歴史と関係ありそうなもの 歴史に興味があれば、 1)元寇防塁 今から740年ほど前の鎌倉時代、蒙古軍が日本に攻めてきた元寇の時に博多湾に20数kmに渡って築かれた石の防御壁の一部が残っています。 生の松原(しょうのまつばら)のものが、長さ400mぐらいあり、現在の地表高さに合わせて復元したそうなので、実感がわくと思います。行き方は地下鉄で博多から下山門(しもやまと)まで25分ぐらい、徒歩10分ぐらいです。 http://bunkazai.city.fukuoka.lg.jp/cultural_properties/detail/34 鎌倉時代に描かれた「蒙古襲来絵詞」にもその防塁の様子が描かれています。 https://www.lib.kyushu-u.ac.jp/hp_db_f/moukoshurai/ そのうち、防塁の上に陣取る武将や、防塁の前を歩む武将 https://www.lib.kyushu-u.ac.jp/hp_db_f/moukoshurai/e09.htm 一回目の襲来の時、蒙古軍に陸地内部まで侵入されて苦戦したので、再度の来週に備えて防塁を築き、二回目の来襲の時はこの防塁により海岸から奥に侵入ができなかったと伝えられています。 2)太宰府天満宮にある、日清戦争時に使われた清国の軍艦の鉄板で作った門扉 太宰府天満宮の大鳥居から本殿に進む道の右側に、別の建物に入る門があり、その門の扉には、上記の内容の説明銘板があります。 日清戦争時、清国の主力軍艦「定遠」が被弾して清国の湾内に退避したが、攻撃にさらされて日本軍に奪われ再使用されるのを防ぐため自沈させたもので、戦争終結後に日本が引き上げて、材料を日本に持ち帰った物。鉄板には砲弾の貫通した穴がある。 120年経っているので錆びているが、朽ち果てて脱落するよほどではないのは、昔の鉄は精錬方法が現在の物とは違うから、錆びにくいのかもしれない。 太宰府天満宮は中国人の観光客も多いが、時々、この銘板を見てなにやら中国語で話しているのを見かけます。 (こんなことに使われているなんて、おそらく、悔しいだろうね。) 場所は、太宰府天満宮に行ったら気をつけて通ればすぐ見つかります。 3)金印の出た志賀島の金印塚 金印を見に行ったのだったら、もうこちらも見に行ったかもしれないけれど。 博多港から船で10分ぐらい、その後バスで10分ぐらい、徒歩少しで金印塚にいけます。 (船の運航時間が合うかどうかですね。小さい船です。) 季節のいいときに、湾を船で横切るのは、海風が当たり気持ちいいです。 4)その他 どなたかが紹介されていますが、 櫛田神社。 博多祇園山笠の飾り山が、専用の背の高い小屋に収まって定置されていて、飾りなどの作りが大変よくできていて、一見の価値あり、だと思います。 地下鉄の駅から道がちょっとわかりにくいが、地図を持って行って、それでもわかりにくかったら、土地の人に聞けば、親切に教えてくれます。 食べ物はわかりません。 よい旅を
mamoru様、有難うございます いろいろご教示いただき有難うございます。 歴史はとても興味があります。 学校で習った事や、大人になってから知ったこと、 旅行先で知ったことなど断片的なことが、最近つながって来ました。 元寇の土塁も見たいと思いますが 今回は時間が限られているので、近い将来再訪して じっくり回りたいと思います。 志賀島の金印塚も再訪の際に行くことにします。 本物の金印は、思ったよりかなり小さかったです。 大宰府天満宮の門扉、見過ごさないように気をつけます。 櫛田神社も行ってみます。 おかげさまで、内容の濃い旅行になりそうです。 有難うございました。