富なハムディ・レストランでピスタチオ・ケバブとビールの昼食。なんか欧米の観光客ばかりでトルコ人のお客はいませんでしたが。値段はロカンタに比べれば安くないですからなぁ。

    ここからもスルタン・セリム・ジャミィやゼイレクハネに負けないくらいの景色の良さで有名です。

    ガラタ塔や金角湾を眺めながらの食事は最高です。

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  • 1月1日「ジャミィ巡礼①」

    カーリエ博物館から徒歩でフェティエ・ジャミィ(パンマカリストス教会)を目指す。

    しかし旧市街の住宅街は迷路のように入り組んでいる上に通りの名前も書かれていない為、案の定迷ってしまう。

    初老のおじさんに「フェティエ・ジャミィ ネレデ?(どこ?)」と尋ねる。
    さすがにこの辺りの人たちは英語がほとんど通じない。

    おじさんはしばらく考えた後、ついてこい、と手招きする。

    このおじさん、歩くのメチャクチャ速くて僕はついていくのがやっと。

    閑散とした住宅街を右に曲がったり左に曲がったりどこをどう進んでいるのかもわからず、歩く事10分で到着。

    僕一人ではたとえ道を尋ねてもフェティエ・ジャミィには辿りつけなかったと思います。
    わざわざ案内してくれたおじさんに感謝。


    ビザンティン時代の教会をモスクに転用したジャミィの一つで、現在ミナレットは残っていますが、漆喰は取り除かれフェティエ博物館として公開しています。

    教会の再利用という面白い建築が見られるのなら、いつ開いているかわからないジャミィより、二リラの入場料で決められた時間に開いている博物館として公開しているほうがありがたい。

    テフクル・サライの窓を彷彿とさせるような半円のレンガ装飾。
    小さな塔のようなクーポラが幾つも林立していて、ビザンツの
    教会建築はこういうものか、とひたすら驚嘆。

    このクーポラに描かれたキリストと十二使徒のモザイク画は、カーリエのそれよりも良く残っています。

    元ジャミィというだけあって、主祭壇右斜め後ろというけったいな位置にミヒラーブがあります。

    ミヒラーブはメッカの方向を指し示している為、トルコでは南東の位置に作られます。この教会の場合は祭壇が北側を向いているため、こんなへんてこな位置にミヒラーブが作られたわけですなぁ。

    しかし出入り口が南東にあったり、どうしてもミヒラーブが作れないような教会はモスクとして再利用できない為、軒並み壊されたそうです。

    もしアヤ・ソフィアの出入り口が南東にあったりしたなら、有無を言わさず取り壊されていた可能性あり、ってことでしょうか。

    フェティエ・ジャミィを後にし、再び徒歩でスルタン・セリム・ジャミィを目指す。

    しかしまたもや道に迷う。

    人に尋ねようとしてもさすがに住宅街、誰も歩いていない。

    迷子の道すがら、レンガ作りの地元のジャミィを見つける。
    (ジャミィ名記載がなく不詳)

    小さいですがドーム建築ではない変わったジャミィで、ちょこっと中庭に入ってみる。

    しかし地元のジャミィは有名どころの大きいジャミィよりもある意味入りにくい。また、この辺りの人たちはモスリム帽やもスリム衣装を着ている人を多く見かけ、保守的イスラム教徒が多そうなのも入りにくさに拍車をかけてます。

    入ったら異教徒扱いがキツそうな気もするし。
    ↑偏見だけども不安。


    しかしそのモスリム服に身を包んだ人が「入っていいよ」と手招きしている。
    やっぱり偏見でした。

    内部は真っ白な漆喰が光を反射して、フェティエ・ジャミィやカーリエ博物館よりも明るい。
    しかも二階建て構造で二階にも行ける珍しい構造。

    もちろん新しい時代のジャミィですが、イスタンブールのドーム建築ジャミィとは一線を画し、どちらかというとハジュ・バイラム・ジャミィやイーサ・ベイ・ジャミィなどのセルジューク朝の四角いジャミィ建築に近い。

    二階に上って正座して見学していると、まわりの人がワラワラ寄って来る。
    宗教を聞かれたようなので、「ブッダ」と答えると、やたらウケました。

    ウケ狙ったわけではないんですけど、さすがブッダ、ワールドクラスの知名度です。

    なんだか次はどこにいくのカみたいな事を聞かれているようです。
    もちろん全部トルコ語なので、意味は理解できていませんが
    意思の疎通は気合でなんとかなるものですな。

    皆に地図を見せて、スルタン・セリム・ジャミィというと、おじさんの一人が子供を呼ぶ。どうやらこの男の子に案内をさせる、と言ってくれてる様です。

    コレはラッキー!

    偶然見つけたこのジャミィに入って道が開けた。
    これはアラーの神が、モスク巡礼のご褒美をくれたのだろうか・・・

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  • 1月1日「ビザンティン時代の城壁と教会」

    元旦早朝の旧市街。

    僕は今、エミノニュからのバスで城壁の残るエディルネ・カプヘ来ている。

    コンスタンティノープルを1000年以上守ってきた難攻不落の城壁も、500年前のオスマン・トルコの猛攻を支えきれずに落城。

    ビザンツ帝国の難攻不落の象徴ともいうべきこの城壁が、今度はオスマン・トルコの首都、イスタンブールを500年間守ってきたのだから皮肉なものです。

    道路になっている城門をくぐり、城壁伝いに北へ歩いていくと運動場みたいな広場と観光バスの駐車場に出ます。
    ドロンコの駐車場に隣接して、僕の本日最初の目的地「テフクル・サライ」があります。

    テフクル・サライはビザンティン時代の宮殿跡で現存する数少ない建築。
    赤っぽい石とレンガで築かれた宮殿の外観。
    二階、三階部分の窓の上部分は、赤と白の石を交互に半円にして飾ってあり
    美しい。

    しかし今現在は大掛かりかつ、遅々として進んでなさそうな修復工事中で
    宮殿の裏側に回って入り口を見つけるも「危険」と書かれて入場不可能。

    クソー!残念。

    この時期はどこの国に旅行に行ってもこんなんばっかり。
    観光客があまり来ない今の時期に修復しちゃおうという考えでしょうか。
    オフシーズンの旅行のデメリット。

    ここから近くのカーリエ博物館へ行こうとしましたが、路地が入り組んでいて道に迷う。結局エディルネ・カプまで戻ってしまう。

    せっかく戻ったのだからと、近くのミフリマフ・ジャミィを見学。

    ミマール・シナン建築のジャミィで、大ドームを支える副ドームが存在しない独特設計のジャミィ。エディルネ・カプから見たその姿は副ドームがない為でしょうか、一際高く見えます。

    今回見た数々のジャミィの中では、ここが一番アヤ・ソフィアに似ていたように感じます。内部はやはり副ドームがない分、狭まって窓が中央近くに来ている為、非常に明るい。


    エディルネ・カプから大通りを東へ少し戻り、カーリエ博物館の順路を指し示す立て看板を発見し、徒歩でカーリエ博物館を目指す。

    ここはビザンティン時代はキリスト教聖堂でコーラ修道院でしたが、オスマン・トルコがジャミィに転用。現在は博物館として万人に公開しています。

    外観はモロに教会建築で、ジャミィには全く見えません。
    いくつかの太い塔を組み合わせたような建物。
    残ったジャミィ時代のミナレットが哀愁を漂わせてくれます。

    僕がトルコ旅行を決めたきっかけとなったカーリエ博物館。トルコでは現存中最高峰のモザイクとフレスコ画を見る事が出来ます。

    同じキリスト教でも、西ヨーロッパで見てきたキリスト教美術とは明らかに違う、金箔を多用した黄金のモザイクは典型的なビザンティン美術。

    カナの婚礼などのモザイクはさすがに綺麗に残っており、いくつかあるクーポラに描かれたモザイクも黄金に輝いていて、まるで別の世界を表現しているかのようです。やっぱり神の世界を表現しているのでしょうか。

    かつて猛烈に感動したロシア正教教会のイコンも黄金や銀の枠で飾られているものが多くありました。遠い元祖、ビザンツ美術の黄金の輝きを継承してのものでしょうか。


    ここでようやく一つの確信を得ました。

    ロシアで一目見て、感動したイコン。

    西ヨーロッパの美術館で見ても、全くなんの感動ももたらした事が無かったあのコテコテのキリスト教美術。

    ロシアのイコンが西ヨーロッパよりも特別優れていたわけではなく、ただ荘厳で純朴な正教教会内部で見たから感動したようです。

    あのイコンが正教教会という魅力を120%引き出してくれる最高の居場所にあったからこそ、あれだけの感動を味わえたのだと。

    カーリエ博物館とアヤ・ソフィア、カッパドキアの岩窟教会など、トルコのキリスト教美術、建築は素晴らしい教えをもたらしてくれたと思います。

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  • 12月31日「ニューイヤーカウントダウン」

    ちなみにシーフードレストランのお勘定は57リラ。

    顔も引きつるオゾマシイ値段、何が高いのか調べようとするも汚い書き殴りの文字で、解読不能。どうやらワインかスズキが26リラするらしい。

    まぁ、おいしい物食べれたしいいや、と60リラを勘定のバインダに挟みこむ。そしたらここの店員、

    「お釣りの3リラ、チップの代わりにコレを差し上げます」

    と、こうきたぞ。

    持ってきたソレを見てみると、とんがり帽子、メガネ、ピーピー笛のニューイヤーカウントダウン3点セット。

    こういう場合は先に釣りを持ってくるのがスジじゃないのかな~?

    まぁいいや、3リラは最初からチップとして考えていたし、この3点セットはカウントダウン参加にちょうどいい。

    夜のイスティクラール通り、めでたい新年が間近だからか人通りが多い。
    魚市場近くのアイリッシュパブでギネスを飲もうと入ってみる。

    しかし店内で店員に止められる。

    話をよく聞くと、新年特別ライヴコンサートが店の地下であるらしくそのチケットを買わないか?と言っていました。

    それはそれで面白そうだけど、それ行っちゃうとタクシム広場のカウントダウンに参加できなくなるので断り、酒だけ飲む事にする。

    で、このパブは失敗でした。

    店内の雰囲気が悪い、ということは無かったのですがカバーチャージ料をとっているのか、値段が高い。

    ギネスビール(しかも缶だし)一本とポテトチップスでなんと24リラ!!

    冒険はすべきではないですなぁ、反省。

    何軒か飲み屋をハシゴして夜の10時を過ぎ、ボチボチとほろ酔い加減でタクシム広場へ入る。

    広場を埋め尽くすひと、ヒト、人のオンパレード!
    祭り好きは万国共通一緒です。
    観光客は何故か一人もいません。

    中央のステージからはレーザー光線が乱舞し、巨大スクリーンにはステージの
    様子が映し出されている。

    何故だか知らないけど、新年なのにメリークリスマスの飾りや垂れ幕を多く見かけます。

    トルコではクリスマスと新年をゴッチャにして祝うらしい。
    いい加減なのか、本当に知らないのか、理由は不明。

    すると何?新年になったら「ハッピーニューイヤー!」ではなく
    「メリークリスマス!」と言うのだろうか?

    トルコの謎の一つです。


    中央ステージに近づくためには柵と警官で覆われたバリケードに一ヶ所だけある狭いゲートをくぐる必要があります。

    大勢の人に押し潰されつつ、必死でゲートをくぐり、お次は警官の身体検査。
    テロなどにも気を使っているようです。

    なるべくステージに近い前のほうに行こうとしましたが、なにやら前は前で危険極まりなさそう・・・

    なんと線香花火を放り投げているんです。
    服に燃え移ったら笑い事じゃないぞ。

    一際高い普段国旗を掲げているポールによじ登っている人も。
    前は危険な人が多そうだ。

    しかし周りには女性が一人も居らず、見渡す限り男だらけ。
    この辺、トルコの微妙な問題が浮かび上がって見えてきます。

    ステージから流れてくる派手な音楽は、生演奏ではないようですな。

    DJや偉いさんの挨拶も終わり、いよいよスクリーンにカウントダウンの数字がカウントされる。

    2006の数字がスクリーンに映し出されると、広場は大歓声に包まれる。
    僕もとんがり帽子やメガネを装備しながら、傍のトルコ人グループと肩を抱き合って「ハッピーニューイヤー!」


    ステージ裏手から花火が何発も打ち上げられる。

    今年の海外旅行はどんな体験が待っているのだろう、と一人静かに花火を眺めつつ感慨にふける。

    ホステルまでの帰り道、ワインバーの「パノ」へ入ってワインを飲む。
    挨拶はもちろんハッピーニューイヤー。

    賑やかな店内は大騒ぎしている人達で混雑している。
    呼びこみがサンタの格好をしているのは、どうにも馴染めない。

    グラスワイン一杯3リラ、安いっすねー。

    明日も朝早くから観光なのに、こんなに酒飲んで
    寝るの遅くなってもいいんだろうか・・・


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  • 12月31日「ベイオールでシーフード料理」

    グランドバザールを抜けたのは北西側の出口。

    ディワン通りに戻る途中、何の変哲もない小さいジャミィを見つけ、なんとなく入る。新しい時代のジャミィは装飾などにもこだわりが無く、こざっぱりとしている。重厚で豪華な装飾の昔のジャミィより、こちらのほうが肩肘張らずに落ち着きます。

    内部にはモスリム帽を被ったおじさんが一人だけ。

    正座しているとおじさんがなにやら喋りかけてくる。
    ゴメントルコ語わからない・・・

    しかしどうやら「クリスチャン?」と僕に聞いているようだ。
    クリスチャンどころか、特に宗教信仰はしていないのですが。

    しかしとりあえず仏教といっておく事にする。

    「ブッダ」

    と言って、手を合わせて拝むフリ。(仏教という英単語を知らなかった為)

    おじさんは「ブッダか、いいね」みたいな感じで、僕の右手の甲になにやらリップクリームみたいのを塗ってくれる。

    お香みたいないい匂いのするヌルヌルのクリーム。
    なんだろう、コレは?

    昔、正教教会のお祈りに参加した際、お祈りの最後に額に油を十字に塗ってもらった事がありましたが。このクリームも宗教グッズの一種なのだろうか。

    (ちなみに今現在も匂いがとれません)


    ディワン通りに戻る頃には、日は暮れて夜になっていました。

    ここからトラムとチュネル乗り継ぎで僕のイスタンブール探勝基地、ベイオールのチルアウトホステルへ帰りました。

    ホステルは横のスペースがなく、上に向かってひたすら増築していったような感じ、まさしくデリンクユ地下都市の逆バージョン。

    僕の部屋は3階、エレベーターなんて気の聞いた物は無し。
    部屋は2段ベッド3枚の6人用ドミトリー。
    床はホコリだらけでトイレ、シャワーは一緒で当然狭い。
    見た目洋式トイレなのに、水は自分でバケツで流すトルコ式。
    温水暖房はあるので、カッパドキアみたいに凍える事はなさそう。


    安さ以外いいトコなしやね、このホステル。
    唯一の慰めはこの部屋、宿泊客が居らず僕の貸しきり状態だった事。


    チェックインを済ませ、早速夕食を食べに行く。

    旧市街の宿を選ばなかった理由のひとつにこちらベイオールのほうがおいしいレストランが多そうだった、というのがあります。

    今年最後の晩餐は魚料理に決めました。
    チチェク・パサージュ裏手のシーフードレストランの集まる魚市場へ向かう。


    しかし目星をつけていたシーフードレストランが見当たらない。
    弱ったなぁ。。。

    店の前でのお誘いは、どのレストランも非常に熱心。
    僕の調べた限りでは、どの店も大きいハズレは無いそうですので
    唯一の敵はボッタクリ。


    アメリカっぽい観光客の団体が入った店に、僕も狙いを定める。
    店の前で呼びこみを行っていた店員にメニューを見せてもらい、ここに決める。

    3階建てのレストランですが、1~2階は地元トルコ人のお客で溢れかえり
    僕や先に入った外国人観光客は総じて3階に集められ、英語が出来る店員がサービスしてくれるというシステム。

    僕が頼んだのは白ワインのハーフボトル一本、イカフライとスズキのウズガラ(塩焼き)

    赤いイボ付きの巨大ヒラメもうまそうでしたが、調理法はフライと言われました。フライ物が二品も続くと味がくどくなる気もしたので、やめる。

    さすがにシーフードレストランでのイカフライは、ロカンタで食べるのと全然違う。ニンニクマヨネーズがたまらん。

    スズキの塩焼きは、日本で見るあの巨大なスズキと違い、2~30cmほどの全長。ハラワタも綺麗に取り除かれ、塩加減がこれまた絶妙、皮もパリパリしてうまい。

    トルコの魚料理は、いたってシンプル。

    焼く、揚げる、マリネ、グラタン、、、

    素材の持ち味をフルに引き出す為なのか。
    逆の発想で、トルコ人は魚の味を知り尽
    くしているのかもしれませんな。

    どちらにしても、ヨーロッパの手の込んだ魚料理よりも
    トルコの魚料理のほうが日本人好みの味のような気がし
    ます。

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  • 12月31日「値段交渉」

    僕が入ったのはおそらくベヤズット門だろうと思われます。
    「おそらく」と書いたのは、ズバリ方向がよくわからなかった為です。

    なにせ約5000の店舗と約2000の工房、更にトイレ、ジャミィ、銀行などがある巨大複合市場なのです。

    服飾や工芸品、色とりどりの陶器ややたら甘そうなロクムなどいろんなモノが売られていて歩いているだけで楽しい。天井にはジャミィの小ドームのような装飾が施され、歴史と伝統を感じ取れます。

    地図を見る限り、出入り口は多いので迷って出られないということはなさそうですが、地図を見ていても自分が今、どこを歩いているかすらわからない。
    さながら迷路みたいです。


    迷いつつめぼしいお土産を探していましたが、どれもイマイチ欲しくない。

    オールドバザールという高級なアンティークや貴金属などを売る中心部の区画に来ると、僕の興味をひいたのが懐中時計。

    僕は腕時計が苦手でして、懐中時計派なのです。
    手首を締め上げられるような感触が嫌でして。


    古い時計を集める趣味はありませんが、一つくらいトルコ来訪記念にいい時計を買って帰るのも悪くはない。

    「これぞトルコ」みたいな懐中時計をウィンドー越しに物色する。

    そんな中で見つけた懐中時計。

    1つは文字盤にグレーの布が張られ、トルコの三日月マークが小さく入っている時計。

    もう一つはTCDDと書かれ、列車の浮き彫りが裏に施されているトルコ国鉄の時計。

    最後が細かい細工の施された蓋付きの時計。


    店主のおじさんに「見せてくれ」と交渉。

    しかしどれも動いていない。
    機械式のネジ巻きタイプか?

    許可を貰って自分で巻いてみるも、国鉄は秒針が動いたけど布張りと蓋付きは動く気配がない。
    蓋付きは秒針もないため、動いているかすらわからん。
    耳を当ててみるも、なんの音もしないぞ。

    僕「これ、動いてないじゃんよ」

    店主「大丈夫だよ、私がちゃんとメンテナンスしてるから」

    僕「中はちゃんと動いているのかい?見せてくれる?」

    蓋の裏を開けてムーブメントを見せてもらうも、布張りのほうはやっぱ動いてないぞ。

    店主は必死にネジを巻くも動く気配なし。
    キャハハ!やっぱ動いてないじゃんよ。

    「これは駄目ね、次」

    次じゃねーよ、と思いつつも、蓋付きの方は特殊な工具がないと開けられないらしい。壊れてても日本で直せばいいや、と、一応信用しておく。

    素人の僕ができる鑑定はここまででした。
    なんでも鑑定団の鑑定士軍団はスゴイと思う。

    肝心のお値段。

    リラの手持ちがほとんど無かったので、ドルにしてもらう。

    国鉄のほうは粘って交渉して100ドル。
    蓋付きはアンティークだから、ということで全然値引きしてくれない。

    ここの細工、壊れてるぞ!とか色々難癖をつけるも、頑として値引きに応じてくれない。

    僕「じゃあ、この2つで400でどうだい?」

    店主「絶対駄目!」

    頑固やなー・・・

    30分以上交渉し、トルコ国鉄と蓋付きアンティークの時計2つで450ドルで手を打つ。

    値札がない上、店主もイマイチ信用できないので正規の値段はもっと安いのかもしれませんが、アンティークなんて値段あって無いようなもの。

    交渉の駆け引きは面白かったし、自分が選んだ時計もいいお土産になりました。

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  • 12月31日「古き良き旧市街」

    観光地から外れた裏路地を進み、辿りついたクチュク・アヤソフィア・ジャミィ。絨毯屋が教えてくれた通り、内部を工事していて入れない。

    駄目元で入ってみると、お祈りしてる人がいる。
    やはり入る事は不可能らしい、残念。

    ジャミィになる前はアヤソフィアとほぼ同年代に建設された聖堂で、低くて平らなドーム一基というかなり珍しい外観です。

    内部が見れなかったのが残念ですが、取り壊しの工事などではなく
    博物館にでもして万人が気軽に見れるようになる事を節に願います。

    続いて更に細い迷路みたいな小路を教えられた通りに進み、ソクルル・パシャ・ジャミィを見学。

    ミマール・シナン作のこのジャミィ、非常に小規模なジャミィですが内部がスゴイ。ステンドグラスから差し込む光は狭い内部を隅々まで照らし、ブルーモスク以上の明るい空間を演出している。

    鍾乳石飾りの見事なミヒラーブを囲むようにして貼られた美しい装飾タイル。
    ブルーモスクの内部よりも青が眩しい。

    ソクルル・パシャ・ジャミィを出て、方位磁石を頼りにディワン通りを目指す。観光地のスルタンアフメットから外れるこの界隈は生活感溢れる落ち着いた下町っぽい。

    目指すベヤズット・ジャミィの前はスゴイ人だかりで、観光客の姿もチラホラ。頭一個分高めのドームを持つこのジャミィ、イスタンブール最古のオスマン様式のジャミィだそうです。

    夕焼け色に染まったドームが旅情に浸らせてくれます。

    「鳩のモスク」の別名ほど鳩は見かけず、内部も礼拝中ではなく人もまばら。
    外の喧騒が嘘のように静かです。

    ミンバルは細かい装飾が施されていて豪奢ですが、内部装飾はどちらかというと控えめのような気がしなくもない。

    正座して天井装飾を見上げていると、眠くなってきました。

    神聖な場所であくびなどしてしまったらバツが悪いので、10分ほどで外へ出てしまう。

    今日の観光はこれでお終い。

    の予定でしたが、せっかく近くに来たのでツーリスティックとか期待外れとか言われて観光客にはあまり評判が良くないグランドバザールを見に行く事にする。


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  • 12月31日「絨毯屋の客引き」

    ブルーモスクを出てモザイク博物館へ行こうとすると、一人の男が声を掛けてくる。

    「出口はそっちじゃないよ、こっちだよ」

    びっくりしました、いきなり日本語。

    僕「ハァ?皆あっちから出てるじゃないか??」

    男「嘘じゃない、こっちこっち」

    絨毯博物館の脇道からアラスタ・バザールへと導こうとしてくる。
    この男、客引きだ。。

    悪名高いトルコの客引きが何を喋るのか、興味津々。
    警戒しつつ話に乗ってついていく。

    客引き「このバザールは昔、馬屋だったんだよ」

    なるほど、そういえば低い建物が厩舎に見えなくもない。
    これだけ日本語喋れるんだったら、客引き辞めて10リラ
    ほどで日本語ガイドでもやればいいのにね。

    僕「さっき、いきなり日本語で話しかけてきたけどなんで?俺が日本人だとわかるの?」

    客引き「わかるよ!歩き方とかでもわかるんだ。日本人はこうやって歩く、韓国は手を後ろに組んで歩いてる」

    おぉ!なるほど、勉強になるなぁ!
    以後、自分も気をつけねば。

    客引き「例えばあそこで道の真ん中に座りこんでる2人は日本人。あそこ歩いてるのは中国人だね」

    チラ見してみると、道のど真ん中に座りこんでる女性2人組は地球の歩き方を片手に持ってました。おじさん3人組は堂々と中国語で喋っている。

    思わず客引きとハイタッチ。
    客引きと仲良くなってもビミョーに嬉しくないけど。
    このあとが恐いよぉ。


    で、お決まりの絨毯屋に連れていかれる。
    アラスタ・バザール南端に位置する絨毯屋で、紹介された
    店長はメチャ日本語が上手。


    まずエルマチャイを出される。
    一応、これは絨毯屋の慣習らしいので飲んでも大丈夫らしいが、ウーン・・・

    店長「大丈夫ですよ、睡眠薬とか入ってないから」

    釘を刺されてしまう。

    旅行計画前はそもそも、トルコで絨毯作ってる事も知らなかった僕。
    セールス部分は抜きにして、絨毯とキリムの違いや何故トルコ絨毯よりペルシャ絨毯のほうが有名なのか等、色々教えてくれるので随分と勉強になる。

    色々とお高い絨毯まで見せてくれたりしましたが、絨毯の鑑定ができない僕にとっては本物か偽物かの判別不能。

    肝心のセールスは一番安いキリムで5000円ナリ!
    多分ですけど観光客プライスでしょう。

    柄もあまり手が込んでいるようには見えないし、日本においてはウサギ小屋に近いような住居に住まざるを得ない身分の僕。

    「とてもじゃないが、いいモノ敷けるほど広い家に住んでない」

    とか言って、必死に断る。

    押し売りはしない、との事だったので拘束時間約20分ほどでようやく開放される。

    正直言いますと、結構楽しかった。
    いろんな情報も聞けましたしね。


    なんか若い日本人女性も店内にいましたが、随分現地に馴染んでいるようにも見え、観光客には見えませんでした。(あくまで僕の勘)
    ワザとらしく日本語で客引きのオヤジと喋ってたし。

    まさかプチセツコ??

    グルになって日本人を騙してる在住人じゃないと信じたいですが。


    そのままバザールから南に坂道を下り、別の絨毯屋のヒゲもっさりおじさんに捕まる。

    「絨毯を見ていかないか?」

    なんで日本人に絨毯を売るんだろう??

    多くの日本人の家は狭い、という事を誰か皆さん
    に教えてあげてほしいものですが。

    僕「ゴメンよ、時間ないんだ。これからクチュク・アヤソフィア・ジャミィとソクルル・パシャ・ジャミィに行かないと駄目なんだ」

    絨毯屋「クチュク・アヤソフィア・ジャミィ?駄目だ、あそこは今は閉まってるよ。ソクルル・パシャ・ジャミィはちょっと道が複雑だね。ああ行ってこう行って、、、」

    なんと道を教えてくれる。

    絨毯屋といえども、皆が皆悪人ではないようです。
    トルコの絨毯屋に対して抱いていた詐欺師のイメージ、なんだか少しイメージが変わった出来事でした。

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  • 12月31日「ブルーモスクの物売り」

    トルコというと、アヤ・ソフィアよりはこちらのブルーモスクの方が真っ先に思い浮かぶ人も多いと思います。僕がトルコ旅行前に知っていたイスタンブールの観光地はズバリこのブルーモスクのみでした。

    6本のミナレットが建つ灰色かかった青色のドームを持った正式名称「スルタンアフメット・ジャミィ」


    小さいドームの上に大きいドームを次々と重ねていったような本堂。
    さながら土から生えてきて天に向かってせり上がっていくような威圧感。

    内部は薄暗かったアヤ・ソフィアと違って、ステンドグラスから差し込む光に照らされた明るい内部。古い教会は総じて薄暗いですが、イスタンブールのオスマン・トルコ時代のジャミィは明るい内部が特徴のようです。

    その溢れる光に照らされたイズニックタイル。
    確かに美しいですが、名前の由来であるというほども青くはない。


    内部は、観光客が入れるのは後ろの区画のみで、ミヒラーブ、ミンバルのある前方区画には低い柵が施してあって入れない。

    柵の前まで行き、正座して天井を見上げる。

    イスタンブールのオスマン期のジャミィでは、天井のドームこそがイスラム装飾の真髄でしょう。

    ここブルーモスクでの僕の一番は中庭でも装飾タイルでもなく、天井装飾でした。イスタンブールでジャミィを見学しようと計画している方は、部屋中央まで進んで正座し天井を見上げてみる事をお勧めします。


    ブルーモスクを出て、隣接する絨毯博物館を見ようとすると物売りが寄ってくる。イスタンブールの街の図録を25リラで売りつけようとしてくる。

    エフェスで買った図録が10リラだったので、

    僕「25?駄目だね、10リラなら買ってあげるよ」

    男はノーノー!と首を横に振って20リラ、と言ってくる。

    僕「10以外駄目!」

    15リラまで下がったところで、日本語バージョンはあるか尋ねる。
    ちょっと待ってて、と男は絨毯博物館の方へ行き、日本語版を持ってくる。
    よく見ると25リラの値札シールが貼ってある。

    男は「絵葉書を2冊付けて20リラでどうだ?」

    と、こうくる。

    こんなチンケな絵葉書の束が一束2.5リラもするはずないじゃん。
    近くにいた別の子供も「ベリーチープ!」とヨイショ。

    恐るべし詐欺師ネットワーク。

    結局買わず、絨毯博物館へ行くと同じガイドブックが15リラで売られていました。一応元値までは値段を下げられたようですが、どうやら物売りとこの博物館が結託している可能性もあり。(値札貼替え)

    絨毯博物館に展示されている絨毯はいわゆるアンティークというものらしいですが、なんだかそこらへんのジャミィに敷かれていた物を引き剥がしてきたような痛みの激しい絨毯が多い。

    こういった絨毯は使いこまれていて古いほうが味があるといいますが・・・

    どうやら本当にジャミィに敷いてあった絨毯なども展示しているようです。照明が暗い為か、あまり色鮮やかにも見えませんでしたが。


    絨毯博物館を出ると、物売り第2弾。今度はトルコ帽。

    スパイスバザールでは一つ3リラで買いましたが、この野郎、1つ8リラという暴利で売っていました。これも定価まで下がるのか交渉に挑戦してみましたが、「3つで20リラでいいよ」 売れば売るほどこいつが得をし、こちらは損をしていく悪魔のささやき。

    こいつら2度と喋れないよう、舌抜いてやりたい!と本気で思いました。
    人を騙してのうのうと暮らしていけるなんて、ここトルコは少々
    異常な国のような気がする。


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  • 12月31日「奇跡の建造物」

    スルタンアフメット広場から眺めるアヤソフィア。

    ビザンツ建築の最高傑作であり、倒壊と再建を繰りかえしつつ1500年もの長きに渡り、ここに建っている。

    初めは木製のバジリカだったらしいですが、焼失後にテオドシウス2世によって再建、しかしそれもニカの乱によって焼失。ユスティニアヌス帝によって今の聖堂が完成したそうです。

    イスタンブールがキリスト教のビザンツ帝国からイスラム教のオスマン・トルコへと支配者が変わってきた歴史の変遷を考えると、今の今までここに現存している事自体が奇跡に思える。

    オスマン・トルコの建築家、ミマール・シナンは、アヤソフィアを引き合いに出し、

    「西洋の建築家は我々トルコの建築家より自分達のほうが技術が上だ、と言い張る。 それは我々がアヤ・ソフィアのような建築物を造ってこなかったからだ」

    と、言ったそうです。

    唯一絶対の神、アラーを信仰するイスラム教の国にとって、アヤ・ソフィアは
    異教の神を祭るとんでもない建築物という見方もできます。

    宗教は関係なくその建築の凄さを認め、アヤ・ソフィアを越える建築物を造ろうとしたミマール・シナン、彼は並の天才ではなかったと思う。

    4本のミナレットを両手で隠して本堂を遠望してみましたが、やはりどうもキリスト教の聖堂には見えない。
    イスタンブールのジャミィはアヤ・ソフィアを手本にして建てた、という話もありますからよく似たドームを持ったジャミィがゴロゴロしてる、というのもイマイチ教会に見えない理由でしょうか。


    アヤ・ソフィアが1500年の時を経て今の時代においても建っているのは、キリスト教徒の信仰心とたゆまぬ修復だけでなく、後の統治者トルコの人々のアヤ・ソフィアに対する畏敬の念もあったのでしょう。


    今回の旅行の最大の目的はビザンツ美術。
    ここアヤ・ソフィアは僕のトルコ旅行のハイライトを飾るにふさわしい所です。


    聖堂の西にはテオドシウス帝時代の聖堂の遺構が残されています。

    うっすらと光が差し込む拝廊に入るとビザンツ時代ののモザイクとモスク時代の装飾が入り混じっている今では考えられない世界観。

    大ドームのある内陣へ入り、大ドームを見上げる。

    あまりの光景に思わず口を開いたまま、ひたすら感嘆。

    圧倒的な高さにある中央の巨大ドーム、それを支える副ドームがまるで巨大ドームから波紋のように広がっていくような、不思議な空間。

    空中に放り出されたような錯覚を覚える。


    細かい装飾が施されたミヒラーブ、ミンバルの上を見上げるとそこに存在する聖母子の黄金のモザイク。

    ここは2つの宗教の混沌のような空間です。

    2階へ上がるスロープの手前、湿った柱。
    そこに張られた銅版の穴に親指を入れ、手をつけたまま一周回せれば願いが叶うとか。
    挑戦し見事に成功、願いはヒミツ。


    スロープを登って2階へ向かう。
    これが階段よりも足腰に効いてきます。

    なんで階段とちゃうねん?
    ユスティニアヌス帝が現在の第3アヤ・ソフィアを建築した際、献堂式において戦車で入堂したそうですので、階段じゃないらしいです。

    2階に上がり、わずかに残る美しいモザイクが素晴らしい。
    思わず全身が震えます。

    この感動が今回のトルコ旅行において最も求めていたものです。
    ロシアでのイコンの感動が再び味わえました。

    かつては聖堂全体が黄金のモザイクで埋め尽くされていたのでしょう。
    それを考えると残っているのがこれだけだと残念と思う。

    でもビザンツ時代の聖像破壊運動でもモザイクはかなりの被害を被ったそうで、イスラム教徒が一方的に悪い、という訳ではないようです。


    しかし、さっきからなんか感覚がおかしい。
    なんだか目の錯覚のような、空間が歪んで見えるような。

    欧米の観光ツアーのガイドが床を指差してなにか喋っている。
    なんだろう?と、注意深く床を見てみると床の中央から窪んでいる。よーく見ると周りの円柱もそれぞれ真っ直ぐ立っていない様にも見えます。

    アヤ・ソフィアは歴史上、何度かの崩落を経験している。
    やはりこの建築工法自体に無理があるのだろうか?

    だとすれば、中央ドームに掛けられたあの見苦しい梁は修復の為ではなく、建物を支えるための梁かも。


    この素晴らしい聖堂の図録を是非、購入したかったのですが
    売店は閉まっている。
    トプカプにしてもカーリエ博物館にしても、今回訪れたあらゆる博物館の売店は、そのほとんどが閉まっていました。

    オフシーズンの落とし穴。
    この時期しか旅行にいけないのだから、仕方ないですが。

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  • 12月31日「アナトリア5000年史の殿堂」

    トプカプ宮殿を出る頃には昼の12時半、腹減ったー。

    しかし考古学博物館を先に見ておかないと、食事してまた舞い戻ってくるのがツライ。そんなわけで考古学博物館へ行こうとするも、宮殿の出入り口からどう行ったらいいのかわからん。

    道を歩いていた衛兵を捕まえて道を尋ね、考古学博物館に辿りつく。
    こちらの入場料はトプカプ宮殿と比べて5リラと、なぜか安い。
    観光客には人気がないのだろうか?

    今日は考古学博物館本館と別館の古代オリエント部門、タイル博物館が見学可能。タイル博物館が開いていたのは嬉しかったです。宗教とは無関係のトルコ建築ではイスタンブール最古の建物で、500年くらい昔に建てられた由緒正しい博物館です。

    入り口をビッシリと飾るタイルからすでに飲まれてしまう。内部は綺麗にリフォームされ、500年という歳月はほぼ感じられませんが、展示されているチャナッカレ、イズニックの見事な装飾タイルを見ることができます。


    続いて古代オリエント博物館。

    ヒッタイト、バビロニアなどの遺跡の発掘品の展示です。

    特にヒッタイトの彫像は他の地域の発掘品と比べると相当個性的に見えました。例えばライオンの彫像など、どちらかというと日本の狛犬に近い造形で、ユーモラスなモチーフが多く見られてヘタな近代造形美術よりも遥かに面白い。

    有名どころではヒッタイト対エジプトのカデシュの平和条約
    の碑文があります。 学校の歴史の時間に習ったなぁ・・・
    思っていたのよりも全然小さいのでビックリしました。

    オリジナルではなく、後の時代の模造品らしいですけど。


    考古学博物館本館ではアナトリア5000年の歴史が育んだ工芸品を収蔵、展示しています。

    オスマン・ハムディ・ベイという人が収集したコレクションと、共和国制トルコが収集した発掘品が主な展示です。

    同じ歴史の遺産でもトプカプの宝物のような目眩するほどの豪奢さは考古学にはありませんが、僕にはこちらの方が性に合ってるような気もする。

    内部はボリュームは物足りないと感じましたが、コテコテの考古学一辺倒ではなくトロイの木馬の模型なんかもあり、ギリシャとローマ時代の彫刻群など、展示の幅は広い。
    歴史に興味がなくても楽しめるかもしれません。

    タブ二トの石棺はどこからどう見てもエジプトの石棺なのですが、発見されたのはレバノンのシドン。この技術はエジプトとのつながりがあったのでしょうけど、ミイラ作りの技術までは盗めなかったよう。
    ミイラというよりほぼガイコツ、わずかに頭髪が残っている。


    そのさらに奥に展示されているのが細密な彫刻が施されているシドンの石棺。

    ギリシャ時代の彫刻で、ほぼ完璧な状態で残っている非常に稀な発掘品。
    ギリシャの彫刻を模造したローマ時代の彫刻は僕も何度か見てきましたが、
    ここまで状態のいいギリシャ彫刻を見たのはおそらく初めてでしょうか。
    (ミロのビーナスに悪いかな?)

    特にアレキサンダーの石棺は目が釘付け状態に陥る事、間違いありません。
    石を深く彫りこんで彫られたマケドニアとペルシャの戦闘シーンは、まるで今、目の前で動いているかのような躍動が見られます。

    今まで見てきた彫刻の価値が霞んで見えてくる位、レベルが桁違い。
    一部に彩色が残っているのがポイント。


    いやぁ、いい目の保養をさせてもらいました。

    オスマン・トルコの至宝から人類5000年の叡智まで一度に見る事ができて満足しました。

    スルタンアフメット広場まで戻り、有名なラールレストランで食事。

    さすが元バックパッカー御用達のレストラン、店員は英語も堪能で観光客の扱いには馴れている様子。2時過ぎという遅めの昼食タイムにもかかわらず、観光客で店内はほぼ満席状態。

    ここはお盆を持ってウィンドーの向こうの好きな料理を伝えるだけでお皿に盛ってくれます。

    茄子のケバブとドルマ3つ、瓶ビールでなんと28リラ!
    さすが観光客専門レストラン、使い勝手はいいし
    味もいいけどメチャ高いじゃん。

    これより先、イスタンブールの物価の高さを幾度か身をもって思い知
    る事になります。

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  • 12月31日「オスマン・トルコの至宝」

    スルタンアフメット広場はイスタンブール屈指の観光名所が集まっていながら、その悪名高さでも超有名。

    物売り、客引きなんでもござれ。

    子供に「どこに行くのか?」と英語で声を掛けられ、「トプカプ宮殿」と答える。ウッカリついていくとスルタンアフメットのタクシー乗り場に連れて行かれる。

    自分は騙されんぞ!! と思っておられる方も要注意。

    僕もトルコ旅行前の事前調査において、セツコやオルハンなどの有名人
    の極悪手法について調べ、トルコ到着後から神経質なくらいトルコ人を
    疑っていました。

    しかし旅行中はやたら親切なトルコ人に幾度も助けてもらい、疑いの心を忘れてしまっていました。

    今回もウッカリ子供の誘いに乗ってしまうところだった。
    やはり気が抜けているのか?
    ここはスルタンアフメットだ、周りはどこの国の人間だろうと全て敵だ、もっと疑え、ここでは誰も信じるな、よし!

    気合を入れなおし、トプカプ宮殿に向かう。
    本格的なイスタンブール観光の前に、まず基本は抑えておかねば。

    アヤ・ソフィア脇のカフェリイェ通りの坂道を登り、石畳の敷かれた静かなソウクチェシメ通りの小路に入ると、オスマン様式のカラフルでお洒落な民家が建ち並んでいます。観光客でごったがえしているスルタンアフメットの裏手とはとても思えない。
    スペインのソフィア女王がオーナーという家もあります。
    これといって他の住宅と特に違いはなかったですが。


    トプカプ宮殿南門から入り、しばらく進むとアヤ・イリニ教会。
    常時公開している教会ではないので、当然閉まってる。窓から内部が見えないか、と頑張ってみましたが悲しいかな曇りガラス。

    観光客が大勢並んでいるチケット売り場で宮殿への入場チケットを購入。
    入り口は荷物、ボディチェックがあるため行列。

    入場後、まずハーレムを見る。
    江戸時代の日本でいう所の大奥ですな。
    トルコと日本の意外な共通点見っけ。

    チケットは別で10リラ。

    ツアー形式と聞いていたけど、自由に見学していいようだ。
    あまりモタモタ見てると係員に追いたてられますが。

    内部は薄暗くて湿っぽい。
    鮮やかなタイルや絨毯、豪華な大理石の風呂等の陽の部分の他に
    権力争いに破れた皇太子の幽閉部屋のような恐ろしい部屋もある。

    とりあえず時間がないので、ツボだけ抑えて早々に宮殿見学を切り上げねば。

    続いて第3庭園の謁見の間を見物後、スルタンの肖像画の間へ。
    オスマン・トルコはイスラム国家だった筈なのにスルタンの絵だけは書いてもいいのか? ずるいぞ、反則だ。

    トプカプ宮殿最大の見せ場はズバリ聖遺物の間でしょう。


    預言者ムハンマドの剣とマント、弓だけでなく足跡、毛髪などのキリスト教の世界である十字架の破片とかイバラのトゲみたいなホントの聖遺物。

    それらだけでも凄いのにアブ・バクル、ウマル、ウスマーン、アリーの正統カリフの剣まで揃って展示されているというのは驚きに値する。

    強大な権力を誇ったオスマン・トルコの至宝。
    生でコーランを歌い上げる聖遺物の間で見る人類の宝。
    これに匹敵するような宝はそうそう見るチャンスはあるまい。


    コンヤル・レストランの近くでアジア側市街地のの展望を眺めた後、今度は聖遺物ではない本当の宝物庫へ行ってみる。

    しかし係員にチケットを求められる。チケット売り場なんて見当たらない。

    「どこでチケットを買うのか?」

    と尋ねると、ハーレムのチケット売り場まで戻るよう言われる。
    またあそこまで戻れと? つーかなんてわかりにくいシステムなんだ。
    宮殿入場料にハーレム、トレーサリーと入場料が合計32リラもする。
    同じ値段ならせめて共通券にしてくれればいいのに。


    宝物庫内部は精巧な各種宝飾工芸品がズラリ。

    細工もハイレベルですが、使用されている金や宝石の量が多くて眩しさに思わず立ちくらみが。 

    世界4位の大きさを誇るスプーン屋のダイヤモンドと、手の込んだ細工のトプカプの短剣は必見。


    世界一位のダイヤはオルロフだとかコーイ・ヌールだとかアフリカの星だとか
    いろんな世界一を耳にしましたが、スプーン屋のダイヤは自ら世界4位と名乗っているのは偉い。


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  • 12月31日「リュステムパシャ・ジャミィ」

    朝のエミノニュに僕はいる。

    イェニ・ジャミィを見学後、アンカラ駅で昨夜ビールのあてに購入した炒り豆をジャミィ前の鳩にバラまきつつ、なぜかボーッと物思いにふけっていました。

    ここイスタンブールが今回の旅の最大の目的地であり、終着点でもある。
    全力疾走でトルコ旅行してきましたが、最後にに気が抜けてしまったのか。

    そんな僕のまったりタイムをかき消してくれたのは腹の虫。
    朝食を食べねば・・・

    すぐ近くのスパイスバザールへ行ってみる。
    しかしその名の通りスパイスのいい香りはそこら中から漂ってくるものの、
    朝食になりそうなものは売っていない。

    ここは観光地らしく恒例の声掛け(買って買って攻撃)がちょくちょくありますが、値段は以外や以外、良心的に思います。

    一つ3リラのトルコ帽をお土産に3つ購入。


    スパイスの匂い吸ってたら、カレーが食べたくなってきた。余計にお腹がすいてきた。しかしトルコ料理ってスパイスを使う料理なのか?
    そんな料理、食べた記憶がないですが。


    バザールの建物の南出入り口から外に出ると、こちらも露店がビッシリ。
    服飾関係やチャイセット、ナザールボンジュウ等、売り物も様々。
    巨大なトルコ白チーズを切り分けて売っているお店も。(うまそうですねぇ)

    露店の並ぶ狭い路地をひたすら進むと、観光の目的地の一つ、リュステムパシャ・ジャミィに着いてしまう。ちょうどスープ朝食を食べれそうな店も入り口の前に。

    さて観光が先か、朝食が先か・・・

    ここで観光を選ぶ。


    ジャミィは礼拝中でなければ見学は自由。もし僕が「オレはモスリムだ」だと言い張れば礼拝中でも入れるのだろうか。

    まず入って内部の青さに驚く。

    青の原因であるタイルをマジマジと見てみるといくつかの種類の花柄タイルもありますが、基本は鮮やかな青を基調としたモザイクタイル。

    この青が特徴のイズニックタイル、現在では技術も失われ、再現は不可能らしい。現代技術を持ってしても同じ物は作れない、という所が凄い。

    その貴重なタイルが鍾乳石飾りの見事なミフラーブをもビッシリと覆っている。小さいながらも見応え充分のジャミィです。


    外に出て地元の人に混じってスープとパンの朝食。

    今回の旅行中に朝食で出されたスープは、全部同じ酸味のある雑穀スープでした。おいしいけど、今度トルコに来たら別のスープも是非飲んでみよう。


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  • 12月31日「ミナレットの林立する世界へ」

    朝7時15分、列車は雨のぱらつくイスタンブール、ハイダルパシャ駅へ到着。駅構内は暗く、切符売り場のみが営業してました。

    同部屋のお兄さんが「ベイオールに泊まるんだろ?行き方わかるかい?」

    僕「大丈夫、テシェッキュル!」

    わかんない、と言ったら案内してくれたんだろうか??


    列車を降りたお客のほとんどは駅前のフェリー乗り場へゾロゾロ流れていく。
    僕も一緒について行く。

    フェリーのチケット売り場でカラキョイに行くかどうかを尋ねる。
    行く、との事だったので乗りこむ。

    雨風の差し込むフェリー席は寒かったですが、これはプチボスフォラスクルーズだ。旧市街のトプカプ宮殿の城壁やブルーモスクなどが見える。

    フェリーはそのまま新市街のカラキョイではなく、エミノニュに入ってしまう。お客もここで全員降りていく。カラキョイには行かないのか?

    おいおいどういうことだよ、話が違うじゃん。
    とりあえず僕もフェリーを降りる。

    旧市街に泊まる予定はなかったので、小高い丘に建つガラタ塔の見える新市街に向けて金角湾に架かるガラタ橋を徒歩で渡る。

    橋の下層はシーフードレストランになっているようで、店の表で鯖を焼く準備をしていました。

    橋の上は朝っぱらから釣りをしている人が多く、イワシの他にボラみたいな魚も釣れていました。

    橋の中ほどで振り返り旧市街を眺めると、そこはまさしくジャミィの大小様々なミナレットが巨大ドームと共に地上から生えているような光景が広がります。

    曇り空でしたが、朝モヤがうっすらとかかったミナレットの林立する旧市街の眺めは、どことなく神の街に見えてくる。

    一際高い丘の頂きに建つスレイマニエ・ジャミィは一際目立って建っており、イスタンブールの象徴だけではなく、壮麗王と呼ばれた偉大なスルタンを象徴しているかのようです。

    新市街側の橋付近の地下道を通ってチュネル乗り場へ行き、ジェトンを購入して乗りこみイスティクラ-ル通りの出発点、チュネル広場へ。


    新市街のホテルは総じて旧市街に比べて値段が張ることで有名。
    安宿も裏路地にはあるようですが、ガイドブックにはなんか売
    春宿とかロクな事書かれていない。

    冒険はやめてガイドブックに載っている手頃な値段の宿に目星をつける。
    ここから一番近いのはサイダム・ホテル。

    しかし住所は間違いないハズなのに、ホテルの名前が違う。
    オーナーチェンジしたのかな?それはそれでヤバそうな・・・

    ガイドブックを何度も確認しながらウロウロしていると、若い男性が流暢な英語で、

    「チルアウト・ホステルを探しているのかい?」

    と聞いてくる。

    は?なんですと?


    男性が指差す紫色の看板は「ホステルカフェ」と書かれていますが、よ~く見ると「チルアウト・ホステル」とある。

    なんてわかりにくい看板なんだ。

    そんな事よりロンリープラネットによる記載ではここはサイダム・ホテルなのに、おそらく逆になってるのでしょうか。

    ロンリープラネット、しっかりせい!


    なにはともあれ、ホステルでも構わない。
    てか、ホテルより安い分願ったり叶ったりです。
    早速チェックイン手続き。

    「まだ部屋で2人寝てるけど、どうする?君も寝るかい?」

    起こしてしまうかもしれないのも嫌だったし、イスタンブールに来て寝るなんて冗談じゃない。

    「いや、今すぐ観光に行きたいんですよね。チェックインはPM5時以降でお願いします」


    バックパックを預かってもらい、今回のトルコ旅行の最大の目的地があるイスタンブール旧市街観光へ繰り出しました。

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  • 12月30日「アナドル・エキスプレス」

    地下鉄クズライ駅地下ショッピングセンターにあるパスターネでトルコプリンを食べてみる。日本で言うプリンと違い、カスタードクリームのプリンでしたが、ヒゲもっさりのおじさんも堂々とプリンを食べてる光景は、差別と取られるかもしれませんが正直異様な光景でした。
    プリンは予想通りメチャ甘でしたが、疲れた体を癒してくれました。


    アンカラ最後の晩餐はクズライ、ツナ通りのシーフードロカンタでのシーフード料理。
    酒が飲めそうな高級っぽいシーフードレストランもありましたが、どうせイスタンブールで贅沢するのだ、安くてうまいロカンタを味わおう。

    ハムシタワ(イワシフライ)とカラマルタワ(イカフライ)、ミディエドルマ(ムール貝のピラフ詰め)2つで9リラ。

    お腹も落ち着き、喉が乾く。
    ビール、と行きたい所ですが、いくら外でビールを売っていても
    外で飲むのはさすがにはばかられる。

    別のロカンタではムール貝の串揚げ、ミディエ・タワを揚げている。
    うまそうだな・・・

    さっき夕食を食べたばかりなのに、おいしそうな
    揚げ音につられてフラフラと・・・


    コックは僕を見るなり、「日本人だろ?テコンドーを知っているのか?」

    僕「テコンドーは韓国だゾ。日本はジュ-ドー、カラテだ」

    ポーズを取るとコック連中大ウケ。


    ミディエ・タワとコーラでもはや満腹。

    チャイハネでオレンジチャイを飲んで食後の一服。
    タバコが堂々と吸える喜び。
    近年はヨーロッパでもなかなか吸えなくなってきてますからなぁ。



    オトガルにバックパックを取りに行き、アンカラ鉄道駅で夜行列車の到着を待つ。意外な事に日本人旅行者が多い。アンカラにはこんなに日本人がいたのか。

    1番ホームに入ってきたのは走るホテル「アンカラ・エキスプレス」

    僕の乗る「アナドル・エキスプレス」は隣りのプラットホーム。
    乗りこむ前に駅の売店で缶ビールとおつまみの豆を購入。
    寝台部屋の外で飲めば構わないだろうと考えつつ。


    「アナドル・エキスプレス」は1車両のみが寝台車両、後は全部座席車両。
    寝台部屋の僕以外のお客は3人ともトルコ人。

    3人とちょっとした雑談を交わす。


    この列車、トイレが寝台車両のしか使えませんでした。何故だろう?

    列車は予定通り、22時きっかりに出発。
    寝る前にビールを飲もうと、寒い通路に出て飲み始めると、速攻でお客にチクられ、車掌に止められる。

    せっかく気を使って外に出たのに、車内は酒も飲めないのか。
    だったら何故に駅で酒売ってたんだろう?

    トイレで隠れて飲んでやろうか、とも考えましたが、車掌が見張っていたので泣く泣くトイレに飲ます羽目に。

    まだ2口しか飲んでないのに・・・おとなしく寝てよう。
    今日の無念はイスタンブールで飲みまくって晴らしてやろう。

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  • 12月30日「トルコの現代美術と近代史」

    ポラットルのオトガル2階にあるバスチケット売り場。ここに来た時と同じバイサル・トゥリズムのカウンターへ行き、アンカラまでのチケットを購入。

    チケットに書かれている[SAATI](出発時刻)を見ると5分後に出発。
    チャイを飲んでノンビリする余裕さえない。

    アンカラのアシュティ・オトガルから地下鉄乗り継ぎでウルス地区まで出てくる。時刻は午後3時、もう少し観光ができます。

    しかしその前に、靴がえげつない状態に陥っていました。
    長い旅路からゴルディオンのドロンコ遺跡観光にいたるまでで
    見るも無惨な汚れっぷり。

    これからイスタンブールに行って、ちょっと高級なレストランにも挑戦する予定だというのに、こんな靴で入店したら人格を疑われそう。

    オペラ広場前にいた靴磨きのおじいさんに靴を磨いてもらう事にする。
    海外においてわざわざ歩きにくくてお高い革靴を履いているのは見栄えの為だけでなく、どんなに汚れてもこうやって靴磨きによって綺麗になるというメリットがあります。

    事前交渉により靴磨きは2リラ。
    汚れを落として靴墨を塗ってもらって靴が見事に蘇った。


    2リラで気分も晴れやかになり、歩いて絵画博物館へ向かう。
    民俗学博物館に付属している絵画館ですが、民族博物館の方は閉まってました。

    トルコはどんな絵画を書くのか興味津々でしたが、展示されていた絵画やオブジェは思いっきり現代アート。
    建物北側の地下、1階、そして正面入り口から入る展示室がありますがいずれも無料。見学者は少なかったですが、全員トルコ人でした。

    入場料タダの割に展示作品も多く、どことなくユニークな表現で現わされた現代トルコ美術を堪能する事ができます。
    イスラムでは絶対タブーのはずの女性のヌードなどもアートとして描かれている作品もチラホラ。

    原理主義の過激派が見たらテロの標的にされるかも。


    絵画館を出てウルスに戻り、独立戦争記念博物館を見学。

    2リラの入場券を買い、中に入ると左側が展示室、右側に裁判所のような議会場がありますが、展示品はアタチュルクさん愛用の銃や当時私用されていた古い電話などの歴史を知らない僕にとってはアンティークと呼べるようなもの、当時の政治関連の写真などが展示されています。

    通路には大きい油彩も飾られ、木造の内装ももなかなか渋くて味があります。

    メインの議会場は「共和国大国民会議」と、大層な名前の大会が行われた割には小さい議場です。

    アタチュルクさんなどがどの席に座っていたかの説明もあります。

    見学を終えた時には午後4時半。すぐ近くの共和国博物館へ行ってみましたが、建物に入るとなぜか外の歩道から管理人らしい人がこちらに走ってきて
    「クローズ」のポーズ。


    これで僕のアンカラ観光はおしまい。

    すぐ近くの屋台で丸ごとみかんを絞っているジュース屋さんを発見。
    既に絞ったジュースが詰められていたペットボトルが沢山あったのに
    僕の目の前でみかんを5個絞ってペットボトルに詰めてくれました。

    これで1リラ、すごくおいしかったし安いと思う。

    アンカラって、時期的なものだからか有名観光地ではないからか、最後まで客引きなどの口先の悪魔達に会うことは1度もありませんでした。

    優しい人が多く、観光地としても見るべきものは多くありましたし、乗り継ぎ地として素通りしてしまうのは惜しい街だと思います。


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  • 12月30日「ゴルディオン」

    人っ子一人見かけないヤッスホユック村入り口にあるゴルディオン博物館。
    ポラットルは晴れていましたが、この村は霧がかかっていて怪しい曇り空。

    博物館前に停まるタクシー、運転手に連れられて博物館の事務所の前まで行く。運転手が何やら事務所に向かって呼びかけると中から数人ゾロゾロと出てくる。スタッフだろうか?


    5リラの入場料を払いスタッフについて行くと、博物館の鍵を開けてくれる。
    しかし寂しい博物館です。観光客が僕一人しかいないのですから。

    スタッフが博物館内の電気をつけてくれるも、暖房がついていないため寒い。
    誰も観光に来なかったら、ずっと鍵閉めたままだったんでしょうな。よっぽど普段観光客がこないのだろうか?

    館内はフリギア遺跡の出土品、及びミダス王の墓から出土したと思われる副葬品(以外と地味)や3人分の遺骸が展示されています。

    展示されている出土品の質はアナトリア文明博物館にもひけを取りません。
    2部屋ほどの小規模な博物館ですが、ユニークなモチーフで形作られた人形や生活道具は見ていると面白い。

    博物館見学が終え、敷地内のモザイクタイルで飾られた床を見学。
    モザイクとはいえ偶像を描いたものではなく、幾何学模様です。
    修復が完璧だからでしょうか、非常に良く残っています。


    奥にアンカラのローマ浴場跡で見たビザンツ時代の墓室とほぼ同じ形の墓室を発見。こちらには壁画らしいものは残っていないようでしたが。


    博物館と敷地内の見学を終えると、今度は博物館の向かいにある巨大な丘の内部に向かって掘られた通路へ案内され、入り口の鍵を開けてくれる。

    ここは伝説に名高いミダス王の墓とされる墳墓です。

    そういえばポラットルからここに来る途中、こんな人工と思われる丘をいくつも見かけました。アレは全部王族の墓なのか、全部発掘調査したらいいのに。

    トンネル状になった1本道の地下通路を歩いて、墓室を目指す。
    隙間なく敷き詰められた石の通路は現代になって整備したものだろうか?
    フリギア時代の通路そのままだとしたら、相当高度な文明を持っていたのだろう。などと考えつつ、墓室へ辿りつく。

    一時、呆然と見とれてしまう。

    メチャクチャ不思議な空間。

    石造りの広い墓室のスペースの殆どを占める組み上げられた丸太。
    組み上げたと言うよりは、積み上げたようにしか見えない。

    ロープなどで縛ってあるわけでもなく、釘を使っているわけでもないのに角材に加工もされていないただの丸太が見事に組みあがっている。

    こんなの今まで見た事ないぞ。

    おそらくホゾでも使って組んでいるのでしょうが、何か宇宙的な神秘を感じさせる部屋でした。

    組み上げられた丸太の中は綺麗に真っ直ぐ刳り抜かれ、四角の部屋に加工されている。
    今、この丸太の周りはワイヤーや鉄棒で固定されまくっていますが、老朽化対策かそれともやはり長い時間耐えられない無理な工法だったのか?


    墳墓見学を終えるとタクシーに戻り、ゴルディオン観光のハイライトである遺跡へ走る。
    村の中央部の小高い丘陵にあり、博物館からタクシーで3分ほど。

    丘の真ん中を掘り下げたような遺跡。
    なんだか街を埋めたてて丘にしてしまったような遺跡です。

    鉄条網が張ってあるので遺跡に降りる事は不可能ですが、丘の真ん中しか掘り下げていないので遺跡の周りをグルリと回りつつ見下ろして見学できます。

    ただ、連日雨か雪が降っていたせいでしょうか。地面の粘土質の泥がヌルヌルすべって危険な状態。(こけたらアウト!)靴がドロンコになりながらも遺跡を一周して見て周りました。

    遺跡は城門跡、住居跡等の石組みがよく残っていますが、思ったより広範囲の遺跡で、一周するのに15分もかかってしまいました。

    粘土状の泥で危険状態の丘の斜面を慎重に降り、タクシーまで戻る。
    タクシーに乗りこむ前に、せめて靴についた泥だけは落とせるだけ
    落としておかねば。

    ゴルディオン観光を終え、ポラットルのオトガルへ戻った時間が昼の12時15分。

    ゴルディオンまでの往復タクシー料金はなんと95リラ!!
    痛い、痛すぎる出費になりました。

    総括として、ゴルディオン観光は歴史や遺跡が楽しめる人、もしくは遺跡大好きな方以外は、アンカラから約100リラかけて行く程の価値はないかも。

    僕はミダス王の墓の丸太など、興味深いものが見れたのでとりあえず満足でした。

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  • 12月30日「アンカラからのエクスカーション」

    朝7時、プチ2日酔い状態で目覚めは最悪。

    朝食のオレンジジュースを飲みまくって胃を落ち着かせる。
    昨晩は結局、何時まで付き合ったんだろう?

    バーにロカンタがアダナ・キョフテを売りに来て、ビールだけでなくそれまでゴチになって、辛くてうまかったからついついビールが進んで。。。

    そんなくだらんことより、本日の予定。

    実はこの時、何も予定を決めてなかったんですよね。アンカラは元々1泊だけの予定でしたし、ホテルをチェックアウトした後、夜行列車に乗車するまでの1日の予定が白紙状態。


    本当はサフランボルかハットウシャに行きたかったのですが、アクセスに時間がかかりすぎるし、特にサフランボルみたいな所ではノンビリと観光したい。

    今日1日では無理と判断。

    そこでゴルディオンの遺跡を見に行く事にしました。
    この遺跡はアンカラから1時間ほどのポラットルという街からのアクセスになるそうですが、マイナーなフリギアの遺跡はメジャーなヒッタイト遺跡よりも面白い発見がありそう。


    ホテルをチェックアウトし、まずアンカラ鉄道駅へ向かう。
    駅に荷物を預ければ、夜行列車出発直前まで遊べるので。

    しかし駅にはエマネトが存在しない模様。
    親切な人が助けてくれて、果ては床屋にまで荷物を預かってくれるよう交渉してくれましたが、駄目でした。

    最後に「オトガルに荷物を預けるといい」と教えてくれたので、お礼を言って別れた後、アシュティ・オトガルへ向かう。

    オトガルのエマネトは、すんなり預かってくれる。
    ちょうど良かったかも、このままバスでポラットルまで行けます。

    バス会社は「バイサル・トゥリズム」
    ポラットルまでは1.50リラ、発車時間が3分後。

    慌しく出発、チャイを飲むヒマもない。

    バスも1時間くらいの旅程だからか、チャイやコロンヤなどの車内サービスが1回もない。


    道すがら、凄まじい濃霧に包まれてバスが減速する一場面もありましたが、朝10時過ぎにポラットルのオトガルに到着。

    アシュティ・オトガルに比べれば遥かに小さいオトガルですが、地方都市らしくこじんまりしていて、こういうオトガルの方が雰囲気がいいです。


    隣りの席の人が教えてくれたのですが、
    「ゴルディオンならセルヴィスが×××」
    うまく聞き取れませんでしたが、セルヴィスに乗れ、ということか?

    で、例によってスシズメ時状態のセルヴィスにお客を案内していた世話係に聞いてみる。

    「ゴルディオン?このセルヴィスは市内を周るだけだ。タクシー」

    タクシーを指差す。


    群がり寄って来るタクシー運転手。

    ロンプラによると、ゴルディオン遺跡のあるヤッスホユック村までは交渉次第で12~15ドルとある。

    しかしタクシー運転手はトルコ語しかできず、しかも料金交渉に全く応じない。「メーテレ、メーテレ」と繰り返し言っている。

    どうやら「メーターで走る」と言っているみたい。
    大体いくらくらいかかるんだ?と聞いても、全く意味が通じてない。

    しょうがないのでタクシーに乗りこむ。

    しばらく乗っていると、メーターに細工がしてあるのかそれともこれで普通なのかは知りませんが、約五秒置きに20クルシュずつ料金が上がっていく。

    見る見るうちに料金は跳ね上がり、とっても不安。


    霧の立ちこめる道路を走りぬけると、特に何もない平野だった周りが丘のような小山がいくつも並ぶ異様な光景に変わり、ヤッスホユッ久村のゴルディオン博物館に到着。

    お客も村人も1人も見かけない。

    ホントに開いてるのかな~??


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  • 12月29日「アンカラの夜」

    クズライ、ツナ通りに入るといい匂いのする花屋の屋台が軒を連ねています。
    屋台を抜けるとシーフード専門のセルフサービスロカンタが多くあります。


    更に通りを進み、バユンドル小路に僕の目的地があります。
    この通りはおおっぴらにビールが飲めるバーが立ち並ぶ飲み屋街。

    こういう所では店選びに慎重になります。

    やはり暴力バーなどがあるかもしれないし、ボッタクリではなくても
    チャージ料がビール数杯分より高くついたりなど色々な可能性が考え
    られますので。

    店の外にメニューを貼り出しているところは料金を確認。
    なるべく店内の様子が外から見えて、高級な客層が入っていないところ。

    そういう僕の希望を、なんとか満たしていたのがバユンドル小路の端っこにあるバー「チャーリーズ」

    店内には競馬(トルコの?)の写真パネルが飾りまくられ、客層も地元のおじさんたちが多い。ビールの値段も安く、飲むだけなら合格点のバーです。

    そう、飲むだけなら。

    バーにはつまみらしいものが一切無いんです。
    トルコ人は酒のあてを必要としないのだろうか?

    周りを見ると、さっき露店で売っていた袋いりの豆やカボチャの種みたいのを食べている。

    あっ?クソー!その手があったか。

    仕方なくつまみ無しでエフェスビール大ジョッキを数杯空けていく。

    しばらくすると店も混んできて、僕の隣りの席に座ったおじさん2人。
    ツンツンと僕の方をつつく。

    豆を指差して、「お前も食っていいよ」みたいな事をおっしゃる。

    「えぇっ!?マジで?テシェッキュル!!」


    思わぬところで豆をご馳走になる。

    このおじさん達、色々喋ってくれるのですが例によってトルコ語の為、
    さっぱりわからん。

    英語がある程度できる別の席のおじさんが助け舟を出してくれる。
    恐るべしトルコ人ネットワーク。

    で、おじさん達は何をおっしゃっていたのか、、、


    フランスとかイタリアとかじゃなくて、何故トルコに来たんだ?とか、

    日本は賢い人の多い、いい国だ。とか、

    ジュードーを知っているか?とか、

    トルコ旅行中にどこかで聞いたような話ばかり。

    中でも日本語のトルコガイドブックに興味を示したようで、

    「この写真の街はどこの街だ?わからないぞ」

    「これはいいね」

    なんかえらい盛り上がってきた。
    店の他のお客やらマスターまでがワラワラと寄ってきて、大騒ぎ。
    訳もわからず、とりあえず僕も笑っとこう。


    ふと後ろのアタチュルクさんの肖像画に目が行くと、英語の出来るおじさんが

    「アタチュルクだよ。彼はトルコの侍なんだ、強いんだ」

    「知ってるよ、アヌトゥ・カビルにも行ったんだ。彼はトルコのヒーローなんだね」


    また盛り上がってしまった。

    信心深い保守的なトルコ人は、アタチュルクさんを快く思っていない人が多いそうですが、酒場に集まるような世俗的なトルコ人にとっては彼は慕われているらしい。

    あらためてアタチュルクさんは凄い人だな、と思った。
    日本の侍、と言ってましたが、さしずめ日本で言う所の・・・

    あ、いないや。。

    まぁ、日本には「出る杭は打たれる」ということわざもありますからな。
    国を良くしたい、なんて志を持った人は今も昔も日本には皆無でしょう。



    バーに入り浸って4時間。
    かなり酔いがまわってきたので、勘定を済ませて出ようとすると隣りのおじさん2人に捕まってしまう。

    「もう1杯おごるからもっとここにいなさい」

    なんてことを言うんだぁ!?
    もう大ジョッキ五杯空けている。
    これ以上飲んだら死んでまうぞ。

    おじさん達もかなりのハイペースで飲んでいたはずなのに、ちーともペースが落ちてない。

    結局お付き合いする羽目に。(つらかったけど、ちょっと嬉しかった)

    トルコには酒豪が多そうなので、うっかりお付き合いしたら帰り道が危うい。

    英語の出来るおじさんが、

    「トルコ人は夜になるとみんな酒を飲むんだ。酒を飲むトルコ人はみんな友達だ」


    おおっ!なんて素晴らしい国民性だろう。

    トルコ人の優しさに触れ合うことができ、
    アンカラにとどまって本当によかった、と思えた夜でした。

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  • 12月29日「神殿を飲みこむジャミィ」

    ウルス地区の北にある「ハジュ・バイラム・ジャミィ」

    15世紀の初めにセルジューク様式を用いて建設されたこのジャミィは、オスマン期の建築様式とは一線を画しています。

    オスマン建築のジャミィはアヤソフィアのような大ドームと光溢れる内部が特徴でしたが、このジャミィはセルチュクのイーサベイ・ジャミィのような、長方形のハマムみたいな建物で、内部も光を取り入れるような構造にはなっておらず薄暗い。

    オスマン期に天才建築家、ミマール・シナンによって修復が施されたらしいですが、おそらく修復前と殆ど変わってないと思う。

    隣はイスラムの聖人、ハジュ・バイラム・ヴェリの棺が安置され、ここでも熱心に祈る人が大勢。内部の装飾はジャミィ内部よりも鮮やかです。

    しかしこのジャミィの一番の特徴は、ローマ時代の神殿の真隣に遺跡を飲みこむようにして建てられていることでしょう。

    ビザンツ時代には教会として再建された経歴を持つそうですが、ジャミィ建設に当たり、こういった異教の遺跡は邪魔でしかないとも思うのですが。

    わざわざ神殿跡を壊さず、神殿跡と一体化させるようにして建設されたこのジャミィは大変興味深い建築です。

    異教徒の聖域は、トルコのモスリムにとっても聖地なのだろうか。

    昔のカッパドキアでも、イスラム教徒とキリスト教との共存の痕跡が見られたそうですが、昔からトルコの人達はイスラム以外の宗教に対してもおおむね拒絶反応はないらしい。


    一つ、イスラム教に対して何かをつかむ事ができたような、勉強になったジャミィ見学でした。


    時刻は4時過ぎ、もう一ヶ所観光に行けそう。

    さらに北にあるローマ浴場跡遺跡へ。

    2リラの入場券を買い入場するも、クローズ間近だからかお客が一人もいない。

    やった、貸し切りや!

    芝生の上には墓石が円を描くように並べられ、奥に状態の良い浴場跡が広がっています。金網が施され外から眺めるだけですが、とにかく広い!

    今まで見てきた浴場跡の遺跡を一般家庭の風呂として比較すれば、ここは銭湯といえるくらいスケールが大きい。

    北側には神殿のような列柱が残り、南側にはビザンツ時代の墓とされる石室があります。

    この石室、入り口の石の扉に鎖がかかっていますが、わずかにスキマが開いている。

    こんな時には懐中電灯が役に立ちます。

    スキマに差し込み、必死に覗く。
    傍から見られたら変な格好で誤解されそう。

    わずかに見えた赤い彩色の花のような壁画。
    もっと全体を見たいな・・・


    ここからの主な発掘品はアナトリア文明博物館に保管されているのでしょうが、少しくらいはこちらに展示したほうが見学の幅が広がると思うのですが。



    アンカラ1日観光を終えた帰り道、イス五席、テーブルが2つしかない狭いロカンタのショーウィンドーに頭とハラワタを取られたイワシが皿に盛られて一杯並べられている。

    さすがに首都、内陸部にありながら魚があるのか。
    トルコメシはおいしいけど、肉には飽きた。

    フラフラとイワシに誘われてロカンタに入る。


    店主に「ハムシ」(イワシ)と告げると、店主はフライパンを出して「これかい?」と見せる。「タワ」(揚げる)と告げると店主はイワシをフライにしてくれました。

    トルコ冬の味覚、イワシフライ「ハムシタワ」。
    油がのってて適度な苦味がたまらない、うまい!

    しかしビールは置いてない。
    いいかげんブチギレそう。

    戒律によって酒を飲まないのもわかるのですが、関係ない外国人まで巻き添えにするのは良くないと思う。

    そもそも戒律とは己の欲望との戦いのハズ。

    であれば酒を目の前で飲まれようと、我慢すればいいだけなのに。


    トルコ旅行では、こんなおいしいご馳走を何度も目の前にしてある意味拷問に近い精神的苦痛を幾度と無く受けました。

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  • 12月29日「売る気無しの絨毯屋」

    博物館見学後、博物館北側の道に入り真っ直ぐ進むと城壁沿いに塔が見え、その傍らにこじんまりした城門があります。

    ここから路地にも思える狭い城内のメインストリートを真っ直ぐ進む。
    古い家屋が多く、景観保存地区に指定してもいいくらい味があります。
    シャルク・カレシはどこだろう?

    ふと子供達に声を掛けられる。
    どうやら僕の目的地に連れていってくれるようです。

    「アンカラキャッスルはこっちだよ。近くには###ジャミィ、##タワー####・・・があるよ」

    まいりましたね、見た目10歳前後なのに僕より英語がうまいよ。
    しかも早口で聞き取れない。

    目的地、シャルク・カレシまで案内してくれた少年3人。
    金かお菓子を要求してくるのかな?と思ったらそういう事はしませんでした。
    メジャーな観光地以外ではさほどの警戒は不必要なのかも。


    子供達にお礼を言って別れ、展望スポットへ登る狭い石段を登るとおばちゃん数人が観光地恒例の物売りを実施中。

    例外無く僕も声を掛けられ、ナザールボンジュウや毛糸編みの帽子やポシェットを売ろうとする。

    試しに値段を聞いてみると、ナザールボンジュウは1つ1リラ。
    高いとは思わなかったので2つ購入しましたが、後のイスタンブールで
    1つ50クルシュで売られていたような・・・

    毛糸の帽子とポシェットを値切って2リラで購入(1リラ安くなった)
    損してる可能性も拭い切れませんが、僕の母へのお土産としては喜んでもらえました。現在は母のお宝の巨大キューピー人形のアクセサリーになっています。


    シャルク・カレシはいわゆる物見の櫓みたいな城砦の一部ですが、ここからはアンカラの街が一望できます。

    東を見渡せば小高い丘陵地帯をビッシリと埋め尽くす赤い屋根の家々が。
    南を見渡せばカワクルデレ、チャンカヤの丘に建ち並ぶ高層ビル郡が。
    北は味のある城砦の建物ともう一つの城砦の塔が。
    西はウルスの街並みが見渡せて、四方八方人間の文明が見渡せる絶景。

    霧がかかっていて幻想的。

    手すりや柵が無いのが恐かったですが(プチ高所恐怖症)


    帰り道、城壁の石組みに埋めこまれたローマ時代の石柱群を発見。
    石に埋めこまれた白い石柱は、なんだか貝の化石にも見える。廃物(?)利用がうまいなぁ。


    帰路の途中、閉まっていたアラエッティン・ジャミィの見学を断念し、来た道を引き返していると土産物屋のおじさんに声を掛けられる。

    よほどヒマなのか、色々喋ってくる。
    取り止めのない雑談が以外に弾んでくる。僕のほうがチラッと店の絨毯に目がいくと、

    「見たいのか?見ていいよ」

    買わせるつもりかな?と思ったが、結局セールスっぽい事は全然しませんでした。
    「これはコンヤの絨毯だ」とか教えてくれましたが、どうやら彼の話によると自分の店の商品を観光客に見せるのが好きらしいです。

    核心部分はよく聞き取れませんでしたが、おそらくトルコの工芸品の素晴らしさを知ってもらえれば、客引きなどしなくても絨毯は売れる、とでも考えているのでしょうか。

    トルコの絨毯屋が皆こんな考えならいいのになぁ。


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  • 12月29日「アナドル・メデニイェトレリ・ミュゼシィ」

    北入り口で預けていた荷物を受け取り、アヌトゥ・カビルを後にする。

    次なる目的地はアナトリア文明博物館。
    地下鉄乗り次ぎでウルス駅へ。

    車のクラクションで騒がしいウルス、オペラ広場へ出ると赤い近代的な
    外観のオペラハウスがありました。

    オペラの上演日数はヨーロッパのオペラハウスに比べればかなり少なく、僕も日程の合う公演日はありませんでした。

    蝶々夫人が見たかったのですがね。


    ウルス地区、城砦へと向かう坂道を上がっていき、フェラ・オテリのある通りを北へ進むと、いい匂いの流れてくるロカンタ発見。

    只今12時過ぎ、昼食を食べる事にする。

    入ってすぐ、ピデを焼く石釜が。
    ピデ職人がヘーンな目で僕を見る。

    臆せず「クイマル・ユムルタル・ピデ!」と言うと、ニッコリ笑ってオーケーのポーズ。 にわか仕込みのトルコ語が通じたぁ♪


    ピデはトルコのピザで、生地が分厚いのが特徴。
    クイマルは挽肉、ユムルタルは卵。

    クイマル・ユムルタル・ピデ=挽肉ピザ卵のっけ

    となります。

    ユムルタルはメニューに載っておらず、言えばのっけて焼いてくれる無料のトッピング。 ピデを見かけたら迷わずユムルタルです。

    すきっ腹にピデはたまらん、うまい!
    しかしロカンタには一切ビールがない。

    なんで酒を置かないんだろう?
    ご馳走を目の前にしてアイランで我慢、というのは生き地獄。

    ピデとアイランで4.50リラ、安いと思う。



    昼食に満足し、博物館を目指すも城壁にぶつかって先に進めない。
    方向はあってるハズなのに・・・

    歩いていたマダムを捕まえて道を尋ねると、どうやら城壁の上にあるらしい。
    なんかガイドブックの地図とは違うぞ。

    とりあえず教えられた通りに階段を上って城壁の上に出て、城壁沿いに南へ歩いていくとあっさり発見。

    しかしなんかトルコの憲兵(?)の団体が入っていく。

    軍事施設かな、とビビリが入ってガイドブックで調べると、間違い無くスペルはあってる。

    チケットを買って入場。

    館内は荷物を預ける施設が無く、防寒着も着たまま暑苦しい格好で見学しなければなりません。しかもブックショップまで「オフシーズンだからしばらく休む」とあります。

    その割に入り口ではガイドを買って出る館員。
    入場料よりも高い10ドルという破格の値段で。

    やんわり断って館内を見学。

    旧石器時代の赤い彩色で生き生きと描かれた狩猟の壁画に始まって、時代ごとに珠玉の一品が展示されている。

    ヒッタイトやフリギアの状態のいい発掘品など、こんなにまとまった数で見たのは初めてです。チャタルホユックの地母神像はどことなくヴィーレンドルフのビーナスに似ている気がします。

    地下にはアンカラの発掘品が展示されており、主にローマ時代の遺物が多く見られました。

    館内中央部はメソポタミア様式の浮き彫りが施された石の壁が陳列されており、さらに外にあるトイレに出ると、そこにも展示が。

    どこもかしこも展示物だらけで逃げ場無し。

    建物自体も歴史的建造物で味があるし、なんて贅沢な博物館だろう。

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  • 12月29日「アヌトゥ・カビル」

    アタチュルク廟北入り口は、とても観光客歓迎のムードに見えません。

    物々しく銃を肩に下げた人がいますし、政府関係施設か要人の家入り口
    にも見えてしまう(大体合ってますが)

    しかし、あちらさんから「入っていいよ」みたいな手招きをしている。

    手荷物を預け、パスポートをデポジットに渡すと引換(入場)カードみたいのをくれました。あとはボディチェックを受けて入場。物々しい警備ですな。


    1本道を歩いてアヌトゥ・カビルへ向かっていると同じ方向に歩いていた衛兵の一人が話しかけてくる。

    「ドイツとかフランスとかイタリアとか、日本人の好きそうな旅行先は沢山あるのに何故トルコに来たんだい? 何故アヌトゥ・カビルへ来たんだい?」

    なんか、以前にも同じような事聞かれた気がする・・・

    「いや、僕はトルコのジャミィやオスマンスタイル建物などの素晴らしい建築を勉強しに来たんだ。 ここヘ来たのはミスターアタチュルクの事をもっと勉強したいからです」

    勉強なんて言葉、使っちゃった・・・
    (だってうまい英語の表現、知らなかったんだもん)


    彼は「それは凄いね」と嬉しそうに言う。
    意味、伝わったのだろうか。


    霊廟へと続く、ライオンの彫像が整然と並んだゴミ一つ落ちていない参道。
    その両側にガラスケースに入って微動だにしない衛兵、そしてちょっとしたアタチュルクさん関連の展示ドームが。

    ここで展示を見ていると、今度は清掃係のおじさんが声を掛けてくる。

    「ここにはタカマツも来たんだよ」

    タカマツ?何ソレ??

    高知県高松市から市長か誰かが来たのか?

    ホント?ソレは凄いね!とか適当に話をあわせましたが、この
    ときはまだ意味不明でした。

    参道を進むと正面に広がるのはチャンカヤなど、ニューアンカラと言われる小高い丘陵に林立するビル郡の眺めが広がります。

    肝心のアタチュルクさんの霊廟は参道から左手、相対してあるのは側近で親友だったイスメット・イノニュの棺。

    建築においては霊廟を参道の正面に持ってくるのが普通だと思うのですが。

    参道から正面に見えるはトルコの街。

    この建築配置を見る限り、
    「1番はアタチュルク自身ではなく、トルコである」
    という故人の遺志にも見えてきます。

    やはり建築は奥が深いです。


    霊廟の周りの回廊、西側の角から周ると、コーナー部分に葬儀の際にアタチュルクさんの棺を乗せた砲台付きの車、さらに愛車4台の展示があります。

    エジプトの神殿を連想させる霊廟、手前の階段横にある壁の彫刻もエジプト様式にソックリ。アタチュルクさんの棺の前に立ってちょっとだけ黙祷した後、霊廟裏側の回廊に展示されているアタチュルク博物館を見学。

    内部は小学生や中学生くらいの、子供の学校団体見学者が多く賑やか。

    故人の遺品や写真、勲章や直筆の手紙などが展示されている部屋。

    アタチュルクさんは杖とタバコが好きだったようで、杖も煙草ケースも
    色々バラエティに富んだ種類があります。

    中には銃が仕込まれている仕込み銃(本人が構えている写真付き)や日本風のタバコケースまでも展示されていました。

    (葬儀の際)このアヌトゥ・カビルを訪れた各国の要人の白黒写真まであります。
    欧州の王や女王などを押しのけて、なぜか日本人の白黒写真が筆頭に。

    「タカマツ」

    誰?知らんなぁ??多分皇族か公家でしょうけど、天皇ではないですな。
    参道で会った清掃係のおじさんが言ってたのはこの人の事か、と納得。

    遺品展示の次はチャナッカレの戦いを再現したジオラマ、そして第一次世界大戦時のトルコのえらい軍人さん達。 アタチュルクさんの肖像画まであります。

    トルコでは絵画はタブーじゃないようです。

    おおっぴらに酒は飲むし、「くだけたイスラム教徒」って感じです。


    そして霊廟のちょうど裏手が昔の新聞生地の切抜きを主に展示しています。
    昔の写真などもあり、楽しめます。


    見学中、子供達に何度か声を掛けられる。
    「ハロー」「ジャポン?」とか。
    普段日本人を見た事が無いかのように珍しがってるようでした。


    展示も一通り見終えて外に出ると、雨が降っていました。

    クズライ周辺は大丈夫だったのですが、チャンカヤとかは霧がかかってましたし、アンカラの天気はあまり安定してなさそうでした。

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  • 12月29日「ケマル・アタチュルクさんをもっと知ろう」

    朝7時半、朝食を食べに地下の食堂へ下りる。

    トルコの食事はすご~くおいしいのに、ホテルのビュッフェ朝食は
    なぜか比べ物にならないくらい味気ない。

    そう、温かい料理が1つもないんです。

    西洋の真似しなくてもいいから、ロカンタみたいに温かいスープ数種とパンだけ用意してくれればいいのになぁ。


    今日は1日、アンカラ市内観光にあてました。
    観光の前にまずやるべきことは??

    12月30日のイスタンブール行き夜行列車の予約。
    さっそくアンカライ線でマルテぺ駅へ行き、商店の立ち並ぶ地下道を通ってアンカラ鉄道駅へ。

    鉄道切符窓口には整理券を発行する機械もありましたが、早朝の為かすいています。

    早速交渉。

    30日22:00発 31日7:15ハイダルパシャ着
    「アナドル・エキスプレス」

    ここで「プルマン(座席)18リラ」か「クシェトリ(4人1部屋寝台)26リラ」かを聞かれる。

    もちろんクシェトリ。
    じゃないと鉄道移動のメリットがないので。

    本当はアンカラ・エキスプレスにも惹かれていたのですが、満室だったので、ファティフ・エキスプレスかアナドル・エキスプレスかを選ぶ必要がありました。
    早い時間に寝る事ができて、早い時間にイスタンブールに着く列車がアナドルしかなかったのでアナドルに決めました。



    あらためて駅構内を見渡すと、トルコの初代大統領、アタチュルクさんの小規模な写真展を催してました。

    このアタチュルクさん、トルコに来たら絶対に覚えて帰る人物だと思います。

    まず、食事どころだろうとバスオフィスだろうと、飲み屋だろうと肖像画や写真パネルを頻繁に見かけます。

    なんだかどこぞの国の独裁者と非常にダブるんですけど、今のトルコを見ていれば彼が悪人でないことは充分過ぎるほどわかります。


    今のトルコで酒がある程度自由に飲めるのもアタチュルクさんのおかげ。

    解読以前にミミズのダンスにしか見えないアラビア文字を廃止し、多くの日本人にとって読みやすいアルファベットをトルコ語にしてくれたのもアタチュルクさんのおかげ。

    宗教観ガチガチのアラブ諸国よりも、自由なヨーロッパ寄りの国造り。
    これからはアラブの時代ではなくヨーロッパが伸びる時代だ、と考えていたのでしょうか?

    そんなことはどうあれアタチュルクさん、いいことしてますね。


    アタチュルクさんはどんな人だったのか?

    旅行前に軽く書籍などで事前調査しましたが、より深く知るには
    アタチュルク廟を見るしかないでしょう。


    徒歩でアタチュルク廟へ向かいました。


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  • 12月28日「近代都市アンカラ」

    オトガルのバスオフィスの中で長椅子に座ってバスを待つ中、2度の停電が。

    カッパドキアでは多いことなのかもしれません。オフィスのおじさんはロウソクとペンライトで対応してました。

    しばらくして、日本人旅行者がサフランボルへの直行バスの有無を尋ねにオフィスに入ってくる。
    昨日、僕がバスチケットを交渉したおじさんの隣の別の係員が、

    「直行はないよ。アンカラに行って乗り換えだね」

    しかし日本人のほうは、アンカラからは何時のバスがあって何時にサフランボルに入るのか等、結構しつこく尋ね、終いに係員の方が頭にきたようで、何を聞いても怒り口調で、

    「知らん!知らん!」

    の一点張り。

    バスの時間は旅行日程の根幹を成す重要事項。納得いくまで詰めて聞こうとした彼の行動は正しかったと思います。
    ただ、あまりしつこいとトルコ人は話を聞いてくれなくなる節もありました。

    自分はあっさりさっぱり、重要事項だけ聞いて初めも終わりも愛想良くしとこう。一つ今後の勉強になった気がしました。


    18時ちょっと遅れてバスが到着。
    ネヴシェヒル乗り換え、との事だったのでセルヴィスみたいなミニバンを予想してましたが、やって来たのは長距離デラックスバス。

    バックパックを担ぎ、バスオフィスのおじさんと係員にお礼とお別れを言いバスに乗りこむ。しかし既に客が乗っていて満席状態。

    ここでふとある疑問が涌く。

    チケットに記載されている座席番号は、このネヴシェヒル行きのバスにも通用するのだろうか??


    ためしに僕のチケットに記載されている座席番号36番、ここに座っておられるお洒落な老紳士に尋ねてみる。

    紳士は首を横に振り、自分のチケットを見せてくれる。

    座席番号36番、、、ダブルブッキング???

    突然後ろから、バスの世話係にトントンと肩をつつかれる。
    どうやら好きな席に座っていいようで。

    バスはネヴシェヒルのオトガルで「アンカラ!」と、世話係が叫んでいるバスに乗り換え。予定ではバスでの長距離移動はこれでお終い。

    バスの移動は酒が飲めないけど、休憩所でのトルコメシがおいしかったし
    総合で見るといい移動方法だと思いました。


    バスは真っ暗な幹線道路を疾走し、10時頃にアンカラのアシュティ・オトガルに入る。市内まで行くセルヴィスはどうやら無いようです。

    アンカラには「アンカライ」と「メトロ」という2つの路線を持つ地下鉄が通っており、オトガルから中心部クズライへ行くにはアンカライ線です。

    宿泊先を探さねばならないのですが、安宿の多いウルス地区を土地勘のない僕が今の時間帯にうろつくのは危険と判断したので、独身サラリーマンの財力にモノを言わせてクズライの中級ホテルに泊まることにする。

    オトガル内から結構歩かされますが、アンカラの地下鉄駅はヨーロッパの地下鉄などよりも綺麗な駅です。ゴミや落書きも見かけませんし、怪しい雰囲気も感じない。


    クズライは巨大ビルが立ち並び、人通りも多く路上のケバブ売りも多い賑やかな地区です。久々にネオン看板の輝く都会を見れて感動。

    クズライには1泊だけする予定でしたが、ここクズライの明るい雰囲気になんとなく惹かれ、後日のエディルネ観光を諦めてクズライに2泊することにする。

    ホテルは地下鉄駅からも近く、比較的静かな場所にある3つ星ホテル

    「オテル・メロディ」

    トルコの宿泊施設はどこでもパスポートさえ提示すれば、宿泊カードを書いてくれるのが一番嬉しいサービスでした。サインは自分でしないと駄目ですが。

    1泊朝食付き65ドル。

    テレビ・トイレ・バスタブ付きで暖房も完備。
    このクラスのホテルに泊まって文句言う人はまずいないと思われます。

    近場でビールと屋台のアダナ・ケバブを購入し、部屋で頂く。
    なんか疲れたので、出歩く気力がありませんでした。

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  • 06/01/20 23:28

    2月にトルコに行きます。

    初めまして。2月に1ヶ月弱のトルコ旅行を予定しています。
    今、旅行の予定を立てているところでありまして、とっても参考にさせて頂いてます。このレポートがとても興味深く、私もトルコ旅行を計画して良かったなーと思ってます。今からワクワクです。更新をまだまだ楽しみにしています、頑張って下さいね。これから質問などさせて頂くことがあると思いますがよろしくお願いします。

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    トルコ旅行、楽しんできて下さい

    どーでもいいようなヨタ話の多い僕のレポートにお付き合
    い頂き、ありがとうございます。

    書いてる本人も読むのがツライ長文ですが、参考にされているということで
    大変光栄です(^^;


    このレポートはこれからアンカラ、イスタンブール編に入っていく予定ですが、名も無きジャミィ巡りやゴルディオン観光など、少々変わった趣味の観光に切り替わっていく時期ですので、あまり参考にはならないかも?!

    質問はわかる範囲であれば、なんでもお答えします。
    気軽にどうぞ(^-^)

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  • 12月28日「カッパドキア最後の観光」

    ギョレメ村から野外博物館へと続く道は看板があるのですぐわかります。

    今朝、エル・ナザール教会を見るためにちょっとだけ歩いた道ですが、しばらく進むと「これぞカッパドキア」というようなとがった岩が林立する世界に切り替わります。
    道すがら、UFO博物館の立て看板を発見。

    そうそう、なんかテレビでカッパドキアは世界有数のUFO目撃数とか
    やってたような・・・

    見たいけどね。時間が無いので寄り道せず、野外博物館へ向かう。


    ギョレメ野外博物館は3時半の閉館間近の時間帯にもかかわらず、入場者が多い。ギョレメ村内ではあまり観光客を見かけた印象はないのですが、ギョレメにこんな大勢のいろんな国籍の人がいたとは。

    ここでの僕の見学時間は1時間。
    それを過ぎると夕食が食べられなくなる。

    この野外博物館は、狭い範囲に状態の良いキリスト教のフレスコ画が残る岩窟教会が6つも集まっている素晴らしい場所です。

    その価値を思えば、12リラの入場料は決して高くありません。

    岩窟教会の建築は、ほぼどこも4つの柱を削り出して中央にドーム、そして十字の形に掘削された内部でしたが、フレスコ画のほうは非常にバラエティに富んでいて、絵のタッチが違う、というより画法そのものがそれぞれ違うようにも見えました。


    6つの教会の中でも、5リラの入場料が別途必要な「暗闇の教会」のフレスコ画は、間違い無く5リラ払って入場する価値がありました。

    普段、旅行で写真は撮らない(自分の写真はもっと撮らない)僕ですが、チケットオフィスのおじさんが「撮ってあげる」というので遠慮無く撮ってもらいました。(ノーフラッシュですが)


    野外博物館見学は4時半で終了。

    館内で、野外博物館周辺の周辺地図を記した看板を見つける。

    この野外博物館の前にそびえるあの岩山の上にも、岩窟教会がいくつか残っているらしい。

    本当は「トカル教会」「サクル教会」など、野外博物館周辺のこういった岩窟教会も色々見て周る予定だったのですが、予定がずれてギュゼルユルト観光を今日に持ってきたため時間が無く、今回は諦める。

    奇岩の谷に夕日が沈みゆく映画のような風景を遠目に見つつ、ギョレメ村に戻り薪をくべる暖炉のある「カレ・レストラン」でカッパドキア最後の晩餐。

    有名なテスティ・ケバブとビール。

    テスティ・ケバブは、目の前ですでに割れ目の入った壷を開け中身を皿に移してくれました。

    羊肉にマッシュルーム等が入った煮込み料理、随分待たされた気もしますが噂に違わぬ貫禄のおいしさです。

    昼食を抜いたので、なおおいしく感じます。

    夕食を終え、時計を見ると5時半。
    アンカラ行きのバス出発まであと30分。
    バス会社のオフィスで待つことにしました。

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  • 12月28日「ユクセク教会」

    修道院の谷から中央広場まで戻った時には、すでに約束の1時まであと
    20分。

    昼食を食べる間もなく、ギュゼルユルト村で1番大きい建物、ジャミィを
    見に行く。

    中央広場付近は何件かの小さな個人商店とピデジが1軒。
    もうちょっと早くに戻ってきてたらピデが食べられたのですが、残念。

    ジャミィに入るや、トタンに人がワラワラと寄ってくる。
    ちょっとした人気者状態。

    喋ってくれるのはありがたいのですが、トルコ語なのでわからん。
    どうやら、

    「日本人なのに観光スポットではないジャミィを見学に来た」
    「変わったヤツだな」

    と思われたようでした。(多分ですが)


    ジャミィそのものは特に特徴があったわけではないですけど、
    正座して上部のドームを見上げると、なんとなく清清しい気分
    になります。

    約束の1時に、中央広場のアフメットさんの車まで戻る。
    アフメットさんは帰り道にユクセク教会に寄ってくれる
    とのこと。


    アクセスは徒歩では無理かもしれません。

    教会へ続く脇道の途中に民家が1軒あり、恐い番犬を放し飼いにしていましたので。


    自動車で教会への狭い道を進んでいると、後輪が深く積もった雪で滑って座席に座っていると車が左右にスライドしているのが体感できて、生きた心地がしません。

    道の外れに自動車が横転したらタダでは済まない。


    しかしアフメットさん、がんばった!!
    絶妙なハンドルさばきで、無事に教会へ辿りつき一安心。



    ユクセク教会は村外れの小高い岩山の上に建てられた教会で、教会からはギュゼルユルト村が一望できます。

    雪のパノラマ上に広がるギュゼルユルト村。
    村の後ろにあるなだらかな山がハサン山。

    今回、どうしても行きたくて予定を押して観光したギュゼルユルト。
    その観光を締めくくるにふさわしい場所です。

    教会は白く塗られた壁で、小さなドームと天窓、祭壇がありますが
    装飾やフレスコ画は一切無し。

    教会隣にある石造りの回廊、修道士達の生活の場所だったと思われます。
    長テーブルのような石が置かれていたりしたので。

    見学を終え教会の岩山から降りてくると、アフメットさんが巨大な石を車のトランクに2つも積みこんでいました。どうやら後輪スリップ防止の為の重しらしい。

    手伝おうとすると、「いいから車に乗ってなさい」と、やんわり断られる。
    僕がひ弱だという事を見抜かれたか?

    ギョレメまでの帰り道、雪化粧していて頂上のとんがった
    美しい山が目にとまる。

    あの山は何?と尋ねるとアフメットさんは、

    「エルジエス山だよ。あの麓にはカイセリの街があるんだ」

    ロンプラで調べてみると、カッパドキアの奇岩はここエルジエス山の火山岩の風化により形成されたらしいです。

    カッパドキアの母とも言える死火山です。


    途中、アフメットさんは

    「ギョレメ・パノラマでチャイを飲んでいかないか」

    と、持ちかけてくる。

    今更、睡眠薬とかの心配はしていなかったのですが、これからギョレメ野外博物館へ行ったり夕食を食べたり、とスケジュールがギッシリだ。

    「ごめん、時間が無いんだよ」

    でもアフメットさんは「5分だけ、5分だけ」と押しが強い。
    結局、寄る事になる。

    僕はチャイなどより、ギョレメ・パノラマの手前で見かけたワイナリーのほうが興味津々だったのですがね。

    ギョレメ・パノラマでハッサンと再会、彼の小屋に案内され
    エルマチャイを頂く。


    ギョレメのオトガルに戻ったのは午後3時前。
    アフメットさんに約束の100リラを渡し、お礼を言って別れる。

    ハッサンは、約束はちゃんと守ってくれました。
    声かけてくる客引きの中にも、役に立つ人も
    少ないながらもいるんだなぁ、

    と思うと、ちょっと勉強になった気がします。

    ここから最後のカッパドキア観光、ギョレメ
    野外博物館見学に向かいます。

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  • 12月28日「修道院の谷で岩窟教会見学②」

    続いての岩窟教会は「コチュ教会」

    教会名を示す表札の横、入り口付近に4つ葉のクローバーにも見える
    十字架が。
    この十字架、この谷の他の教会でも頻繁に見かけました。

    ここもフレスコ画の状態は良くはないものの、かなり残っています。



    「チャファルラル教会」

    近くの民家の番犬にほえられながら、内部見学。

    痛みの激しいフレスコ画を眺めつつ、小さな聖堂内で人々がこれらのフレスコ画を心の拠り所にして生きていた時代を思い浮かべると、目の前のフレスコ画が美術館などで見る最高の状態の宗教画よりも素晴らしいものに見えてきました。

    もちろん、これらの教会の一刻も早い修復と保存を望んでいますが。


    のどかな村はここでお終いです。

    急に景色が一変し、建物がなくなって切り立った峡谷に挟まれたウフララ渓谷のような景色に変わっていきました。

    ウフララと決定的に違うのは山道ではないこと。
    しばらくは歩道がありますので歩きやすいです。

    小さい川を隔てた北側には、大勢の羊を放牧させている。
    谷をくりぬいて造った穴は放牧用の施設のようです。
    干草などが入っているようでした。


    雪に覆われ、風光明媚な谷。

    幸い天気が良かった為、真っ白に輝く渓谷の景色は絶景と呼べるほどの美しさ。
    でも、かなり谷の奥に進みましたが教会がない。

    チャファルラル教会から二十分ほど進むと、歩道が見当たらなくなる。
    谷の斜面を斜めに登り、やっと見つけた教会の看板。



    渓谷の麓をくりぬいて造られた岩窟教会「カラブルル教会」

    正面の外観に彫刻が施してありますが、内部はなぜか真っ黒で
    フレスコ画はなし。

    祭壇のような跡はありますが、フレスコ画の代わりに木彫りの像でも
    置いていたのだろうか?

    お隣の「コムルル教会」

    外観の装飾彫刻はカラブルル教会よりも細かく、手が込んでいます。
    具象化された十字架や、西欧の教会のファサードを真似たようにも見える
    浮き彫りも見られます。

    内部にフレスコ画があった形跡はなく、ただ少々の彫刻と祭壇のような岩をくりぬいた跡が残るのみです。

    内部に大きく縦に入ったひび割れが痛々しい。



    修道院の谷散策はここまでです。

    この先は谷幅が急に狭くなり、さらに先には教会もまだあったのかもしれませんが、アフメットさんとの待ち合わせ時間が迫っていたので。

    帰り道、渓谷のはるか上部にいくつかある小さな穴(人工)から、鳩が一
    斉に飛び立つのを目撃。

    古代の鳩小屋、しかもまだ現役。
    時代を超えて使用されている先人の知恵にひたすら驚嘆しました。

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  • 12月28日「修道院の谷で岩窟教会見学①」

    チケット売り場の小屋からモナストリーバレーに向かって雪が積もって、一部路面が凍り付いていて危険な坂道を下っていくと、教会みたいな外観のジャミィを発見。

    ジャミィ特有のドームじゃなく、頭一つ出たような丸い塔。
    でもミナレットが1本立っていたので、間違いなくジャミィ。

    「キリセ・ジャミィ」

    と看板にはあります。

    教会を改装したジャミィですね。
    フレスコ画が残っているかもしれない、と入ろうとするも
    入り口に鍵がかかっていて入れない。

    閉ざされた入り口にはジャミィの地元名、「アシャーウ・ジャミィ」
    と書かれた表札が。

    誰も歩いた形跡がなく、10cmは積もっているであろう雪を踏みしだきつつ
    ここまで来たのに。

    チケット売り場まで引き返す。

    僕「ねぇ、キリセ・ジャミィの入り口閉まってるんですけど。鍵は持ってないの?」

    管理人「鍵は持ってないよ。ここから1キロほど崖を登ったあのあたりの家にイマーム(導師)が住んでいて、彼が持っているんだ。電話したら下りてくるよ」(一キロ登る!?)

    僕「じゃあ、すぐ電話してください」

    管理人「無理だよ」

    僕「ん?なぜ無理か??」

    管理人「電話が無いもん」



    ・・・「無いもん」じゃねーよ!

    そんな仙人みたいな所に住んでる人に鍵持たせとくなよ。
    おまけにトルコ語以外通じなさそうだし。

    ジャミィとしての役割は村の中心にある、大きい銀のドームのジャミィが果たしているようで、少なくともキリセ・ジャミィはどうやら毎日開いてるジャミィではなさそうです。


    仕方なくキリセ・ジャミィ見学を諦め、道を挟んだ向かい側の急な石段を登った先の岩窟教会「シヴィシュリ教会」を見学。

    四角く切り出された石を組み上げた入り口の外観。

    入り口をくぐるとひどく状態の悪いフレスコ画が残っています。
    キリストや聖人を描いた壁画は、顔の部分だけ無惨に削られていました。

    しかし大天使ミカエルと思われる壁画(顔無し)や天井のキリストと12使徒を描いたフレスコ画は美しい色を残しています。

    修道院の谷、初っ端からいいモノ見てしまいました。

    ここまでの道は谷というより、そのまま谷にうがった純朴な家の立ち並ぶ村です。

    道すがら、毛深いヤギやロバ、羊や牛など色々な動物とその群れを率いる
    村人と幾度となくすれ違い、メルハバ!とお互い挨拶を交し合う。
    フレンドリーな村です。極悪人がいなさそう。

    そのかわり、雪道には羊やらのフンがいっぱい敷き詰められ、こけたらタダでは済まなさそうですが。

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  • 12月28日「イェラルトゥ・ジェフリにて」

    ギュゼルユルトの中央広場から「モナストリーバレー」の方向を指し示す看板に従い、坂道を下る。

    道すがら、左手に「イェラルトゥ・ジェフリ」の立て看板発見。

    いきなりかい、と思いつつ看板の方角に雪道を登って辿りついた
    洞穴みたいな地下都市入り口。

    しかし管理人が見当たらん。 タダなのかな?

    遠慮なく入る。

    入り口には赤い彩色の具象化した花の壁画が残っていましたが、現代のものかは不明です。

    しかし重要な問題がでてきました。
    地下都市内部の電気がつかない・・・


    視界の先に見える地下都市への穴は限りなく闇。
    ここで懐中電灯が役に立ちます。

    本当は薄暗い岩窟教会のフレスコ画を、はっきりと見るために持ってきた物ですが、よもやこんな所で役に立つとは。

    内部の通路や部屋はデリンクユよりも狭く横の広がりもありませんが、その分先に進むにはアクロバティックな動きを要求され、面白い地下都市です。

    次々とシャフトを降り、通路をしゃがみながら進みドンドン下層へ下りていく。

    懐中電灯を消すと、本当の闇。
    スリル満点の地下都市です。

    しかしもう一つの問題が浮上。

    順路を指し示す標識が、地下都市内に全くないんです。

    いくら横の広がりがさほどないとはいえ、どこに通じているかわからない通路も複数有り、道に迷ったら人もいないし叫んでも誰も助けてくれません。

    懐中電灯の明かりを頼りに5層目くらいまでは下りたでしょうか。
    己の記憶力もここまで、と判断。
    来た道を思いだし、地上に戻る。


    再び坂道を下るとモナストリーバレーの入り口の看板があり、
    横に小さな小屋が。

    中から管理人が出てくる。
    入場料は5リラ。

    「まずは上の地下都市を見てから、モナストリーバレーに行くといい」

    という事なので、小屋から道を登った所にあるもう一つの地下都市見学へ。

    今度は電気がつきます。

    地下都市入り口は真っ黒に塗られ、礼拝堂のような造りになっています。
    ワイン造りに使用したと思われる溝や小さな穴もあります。

    地下都市は3層くらいまで下りると、広い空間に出ます。
    この部屋には、礼拝堂や男子用トイレまであります。

    ちなみにトイレは幅も広く、3~4メートルくらいの深さで奥に道が続いています。下に降りる道が他に見当たらないので、もしかすると順路はトイレに下りて進むのかも??

    しかし足を引っ掛けるような足場もなく、下の通路までの順路も見当たらない。

    トイレから下層に下りれたとしても、登るのが不可能そうだったので
    この部屋までで地上に戻る。


    ギュゼルユルトの地下都市探検。デリンクユよりも
    面白かったかもしれません。

    ただ順路や部屋の説明などが不案内なことは除いて。


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  • 12月28日「ギュゼルユルトへの道」

    深夜4時半、あまりの寒さに目が覚める。

    安宿はだいたいこんなものらしいですがエアコンとまではいかずとも、何故にオイルヒーターくらい入れないのか?

    カッパドキアの不思議の一つです。

    まだ日も昇っていないので2度寝しようとしましたが、寒くて寝られん。
    ありったけの服や靴下を重ね着してモコモコになりながら布団にもぐりこむ。
    真冬のカッパドキアには寝袋等の防寒対策が必要かも。


    朝7時。

    ペンションをチェックアウトし、ギョレメ村の散策をしてみました。
    ハッサンとの約束の時間は8時半、まだ時間があったので。

    バスのチケットを手配したネヴシェヒル・セヤハットのオフィスに頼んで
    バックパックを預かってもらい観光スタート。

    乾いた河床はその名の通り、本当に水がない。
    雪解けの季節には雪解け水が流れるのかも?

    ギョレメ村の多くの店は、早朝で店は閉まっているのにオープンの張り紙がしてある手抜き。

    教科書読んでるフリして寝てる学生みたいなマネしおって・・・


    ローマ・カレシ付近のメルケズ・ジャミィを見た後、村外れのエル・ナザール教会を見に行く。

    地図を見たところ、近いように見えましたが歩いてみると本当にキツイ・・・
    雪の積もる坂道を登らなくてはならず、20分くらいかかってやっと到着。

    カッパドキア名物、タケノコみたいな奇岩をくりぬいて造られた教会ですが
    時間が早すぎた為か、入り口は閉ざされていました。

    本当は、今日はギョレメ野外博物館を見た後、博物館周辺のこういった教会を色々見て周る予定でした。
    ギュゼルユルト行きを今日に持ってきた為、今日は野外博物館だけ見て終わりそうです。

    ウフララツアーはそれなりに楽しめましたが、少々悔いが残ります


    ふと時計を見ると、そろそろ約束の時間だったので、待ち合わせ場所の
    オトガルに歩いて戻る。



    今回、なぜこんなにギュゼルユルトにこだわったのか。

    ギュゼルユルトには岩窟教会あり、風光明媚な渓谷と景観保護区になっている村あり、地下都市まであります。

    カッパドキア1日ツアーに参加せずとも、この村1ヶ所周るだけで
    おいしいとこ全て一度に見る事が出来ます。

    このトルコ旅行計画において、もっと強行日程に組んでました。

    旅行中に断念しましたが、元々サフランボルやエディルネも詰めこんでいましたので、カッパドキアでの僕の目的を達成する為には、どうしてもこの村に行く事が重要でした。

    8時半きっかりにハッサンと再会。

    話をよく聞くと、彼が連れていってくれるのではなく、自分の父親が連れていってくれる、とのこと。

    トルコ10日間周遊ツアーのバスドライバーだったそうで、日本人やアメリカ人など、多くの国のツアー客を乗せてトルコ中を走っていたとのこと。

    今は引退して農業をしているそうですが、ナイスな(運転のうまい)ドライバーだと教えてくれました。

    ハッサンのおやじさん。英語が出来ない、というのが気にかかりましたが。

    朝9時ちょっと過ぎまで彼の父親の到着を待ち、出発。
    途中のギョレメ・パノラマまでハッサンも同乗。

    彼はギョレメ・パノラマの土産物屋経営、今日もこれから仕事らしい。


    ハッサンの父親、アフメットさんは安全運転を心がけているのか、それとも巡行速度を守っているのか、どんなに道がすいていようとも時速80キロ以上は一度も出しませんでした。

    アフメットさんはトルコのタバコを勧めてくれる。
    ちょっと強いめの味ですね。

    アフメットさんが英語が出来ないといっても、僕も似たようなもの。
    途中、「ここはウチヒサールだよ」とか教えてくれます。


    ギュゼルユルトの中央広場(広くないけど)は約1時間半後、10時半に到着。

    昼1時には戻る、と告げ、ほとんど意地のみではるばる来たギュゼルユルト村観光に繰り出しました。

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  • 12月27日「夜のギョレメで・・・」

    夜8時ごろ、酒を求めて夜のギョレメ村を歩いてみました。

    酒の前にアンカラまでのバスのチケットを手配せねば。

    オトガルのメトロ社に入り、アンカラ行き午後18時以降のバスがあるか尋ねると、「ネヴシェヒル・セヤハットだ」と教えてくれたので、お隣のネヴシェヒル・セやハットに入る。

    僕「メルハバ!」

    おじさん「ハァイ! アー ユー ジャパニーズ? いらっしゃいませ、どこに行くバスのチケットですか?(カタコト日本語)」

    僕「オオッ!ナイスジャパニーズ!!」

    僕+おじさん「ハーッハッハッハッ!!」 2人でハイタッチ。


    ノリのいいおじさんだ。 交渉もスムーズにまとまり、翌28日発18時30分のバスを18リラで手配。

    18時30分はネヴシェヒル発の時間帯だそうで、18時にはオトガルに来る様に、とのこと。

    ギョレメ村はオフシーズンだからか、有名観光地の割にしつこい客引きや勧誘もほとんど見かけませんし、寂しいくらい静かです。

    空は満天の星空、中心部にはローマ・カレシの奇岩が居座り独特の風景。
    余計な気を廻す必要もなく、犯罪にさほどの神経をすり減らす必要も感じられず、居心地がいい村です。

    まずはオトガル付近の「マイウェイ」というカフェレストランで、ちょっとしたケバブとビールの軽い食事。

    その後、ちょっと歩いて「ワインハウス」でカッパドキアワインを味わう。

    赤、白ともにうまいのですが、どちらか選べと言われれば、白のほうが好みかな。つまみがないのが残念ですが、絨毯が敷かれ、裸電球で照らされたほの暗い店内は静かでムード満点。

    グラスワイン1杯4.50リラとまずまずのお値段。

    オフシーズンはクローズの店が多く、またどこの店内もお客が少ない。
    騒がしいトルコにおいて、こういう雰囲気もたまには心地よいものです。


    ワインを飲みすぎて気分が悪くなり、オトガル裏手のファットマンバーという所にビールを飲みに入る。

    お客がゼロ。

    電灯が殆どない暗~い店内でビールを飲んでいると、店主がストーブの前に行くといい、と勧めてくれました。
    僕が日本人とわかると、尾崎豊の「アイ ラヴ ユー」をかけてくれました。
    トルコ人歌手のカバーでしたが。

    ビールを飲んでいると、一人の若い男が入ってきて僕の前に来る。

    「やぁ、僕を覚えているかい」

    誰?と記憶を辿る。

    あぁ、さっきネヴシェヒル・セヤハットのオフィスで会った人だ。
    なんでトルコに来たの? とか、ちょっとだけ話したっけ・・・

    しこたま話しこむと、明日も観光に行くのか?と聞かれる。
    僕はまだギュゼルユルト観光を諦めていない。

    僕「ギュゼルユルトに行くんだよ。アクセスは明日考えるけどね」

    すると彼は、

    「ギュゼルユルト?だったら僕がウフララやチャヴシン、パシャバーも周って150リラで連れていってあげるよ」

    僕「いや、明日は時間もないし、昼の3時までにはオトガルに戻らないと行けないんだ。だからギュゼルユルトだけでいい。もっと安くならないか?」


    だったら100リラでいい、とのこと。

    こんな誘い、乗ったら危ないとも頭の片隅にありましたが、タクシーチャーターも値段が変わらなさそう、と思ったのと、彼が悪人に見えなかったという僕の直感で誘いに乗ることにする。

    彼の名前はハッサン。
    今回とりあえずは役に立った客引きの一人です。

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  • 12月27日「ウフララツアー、オニキスショップ」

    アウズカラ・ハヌを差し置いて、ツアーラストに寄らされたオニキスの店。
    ウチヒサ-ルではオニキス加工が有名だそうで(ガイド談)

    で、オニキスや海泡石の加工デモンストレーションをちょこっと見た後、恒例の買い物タイム。

    日本語がうまい店員が数人。彼らに聞いたところ、日本語とトルコ語は文法が似てるから覚えやすい、とのこと。

    普段なら買わないのですが、今回は上司にトルコ石を買ってくるように頼まれていましたので、ある意味好都合でした。

    上司からお金を受け取っていたので、「忘れましたぁ(^^;」なんて口がさけても言えません。

    で、ショーウィンドーに並べられたトルコ石の値段を見るも、やたら高い。
    トルコ石なんて数百円からあると思っていましたが。

    指輪やペンダントに加工してあるのは高そうだったので、石だけを買うことに。

    一応重さを計っていましたが、直径1cmほどの石2つでなんと35ドル!

    石になんか変な模様混じってますし、軽いし、プラスチックみたいな手触りだし、限りなく偽物臭い・・・

    どうせ僕の物(お金)じゃないし偽者でもいいや、と2つを30ドルに値切って購入。
    実の所は本物でも10ドルいかないんじゃないかな~??

    トルコの買い物は値札がないため、どこで何を買っても納得いきませんでしたが、ここみたいに値札があってもトルコでの買い物は限りなく胡散臭い。

    お金に関しては全く信用できなかった国です。


    領収書を書いてもらい、紙に書き殴った保証書を付けてくれました。
    こんな紙切れに保証されても、安心にもならんわ。

    上司が宝石屋に鑑定に出さないことを祈ります。。。



    ギョレメ村に戻ったのは夜6時半。

    とりあえず暗い雪道を歩いてペンションまで戻る。

    部屋はシャワー、トイレ付ですが、エアコンはもちろんオイルヒーターさえもない部屋内は超寒く、しかも毛布と布団が薄い。

    オーナーはガスのヒーターを入れてくれました。

    寝るときにはヒーターは切るように、との含み言葉を残して部屋を出ていきました。寒さでガタガタ震えながら火にあたり、濡れた靴を乾かしていますと、約5分後にいきなり火が消える。何度スイッチをいじっても火がつかない。

    ガス欠だ。 オヤジィ~!!
    急いでオーナーの所へ走る。

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  • 12月27日「ウフララツアー、ウフララ渓谷」

    ウフララ渓谷へ向かう車中、ガイドから2枚のナイロン袋を渡される。
    これを靴下の上から足に被せて、その上で靴を履けば地面がドカ雪でも靴下は濡れない、というわけです。

    これはナイスなアイデア。後のトルコ観光でも多いに役立ちました。

    でも、1つ気になるのが昼食。

    デリンクユ発が昼の12時過ぎ。昼食はハイキング前なのか、後なのか。
    時間も時間だし、お腹すいてるんだけど。

    車中でガイドにギュゼルユルトについて少し尋ねてみる。

    雪が多い、とかいう理由で計画がおじゃんになりましたが、ウフララとギュゼルユルトは目と鼻の先。なのに道路も雪が多い形跡は見受けられなかったので、不信に思ったので。

    僕「ギュゼルユルトは雪が多いから見所も開いてない、と聞いたんだけど、本  当なの?」

    ガイド「雪が多い?そんな事ないよ、見所も開いてるよ。ただしギュゼルユル    トはアクセスが非常に不便だよ。行くならタクシーか自分で運転して    行くか、だね」

    ・・・騙された、、、おのれ旅行会社め。面倒くさかっただけじゃないのか?



    ウフララ村到着は1時半。昼食はハイキングの後らしい。

    カッパドキアらしい切り立った崖に挟まれた渓谷は雪も深そうでハイキングもつらそうです。滑ってこけたら大怪我の可能性も。

    ハイキングスタート後、まず入った岩窟教会が「アーチ・アルトゥ教会」
    キリスト昇天の壁画も濃いオレンジ色がよく残っています。

    しかし天井部分に比べて、手の届く範囲の下の壁画は惨たる有様。

    後世に残すべき人類の遺産に落書きは許せません。


    味のある木の橋を渡り、一際高台まで登って辿り着いた
    次なる教会は「ユランル教会」

    ガイドの説明では大蛇の壁画らしい。
    僕は最初、模様にしか見えてなかったのですが、よくよく見るとなるほどと思う。
    状態はいいとは言えませんが、残っている壁画もなかなかどうして
    見応えあります。


    しかし教会見学はここまで。

    後はひたすらベリスルマまで雪の積もりまくった山道を歩かされる。
    やはり時間がないのだろうか?

    左右に続く崖は所々穴が開いている。カッパドキアでは崖に限らず、キノコ岩にも穴を彫って人が生活していた形跡が残っています。
    しかしあんな高いところにどうやって登って掘ったんだろうか。



    雪道の為、みんな進むのに苦労しているようです。
    スイスイ進んでいくのは韓国人旅行者とガイドのみ。

    後の人達はひたすら遅れてましたが。

    べりスルマ到着は3時過ぎ。
    渓谷内のレストランで遅い昼食。

    メインはチキンケバブや魚などから選べるようでしたが、ウフララに来て
    マスを食べないのはあまりにももったいない。

    ついでにビールも頼む。
    風光明媚なところで飲むビールはたまりまへんなぁ。

    スープ、サラダ、そしてメインのマスのグリル。
    マスは皮付きのまま焼かれ(ちょっと冷めてる)下には冷凍食品のピラフを自然解凍したようなケチャップライスが。

    味はよかったので全部残さず食べましたが、僕以外の、特に日本人旅行者には不評だったようで、残してる人がチラホラ。

    僕は味オンチなのだろうか?


    食事が終わるとガイドが、

    「時間がないので今日はこのままセリメ展望台に行って写真を撮って、オニキ ス工場に行ってギョレメに戻ります。ここにオーバーステイする人はいます か?」

    明日にはアンカラに行かなきゃならないのに、こんな所で置いてけぼりなんて絶対に嫌だ。
    それ以前に、予定に入っていたアウズカラ・ハヌとアヴァノスとパシャバーは行かないの?

    酷い、インチキ!
    時間なくてもオニキス工場のショッピングだけ入れるのが図々しいなぁ。


    夕方4時半ベリスルマを出発し、セリメ修道院を見下ろすパノラマポイントへ。

    スターウォ-ズの撮影に使われた、とありますが、どの場面で使われたんだろう?

    岩山を丸ごとくり抜いたような修道院。
    今回絶対近くで見てみたい場所の一つでもありました。
    内部の写真を見た事があるので、なおさら興味が尽きません。

    試しにガイドに、

    僕「もし明日、僕がセリメモナストリーに行ったとして、中に入って見学でき ますか?」

    ガイド「駄目だよ!あそこに入るには崖を登らないといけないんだ。雪も残っ    ているし、とても危ない!」

    セリメモナストリー行き断念。

    わざわざ崖を登らないと行けない危険な所に修道院を造るとは。
    ますます中に入ってみたくなりました。(今回は無理だけど)

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  • 12月27日「ウフララツアー、デリンクユ地下都市観光」

    ツアーに参加している国籍は3カ国。

    日本が半分、韓国が半分、夫婦のアメリカ人旅行者2人(テキサスからだったかな?)総勢10人前後。

    まずツアーバスが向かったのは、ギョレメ村から車で5分ほどの奇岩地帯、土産物屋も建ち並ぶギョレメ・パノラマです。

    今回、キノコ岩観光は岩窟教会のオマケみたいにしか考えていませんでしたが、目の前に広がる風景を見渡すと、あまりの絶景に思わずため息が漏れました。

    彫刻刀で削り上げたような岩山、立ち並ぶキノコ岩群。
    うっすら雪化粧して、日に照らされて輝いています。
    自然の作り出した造形美術にひたすら感動。

    ユネスコ世界複合遺産の底力を思い知りました。


    10分ほどして車は再び走りだし、デリンクユまで走る。

    実際、カッパドキアまでは地下都市が1番の目当てで来る人も多いと思います。

    僕も是非、一目見たいと思っていた場所です。
    何かの映画みたいで楽しそうだったので。

    デリンクユ地下都市入り口付近にはジャミィとギリシャ教会があり、これらにも同じくらい興味をそそられたのですが、「後で時間を取るよ」とガイドが言ってくれたので安心しました。

    内部は横の広がりは殆どなく、ただひたすら下に向かって居住空間を広げていったという感じがします。まさにアリの巣というのがピッタリな例えでしょうか。

    通路も高さがなく、頭をゴチゴチ何度もぶつけて痛い。

    内部は遥か下層まで続くシャフト(空気穴)があり、懐中電灯をつけても見えません。ガイドが小石を落として見せてくれる。
    5~6秒してコツ-ン、と遠くから音が聞こえる。人が落ちたら・・・

    内部は音響効果バツグン!! 話し声がやたらとよく響きます。
    住んでた人は夜に大声で歌も歌えなかっただろうし、ヒソヒソ
    話で日常生活を送っていたかもしれません。

    ワイナリーや教会など、面白い部屋を見学する事ができますが
    ツアーでの見学は3層くらいまででした。


    地下礼拝堂でガイドに、

    「ここで自由時間とします。10分後にバスに戻ってください」

    10分!? 今すぐ地下から出ないと教会とモスクが見学できないじゃないか。頭をぶつけつつ地下都市から脱出。

    急いで教会まで走る。

    この教会、今まで見た事のない外観です。

    どちらかというとアルメニア教会に近いような気もしますが、ガイドブックによれば、どうやらギリシャ教会のようです。

    入り口は閉まっており、内部見学は不可能でしたが今もって現役なのか、外観も手入れされているように綺麗でした。

    中が見たいなぁ~。


    続いてジャミィ。セルジュク朝に建てられたらしい(多分ガイドがこう言った)ミナレット1本の小さなジャミィを見学。

    建立がセルジュク朝だとしたら、見た目よりもずっと古いことになります。


    内部が気になるなぁ~。
    入ろうとしたところで、遠くからガイドに呼ばれる。
    もう出発らしい。

    チッ!あと3分あったなら。。。

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  • 12月27日「ウフララ・ツアー参加」

    カラフルな気球がカッパドキア上空に平野に乱舞する独特の風景に見惚れていたら、ウチヒサ-ル城砦を見逃してしまいました。

    今回の旅の叩きこみの日に持ってきたカッパドキア観光。
    主な目的は岩窟教会とフレスコ画。

    今回、その探勝基地に選んだのはギョレメ村です。
    ドルムシュは無事にギョレメのオトガルに到着。

    駐車場兼広場みたいな村の中心部にあるオトガル。
    バス会社が3軒しかない。

    とりあえず荷物を持ったまま、旅行会社に入る。
    信頼できそうなガイドブックに掲載されている旅行会社を選ぶ。

    1軒目、ネシェ・ツアーに入り交渉。

    愛想よく出迎えてくれましたが、いきなりウフララ1日ツアーを勧めてこられる。
    真冬の雪の積もった渓谷ハイキングなんて、どういうものか素人でもわかるぞ。

    僕「いや、今日はギュゼルユルト、セリメモナストリー、アウズカラ・ハヌの3ヶ所へ行きたいんだ。そっち方面を回るツアー、もしくは交通手段を探してるんだ」

    自分の希望を告げると、旅行会社の職員は

    「駄目駄目、ギュゼルユルトは雪が多い。観光は無理だからウフララツアーにしなさい」

    ウフララツアーしかないのか?と尋ねると、どうやらこの時期に単独で参加できるツアーはウフララだけらしいです。ホントかな??

    雪が多くて、というのもあながち嘘ではないかな?と思いました。
    だってカッパドキア、半端じゃなく寒いんだもん。


    結局ウフララツアーを断り、もう1軒ゼミ・ツアーに入って交渉するも不発。
    ネシェ・ツアーと同じような事言われ、ウフララツアーを勧められたので。

    なんで真冬の時期には雪が積もってて大変なウフララハイキングツアーしかないんだろう?カッパドキアの不思議の一つです。


    とりあえず宿を探して仕切りなおそう。

    来た道を戻り、まず1軒目「ウォルナットハウス」

    満室で撃沈。

    2軒目「オットマンハウス」

    営業停止状態。潰れてしまったのかな?

    3軒目「イシュタルペンション」

    うーむペンションか・・・
    家庭的なもてなしは苦手なのですが。有名どころのブルームーンまで戻ろうかな?いやでも荷物が重いし、道は雪が積もってて滑って危ないし。
    背に腹は変えられぬ、突撃交渉。


    レセプションは2階にあり、30代くらいの若いオーナーが出てくる。

    シャワートイレ付シングルを希望し、1泊25リラ。
    ここに決めました。

    地球の歩き方によるとオーナーはご老人、とありましたが、2005年夏くらいからオーナーチェンジしたそうで。日本人も多く泊まりに来た、とおっしゃっていました。


    オーナー「これから観光はどうするんだ?グリーンツアーのウフララ1日ツアーに参加しないか」と聞いてくる。

    ウフララは嫌だってのに。

    僕「いや僕はギュゼルユルト、セリメモナストリー、アウズカラ・ハヌのみに行きたいんだ」

    オーナー「よし、僕がツアーを探してくるよ、10分待ってて」


    しばらくしてオーナーが戻ってくると、ギュゼルユルトは雪が深いから駄目。ウフララツアーにしなさい。とオーナーまで同じ事を。

    これでもう観念しました。もう好きにしてぇ・・・


    このツアーが50リラ。
    ツアー会社と同じ値段でしたが、1日で予定のデリンクユ、ウフララ渓谷、セリメ展望台、アウズカラ・ハヌ、、パシャバー、アヴァノス、オニキスのショップと全部周れるのかな??

    ツアーのピックアップがペンション前に来たのも9時半まわってからだったし。

    しかしツアーはお店でのショッピング、万国共通で必ず予定に組み入れますな。

    そういえば会社の上司にトルコ石頼まれてたんだった。。。


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    Re: 12月27日「ウフララ・ツアー参加」

    しばらく振りです。
    いつのまにか一気に進んでましたね。

    カッパドキアでツアーがウフララツアーしかない?といのはちょっと誤算ですね…うーん、旅行会社の人に懇願すればそれ以外のものもあったりするのでしょうかね…。デリンクユだけでなくカイマクル、ウチヒサルやオルタヒサルも行ってみたいんですが…。全てはお金と交渉と運?
    (あ、同じツアーだったらデリンクユでジャミィへの侵入を試みてみますね。)

    それから、大分前の駱駝シャンズさんのトピを見ていて思ったのですが、ハマムってもちろん素っ裸でしたよね?水着着用?お財布は…ビニールとかに入れて持ってるべきですか?

  • 12月27日「トルコ人の優しさに感激」

    朝7時前、親切にしてもらった警察官達にお礼を言い、ネヴシェヒル警察署をあとにする。雪もすっかりやんで、穏やかな冬の晴れ空でした。
    アタチュルク大通りに面したツーリストインフォメーションの前の、バス停と思われるベンチに座ってひたすらバスを待ちましたが、やってきたのは聞いた事のない地名が行き先として表示されているバス。

    一応、運転手に「ギョレメ?」と確認するも、首を横に振りトルコ語で喋ってくる。ギョレメ行きバスはここからは出発しないのかも?

    しかしガイドブックを見る限り、間違いなくここだと思うのですが。

    オトガルまで戻らないと行けないのかな?等と考えながらガイドブックを調べなおそうと読んでいると、

    「どこに行くのか?助けてあげるよ」

    若い男性が声を掛けてくる。

    彼が悪人に見えなかったのと、こんな所で客引きはいないだろう、という直感。遠慮なく好意に甘える事に。

    ギョレメに行きたい旨を告げますと、どうやらギョレメ行きのバスは(この時期?)インフォメーション横からは出ないらしい。


    「ドルムシュ乗り場まで、僕が連れていってあげるよ」、と言ってくれました。話に乗ればイスタンブールの観光地あたりなら間違いなく絨毯屋コースでしょうが、僕が「この街は観光地ではない」、と思いこんでいた為か、妙な安心感があり遠慮なく連れていってもらうことに。


    彼は奥さんが妊娠中で、もうすぐパパになる、とのこと。


    イタリアとかドイツとか日本人の好きそうな国は一杯あるのに、なんでトルコに来たんだい?と聞かれたり、日本人は頭がいいから好きだ、などと話をしながらラ-レ通りを北上し、オトガルから来た道を逆戻りする。


    夜中に避難しようとしたジャミィを右手に、比較的大きい交差路に出ました。

    「交差路東側のチャイハネの前からドルムシュが出てるけど8時か9時かはわからない。多分ギョレメまでは1.50リラかな、2リラいかないと思うけど」

    と教えてくれ、「チャイの店の中で休むといい」と、ドルムシュの正確な時間を店員に尋ねてくれただけでなく、チャイのお勘定まで払ってくれました。


    今まで日本においても海外においても優しい人はいくらかいましたが、ここまで至れり尽せりで優しくしてもらった経験は1度もありません。

    彼にお礼を言い握手して別れ、地元のお客で混雑する店内で1人チャイをすすっていると今度はお客のほうが「これを食べなさい」(トルコ語なので多分)と、朝食のお裾分け。

    ピザ生地みたいのにピリカラチーズとタマネギの入ったアツアツのトルコピザパン。(うまい)

    なんでトルコ人はこんなに優しいんだろう?すごく申し訳なかったのですが。
    日本がトルコに対して目立っていい事をしたのは100年以上昔の1回だけのことなのに、今の日本はトルコに対して特に何も感謝される事はしてないはずなのに。

    僕は日本にいて、見知らぬ異国からの旅行者にここまで優しくできるだろうか?
    いや、絶対しないでしょう。

    優しく対応してもらった全てのお客にお礼と別れを告げ、8時のドルムシュに乗りこむ。

    忘れられない出来事が起こったネヴシェヒルを離れ、いよいよカッパドキア観光の拠点となるギョレメ村へ行きます。

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  • 12月27日「ターキッシュポリスマンのお世話になる」

    長距離バスの中で就寝中、バスの世話係に体を揺すられ起こされる。

    寝ぼけ眼で話を聞くと「ネヴシェヒル!」と言ってました。
    時計を見ると深夜3時半!僕の予想より1時間以上早い到着。

    しかも「ネヴシェヒルのオトガルまで行く」と聞いていたのに、降ろされたのは幹線道路、オマケに大雪ブリザードでメチャ寒い。

    「こんな所で降ろされても困る、オトガルはどこ?」

    荷物を受け取りつつ尋ねると、世話係は「タクシー」と指差す。
    幹線道路上にポツン、と1台のタクシー。

    バスを見送りつつ、吹雪の中途方に暮れました。


    ここにいてもしょうがない、とタクシーの中でガスコンロつけたまま寝ている運転手を叩き起こす。

    「オトガルまで」と言うと寝ていた運転手は困ったようにウーン!と唸り、
    すぐ傍の建物を指差し、「オトガル」と言ってくる。

    えっ?ここがオトガル?

    そう、ここはオトガルの裏手だったんですね。
    しかし肝心のオトガルは真っ暗で閉まってる。

    24時間オープンだと思っていたのに・・・

    雪はやまず、風は冷たい。寒い。。
    ここでジッとしてたら死んでまうぞ!!

    ネヴシェヒルのメインストリート、アタチュルク大通りまで歩く事にする。
    この時間でも開いているチャイハネはないか?と一縷の望みを抱きつつ。

    途中、ホテル・シュケルヤパンを発見。ロンプラに載っているホテルです。
    ここがネヴシェヒルであると同時に、進行方向も正しい事を再確認。

    すぐ傍のジャミィに避難しようともしましたが、こんな時間だとさすがに閉まってました。

    アタチュルク大通りを歩いて開いてる店はないかと探しましたが、見つからない。ここでふと電光掲示板を見かける。

    気温-4度。

    見なきゃよかった、、、余計に寒くなってきました。

    閉まっている銀行前にATMを発見したので、ヒマに任せて現金を下ろしていたら、後ろから声を掛けられる。

    警官が数人乗りこんでいるミニバンのパトカーです。
    僕がよほど怪しい男に見えてしまったのだろうか??


    警官「こんな所で何してる?どこに行くんだ?」

    さすがに警察官、英語が堪能でした。

    僕「さっきデニズリからここに着いたが、オトガルが閉まっていたしギョレメ行きのバスもない。だから24時間オープンのチャイハネを探しているんです。」

    警官「24時間オープン?そんなの無いよ」

    ゲッ!!無いの!?

    風の少なそうなスペースを探して夜明けまで待つか、と警官にお礼を言ってガックリしながら歩き出すと、車が追いかけてきて「車に乗れ」と言ってくる。

    幸薄そうな東洋人に同情したのか、警察署まで連れていかれ、警官の詰め所でチャイをご馳走になりました。

    「朝の7時くらいにギョレメ行きのバスが出るから、それまでここで待っているといい」

    と言ってくれました。

    産まれて初めて、警察のお世話(?)になってしまいました。

    よくよく考えますれば、ここはトルコで1番安全な場所です。
    深夜でもスリやゴロツキは絶対に寄り付いてこない部屋。

    チャイを飲んでストーブの効いた暖かい部屋にいたら、とたんに眠くなり
    座ったまま眠ってしまいました。

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  • 12月26日「また出た!!」

    デニズリ市街はガイドブックに書いてあるとおり、本当に見所は無いようです。

    ただ、騒がくて慌しい人の生活が滲み出ているような、エネルギッシュな街でした。

    クラクション鳴りまくりの道路や早足で歩く人達。

    オトガルの裏手は近代的なスーパーも有りますが市場になっており、魚屋や八百屋が威勢のいい声を張り上げて商売してます。


    中国の地方都市にいるみたいで、ちょっと懐かしい気分になりました。

    ちょっと歩いて綺麗な丸いドームのウル・ジャミィを見学。

    中でお祈りしている人がまわりにいると、自分もやってみたくなりました。
    えーと、手を耳に当てて、、、

    と、ここまででやめました。

    まわりにジロジロ見られたので、モスリムじゃないとちょっと失礼な事なのかな、と。


    午後5時半、セルチュクで手配した切符を持って言われた通りにハス・トゥリズムのカウンターへ行く。

    バスは本日午後6時半出発でオーケー。
    オトガルまでは直行する、との事。

    オトガル内の奥まった所にある静かなチャイの店でチャイを飲み、時間を潰す。

    6時20分、エマネトに荷物を取りに行き、バスオフィスの前で待つ。
    しかし6時半まわっても、全然僕に声がかからない。

    声掛けてくれると言ってくれたのに、忘れてるんじゃないのか?

    ソワソワしてると見た事ないおじさんが、日本語でどうしたのか?と喋りかけてきました。

    やたらに日本語がうまいと思ったらそれもそのはず、奥さんが日本人で
    以前は東京江戸川区に住んでいた、とのこと。

    今は奥さんとデニズリに住んでいるそうですが。
    この街にも日本人が住んでいたのか。

    僕の事情を話すと、おじさんはオフィスの係員に尋ねてくれました。
    後10分待てとの事。

    ここは客引きの多い、最低のオトガルですが中にはやはりいい人もいますね。
    見た目や第一印象では見分けがつかないのが残念。


    しばらく待ってバスの係員に声を掛けられ、荷物を持って後をついて行きました。他にお客が2人。幹線道路まで出てバスを待っていると、後ろから突然

    「グワッ!!!」

    と驚かされる。

    ビクッ!として驚かした奴を見ると、忘れもしない、デニズリ到着地に胃痛の原因となったあの忌々しい客引き。覚えていますか?とまず言ってきて

    客引き「カラハユットは高かったろう?」

    僕「そんな事ないよ、楽しめたよ」

    そんなやりとりを続ける中、バス会社の係員がなにやら口を挟んでくる。
    どういう知りあいだ?みたいな感じに。

    客引きはトルコ語でなにやら係員に喋っている。

    するとその後、突然僕に肩を廻してきて、「ウィ- アー フレンド」
    等と言ってくる。

    何がフレンドだ。昨日は散々嘘並べてきやがって=3

    バスの係員も2人の他のお客も、信じ込んでるのか笑ってなにか喋っているだけで助けてくれない。

    この日現れた客引きの真意は知りませんが、偏見でモノゴトを見るなら
    自分の悪評を流されたくなかっただけかもしれませんな。
    (今流してる最中ですが)

    ま、彼も本名は最後まで明かしませんでしたから、相手のほうが1枚上手でしたね。

    客引きに始まり、客引きに見送られたデニズリ。
    嫌な思いもしましたが、強烈に印象に残った街でした。

    途中の休憩でピラウと野菜の煮込みヨーグルト掛け、チェリージュースの夕食。
    冷めていてもおいしいのがトルコメシの真髄です。


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  • 12月26日「さよならパムッカレ」

    午後2時、石灰棚へ降りる道付近の足湯で、足をつけながら西日を受けて輝く石灰棚と丘陵地帯の景色を眺め、旅情に浸りながらドネル・ケバブをかじる。

    白黒の大きい犬が傍に寄ってきて、ドネル・ケバブを物欲しそうに見ていたので残りを半分あげました。

    帰りも靴を脱いで下山かぁ、と考えるだけで憂鬱でしたが
    ふと見ると他の観光客数人、靴を履いたまま下りてました。

    おいおい、いいのかぁ?
    景観保護の事も忘れ、ドサクサ紛れに自分も靴を履いて降りることに。

    靴を履くと、もちろん痛くありませんし地面の冷たさを感じる事もありません。しかし喜んでいたのも束の間、朝にはいなかった見張り番が石灰棚入り口付近で椅子に座ってこっちを見ていました。

    結局、靴脱がなきゃいけない運命か。

    他の観光客がばつが悪そうに引き返す中、大きいバックパックを担いだ約一名の観光客(僕)は靴と靴下を物陰に隠れて脱ぎ、ブルーの水をたたえる石灰棚の池を裸足で越える。

    パムッカレどうだった?と聞かれることがあったら迷わず

    「冷たかった」

    と答えるでしょう。


    麓のパムッカレ村のお誘いの多さは、間違い無く今回行った街ではナンバー1だと思います。

    帰りも当然やられ、チャイを飲む気も失せました。

    客寄せというより、ある意味逆効果では?とも思いますが。
    今回、一番好きになれなかった街です。

    お誘いを嫌って、ジェムフリエト広場北側の静かな学校前でカラハユットから来るデニズリ行きバスを待つ。

    学校から出てきた小学生三人が僕に興味を示し、話しかけてきました。

    参りましたね、見た目10歳くらいなのに僕より英語がうまいよ。

    特に携帯灰皿に興味を示したようで、

    「大人はみんな道に捨てるよ」

    と、言ってました。

    いかんなぁ、マナーは守らねば。


    この時、成田空港で貰ったお菓子の詰め合わせを思い出す。
    子供達にあげると、意外なくらい喜んでもらえました。
    いやぁ、僕も荷物が減ってせいせいしたよ。


    子供達と別れてしばらく待つとバスがやってきて、デニズリのオトガルへ無事に戻りました。

    時刻は午後4時前。

    オトガル内のエマネトに荷物を預けて、デニズリ市内をちょっと散歩してみる事にする。

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  • 12月26日「真冬のパムッカレ・テルマルで泳ぐと・・・」

    ヒエラポリス遺跡内において一際目立つカラフルな建物。
    その建物の中に古代の遺跡が沈む野外温泉プールがあります。

    パムッカレ・テルマル、遺跡風呂はテレビでも何度か見た事はあります。

    パムッカレの気温はそんなに寒いとは感じなかったのですが、ガイドブックの記述によればここのお湯は40度以下、ぬるいとの事。

    真冬に外でぬるいお湯に入るとどうなるか。

    せっかくここまで来たんだ。
    こんなチャンスは二度と無いかも。

    挑戦しました。


    チケットを購入し、小さいロッカーに貴重品だけを入れて
    着替えに行く。

    更衣室はありますが外のため、着替える段階で寒いです。
    オマケにカラハユットで使用した水着は乾いてませんでしたし。

    いざ泳いでみると、確かにぬるいです。
    やはり温水プール並でしょうか、後でプールから出るのが恐いよぉ。

    水深は胸ほどしかありませんが、下が砂地でちょっと足が痛い。
    奥に進むと少し広い場所に出て、泳いでるお客が僕以外に三名。

    このあたりまで来ると、沈んでます沈んでます、石柱やら墓石みたいな
    ゴツイ石がゴロゴロ。

    沈んでいる遺跡は予想以上の規模で、沈んでいる石材には藻が生えています。
    遺跡が邪魔で歩きにくいし、ヌルヌルすべって危険。

    深いと思われる源泉付近は、ロープが張られていて立ち入り禁止。

    古代の目抜き通りから温泉が涌くなんてすごい!
    もし京都で涌いたなら四條河原町通り温泉か。


    30分ほどで他のお客が上がり始めたので、つられて僕も上がる事にする。

    肩がプールから出るだけで寒いのに、上がるとどうなるか。
    当然ストーブなんて気の効いたサービスは無しです。

    覚悟を決めてプールを出て、シャワーまでダッシュ。
    冬の風をまともに受けつつ、シャワーの蛇口をひねると
    出てくるのは冷たい水で、お湯はでない。

    仕方なく凍えながら更衣室で着替える。

    さっきまで着ていた服だけでは足りず、バックパックからありったけの服を出して重ね着で凌ぎましたが、体の震えが止まらない。

    真冬に野外温水プールで泳ぐとどうなるか、、、

    ある程度は予測していて、それでもプールに入ったので自業自得なんですけど
    雰囲気は味わえたので後悔はしませんでしたが、パムッカレ・テルマルは間違い無く冬以外のシーズンに楽しむべきシロモノですな。

    小瓶で4.50リラの観光地価格のエフェスビールを飲みまくり、体を温めようとしましたが、逆に体が冷えました。

    しかし真冬のヒエラポリス、有名観光地なのにとにかく観光客がまばらでオフシーズンとはいえ、不思議でした。


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  • 12月26日「パッと見たら瓦礫の山、よ~く見たらモザイク画か?」

    ヒエラポリスまで辿り着き、靴を履いていざ石灰棚を見下ろすと
    やっぱり圧巻。

    ふもとから見た石灰棚は白い塊が盛り上がっているように見えましたが、上から見ると確かに棚田みたいな段々畑状になっています。

    ここヒエラポリスーパムッカレは、ユネスコの世界遺産。
    しかも自然、文化の両方の価値を認められた珍しい世界複合遺産らしい。

    世界中に30数ヶ所くらいしかない世界複合遺産を初めて目の当たりにできる瞬間がやってきました。

    自然遺産の石灰棚は堪能、次は文化遺産のヒエラポリス遺跡を・・・


    遺跡を見てショックを受けました。

    エフェスのような素晴らしい古代都市の遺跡を期待していたのに、あたり一面に広がるのは荒涼とした草原上に無造作に散らばる瓦礫の山。

    なんじゃこりゃあ!!?

    柱や石材、み~んなバラバラ。


    まともに残っている建物はないのか??
    急いでガイドブックを調べる。

    まずは保存状態がよさそうな大劇場、サンフィリッポ教会方面へ登っていってみよう。
    その前に博物館でヒエラポリスの発掘品を見学して予習する事に。

    しかし休館日ではないはずなのに休館、とのこと。
    年末特別休暇?

    博物館は諦めて、円形劇場を見にバックパックを背負い直して
    緩やかな傾斜の未舗装の道を登り始めました。

    朝が早い為か観光客の姿はほとんど見かけず、遺跡内は閑散としていました。

    道の両側には金網が張られていて、古代の建材が積まれた場所は立ち入り禁止のようです。ただ羊飼いは何故か遺跡の鍵を持っていて金網の中に羊を放牧していました。

    円形劇場の保存状態は、もしかするとエフェスよりも上かもしれません。
    ファサードや石像までキッチリ残っています。

    エフェスにしても、この大劇場にしても肝心の上演舞台が狭い気もしますが。
    一体どんな劇をやってたんだろう。


    大劇場からサンフィリッポ教会へは、道の傾斜がとたんにきつくなってきます。バックパックが重くてうっとおしくなってきたので遺跡の影に隠す。
    貴重品も入ってないし、こんなの誰も盗らないだろう。

    途中で道が無くなり、高台の上のサンフィリッポ教会目指して道無き道をひたすら登り、ようやく到着。

    本当にこの廃墟がサンフィリッポ教会か?と考えていたら沢山の羊を連れた羊飼いが「サンフィリッポ」と、指を指して教えてくれました。

    教えてくれるだけならいいのですが、僕のユニクロの厚手のダウンジャケットをよさそうに触ってきて自分のヨレヨレのジャンパーを指して「交換してくれ」とおっしゃる。

    きっぱり断ってサンフィリッポ教会を見学。
    しかし教会よりもヒエラポリスを見下ろす景色に感動。

    バラバラに積まれていた古代の建材も、こうやって見渡すとモザイク画のようで、よい状態で残っているアゴラの柱やアーチがアクセントになって一枚の絵画のようです。

    景色に見とれてフラフラと西のネクロポリスへ。

    昔のお墓ですが、石室は破損しており石棺は剥き出し。
    1000年後に自分の墓も、遺跡として発掘されるんだろうか。
    まさか盗掘はされないでしょうがね。

    もと来た道を引き返してアゴラと浴場方面を見学。
    隠しておいたバックパックを道すがらピックアップし、ドロンコの一本道を
    泥たまりを避けつつ歩く。

    こちらにもネクロポリスがあり、保存状態はこっちのほうがいいです。
    アゴラ近辺は門やアーチなども残っていて、見応えあります。
    浴場跡も、アーチや基礎部分がよく残っていて秀逸。


    標識に従って建材の山を潜り抜けると主祭壇のような跡が残っている教会跡に出る。さらに標識に従って抜けると先ほど劇場へと登った道に出る。

    ある時は迷路みたいで、またあるときは芸術を見せてくれて
    なかなか楽しい遺跡観光でした。


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  • 12月26日「石灰棚を登る」

    早朝のカラハユット。

    8時くらいまで寝ようと思っていたのに、ジャミィの礼拝を呼びかける歌で目が覚めてしまう。

    「朝から誰が唸っとんねん?」

    と寝起きに思ってしまいましたが。
    朝のカラハユットは道に氷が張ってましたけど、冷え冷えして気持ちいい
    冬の晴天です。


    朝食を食べに食堂へ行きましたが、山盛りパンにバター、ジャム、ハム、チーズ、シリアル、ゆで卵などのありふれた朝食。

    外でトルコ人に混じってスープとパンで食べた方が、正直言っておいしいです。

    7時半にホテルをチェックアウトし、朝に礼拝を呼びかけていたと思われる
    中心部に建つベヤズット・ジャミィを見学に行く。

    銀のドームが美しいジャミィですが、新しいジャミィのようで
    明るい内部と緑の絨毯の組み合わせが印象的です。


    朝からジャミィに行って、まわりから信心深いなんて思われたらどうしようかと、くだらないことを考えつつジャミィを出て、パムッカレ行きのバスを待ちました。

    ホテル・ヒエラポリスの前、標識も何もないですが昨日ここにバスが止まったので間違いない、と思って待っていたら予感的中、バスに乗り込んで一路パムッカレ村へ。

    どっかのカフェでチャイでも飲んで重いバックパック預かってもらおうかな、と考えていましたが、店を探して道を歩いているだけで店の人が次々と出てきて勧誘をしたきたんですよね。

    普段だったら願ったり叶ったりで話に乗るのですが、昨日のデニズリでの体験から極度の人間不信に陥っていた僕は思わず引いてしまって次々と断り、とうとう10キロ以上は確実にあるバックパックを背負ったままヒエラポリスへの入り口に到着。

    荷物を預けなかった事、後で石灰棚とヒエラポリスで後悔しまくったのですが。


    とりあえず入り口の小屋のおじさんから5リラの入場券を購入し、山道を登り始める。
    真っ白な石灰棚は遠目に見ると圧巻。日の光が余計にまぶしく見えます。

    しかしいざ登り始めますと、頂上から涌いていると思われる温泉が下に来るまでに氷になっていまして、傾斜も思ったよりキツイし滑って歩きにくい。

    しばらく登って石灰棚の温泉たまり(冷た~い水になっていますが)で恐怖の看板。

    「靴を脱いでください」

    イヤァ!!


    靴を脱いで裸足になり、冷たい水の流れる石灰棚の道を歩く。
    どっちにしろこの深さと水の範囲では脱がざるを得ませんが、
    真冬の水の冷たさは地獄。

    しかし水溜りは最初のココのみです。

    あとは延々石灰棚の道を登ることになります。

    石灰の道はザラザラしていますが、裸足でも痛くははありません。ただ、石がゴロゴロしている道はかなり足の裏が痛いです。

    世界に誇る景観の保護の為、と自分に言い聞かせ、ひたすら裸足でバックパックを背負ったまま登る。

    石灰棚の絶景と見下ろすパムッカレ村は、今までの旅行経験でも間違いなくベスト10にランクインするくらいの景色ですが、なんか道なりにある石灰棚、コンクリートで作ってないか?もしそうだったらインチキ!


    石灰棚の下はなにやら工事をしており、人口の池みたいなものが造られていました。プールか露天風呂だったりして・・・

    脇を流れる温泉の小さい川が頂上に近づくたびに湯気を大きくしていく。

    ゼイゼイいいながら頂上につくと、温泉たまりが沢山。
    しかも冷たくない、ぬるいです。

    流れる温泉の小さい川はちょっとした足湯みたいで気持ちいいです。
    裸足で登りきったご褒美みたいなものでしょうか。

    しかし帰りは逆のルートを裸足で降りなければならない、と考えますと
    ゾッとしましたけど。

    重くて邪魔だったバックパックにタオル入っててよかった。。。

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