レポート

インド行ってきました。 ~プロローグ インド旅行再考(その1)~

公開日 : 2006年03月13日
最終更新 :

みなさん、お久しぶりです。9ヶ月ぶりの復活のてっちです。

この前はQ&Aでお返事いただいていた方へのお礼も途中までで申し訳ございませんでした。(度重なる身内の不幸や仕事上のトラブル、そして家のパソコンの不調と、私用でコンピューターを全く使えない日が半年ほど続きました。)

ようやく少し落ち着いてまいりましたので、リハビリ?がてら、ボチボチながらもレポートを書いていこうと思っています。
仕事も辞めちゃいましたが、大好きな旅行は続けるつもりです。(経済的にいつまで持つかもわからず、再就職もマジで考えないといけないのですが・・・。)

さてさて本題ですが、まずはじめに大雑把な感想から。

よく言われますよね?
一度インドに行くと、思いっきりはまってしまって「次の旅行もインド!」ってなるか、逆に、大嫌いになって「二度とインドには行きたくない!」ってなるかだと。

実は僕(たち夫婦)はどちらでもなかったです。
今度は、今回回れなかったラジャスタンや南インドにも行きたいと思いますし、かといって次もインドってわけでもないです。

それなりの年なので、体力的にも自信がなく、いわゆるバックパッカーのような旅をしていないので、どっぷりはまるってこともなかったのでは?と言われればそれまでですが・・・。
結論から言うと、インドはアジアのそれまでに行ったことのある(といっても韓国・中国・返還前の香港・タイ・インドネシアくらいですが)国とさほど変わるものではなかったです。
もちろん、インドの方が「濃い!!!」ってことも多々ありましたが・・・。

あと、インドはとにかく大変な国だ!ってのも行く前はあちこちで聞きました。
妻は最初(インドに決める前というか何年も前から、次はどこ行く?ってなったときに)はインドは絶対にイヤ!と言っていました。
おそらく、こういう情報やインドに行ったことのある友人の話を聞いてビビっていたのでしょう。
僕も少しビビっていましたし・・・。
まあ、例によって行くと決めてからは彼女の方が強かったと思います。

で、こちらも確かに大変だけれど、やっぱりアジアの他の国と大差ないのでは?というのが結論です。

続編ではちょっと検証していきましょう。


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  • インド行ってきました。 ~エピローグ~

    長々と取りとめもない文章に最後までお付き合いくださった方、ありがとうございました。

    いい印象も悪い印象もそれぞれありましたが、今となってはすべて思い出です。ありきたりですが、それが旅というものでしょう。

     今回は初めてのインド旅行ということで、行く前は少しビビっていた点もありましたが、最初にも書いたように、特にインドだからどうということはなかったです。欧米の先進国とはもちろん全然違いますし、思ったような旅はできませんが、アジアのほかの国とは大して違いはないです。要注意といわれている空港から市内への移動はムンバイやデリーでは少し高めの宿を予約して、送迎をつけてもらうといった、お金で安全を買うといった対策も立てましたが・・・。
     インドが特にしんどいのは、これまた繰り返しになりますが、とにかく「移動」です。国内線の飛行機にせよ、鉄道にせよ、時間通りに運航(運行)することはまずないと思っていたほうがいいくらいですし、市内の交通についても市バスは観光客が簡単に乗れるようなものではないので、どうしてもオートリキシャーやタクシーを使うことになり、これまた交渉に骨が折れます。(まともなのはデリーの地下鉄くらいか・・・。)ホテルで車をチャーターしてもツアーデスクに入っているものは結構怪しいこともあります。これから、インドに行かれる方は、この「移動」をどうするかがポイントでしょう。綿密な下調べかつ臨機応変に対応できるようなフレキシブルな計画の両方が必要になります。それが嫌なら、全行程で添乗員さんがついてくれるパックツアーか、行き先も帰りの日程もあまり気にしないような行き当たりばったりの旅しかないでしょう。(この場合はどこに行きたいなんていう目標は持たないように!すべて思い通りに回れるなんて甘いものではないですよ!)

     あとは一般的な話ですが、とにかく怪しい連中は無視するに限る!さらに金を請求してきても納得のいかないものに対しては決して支払わないとか・・・。(これはこちらに時間の余裕や物質的に向こうに何かを渡してしまっている(靴やカバン)などの状況にもよりますが・・・。それから考えても、自分に不利な状況を作らないようにすることが大事ですし、そのためにはやはり下調べも必要でしょう。)なんだかんだと言いがかりをつけて金を要求するのがインド人のやり方かな?とも思います。物売りや物乞いはしつこいですが、暴力的に手は出してこなさそうなのでかわせるでしょう。騙してくるものも多いですが、手口は結構ありきたりなので、ガイドブックやネットなどで、事前によくある手口などの情報を仕入れて警戒していれば、ある程度は防げます。

     これも最初に書きましたが、次もインドとも思わないですし、かといってもうインドは嫌だとも思わないです。ご縁があれば、今度はラジャスタンか南インドに行くことがあるでしょう。(次の海外の予定は秋にカナダかな?カナダは以前行ったことがあるので、25カ国めはどこでいつの日か?)

     それではまた。

    P.S.野生のトラを見たい方へ。
     バンダウガル国立公園、絶対お薦めです。「3泊すれば90%以上の確率」(←まるでオーロラみたい)というふれこみにウソはなさそうですよ!

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    追加(特に食について)

    インドに行くと「食べ物が・・・。」という話もよく聞きますが、僕たちは全く大丈夫でした。
    朝食はホテルでビュッフェタイプが多かったです。もちろんカレー系もありますが、それではちょっとつらいので、僕たちは基本的にはパンとフルーツ、付いていればオムレツか目玉焼き&ハムかベーコンといった西洋スタイルで過ごしていました。
    昼は基本的には朝のビュッフェで多めにパンを取っておいて持っていくことが多かったです。うまく、果物を取れるとかなりいい食事になります。
    夕食は町の食堂かホテルのレストランでカレー系のインド料理ばかりでした。せっかくインドに行ったので、メインはインド料理というのが僕たちの旅のスタイルです。それでも今回の旅行期間中にこれで特に困ったということはないです。(食べ物で辛くなったのは、程度としては少しですが、毎日辛いものばかり続いたタイと、いつも同じ味で量ばかり多かったアメリカのグランドサークルです。)カレーばかりで飽きるかな?とも思っていましたが、食べる店ごとに意外と味が変わってくるし、辛すぎるということも少なかった(僕たちはかなり辛いものには強いですが、それでもタイは辛かったです。タイは屋台が一番良かったりして・・・。)です。カレーって奥が深いです。

     あと、特筆すべきは下痢等、おなかを壊すということが一度もなかったです。実は、僕は胃腸がそんなに強い方ではないので、ちょっと心配していたのですが・・・。行き先が欧米の先進国であっても1週間以上の旅行となると必ず一度や二度はおなかを壊していましたし・・・。後になって考えると、これは水(硬水)によるものかなと思っています。旅行中はどこに行っても基本的にミネラルウォーター(ペットボトル)なのですが、これだとどうしても硬水であることが多く、体に合わないみたいです。今回は偶然ですが、旅行の直前に仕事の都合でアメリカに1週間行くことになったので、向こうのペットボトルで硬水に慣れた(免疫ができた)状態で、インドに行けたのが良かったかなあ・・・と。(アメリカでは調子が悪かったです。日本にいたのは中2日だったので軟水対応に戻る前に出発することになったのかも?)
    今度どこかに旅行に行くときには、出発前に日本でミネラルウォーターを買って試してみようかな?(実は日本でペットボトルを買うということはめったにないんです。缶コーヒーや缶ジュースものまないし・・・。もう2~3年ないんじゃないかな?だいたいコンビにもめったに行かないし・・・。)

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  • インド行ってきました。 ~おまけ ハリラヤ・ハジ~

    第21日め:クアラルンプール観光

     当初の予定はタイ航空だったが、9月に燃油サーチャージが値上げされたとかで、予約時から値段が変わってしまったこと(2人分で約1万円アップ)と、さらに10月になって今度は関空~ロス便の廃止に伴い、バンコクでの乗り継ぎ時間が当初の4時間から11時間に変わってしまったことの2点により、急遽マレーシア航空便に変更。こちらの乗継時間は19時間足らずなのだが、タイには行ったことがあるが、マレーシアには行ったことがないので、どうせ乗継時間が長いなら、まあ丸1日市内観光でもするかとこちらにした。(またマレーシア航空便の方が少し安い。)

     行きの関空でもらったクレジットカードの提携のパンフレットに祝祭日にイスラムの犠牲祭(ハリラヤ・ハジ)がちょうど当たっていたので、少し心配ではあった。そこで、まず空港の観光案内所で、今日はハリラヤ・ハジだが、博物館やモスク、ツインタワーなどの観光スポットは開いているかどうか質問し、確認した。

     観光案内所の回答はすべて問題なく開いているとのことだったので、それから、マレーシアリンギットに両替し、KLIAexpressの往復券を買って市内に出る。さらに、中央駅の案内所で、もう一度開いていることを確認して、ブルーモスク(アジアで最大?)のある、郊外のシャー・アラムに向かう。クアラルンプール市内は非常にきれいな街で(インドと比べるとどこでもきれいに見える?)、市内~郊外の鉄道網も発達していて非常に便利である。(公共の交通機関が使えるということは、いちいち交渉する手間もボラれる心配もない。)

     1時間足らずでシャー・アラムに着く。駅でブルーモスクへの行き方を訊く。結構遠い(約3Km)ようでタクシーに乗ったほうがいいと言われるが、タクシーも見当たらない。しょうがないので、歩く。インドと違って非常に暑い。既に汗でびっしょりである。40分ほどでブルーモスクに到着。ところが、入れない。開館時間を職員の人に訊くが今日はハリラヤ・ハジなので1日中入れないと。おいおい。観光局め!騙すという感じではなかったが、知らないまま間違った情報を教えるなんて・・・。付属?の博物館も休館で仕方なく、外観だけ写真を撮って市内へ戻る。結局往復で4時間近く無駄に動いてしまった。

     クアラルンプールの市内に戻って、食堂を探すがどこもやっていない。マレーシア料理の店は今日は休日なので、すべて休んでいるとのことだった。結局、中華か西洋系のファーストフード店しかやってない。
    なんてこった・・・。しょうがないので、フードコートもあるツインタワーの方へ向かい、ここで昼ごはんとタワーに上って風景でも見るか・・・。
     ところが、ツインタワーもハリラヤ・ハジによりタワー搭乗は休み。しょうがないので、フードコートにある中華屋でラーメンのようなものを食べて、作戦を練り直す。

     中央駅に戻り、国立博物館へ。博物館が開いているかどうかを、もう一度中央駅の案内所で確認してから、向かった。「途中ハイウエイを超えないといけないから、徒歩では行けない。タクシーで行くように。」と言われたが、また休みでは?という不安があったので、無駄金を使う気にもなれず、少し破れかぶれになっていたこともあって、ハイウエイを徒歩で渡る。(なぜかホテルの駐車場から裏に出ると、徒歩でハイウエイに入れちゃうんですよ。よいこのみなさんは危ないのでマネしないように!(笑))案の定、博物館も休館。

     結局どこも開いてないやないか!まだフライトまで、8時間くらいある。どうすんねん?暑い市内でダラダラしていてもしょうがないので、空港へ戻ることにした。空港をブラブラするが、何もない。仕方なく、ラウンジへ入り、軽食とシャワーを利用して時間を潰した。

     こうして僕の24カ国めのマレーシア入国は何もしないまま、クアラルンプールはきれいで秩序のある町&何もない町という印象だけを残して終わった(涙)。

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  • インド行ってきました。 ~その24 さらばインド~

    第20日め:(デリー観光(パート3))&帰国へ

     ジャマー・マスジットから地下鉄でホテルへ戻る。夕方6時までなら無料で部屋を使わせてくれると言うので、まだチェックアウトしていない。帰りはクアラルンプールでの乗継時間が19時間くらいあるので、実質2日以上風呂に入れないはずだった。それからすると、これは非常にラッキー。喜んで使わせてもらい、妻と交替でシャワーを浴びる。(結構ギリギリの時間になってしまった。)
     ジャスト6時にチェックアウトすると、車チャーター代が予定と違う。クレームをつけると、「時間を延長している(半日チャーターは4時間)。」と言う。「最初に来たドライバーに拒否され、そのあとに別の車に交渉してもらったから当初の予定より出発が遅れているので、ちょうど4時間のはずだ。」と説明する。向こうも「それなら調べる。」と言って、今度持ってきたのが、「距離が基本料金分を越えている。」と言って来た。確かに帳簿上はそうなっていて、それで正しいのかもしれないが、何といっても「朝のドライバーは道に迷うし、勝手に土産物屋にも連れて行くし・・・。それがなかったら、そんなに超過していないはず。」と主張するが、証拠がないので、認めてくれず。時間があればもっと交渉しても良かったが、帰国便の時間もあるし、空港送迎の車も来ているので諦めて払ってしまった。

     渋滞に巻き込まれながらもデリーの空港に到着。カウンターに行くと出発時間が変わっている。1時間半も遅くなっている。なんじゃそら!それならホテルで、もっと粘って交渉したのに!そもそも、リコンファームして泊まるホテルまで伝えておいて、時刻の変更があれば、ホテル宛に連絡してくれるように頼んでおいたのに・・・。まあ、この国では時間の感覚はどいつもこいつもいい加減だな。
     あとドライバーについても、非常にいい加減。英語で誘って来るくせに英語は通じないし、ホテルのチャーターといえども、どこまでホテルが管理できているか怪しいものである。(アーグラーでは問題なかったが、あらかじめ、ホテルのマネージャーが名刺を渡してきて、「何かトラブルがあれば、ツアーデスクにではなく、自分に言ってくれ。」と言っていたし。)とにかく人によって言うこともコロコロ変わる。

     まあ、このあたりどれだけきっちりと証拠を残しておけるかと、どこまで耐えられるかがインド旅行のキーポイントかな?
     あとはどこの国でも当たり前のことに気をつけていれば問題ないだろう。そんな手荒なまねをしてきそうな感じはなかったし。

     以上、インドを後にしてクアラルンプールに向かう。

    P.S.デリーの空港の売店はろくなものは売っていない。おまけにすべて高い。但し、値切り交渉が可能!空港内で値札がついているのにである。それでも高いと感じたので、何も買わなかったが・・・。時間があったので、暇つぶしに絡んでみただけです。

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  • インド行ってきました。 ~その23 最後の戦い~

    第20日め:デリー観光(パート3)(&帰国へ)

     いよいよインド最終日。今日のデリー観光は日程の前半で行けなかったクトゥブ・ミーナールとジャマー・マスジットがメイン。
     クトゥブ・ミーナール周辺は少し足を伸ばせばいくつか遺跡群があるようだ。ガイドブックによると、リキシャーでは厳しそうなので、ホテルで車をチャーターすることにした。行き先をすべて見せてホテルのツアーデスクに予約していたにもかかわらず、最初に来た車は遠すぎると言って拒否。なんでやねん?ベルボーイが別の車に交渉してくれて、ようやく話がまとまるが、どうもこのドライバーは怪しい。あまりいい気がしなかった。いきなり、「土産を買いに行こう。」と言い出すし、「今オレに1000ルピー払えば、もっといいところに連れて行ってやる。」とか。全部断って、メモ書きを見せて指示通りに行くように迫るが、道にも迷う(まあ、デリー市外のマイナーなところも頼んだのだが・・・)。おまけに遺跡に着いても、「ここから写真を撮ってすぐに次に行こう。」と言って、こっちが入場しようとするとあからさまに嫌な顔をする。こちらとしても、そんなことはお構いなしに入場するが・・・。相手もついに実力行使か、メモ書きしてあった所はすべてを見終えて、こちらが「帰り道の道中にある寺院に寄ってくれ。」と言ったら、「トイレに行きたいから少し止めさせてくれ。」と返してきた。しょうがないので了解すると、何と土産物屋に入っていく。「お前らも降りろ。」と言うので、もちろん文句を言って車から降りずにいたら、向こうも諦めたようで、1~2分で帰ってきた。そんなこんなでホテルに戻る。

     感じがよければ、半日チャーターではなく、1日に延長してジャマー・マスジットの方も回ろうと思っていたが、こんなドライバーは嫌なので、さっさと別れて地下鉄で行くことにする。
     地下鉄は年末に乗ったときと違い、かなり混んでいた。地下鉄からジャマー・マスジットまでの道は経験済み。問題なく到着。
     ところが、ここで最後の戦いが待っていた。ジャマー・マスジットではミナレット(塔)に上れるのであるが、入場券を買ってから入ろうとすると、入り口の係員が「カメラを持っているから入れない。」と言う。「券売所ではカメラを持っていたが何も言われなかったぞ。」と反論。「それでもダメ!」と言って埒があかない。しょうがないので、僕がカメラを預かり、下で待っているから妻だけ上ってくる(あとで交替する)ように言うと、「妻は女性なので、1人で上ってはダメ!」と言う。しょうがないので、「じゃあ、もう塔に上るのはやめるから、入場券を払い戻せ。」と言ったがそれもダメ!「カメラダメ」なんてどこにも書いてないぞ!(今までダメな所はダメと書いてあったし、カメラの持ち込み料がかかるところもあった。)「どうも怪しいな、こいつら。」と感じつつ、こっちも引き下がらない態度でいると、「バッテリーを抜いてここに預けていけば、上らせてやる。」と言ってきた。預り証を作らせ、しぶしぶ電池を渡して塔に上る。ヤツらの態度にあまりに腹が立ったので、塔の上には職員がいないことを確認し、カバンにあった予備の電池(手荷物検査は無し)を入れて撮影しまくってやった。(ざまあみろ!)降りて戻ってくるとさっきの職員はいない。一体何だったんだ!他の係員に事情を言って呼びに行かせ電池を返してもらう。
     今度は建物を見て広場から全景の写真を撮ろうとすると、また例の係員がすっ飛んできて「撮影禁止だ」と言う。「塔の上からだけじゃないのか。」と反論するが、「写真を撮りたいなら撮影許可証(=150ルピー)を買え。」、「許可証のないヤツは罰金500ルピーだ。」とまで言ってくる。ようやくこいつの魂胆がわかったぞ。金をせびり取ろうって腹だな!ますます腹が立ってきたので、「まだ写真は撮っていないし、もう撮らないから許可証も要らない。」と言って追い返し、見学を済ませ、後でコソッと隠し撮りしてやった。(例のヤツは別の外国人観光客にからんでいた。)すると全く別の方向から、人がすっ飛んできて「カメラの許可証は持っているのか?持っていないなら、罰金1000ルピー払え!。」と言ってきた。(隠し撮りだが、例の係員だけ気にしていたので、他から来るとは思わなかった。)あまりに理不尽だし、言ってくる額も違うし、こいつらみんな強請り集りの集団だな!と思ったので、何にも撮ってねえよ!と大きな声で言って、そのまま逃げて出て来た。ここはうっとうしい連中が多いな。
     妻もかなり腹を立てたらしく、ジャマー・マスジットを出た外からも腹いせに写真を撮っていた。ちなみにあとで調べると、ガイドブックにはカメラ・ビデオとも持ち込み無料と書いてあった。

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  • インド行ってきました。 ~インドの鉄道(その4)~

    第19日め(続き):(タージマハル・アーグラー城観光)&デリーへ

     デリーへ向かう列車は予約済みで、夜8:43発。ホテルを8時に出ても十分間にあう。まだかなり時間があるので、近くの土産物屋を物色する。どこもかなりふっかけてくるが、こちらも必ず買うというわけでもないので、お遊び感覚で交渉。ショール600ルピー(元値200ルピー)とシルクに書いた細密画(30cm×20cmくらいの大きさ。他と比べたがかなり出来のいいもの!と自分では思う)2枚組みで2800ルピー(元値1枚4000ルピー)で、購入。

     値切りを楽しんでいたら結構いい時間になったのでホテルに戻り、預かってもらっていた荷物を整えて駅へ向かう。列車は20分遅れくらいで到着。これくらいはほとんど気にならない。

     今回は寝台を連結しない短距離の特急列車。ニューデリー~ボーパールを結ぶ1日1往復の便。観光客にはかなり人気があるようで、駅にはかなりの数の外国人がいる。もちろん指定席(CCクラス=エアコン付き座席車)なので問題ない。列車内も結構そこそこ満席に近い。デリーまでノンストップで2時間半。食事も付いて特急料金や予約手数料も込みで2人で790ルピー。これはネットでの予約の中でもいわゆるE-チケットが利用できる数少ない列車の一つ。(だから外国人観光客に人気があるのか?デリー発が朝早く、戻ってくるのが夜なので、これを往復で使えば、デリーを拠点にアーグラーを日帰りで観光も可能。
     中で出されたカレーの味もまあまあだが、入っていた鶏は骨ばかりで食べられるところがあまりなかった・・・(涙)。

     デリー駅には約束どおり、ホテルからのお迎えが待っていてくれた。一安心。空港だけじゃなく、駅への送迎も頼めそうだ。 

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    訂正

    上のサブタイトルに、番号入れるのを忘れました。

    ~その22 インドの鉄道(その4)~です。

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  • インド行ってきました。 ~その21 つはものどもが夢の跡~

    第18日め:アーグラー郊外観光

     アーグラーに連泊する予定のため、今日は時間に余裕がある。そこで、メインのタージマハルは後にして、今日は郊外の観光名所を回ることにする。タージマハルと並ぶ、アーグラー観光の目玉、ファーテープル・スィークリーまでは、結構離れている。ここに行くのにオートリキシャーではきついのと、前にも書いたように、アーグラーのリキシャーは評判がすこぶる悪いので、ホテルの車チャーターで妥協。(政府観光局のものとほとんど変わらなかったので、観光局まで行く手間を考えれば、まあいいか・・・と。)ファーテープル・スィークリー以外にもスィカンドラーやイティマド・ウッダウラー廟、その他寺院なども含めて追加料金無しの約束で、1400ルピー。乗り合いバスの現地ツアーでも2人分だと同じ位するので悪くないか・・・。

     さて、アクバル帝の理想の都ファーテープル・スィークリーは、都そのものが遺跡となって残っているため、かなり広大。僕たちはじっくり見て回る派なので、ここだけで、結局昼過ぎになってしまう。それだけ時間をかけて見る価値あり!1つの建物の美しさでは負けるかもしれないが、トータルの遺跡としての美しさは、タージマハルより上かも・・・。アーグラーの評判はあまりよくなく、デリーからの日帰りでタージマハル(+アーグラー城)を見るだけで十分という情報が多いが、時間の制約がなければ、是非ここも行かれることをお薦めする。
     その後予定通り、いくつかの寺院や霊廟を見学し、ちょうど、夕方になった。「タージマハルが夕日に映える風景を見たい」とドライバーに頼むとヤムナー河の河川敷に連れて行ってくれた。しばし休憩しつつ、写真を撮り、ホテルへ戻った。


    第19日め:タージマハル・アーグラー城観光&デリーへ

     今日はついにインド観光のメインイベント?、タージマハル観光だ。昨日のドライバーにも別れ際に明日のタージマハル&アーグラー城も自分を指名してくれ。と言われていたが、時間もたっぷりあるので、歩いていくことに。ドライバー自身には悪い印象はなかったけど・・・。2Km足らずなので歩けない距離でもないし・・・。こちらはホテルの公示料金が高かったので、申し訳ないけど、パスさせてもらった。

     しかしタージマハルの入場料は高い。1人外国人料金=US$5+遺跡保護料=500ルピー。あと入り口周辺の物売りとリキシャーワーラーがしつこい。もう入り口が見えているところまで来ていてもまだ誘ってくる。タージマハルはさすがに美しい。でも遠くで見ているほうがいいかな。近づくとそれなりに汚れも目立つし・・・。均整の取れた姿と青空や周りの庭の緑をバックに映える白さがいいと思う。ただ意外に、見所は少なく、あっという間に観光を終える。(昨日のファーテープル・スィークリーとは大違い。)
     次にアーグラー城に向かう。地図では3Kmくらい離れているので、どうしようか考えながら、タージマハルの出口の広場のところに戻ってくると、運良く電気バス?の呼び込みが・・・。少し疑いながらも近づいて訊いてみると、アーグラー城まで1人3ルピーで行くそうだ。これはどう考えてもリキシャーと交渉するより楽かつ安い。ただミニバスなので、ある程度人が集まるまでは出ない模様。時間はあるので、しばらく待つ。待っている間にも窓越しに物売りがやってきてうっとうしい。(なぜか孔雀の羽を売るヤツが多かった。そんなもん要らんやろ!)

     アーグラー城もなかなか良い。ここから見る、タージマハルは囚われのシャー・ジャハーンもこの風景を見ていたのか・・・。でも、ここの豪華な囚われの塔(Musamman Burj)で隠居生活を送るのなら、囚われも悪くないかな・・・?。見学後、かなり時間があるので近くのジャマー・マスジットまで足を延ばし、下町をぶらつく。ここはまさに下町?で、普通にここで暮らしている人を相手にしているためか、非常に混雑していて雑然とはしているものの物売りはいない。但し、観光客相手でないためか冷やかそうにもいまいち英語は通じないようで、ちょっと諦めムード。

     もう一度、アーグラー城まで戻り、タージマハル近くまで戻るのに、さっきの電気バス?を探すが、見当たらない。この時間から、タージマハルに向かう人はいないってこと?まだ3時過ぎだけど・・・。しょうがないので、少しオートリキシャーと交渉するが、かなりふっかけてくるので、歩いてホテルに向かう。地図では5Kmくらいあるはずだが、意外に近く、1時間足らずでホテルに戻る。

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  • インド行ってきました。 ~その20 インドの鉄道(その3)~

    第17日め:(マトゥラー観光)&アーグラーへ

     とにもかくにもヴリンダーバン&マトゥラー観光を終え、無事、駅まで戻ってきた。今回はアーグラーまで50Km強、昼間の約1時間の行程。おまけにマトゥラーまで行くかどうかは臨機応変にするつもり(実は残りの行程はボーパールから来て、アーグラーに行き、デリーoutの飛行機で帰るので、マトゥラーに寄るならルートとしてはアーグラー~デリーの間に入れるのが妥当。しかし、ボーパールから乗った夜行列車は予定ではアーグラー着はまだ未明で、マトゥラー着なら早朝ということと、この日は金曜日でタージマハルは閉館日(下調べ済み!)であることの2点から、ボーパールからの夜行列車がかなり遅れてアーグラーに昼前くらいより遅くなればアーグラーで途中下車し、そうでなければマトゥラーまで行くつもりだった。)だったのと、マトゥラー観光でどれくらいかかるか不明だったので、この間の列車の予約はしていない。
     駅の窓口まで行き、「今から最も早くアーグラーに着く列車の切符を2枚」と言って購入。いわゆる予約窓口ではなかったためか?(よくわかっていない。座席指定などの予約窓口は切符売り場とは別の場所にあるらしい。)2等車(座席)となる。見たことのある列車番号だな、と思っていたら、実はジャンシー~ボーパールまで乗ったものと同じであることが判明。しかし2等はさすがに安い!特急料金(Superfast Chargeと書かれている)10ルピーを含めて1人36ルピー、2人で72ルピー=約¥200足らずだ。2Aだとこの10倍位するし、SL(スリーパークラス=いわゆるバックパッカー御用達の2等寝台)でも4倍くらいはする。

     時間も少しあり、初めての昼間の列車なので、気持ちにも余裕がある。プラットホームで売っていたチャイ屋に声をかけ、ものの試しに購入。1杯5ルピー。安い。結構美味しかった。
     さて、例によって少し遅れて列車到着。一度乗ったことのある列車なので、おおよその長さと各クラスの連結位置がわかっていたため、2等が来そうな所で待つ。ところが、列車が入ってくると同時に押し寄せる人の大群。おまけにかなりの荷物を持っている。列車が止まらない内に乗り込もうとする集団。もちろん降りようとする人を待つ様子など微塵もない。そう、これが写真で見るような半分はみ出して乗っているインドの2等車の普通の光景なのだ。僕はようやくステップに足がかかるところまでたどり着いたが、妻はかなり押しのけられ、本当に乗れるのか?という位置。またこのまま僕が奥へ押し込まれるとこの様子じゃ今度は次のアーグラーで降りられるかどうか微妙・・・。というわけで、乗車を諦め、かといって列車をやり過ごすわけにもいかないので、まだマシそうな隣の車両に乗る。これがSL(スリーパークラス)。もちろん座席指定なのだが、指定券は持っていない。しょうがないので、何か言われたら追加料金を払うつもりで、デッキ部分に立っている。動き始めると程なく、車掌登場。検札時に事情を説明。あっさりと、「次のアーグラーまでなので、このままでいいよ。」と言ってくれる。どう考えても、スシ詰めの2等車より、立ち席でもこの方が楽。ラッキー。
     ところで、この車両SLクラスは「指定席」というより寝台になるはずなのだが、どう考えても定員以上乗っている。6人掛け?(もしかしたら4人?)と思われる1ボックスに10人くらい座っていることもザラだし、上の寝台に何人も重なるように寝ていたりもする。まあ、バイクの3人乗りや、オートリキシャーにも現地人は5人以上乗っていることをよく見かけたし、自家用車に10人はいるだろうというのも普通なので、この国に定員という概念はないのかもしれない。そのうちに気の良さそうな人が、明らかに指定席を持っていない僕たちにこっちに座れよと声をかけてくれる。「座れ」ったってたいしてスペースはないのだが・・・。(日本なら厚かましいオバちゃんでようやく座ろうとするかなくらいの隙間。)
     まあ、言い意味にも悪い意味にも、いい加減なインド鉄道の旅である。

     乗車時間は予定の1時間くらいで、アーグラーに着く。ここからホテルまで、悪名高いアーグラーのリキシャーワーラーと交渉か・・・。と思っていたら、プリペイド(=均一料金)でタージマハル近くのホテルまで50ルピーだという。(実際、駅のボードにそう書かれているのを確認。これがウソかホントかは知らないが・・・。)交渉も面倒なので、それでO.K.ホテルまで送ってもらう。ドライバーの兄ちゃんは、雑記帳を見せ、今までに乗ってくれた日本人たちだといって、夕方~明日の観光を勧誘する。まあ、書いてあるコメントはいいものばっかりだったけど、アーグラーのリキシャーはガイドブックでもネットでもいいうわさは聞かないし、悪い評判ばっかりなので、丁重にお断りして別れた。

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  • インド行ってきました。 ~その19 ついに爆発!~

    第17日め:マトゥラー観光(&アーグラーへ)

     1時間遅れのまま、朝7時過ぎにマトゥラー着。駅の荷物預かりを探す。1個10ルピー(大きさはあまり関係ないようだ)。荷物室に持って行ってカバンに鍵をかけておくこと&カバンを棚にくくりつけておくこと(鍵付きチェーン持参)を指示される。意外ときっちりしているなあ。ちょっと安心。(実はここで荷物を預けていたことが、後で非常にいい結果?をもたらした。)

     外へ出ると客引きに囲まれる。見所のある市街地まで2Km、またヴリンダーバンまではかなりの距離(10Km強)があるので、足は確保しないといけない。少し話を聞いてみる。口々に値段を言うが1日観光(ヴリンダーバン付)で、最安値はオートリキシャーで150ルピー、タクシーで200ルピーだ。「わかった、じゃあタクシーで200ルピーで行こう。」と言うと、「オレの車に乗れ。」とかなりの数のドライバーが客(=僕たち)を取り合う。「もっと安くしてくれたものの車に乗る。」と言ったのだが、誰も安くしない。これが底値か?そこで、最初に200ルピーと言い出した兄ちゃんの車に乗ることにする。もちろん乗る前に、「行きたい所をすべて書いたメモを見せ、これらを全部見て回ってこの駅まで戻ってきて、全部で200ルピーでいい。」ということを確認する。すると、向こうから「No extra charge. No cheating.」だと言ってくる。もちろん「per person」ではなく、2人で200ルピーであることも念を押し、「全部で200ルピーである」ことをメモに書き込ませた。

     まず、ヴリンダーバンへ向かう。少し雲行きが怪しくなってきた。ドライバーの兄ちゃんは、駅では英語であんなに積極的に誘ってきたのに、うまくコミュニケーションが取れなくなってきた。「次はどこどこ」と言ってもわからないのである。「メモを見せろ!」と言うので、渡すと車を止めて、そのメモを道行く人に見せて道を訊く始末である。ついに「英語がわからない。」と言い出した。だったら、外国人観光客に対して客引きするなよ・・・。結局、ヴリンダーバンの中心部に車を止めて、ドライバーがガイドを連れてくる。「ガイド代はさっきの200ルピーに含めるからな!」と確認してから、ガイドについてヴリンダーバン中心部のいくつかの寺院を回る。結構まじめに説明してくれたし、「ロンプラ」では非ヒンドゥー教徒は入れないとされていた、Rangaji Templeにも入れたので、別れ際にお礼にチップとして20ルピーだけあげた。

     ヴリンダーバンをあとにし、マトゥラーの中心部へ向かう。道中の寺院にも寄りながら、約束どおり、クリシュナ生誕の地へ。ここもなかなか見ごたえあり。その後、考古学博物館へ。切符を買っているとドライバーもついて来る。「自分も入りたい。」と言う。「なかなか向学心があるな。」と思ったので、5ルピーだし彼の分も払ってやる。ところが・・・。
     入りたかったのは、向学心からではなく、僕たちを急かせたかったようだ。こちらがゆっくり見学していると、「マトゥラーに泊まるのか?いい宿紹介するぞ。」「いや泊まらない。」「じゃあ列車の時間は?」「決めてない。」「もう列車なくなるぞ!」「調べてあるからそんなはずはない。」などと適当にはぐらかしながら、相手をする。何度も急かすので、いい加減うっとうしくなってきて、「見ないなら、外に出て車で待ってろ!。」と言う。ドライバーは素直にしたがって出て行った。

     博物館を出ると、ドライバーの逆襲?が始まった。ヤムナー河のガートへ行くように指示すると、「あそこは車では入れない。」「だったら近くまで行って待っておいてくれ。」などとやり取りをし、ついに「それなら1000ルピーよこせ!」と来た。「ふざけんな!!全部で200ルピーって約束したじゃないか?」「あれはper hourだ。」無視。「じゃあper personでいい。」あまりに腹が立ったので、「次に車を止めたら降りるぞ。」と妻と日本語で確認して、「Are you cheating?」と言いながら、メモを見せ車を止めさせた。そして、「You are liar! So, we don't pay! Good-bye!」と言って、車を降りた。(最悪、博物館に逃げ込むつもりで。)
     結局、ドライバーは追いかけてくることもなく、さてどうしたものかと考えながら少し歩いて市街地を見て博物館のほうへ戻ってくると、運良く(悪く)さっきのドライバーがいた。彼の方から謝ってきて「駅まで送るから、約束の200ルピーを払ってくれ。」と言う。しょうがないのでそれで赦してやった。もちろんチップは無し!駅前で別れた。少し怖かったけど、屈強そうでないヤツを選んでいたし、荷物を駅に預けていたので、ほとんど手ぶらに近い(とはいってもカメラやガイドブック、水くらいは持っているが)ので、できた行為かもしれない。
     まあ、事なきを得てよかった。

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  • インド行ってきました。 ~その18 遺跡巡り(その2)~

    第16日め:サーンチー観光&三たび夜行列車

     到着が深夜となり、ホテル(昔の宮殿を改装したもの。宮殿ホテルなのに$100-きっていたので、ここにした。)の周りには何もなかったので、明日のサーンチー行きはホテルで車を頼むしかなかった。おおよその値段(距離と時間で追加が発生することもあるので正確には戻ってきてから清算)を訊いて納得はできたので、頼んでおいた。

     ところが、行きは明らかに遠回りをされる。途中「ロンプラ」に載っているいくつかのストゥーパにも寄って欲しい旨をメモに書いて渡していたので、そのうちの一部に寄ってくれるのかな?といいように解釈していたが、結局、遠回りルートのままサーンチーへ。
     サーンチーのストゥーパも秀逸。彫刻といい見所大。お薦めである。遺跡公園内で日本語で話すご夫婦に会う。「こんにちは」と挨拶すると、写真を撮ってくださいと頼まれた。写真を取り合って、遺跡を見ながら少しお話していると、パキスタンに駐在されているということだった。やはり「日本から」の中年夫婦連れは少ない。その方にも非常に珍しがられた。僕たちの年恰好で、仕事を休んで、夫婦2人でインドに来る人も珍しければ(インドに来るのは、年齢層が高い人や家族連れはパックツアーが多く、若い人はバックパッカーがほとんどだそうだ)、ましてや、個人&短期間(ここが数ヶ月にわたる旅ができるバックパッカーとの違いか?)で来る人は、たいていタージマハルをメインにあと行き易いところを滞在日数に応じて数ヶ所くらいで、サーンチーまで来る人はめったにいないと・・・。
     僕たちは行く前にここで質問させていただいたときに、ブーバーさんに教えていただいたおかげで、オルチャやサーンチーにも足を延ばす計画にしました。どちらも、足を延ばすだけの価値のあるところでした。この場を借りて御礼申し上げます。

     さて、(博物館も含めて)サーンチー見学後、「ロンプラ」に載っていたウダヤギリ石窟やヴィディシャーの博物館に行く。途中、結構道を間違えられてしまう。おまけにドライバーは英語があまりわからないらしく、いまいちこちらの言っていることが通じない。さらに朝渡したメモ書きも実はわからないようだ。おいおい、わからないなら最初から言ってくれよ!乗るときはすべてO.K.だと言っていたのに・・・。

     迷いながらも石窟や博物館も見学し、まだ時間もかなりあったので、帰りはロンプラの地図を見せながら、サーンチー周辺のその他のストゥーパに行ってくれるよう頼む。O.K.だと言うが、やはり道がわからないようだ。結局ストゥーパの場所がわからないと言うので、諦めて帰ることに。おまけに、ボーパールまでの2つのルートのうち、近道側に誘導して、4分の1くらい進んでいたのに、わざわざサーンチー方向に戻って、遠回りルートを使う。何度も「ボーパールはこっちじゃないだろ?」とか、地図を見せながら、「このルートで帰ってくれ。」と言ったのだが、聞いてもらえなかった。

     納得できないまま、ホテルへ帰着。請求金額は1800ルピー。昨日の話では1000~1200ルピーくらいということだったのに、やはり超過距離や時間延長までつけている。「何度も道を間違えられるし、サーンチーまでも遠回りされるし・・・。」と文句をつけるが、「近道ルートは道が悪いから普通は使わないとか、ベテランドライバーだから道を間違えるはずはないとか。」言って応じてくれない。ようやく、1割引の1620ルピーで妥協。少し悪いと思ったのか、乗る予定の夜行列車までの2時間空いている部屋を使わせてくれる(シャワーを浴びる)ことになった。

     例によって列車は遅れていた。ホテルで状況を確認してもらっていたにもかかわらずである。夜10時半発の予定だったが、結局発車は日付の変わる頃になった。さすがに1時間前後の遅れならもうなんとも思わなくなった。今回はマトゥラーまで8時間の行程で完全に日を越すので、1Aを予約しておいた。残念ながら4人部屋で、先客が2人いた。ノートパソコンを持ち込んでいるビジネスマン風のインド人で、やはり上層階級か・・・。怪しくはなさそうで安心した。酒を持ち込んでいたらしく、「飲んでいいか?」と尋ねてくる。「もちろん、いいよ。」と答える。「お前もやらないか?」と差し出された酒は、高級スコッチだった。

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  • インド行ってきました。 ~その17 遺跡巡り~

    第15日め:オルチャ遺跡~ボーパールへ

     カジュラーホには鉄道が通っていない。そこで移動は車かバスとなる。(飛行機も1日1便?バラナシとの往復があるようだが、計画段階で調べている時点で、既に満席)これまた調べていた、政府観光局の車チャーターの値段よりホテルの値段の方が安かったので、ホテルで車チャーターを頼む。カジュラーホから途中オルチャ遺跡により、ここを観光したあと、ジャンシーの町(要塞がある)を少し観光、さらに、ジャンシーの駅まで送ってもらうというもの。9~10時間ですべて込み2500ルピー。

     オルチャの町ものんびりした田舎。川に囲まれた要塞の中にかつての王国の宮殿が、そのまま遺跡となって残っている。なかなか見ごたえのある遺跡だった。さらには鍵のかかっている部屋も無料で開けて、ガイドもしてくれた。例の勝手にガイドかと思っていたが、このときのおじさんは簡単な説明をすると自ら去っていった。(これが普通だが、今まではとにかく、金を要求する連中ばっかりだった。)
     宮殿遺跡見学のあと、今度は少し離れた寺院を回る。川沿いの寺院ではまたまた鍵がかかっていて、子供(10歳くらい?の女の子)が鍵を開けてくれた。国籍を訊かれ例によって「Korean」にしておいたが、何と、きれいなハングル語で、名前を訊いてきた。僕は名前を訊かれているくらいはわかるので、ぼけ~っとしている妻にコソッと「名前訊かれてる。」とささやいて何とか切り抜けたが、感づかれていたかも・・・。その後も所々ハングル交じりの英語でガイドしてくれた。「私のハングルはあってる?」なんて訊いてくるが、僕たちそんなにハングルわからないって!(自爆!!)ちょっと可哀想なことをした気分になったので、御礼として20ルピーあげた。(頼んでいないガイドにお金を払ったのはこれが唯一!)しかしこの子はどこでハングル勉強してるのだろう?不思議である。

     オルチャを後にし、車でジャンシーに向かう。ジャンシー要塞はヨーロッパタイプの要塞だった。
    その後ジャンシー駅から鉄道でボーパールへ向かう。例によって遅れて到着。まあ1時間くらいなので、許せる範囲。予約したのは2A。4時間くらいの行程だが、夜なので、それなりの席にした。(3Aでもよかったのだが予約時には空いていなかった。)向かい合わせの席になったのは、インド人の老夫婦。身なりと読んでいる雑誌(英語のビジネス誌)から、それなりの人たちだろうと勝手に判断してちょっと安心する。挨拶だけ交わすと、向こうから色々質問してくる。彼らはグワリオールからコチ(コーチン)へ向かう途中だそうだ(丸3日かかる)。弁当持参らしく、一緒に食べないか?と言ってくれる。遠慮とちょっと不安(本当に信用してもいいの?)もあり、戸惑っていると、「ウチのservantが作ったホームメイドだから安心しろ!」だって。おいおい使用人雇ってるのか?さすがに階級社会である。結局お言葉に甘えていただくことにした。美味しかった。お礼に日本から持参した、京都の風景の絵葉書を1枚あげた。あと、僕たちが持っていた、今乗っている列車の時刻表(ネットからプリントアウトしたもの)に非常に興味を示していたので、それもあげてきた。
     1時間半遅れで夜11時にボーパール着。予約していたホテルは結構遠く(「ロンプラ」の地図では4Kmくらい?のはずだが、乗っているオートリキシャーでだいぶ時間がかかり、変なところに連れて行かれるのでは?と少し不安になった。)、深夜料金ということで請求された150ルピーを交渉もそこそこにのんでしまった。(夜だと弱気になってしまう・・・。反省。とはいっても列車もどうせ遅れるから着く時間を考えての移動なんて無理!!と言い訳をしておこう。)

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  • インド行ってきました。 ~その16 エロティック~

    第14日め:カジュラーホ観光

     今日はホテルでレンタサイクルを借りて1日のんびりとカジュラーホを回る予定。
     いきなり、遺跡公園の入り口で土産物屋の兄ちゃんに絡まれるが無視。日本語で話しかけてくるしつこい連中には「We are Korean」で対抗したが、インドへ観光で来る東洋系は韓国人が多いよう(今韓国ではインドブームなのか?町であった韓国人と話をしていたらそんなことを言っていた。)で、今度はハングルで責めてくる。インドの観光地では、入り口に土産物屋がたむろしているのだが(ここまではどこの国でも同じか)、無視をしても、必ず「later」と勝手に言い放ち、本当に出口(入り口と同じ場合だけでなく、出入り口が異なる場合でも)で待っている。さらにはどうやら顔も覚えているようだ。それでも、無視を決め込んで今まではやり過ごしてきたが、今回は自転車を止めておかなければならず、質を取られている感じでちょっと不安。結局ここでは、戻ってきたとき、運良く、さっきの兄ちゃんは他の客とお取り込み中で、コソッと自転車に乗って立ち去ることができました。

     遺跡公園の中には、エロティックな彫刻で有名な寺院群が立ち並ぶ。エローラ・アジャンターも素晴らしいが、どうしても石窟寺院なので周りが暗く彫刻の精緻な部分までは見にくい。その分、ここカジュラーホの方が、一体一体の彫刻は見ごたえがある。エローラはやはり、一体の彫刻よりも寺院そのものを岩山から彫り出したと言われるKailasanath、アジャンターは壁画がメインか。
     しかし、ガイドブックで読んではいたが、本当に妖しいお姿の彫刻ばかりである。神々もやはり人の子??なのか・・・。(なんか矛盾してますね)
     メインの西群だけでなく、東群、南群にも足を延ばす。この辺りまで来ると非常にのどかな田舎町(というより村落)。水(というより泥)浴びをする水牛。その周りをウロウロする鳥やイノシシ、そして子供たち。しかし、一部の寺院には、やはり、勝手にガイドをして付きまとう者(何とどう見ても子供!)もいる。

     なぜ、こんなにエロティックな彫刻ばかりなのか?という疑問には諸説あるようだが・・・。
     ここのエロティックで気を惹いたのが、つまらないものばかり売りに来る土産物屋が持っていた小さな金属製の仏像。小さなレバーを指で押すと、動くのである。書いていいかどうかわからないですけど、ちょうど神様が背中側からまぐあう姿で腰を動かすんですよ。たわいもないつまらないものなのですが、長期旅行に出かけるときに、ビデオの録画や花の水遣りでお世話になっている近所の学生さんへのお土産にはネタとしてちょうどいいかなとも思ってしまいました。まあ、あまりに下品(お下劣)で、親御さんにこちらの品格を疑われるといけないので、思い留まりましたが・・・。今回の旅行中、土産物屋や物売りたちが持っていたものの中で、唯一ちょっとだけ惹かれたものでした。(あくまでネタとしてですよ!!)

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  • Re: インド行ってきました。 ~その15 トラ!トラ!トラ!~

    第13日め:バンダウガル最終日&カジュラーホへ

     最終日の朝、気をよくした僕たちはやはり1番を目指して、早めに公園へ。昨日と同じ状況で、昨日と同じガイドが付いてくれた。(これで、上述のからくり?(システム)とこのガイドの立場が判明。)とりあえず、タイガーショーの予約を入れ(もちろん順位1位)、トラを探しに行く。ガイド曰く、「今日はタイガーショーは昨日の場所の近くにいると思われる昨日と同じトラを見ることはできるはずだが、薮の中ではあまり良い写真も取れないだろうし、タイガーショーは高いから、多少タイガーショーに遅れたり、キャンセルすることになっても、別のトラを探しに行こう!」とのこと。昨日トラを見ることができたので、気持ちに余裕のある僕たちは即同意。
     ちょっと車を走らせるとなんと!見える範囲にトラがいる。それも2頭。また、他の車は僕たちに付いてきていた1台しかいない。じっくりと写真も取ることができた。そのうちに情報を聞きつけた他の車が集結し、大部隊となると同時に1頭は去っていった。

     このとき、後から来た車に乗っていた日本人夫婦に声をかけられた。開門を待っている間に東洋系の人が1組だけいたのは知っていたが、まさか日本人とは・・・。こんなマイナーな所で会うとは思いもしなかったので、びっくり!おそらく、同好の士と思われるので、ゆっくりお話をしたり、情報交換もしたかったのだが、トラがいるので、周りのガイドたちも静かにするように言っていたので、挨拶を交わしただけで、別れた。

     もし、このレポートをお読みになっていたら、ご連絡ください!!
    僕たちより少しお若いくらいでしょうか?ご夫婦とも、しっかりした感じの好印象を抱かせる方々で、だんなさんは落ち着いた感じの優しそうな好青年、奥さんは美人というほどではないが、とてもしっかりされていて、それでいて可愛らしい感じの方(僕好みかも?)でした。

     かなりのジープが集まってくると、ガイドのおじさんは「今日はラッキーデイだ。この調子なら、別の場所でもまた見られるかもしれない。この混雑からさっさと抜け出して、また別の場所に行こう。」と言う。もちろん同意して、別の場所に行く。するとここでも、また別のトラを発見。ついているのか?それともガイドの腕か?(タンザニアでも感じたが、サファリの成否はかなりの部分でガイドの良し悪しにかかっている!)充分トラを堪能して、タイガーショーもキャンセルして大満足してロッジに戻る。ロッジでは、「今日は車からトラを見れた。」と言うと、写真を見せてくれと、従業員達にせがまれる。朝からかなり盛り上がる。いやあ、ラッキー!!今年は良い年になりそうだ。従業員曰く、「This year is Tigers' year」だそうだ。これまたいい響き!(今年も優勝!タイガース!なんてね。)

     朝食後、チェックアウトして、手配した車で、カジュラーホへ。5~6時間くらいの道のりとのことだったが、途中、列車事故があったようで、開かずの踏切ができてしまい、カジュラーホの宿に着いたのは7時過ぎだった。

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  • Re: インド行ってきました。 ~その14 念願の・・・~

    第12日め:バンダウガル3日め

     日付変わって、2006年となる。どうかいい年となりますように!
     昨日はややゆっくりめの行動(夕方のサファリも早々に諦めて帰ってきて、シャワーを浴び、寝支度を整えてから、キャンプ?(=夕食前にキャンプ場みたいなところでオードブル&酒で盛り上がる。この日の参加者はイギリスの男性2人・女性2人のグループ&スウェーデン人の男性1人&僕たち夫婦)&夕食へ。夕食後すぐ就寝。)にしたおかげで、体も冷えることなく、風邪も何とか日本から持参した薬で治まったようだ。
     気分はまだへこみ気味なものの昨日のガイドの指示通り、6時半開門に対して5時過ぎにロッジを出て5時半に公園の門の前へ。もちろん開いているわけもなく、管理事務所(入園許可をもらう所)もまだ無人。ようやく、管理事務所の人がやってくるが、今度はガイドを雇いにいったドライバーが戻ってこない。そうこうしている内に他のジープもたくさん集まってきた。「なあんだ。案の定、人多いやん?!これじゃ昨日言われたのと同じで、トラは出てこないよ!早く来ても一緒やん?」と、ますますへこんできた。おまけに待つ車は列を作るようになっているはずなのだが、守らないドライバーもちらほら。結構、嫌な予感!
     6時25分になってもドライバーは戻ってこない。かなり不安になるとともに、苛立ちも。ようやくガイドを連れて戻ってくるが、今日のガイドは他の車やガイドにも色々話しかけたり、世話をしたりしていてなんだかなあ・・・。開門となって一応先頭で入場するが、後続車もぞろぞろいて、とてもじゃないがトラが出てくる様子はない。少し走って、公園内の広場みたいなところに行くと、ガイドは車を降りてどこかへ行ってしまった。そして、またまた他のガイドの世話をしている。大丈夫か?
     しかし、予感はいい方に外れた。戻ってきたガイドは「タイガーショー」(=車では入れない薮の中にいるトラを見つけたときにゾウの背中に乗って薮の中に入る)の予約を取ってきたという。そして「順番が1番だ。」と。どうやら、トラが見つかったという情報が入るとタイガーショーが行なわれるのだが、ゾウの頭数が足りず、順番を待つようだ。それでも閉門時間になると帰らなければならず、またトラはじっとしているわけではないので、タイガーショーの途中でいなくなってしまうこともあるらしい。つまりゾウの順番待ちの順位がトラを見られるかどうかに大きく影響するようだ。そしてその順番取りが早い者勝ちとなるわけだ。(どうやら、昨日のガイドは出遅れたらしく、僕たちに順番やこのようなシステムを告げることもなく、明日は早めに来いとだけ言った。おまけに出遅れといっても門の前に並んでいたジープの順番ではそんなに後ろではなかったはずだが、例の広場(=タイガーショーの予約所?または情報交換用のセンター?)に行く前に寄り道していたし・・・。このシステムを知っていたのかどうか?それとも最初から無理と判断して諦めていたのか?未だに謎である。)
     とりあえず、後でここに戻ってくることにして、トラを探しに出かけると言う。まあ結局トラは見つからなかったが、広場に戻るとどうやらトラ発見情報が入った様子で、いよいよタイガーショーが始まるらしい。トラがいるといわれる場所の近くまでジープで向かい、そこでゾウの到着を待つ。その間もまた僕たちのガイドが、他の車の世話を始める。後でわかったのだが、このガイドは必ず1番に管理事務所に行った車に付くガイドのようで、他の車などの差配等を任されているようだ。こちらのガイドがいない間に他の車のガイドが自分達の客を我々の車に乗せてやってくれと交渉してきたが、断った。だって他の客もいっぱいいるのに・・・。順番抜かしはいかんよ。「We respect the order.」なかなかいい言葉だ。

     ようやくゾウが到着し、それに乗って薮の中へ。トラは3頭いた。1頭はお食事中のようで、鹿のような動物が「半死に」の状態だった(ちょっとかわいそう)。タイガーショーは何と1人600ルピーと非常に高い。が、それなりの価値はある。というかトラは基本的に薮の中にしかいないので、ジープから見られることは稀で、見られるのはこのタイガーショーがほとんどということだ。(すれ違ったサファリ客同士でも英語で情報交換していたが、車から見たという者はおらず、みんなゾウに乗って見たという話だけだった。)そしてトラを見れるのは朝がほとんどと言われるのは、このタイガーショーは朝しか行なわれていないのだ。

     念願の野生のトラを見て大満足で、ロッジに帰る。「今日は見られた。」というと、みんな「まさにHappy New Yearだ。」と祝福してくれる。確かにいい年になりそうだ。
     夕方のサファリにも出かけたが、やはりトラを見つけることはできず、公園内を数箇所回って早めに切り上げる。気持ちに余裕があるのは嬉しい。

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  • Re: インド行ってきました。 ~その13 バンダウガル国立公園~

    第10日め:バンダウガル到着

     結局、列車は約4時間半遅れで出発。当初の予定では夜12時半頃にカトニというジャンクションの駅に着いてそこまで迎えの車が来ているはずだった。そこから、車で3時間くらいという行程でバンダウガル国立公園内のロッジに着く。それで、ロビーで仮眠しながら、朝のサファリツアーに参加して、ロッジに戻ってから昼寝という計画だった。

     このバンダウガル国立公園は野生のトラが見られる確率が最も高い(公園内のトラの密度(=生存するトラの頭数/公園の面積)が最も大きい)ということで、今回の旅行の大きな目的の一つ。(「インド」といえば、「虎」でしょ!ってタイガースファンだからか(笑)?!)
     動物好きの僕たち夫婦は以前タンザニアにも行っている。トラの情報は、ガイドブックにはほとんど載っておらず、ネットの英語による情報のみが頼り。(日本語のものは個人の方のホームページを2つ見つけたのだが、一つは「表示できない」のエラーでした。もう一つのページの管理者の方は、載っていたアドレスにメールを出すと色々教えてくださいました。この場を借りて感謝を表します。)サファリツアー自体がメインの観光資源でかつヨーロッパ資本で整備されているタンザニア(やケニア)と異なり、インドではサファリツアーはそんなにメジャーではない。(やはりインド観光は遺跡がメイン!)でも、とにかくトラが見たい!!個人的には最も美しい動物だと思う。(アフリカのライオンやキリンやゾウたちもよかったが・・・。トラに勝るもの無し!←「ええ響きや!!(あえて関西弁)」今年こそ日本一!!(脱線失礼!))
     この一心でせっせと調べ、ようやくたどり着いたバンダウガル。サファリは朝・夕の1日2回あるがほとんどの場合、トラが見られるのは朝ということ。そのためにあえて夜行列車にして、朝までに現地に着いて3泊4日ながらも朝のサファリを4回予約していたのに・・・。おまけに信用できないと言われるインドの旅行会社にメールを出して信用できそうな所(対応がよかった所)に決めて、クレジットカード番号まで送るというリスクまで負ったのに・・・。

     遅れて出発した列車は、途中駅でも何でもないところで止まったり、停車駅ではないところで止まったり(おそらく単線のための行き違いか?)と、どんどん遅れていっている模様。結局、6時間以上遅れた朝7時にカトニ駅着。なんとドライバーの兄ちゃんは駅のホームで待っていてくれた。(こんなに連絡無しで、深夜に待たしているのでいないだろうなと半分諦めていた。連絡先の電話番号はもらっていたので、駅に着いたら電話するつもりだったが。)いやあ~、非常に嬉しかったです。思わずチップをはずんでしまいました。

     さて、そんなこんなでロッジに着いたのは10時前。朝食を用意してくれたので、いただきながら変更を余儀なくされた計画を練り直す。ロッジの人によると、今からでもサファリに行けなくはないが、トラを見るには時間が遅すぎるだろうなあ・・・と。残念ながら、サファリは諦め、昼寝をすることに。夕方のサファリは案の定、トラを見ることはできず、まあそれでも遠吠え?だけは聞くことができたので、近くにはいるようだ。ところが、日没後の帰りはかなり冷え込み、かなり寒かった。おまけに、部屋のシャワーは温水タンク式だったため、2人続けてシャワーを浴びることができず(途中で冷水になる)、部屋でもブルブル震えていた。昨日の駅といい、今日のロッジといい、かなりの寒さで応えた。


    第11日め:バンダウガル2日め

     次の日、どうやら風邪を引いたようで、のどが痛い。約束の時間にサファリに行き、公園へ入るが結局トラは見れず。寒いわ、体調悪いわ、トラは見れないわで、かなり滅入ってきた。おまけに国立公園の入り口でガイドが乗り込むのだが、この日のガイドはどうも頼りなく、どこに向かってもトラはいそうにないし、他のガイドとの情報交換も???だった。引き上げるときに「今日は公園内に入る人数が多すぎる。もっと早く来ないとダメだ。」と言われた。公園内に入れる時間は決まっている(公園側がトラの保護のため(密猟を防ぐため?)、開門時間を制限している)のに、早く来たって、入り口で待たされるだけだろ?と不審に思いながら、翌朝は出発を1時間繰り上げることにした。この日の夕方も、やはりトラは見れず。これで朝・夕合わせて6回のサファリのチャンス(本当は7回だったのに!と、トラが見れないとなるとますます列車の遅れに腹が立つ!)のうち半分が終わったにもかかわらず、収穫ゼロ。そうこうしていろいろあったトラブル続きの2005年は終わった。

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  • Re: インド行ってきました。 ~その12 インドの鉄道(その2)~

    第9日め(続き):(ガンジス河ボートツアー&サールナート観光)&またまた夜行

     ムガルサライの駅で列車を待つ。アナウンスもあるが、ヒンディー語なので、よくわからない。列車が入ってくるなどの重要なアナウンスはヒンディー語&英語なので、英語部分はわかるのだが、どこのプラットホームかコロコロ変わるし、プラットホームがすごく長いわりには、それをつなぐ陸橋は1つしかなく、非常に遠い。おまけに日本のように、各車両間を行き来することができない(一部はできるが)ので、異なるクラスの車両の前に待っていたのでは、予約した自分の列車(車両)に乗れなくなってしまう。さらには、列車は入ってくる前に汽笛を鳴らす(非常に大きな音!)ので、アナウンスは聞き取りにくい。
     ホームの売店などで訊いても、「ポーターに訊け。」と言われるし、ポーターに訊いても無料では教えてくれない。おまけに後で経験することになるが、直前にホームが変わっても金を払って運んでくれたポーターは面倒見てくれない。(つまり運び直すのならまた金を要求される。)
     予想していたことだが、もちろん当初の遅れの予定である1時間半経っても列車が来る気配すらない。何度か窓口まで行って確認するが、2時間遅れになり、3時間遅れになり・・・。ついに「もうすぐ来るよ。」と。ようやく、アナウンスがあり、列車が近づいてきているのはわかるが、言われているホームには違う列車(どうやら回送)が止まったままで、空く様子がない。おいおい、どうすんねん?
     僕たちが乗ると思われる列車は駅直前で停車してしまい、今度は動く気配すらない。「ただいま到着」のアナウンスがあった後、(列車は見えているのに!)1時間以上経ってから、ホーム変更のアナウンス。(これも聞き取れたわけではなく、ヒンディー語でアナウンスが入っている間に、自分たちのいたホームにいた他の人たちがざわざわと動き始めたのでついて行った。英語に変わる頃には人の動きと口々にしゃべる声で聞き取れなくなる。)
     結局、4時間半遅れで出発。(夕方6時半頃発の予定だったが、ほとんど夜11時!)

     ところで、この列車待ちは非常につらい。
     まず、いわゆる日本のような待合室といった気の利いたものはなく、スペースは少しあるもののホームレスなどで溢れかえっているし、人通りも多い(どちらかというと大きなスペースではあるが雑踏という感じ)ので、アナウンスも聞き取りにくい。しょうがないので、最初に案内された番号のプラットホームで待つが、前述のように、変更もしょっちゅうあるし、陸橋が少ないのでかなりの長距離移動となるため、荷物を持っての移動はつらい。(僕たちの倍以上の荷物を持ったインド人旅行者はたくさんいるが・・・。また、直前の移動でポーターを頼もうものならボラれるのは経験済み!)
     さらに、ホームで待っていても、物売り、物乞いはウロウロしているし、人間だけでなく、ノラ犬、ノラ牛もウロウロしている。もちろん、エアコン(冷暖房)設備などというものはないので、夜になってどんどん冷えてくる。手持ち用のカバンから薄手のウインドブレーカーを出すが、カバンを開けようとした瞬間に、物乞いなど怪しい人間が一気に寄ってくる。それでも耐えられないくらい寒くなってくるが、少しカバンを開けるだけでこの調子なので、大きなカバンに入っている厚手の方は、とてもじゃないがここでは出せない。
     おまけに、おなかが減ってきた。列車の中での夕食用にと、軽食は用意していたのだが、ここで出そうものなら、それこそ、物乞いの餌食である。寒さと空腹に耐えて5時間以上(早めに駅に着いていたので)も駅で過ごすのは大変であった。(途中どうしても耐えられなくなり、リンゴを食べたが、案の定、1個を物乞いの子供にねだり取られてしまった。彼等は非常に嬉しそうな顔をして、少し離れた場所で食べ始めていたのでホッとしたが、それもつかの間、食べ終わると「今度は金をくれ!」だの、「まだ足りないからもっとくれ!」だの、どんどんエスカレートする。クセになるので、やらない方がいいのかも?と思ってしまう。少なくとも、何かを恵んでやるのなら、その場をすぐに離れられるシチュエーションでなければならないと思う。)

     とにかく、インドでは「移動」が鬼門のようだ。

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  • Re: インド行ってきました。 ~その11 サールナート観光&バラナシ観光(続き)~

    第9日め(続き):(ガンジス河ボートツアー)&サールナート観光(&またまた夜行)

     ボートツアーから帰ってくると、部屋に朝食券が入っていた。朝食は昨日タダでもらったところとは別の食堂(とはいっても朝食込のホテル料金だったが)で、内容は少し豪華。テーブルに案内されるときに「お前等は中国人ツアーの団体か?」と訊かれたのと、昨日の食堂ではほとんどが中国人の団体さんだったことを考えると、団体のパックツアーと一般の宿泊客でメニューを変えているようだ。

     朝食後、チェックアウトして、荷物だけ預かってもらい、サールナートへ向かう。ここでまた問題発生。ホテル内のツアーデスクで車のチャーターを予約していたのだが、当初の料金は「半日観光+ボートツアー+1日観光(市街だけでなく、サールナートなど郊外へ行っても8時間までなら同料金)」の料金で交渉していたのに、この日の担当者は「半日観光+ボートツアー+サールナート観光+半日観光」だと言って譲らない。昨日の予約の時点で、サールナート観光後、一旦荷物を受け取ってから(実は僕たちは荷物を持ってサールナートへ行ってもいいと言っていたが、ツアーデスクの方が一度ホテルに戻ってくる時間も十分あるので荷物はホテルにおいて置けと言っていた。)、ムガルサライ駅へ送ってもらう途中に、ラームナガル城に寄ることもちゃんと確認しておいたはずだが、取り合ってくれない。昨日交渉しながら使っていたメモ書きを見せてもダメ!それどころか、「ムガルサライ駅に行くなら、その分も上乗せする。」とまで言ってくる。あまり交渉が長引くと観光できなくなるので、ムガルサライ駅送迎分は無しの「半日観光+ボートツアー+サールナート観光+半日観光」料金で負けてしまう(涙)。ほんの少しの違いだが、ホテルに入っているツアーデスクにまでやられてしまう。こんなことなら昨日の内に支払っておけば・・・。

     サールナートはバラナシ市街とは異なり、ガイドブックにも書いてあるとおり、のんびりした感じだった。
    のんびりと遺跡公園を散策していると韓国人の僧侶に日本語で話しかけられた。(外国人訛があったので日本人でないことはわかった。英語で「本当に?」って訊いたが、それでも笑いながら「日本人だよ。」と言うので「どこから来たの?」と訊くと、つながりがなさそうな日本の地名をいくつか挙げたあと、笑いながら「ソウルだよ。」と・・・。)
     そういえば、ここまでムンバイの空港とデリーで見かけた団体さんの一部以外ほとんど日本人を見かけなかった(日本人だと思っていたら韓国人だったということが多かった。どうやらインドは韓国人旅行者が多いようである。)が、サールナートでは2人の一人旅をしている人を見かけた(日本語の「歩き方」を持っていたので日本人であることは明らか)。しかし2人とも目をそらされてしまった。どうして、一人旅の日本人って他の日本人を見ると嫌な顔をするんだろう・・・???

     いったん、ホテルへ戻ってから荷物をピックアップして、ラームナガル城(博物館)へ。時間が余ったので、ガンジスの河川敷まで下り、徒歩で浮き橋を渡って往復する。(ドライバーに「絶対にリキシャーには乗るな」と釘を刺される。やはり、このあたりは危ないらしい。)

     ホテルを出る際に鉄道の遅延情報(一応、電話で調べられるというふれこみ)を調べてもらい、「遅れはない」とのことだったが、駅についてびっくり。「遅れている」のである。(先日乗ったデリー~バラナシの列車は定時発だったし、今日の列車も始発駅からさほど離れていないので、遅れていても大したことはないだろうと思っていたのだが・・・。)
     最初は「nineteen minutes」というので、それくらいなら、ドライバーは「車で待っていれば。」と言ってくれた。しかしこのいい加減なインドで19分なんて細かなことを言うだろうか?不安になったので、もう一度確認に行く。窓口で「nineteenかninetyかはっきりしてくれ。」と確認する。確かに「nineteen」だと言う。そのくせ、後ろにいた別の職員が「だから、ninetyではなく、nineteenだよ。one-and-half hoursだ。」と。「???」やっぱり、ninetyじゃないか・・・。発音が悪くて通じないと困るので「one,nineなのかnine,zeroなのか」とまで確認したのに・・・。そんなこんなで、1時間半以上の遅れが確定。ドライバーに礼を言って別れ、駅で待つことになった。



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  • Re: インド行ってきました。 ~その10 ガンガー観光~

    第9日め:ガンジス河ボートツアー(&サールナート観光&またまた夜行)

     今日は早起きして、ボートからの日の出を拝む。冬の早朝なのでかなり冷え込む。薄手のウインドブレーカーを持っていったがかなり寒かった。
     河までの車の手配&ボートチャーター等はすべてホテルに頼んでおいた。実は妻は大学時代の友人(インド渡航暦あり)に、「ガンジス河のボートに乗って対岸に行くと、身ぐるみ剥がされ、向こうで物乞いをさせられて帰れなくなる。」と脅されていた。(彼はかなり横着なヤツだが、バラナシには行ったが怖くてボートには乗らなかったらしい。)というわけで、安心料としてここはすべてホテルでのチャーターとした。(ロンプラにもホテル以外のタクシーやリキシャーは信用できないなんて書いてあるし・・・。)かなり弱気である。
     ガンジスの夜明けは美しかった。しかし川の水は汚い。観光は水面を見るのではなく、遠くを見るに限る(笑)。寒いし汚いのに沐浴する人も結構いた。さすがに僕たちは見るだけにした。
    ボートの漕ぎ手はなかなか親切で、色々説明してくれた。下船時にも金を要求しなかった。こういう人にはこちらからチップをはずみたくなるものである。下りたときに別の船の漕ぎ手が我々を日本人と見るや「彼(=我々のボートの漕ぎ手)は日本のガイドブックに写真が載っている。」と言ってきた。確かに「歩き方'05~'06版」のP192の写真のおじさんだった。
     ボートツアー後、ガートを少し歩いたり、黄金寺院と呼ばれる旧Vishwanath Templeへ行ったり、路地を散策した。ここではドライバーが別のガイドを呼んできた。このガイドもなかなか親切で説明も適切だったが、最後に「要らない」と言っているのに、「生地屋」に連れて行かれた。拉致されないようにかなり警戒心を持ち、出されたチャイにも口をつけず、売り込みの話もそこそこに切り上げて、何も買わずに脱出(笑)。
     このあたりのさじ加減は難しい。僕たちにとっては、事前情報で「バラナシ=危険」の構図ができていたので、気が気ではなかった。善良な生地屋だったかもしれない。でももしかすると、チャイに睡眠薬くらい入っていたかもしれない。かなり綿密な下調べをする派の僕たちはそういった警戒心から楽しみが半減していると批判される方もおられるとは思う。だから、旅は下調べせずに行き当たりばったりのほうが楽しいのだと。一方、何も下調べせずに行った人たちのぼられたとか危ない目に遭ったという書き込みを見るにつけ、僕たちはゾッとすることも事実である。まあ、これらは個人のスタンスの違いで自己責任といえばそれまでなんだろうが・・・。

     ところで話はそれるが、そこの地はぼられるとか危険であるとかいう情報が出回ると、観光客も減るだろうし、財布の紐が硬くなるだろうから、結局町全体として損をすると思う。それでも、悪徳と言われる連中は後を絶たない。インド旅行中、勝手にガイドをしてくる人の多さにも閉口した。ヤツ等は後で金を要求する。それがわかっているから、我々は無視をする。それでもしつこくついてくるヤツもいた。それでも無視したり、「一人にしてくれ」と言ったりすると、「無料だと言っているのに、なぜ無視するのだ?」としつこい。「最初はみんな無料と言っておきながら、後で金を要求するヤツばかりじゃないか?」と言っても「オレはそんなことはしない。信用しろ!」と。まあ、信用できるもんじゃないけど。一部には善良なガイドさんもおられるのだろうが・・・。
     本当にすべきことは、善良な人たちがそういった連中を排除することが大切だと思う(まあ無理だろうが・・・)。そうなれば、観光客も安心して足を運ぶだろうし・・・。現状では、反対に悪い連中が多すぎて、(本当にいたとしても)善良な人たちまで信用されずに、逆に善良なことをしていては正当な商売が成り立たなくなってしまいそうである。まさに、「悪貨が良貨を駆逐」してしまっているのである。残念でならない。とはいえ、悪徳がはびこる一因には観光客の無知もあり、そこに目を付ける連中がいることも事実なのだ。せいぜい、賢く振舞って悪いヤツらの口車に乗らないようにしたいものである。特に日本人観光客がアジアに行った場合、物価が安いために交渉のめんどくささもあいまって、言い値で済ませることが多いようだ。(だから日本人はカモだと思われて狙われる。)
     まあ、観光客相手だけではなく、またインド(やアジア)に限ったことでもなく、どこの国においても日常茶飯事なのだろうけど・・・。(実はこの旅行前に会社を辞めることは決めていたのだが、その理由が「僕が悪貨になることを強要されたから」なんです(涙)。きれい事だけでは世の中やっていけないことはわかっているつもりですが、さすがに我慢できなかった・・・。)

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  • Re: インド行ってきました。 ~その9 バラナシ観光~

    第8日め:バラナシ観光

     初めてのインド鉄道は、夜行ということで警戒感もあり、少し高い(2人で予約料や特急料金も含めて2人分で4752ルピー=1万円強)が、1Aを予約しておいた。さらに運良く個室は2人部屋だったので僕たち夫婦のみであった。かなりくつろげる。始発駅~終着ということもあり、熟睡でき、十分休めた。
     それにしてもインドはセコイ。毛布を持ってきてくれた人がベッドメイクをしてくれたが、明らかにチップを払うまでは出て行かない感じ。(10ルピー支払う。)夕食も頼んだが、熱い紅茶・コーヒー付きで夕食セット(ライス・チャパティ・から揚げ付きのカレー)2人分で550ルピー。このあたりは相場がわからなかったので、明らかにぼられてるなあ・・・(涙)。

     予定より約1時間遅れで、バラナシ着。飛行機の国内移動にはことごとく裏切られたし、一方、今回の旅行で鉄道利用部分では最長距離だったので、遅れるといわれるインド鉄道(それもネットで遅れたという話を数多く目にした路線)でこの程度で済んだため、かなり気をよくする。(あとで思えばこれがいけなかった・・・。)

     新市街にあるホテルまでタクシーで移動。またまた「値段交渉か・・・。」と思っていたが、プリペイドのブース?でかなり怪しいものの、一覧表みたいなものがあり、そのまま乗車。200ルピー。タクシーでは、市内観光をしないかとか、こっちのホテルの方が安いぞとか、色々お誘いを受けるが、安全第一でとりあえず無視。

     ホテル到着(まだ朝だったが)。「ご飯食べている間に部屋を用意するから、朝ご飯食べて良いよ。」(その日の夜からの1泊のみの予約だったが、なんと無料!)と言ってくれる。朝食後、部屋で荷物の整理をしたあと、市内観光へ。「バラナシはかなりヤバイ。」という情報が多かったので、安心料として、さっきのタクシーのドライバーの話より、200ルピーほど高かったが、ホテルの車チャーターを頼む。

     旧市街にある寺院や大学構内にある美術館などをいくつか見て回る。
    最初に行ったBharat Mata Mandirでついに靴の見張り代を要求される。(持っていったビニール袋に入れようとしたがダメだと言われる。「持ち込みも禁止だから、ここで脱いで置いて行け」と。で、帰ってきてから10ルピー要求。「金を取るなら最初に言え!」と思うのだが、最初には絶対に言わない。(最初に言われれば、時間の余裕次第で徹底抗戦や値切りもするのだが・・・。)帰って来てからだと、相手が靴を持っているので、返してもらうためにはほとんど言い値になってしまう。腹の立つシステム?というかやり口である。
     次に行ったDurga Mandirでも、靴の見張り代を要求される。但し、ここでは、単にここで脱げと書いてある場所があり、そこで靴を脱いで中に入って戻ってくると、まさに見ていた?だけで、金を要求された。預けているわけではないので、勝手に自分達の靴を持っていく。すると「追いかけてきて金払え。」と。うるさいので2ルピーコインを渡す。「こんなコインじゃなく、札をよこせ。」と言う。こちらも「別に見張りを頼んだわけではないので、Noだ。」と応戦。「コインなら要らない。」と言って突っ返してくるので、コインも受け取り、そのまま立ち去ろうとすると、またまた追いかけてきて「やっぱりコインでもいいからくれ。」という。ほんとにセコイ!こちらも高々20~30円のことなので、額としてはどうでもいいのだが、このやり口にはどうしても納得できないので、その後も結構戦った。(納得できないものには1円でもこだわる性格です(苦笑)。納得できれば万単位でも支払いますが・・・。)
     ところで、最後に行った大学構内にある新Vishwanath Templeでは、靴預かり場所があって、1足0.5ルピーと明記されていた。これなら、納得できる。2人分で1ルピー。以降、靴預かり場で、明記されていない限り、預かってもらっても、2人分で1ルピーと決めた。あるいは正規の預かり出なければ、ビニール袋に入れて持ち込むか、安全そうならその場に放置。

    とにかく、何にせよ、値段後付のインド。(先にこっちから「いくら?」なんて訊こうものならふっかけてくるのは当たり前!)徹底抗戦か言い値しかないので気をつけるべし!

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    Re^2: インド行ってきました。 ~その9 バラナシ観光~

    >>熱い紅茶・コーヒー付きで夕食セット(ライス・チャパティ・から揚げ付きのカレー)2人分で550ルピー。 のあたりは相場がわからなかったので、明らかにぼられてるなあ・・・(涙)。

    列車の中で配られるペットボトル・食事・お茶・クッキー等は全部、フリーです。

    去年、私も二人で1Aをガヤからデリーまで利用しましたが、請求されなかったです。

    デリー到着前に、チップを貰いたいとボーイ二人が来たのでRs50づつ渡しました。

    列車の中で使ったお金は合計で100ルピーでした。

  • インド行ってきました。 ~その8 インドの鉄道(その1)~

    久々にレポートの続きです。

    第7日め(続き):(デリー観光(パート2))&夜行でバラナシへ

     ホテルで頼んでおいた送迎にて鉄道駅へ。列車の時間を示してホテルの人に受けたアドバイスどおりの時間にホテルを出たのだが、市内はすごい渋滞。かなりの余裕(30分前、駅着)を見ていたはずが、だんだん出発時刻にすら間に合わないかも・・・?になってきた。ドライバーはかなり飛ばしてくれて、何とか無事セーフだったのだが・・・。
     またまた、問題発生。列車番号や出発時刻はわかっていたが、プラットホーム番号や車両番号・席番号まではわかっていない。(日本出発時にネットで確認したが、まだ未定だった。)ドライバーは親切心でしてくれたのだろうけど、時間がギリギリだったこともあり、駅に着くとすぐ、ポーターを呼んで、僕たちにチケットを見せるように言った。もちろんポーターは列車番号(列車名)や行き先でプラットホーム番号やおおよその停車位置を知っているので、ダッシュで荷物を運ぶとともに、僕たちの座席まで連れて行ってくれた。
     ところが・・・。代金要求。まあもちろんポーターに荷物を運んでもらっているのだから、当たり前なのだが・・・。
    時間がなかったのと、送迎のドライバーが呼んでくれたので、事前に交渉もなく、というのがいけなかった。
    10ルピー×2人分渡すと、受け取りを拒否し、100ルピー×2人分よこせ!と言ってくる。もう列車が発車しそうなので、仕方なく要求どおり支払う。完全に足元見られたな・・・。

     以下、これからインドへ行かれる方へ、教訓。

    ・プラットホーム番号は駅の案内所で教えてくれたり、張り出されていたりするので、自分でチェックしよう!(但し、列車が入ってくる直前になって変わること多し!指定席があるなら、ホームまで行かずに、待合室でアナウンスに注意しながら待っていても良いかも。一旦ホームに行くと、ホーム間を結ぶ通路(階段)はせいぜい2箇所くらいしかなく、非常に遠いこともあるので、荷物を持ってウロウロするのは大変。)
    ・荷物を持って移動していると、ポーターが言い寄ってくる。利用するもしないも、自分の気持ち次第だが、値段交渉は事前にしっかりと!
    (あと、直前にホームが変更になっても、また運び直すのに金を要求してくるので、要注意。)


    おまけ:この掲示板でもよく、インド鉄道の予約やクラスの質問を見受けますので、僕が行った時点での情報を書いておきます。

    ・指定席の予約は2ヶ月前からネットで可能(I-ticket)。
    ・ネットで予約したチケットの受け取りはインド国内に送付するのみ。(僕たちはホテル宛送付を頼んだので、あて先に駅の窓口を指定できるかどうかは不明。ホームページ上の問い合わせのE-メールは意外と親切で1~2日で返事をくれる。)
    ・一部列車のみだが、E-ticketを指定できるものもあり、この場合はネット予約してプリントアウトを持っていけばO.K.(車内の検札で見せればよい。)
    ・クラスは1A、2A、3A、SL、FC、CC、2Sの7種類。すべての列車に各クラスが全部揃っているわけではなく、たいていは一部のクラスのみ。(ガイドブックの記述は少し変。A/C、1等、2等という分け方ではなさそう。)
    このうち、寝台は1A、2A、3A、SLの4種。
    1Aは個室で2名あるいは4名部屋。内から鍵がかかる。エアコンあり。
    2Aと3Aは仕切りはカーテンのみのベッド。2段か3段かで名称が違うだけで、内容はほとんど同じ。エアコンあり。
    SLはほとんど板張りのベッド。かなり混んでいる。(指定のはずだがどう見ても人数が合わない?!)エアコンなし。1A~3Aの車両とは往来不可能。
    FCは連結されている列車がほとんどなく、よく知らない。
    CCは昼間の特急のある、エアコンつきの指定座席のみの車両。いわゆる1等車。
    2Sはいわゆる2等車。路線によっては激混み!よく写真で見るような窓から半分はみ出して乗っている車両。もちろんエアコンなどはない。指定席でもない。他の車両とは往来不可能。

    僕たちは実際に(あるいは、ちょっと見学に)FC以外の車両には乗りました。

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    てっちさん、おひさしぶりっ。このクラス分けですが、ホント、わかりにくいですよねー。

    てっちさん、どーも。

    お久しぶりです。

    ところで、

    >>2Aと3Aは仕切りはカーテンのみのベッド。
    >>2段か3段かで名称が違うだけで、内容はほとんど同じ。
    >>エアコンあり。

    この2A、3Aとは、ベッドですから2-tier 3-tierのことでしょうね。

    ハイデラバードの駅で、僕は、2-tier 3-tierのどちらにしようか迷いました。
        ↓
    http://homepage3.nifty.com/worldtraveller/2005/hyderabad.htm
    (切符の写真もあります)

    僕は3tierに2回乗って、そのとき2tierを見ました。

    僕の経験では、
    3tierは、カーテンはなかったです。
    2tierには、カーテンがあるのを見ました。

    >>SLはほとんど板張りのベッド。かなり混んでいる。(指定のはずだがどう見ても人数が合わない?!)エアコンなし。1A~3Aの車両とは往来不可能。

    このSLがSecond Class Sleeperのことでしょうか。

    これが、日本人のバックパッカーが乗るものですよね。
    おっしゃるように、これは、指定席のはずですけどね。

    これがごちゃごちゃになっているので、
    インド旅行記を読んでも、何がなにかわけがわからなくなってるとおもいますね。

    引き続き、インドの鉄道の話、楽しみにしています。

    みどりのくつした

  • てっちさん、興味深く読んでます。ただ、値段をはっきり書いた方が、もっとよくなります。

    てっちさん、どーも。

    僕も去年の秋、インドへ行ったので、
    自分と比べて、興味深く読んでいます。

    ただひとつ、値段があんまりはっきり書いてないのが、ちょっと弱いです。

    臨場感を与えるには、意味がなくても、ビール1本いくらとか、
    リキシャーにいくらで乗ったとか、
    はっきりさせる方がいいです。

    でも、面白いのでこれからもどうぞ続けてくださいね。

    みどりのくつした

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    Re: てっちさん、興味深く読んでます。ただ、値段をはっきり書いた方が、もっとよくなります。

    みどくつさん、こんばんは。

    どうでもいいような「レポート」の方(それもまだ未完成の駄文・長文なのに)で、有名なみどくつさんからレスをいただけるとは思いもしませんでした。(「Q&A」なら、まだネタにはなりますよね。)
    とっても嬉しいです。

    旅のスタイルはみどくつさんとは全然違うので、値段の方はあまり参考にはならないと思いますが・・・(笑)。(僕たちはバックパッカーとは違いますし、かといってパックツアーとも違う、かなり変わり者の40台の夫婦が個人でブラブラと好き勝手にあちこち行っているという感じです。)

    ビールは飲むところでまちまちでした。
    Kingfisherが美味しかったです。街中の食堂(但し酒を出さないところもしばしば(涙))で50ルピーくらいだったかな。ホテルのレストランで飲むと100~150ルピーくらい取られました。(それでも日本よりは安いですが・・・。)
    あっ、そうそう。Kingfisherって、ラベルに「マハーラーシュトラ州でしか売らない」って様なことが書いてあった(最初に飲んだのはアウランガバード)と思うのですが、デリーでもアグラでもその他の町でも、たいていはこれが出てきました(笑)。(夫婦そろって酒好きなので、海外に行くとラベルを隅々まで眺めてたりします。)
    ビンの色の違うものが3種類くらいあったので、「何が違うねん?」ってレストランのウェイターに聞いたら、「ビンの色が違うだけで中身は同じだ。」と言ってました。そのくせ、「次は何色にする?」とか言って注文を取りに来てましたけど・・・。

    リキシャ(オート、サイクルとも)は、最初、かなりふっかけてきますね。
    僕は根っからの関西人(生まれも育ちも学生時代も就職してからもずっと京都です。)なので、値切るのも生活&遊びの一種なんですけど・・・。
    それでもインド人は手強いです。まあ、最初に言ってきた額の半分以下にはなるまでは粘りましたが・・・。たいていは3分の1くらいで手を打っていた感じです。

    例えばデリーでは、
    リコンファームに出向いたマレーシア航空のオフィス~インド門20ルピー、
    プラーナーキラー~フマユーン廟15ルピー、
    フマユーン廟~ホテルの近く(コンノートプレイスと国立博物館の中間くらい)40ルピー(暗くなってきたので少し根負け・・・)、
    ラールキラー~ラージガート(ここはサイクルリキシャ)15ルピー、
    ガンディー記念博物館~国立博物館30ルピー
    とメモってます。

    ところで、みどくつさんはリコンファームをすることを薦められているようですが、(その6)に書いたような事例はどう思われますか?
    僕はつたない英語でだいぶがんばってしまいました(深夜の空港で1時間交渉!)・・・。たぶん交渉なしでは、ホテル代は自分持ちになっていたような気がします。でも、リコンファームせずに何も知らなかった人はおそらく航空会社(国内線J社)が用意したホテルへ。

    では、ボチボチ続きも書いていきますので、また読んでください。

  • インド行ってきました。 ~その7 デリー観光~

    第6日め(続き):(デリーへ)&デリー観光

     話を元に戻して、レポートの続きです。
    前述の通り、朝到着したデリーではラッキーなことに、無料でアーリーチェックインさせてくれました。
    で、あまりに疲れていたので、少し仮眠。結局昼前からのスタート。
    というのも、今日は月曜日なので閉まっているところが多いんですよ。(下調べ済み!)ちょっとゆっくりなんてのも考えてました。それにしても少し寝すぎたか・・・。

     かなり時間をロスしたなあ、と思いながらも、月曜でも開いている地域ということでインド門へ向かう。宿からは少し離れているので、どうするか迷いながらもオートリキシャに交渉。
    メーターを使えと言うと去っていく。ようやくメーター使用で交渉がまとまったのだが、どうやら遠回りされたようだ。宿から見て反対側の入り口に連れて行かれた。高々数ルピー(10円くらい)の損だが、それにしても、「それくらいの儲け(おまけに多少なりともガソリン使ってるし)のために、遠回りするかね?!」と少しあきれながら、インド門へ。グルッと一周して、プラーナーキラーへ。
    そのあと、フマユーン廟へ。
    このあたり、怪しい人たちもいるが、さほどしつこくない。

     観光後、あたりを少しブラブラし、日も暮れてきたのでホテルへ向かう。日が暮れるとオートリキシャも俄然強気?かなりふっかけてくる。
    メーターはなんだかんだ言って使わない。織り込み済みというものの面倒だ・・・。ようやく妥当な値段?(とはいっても結構高いと感じた)まで下がったので、妥協する(涙)。


    第7日め:デリー観光(パート2)(&夜行でバラナシへ。)

     デリー観光2日め。帰ってくる前日にもう一度でリーに戻ってくるが、またまた月曜日なので、月曜休館のところは今日の内に回っておかないと・・・。
     ホテルを出ると、オートリキシャが寄って来る。ラールキラーに行きたいといって交渉を始めるが、まず、ふっかけてくる。さらには「今日1日でいくら(かなり法外な値段!)」だとか、「オールドデリー地区はVIPが来ているので、今日はすべて閉まっていて入れない」だとか、お決まりの大ウソで迫ってくる。これに騙されるとヤツらとグルの旅行会社や土産物屋に連れて行かれるという情報は収集済み!相手にしないようにするが、埒があかない。これでは目的地まで行けないじゃないか!!しょうがないので、少し歩いて地下鉄の駅まで行き、そこから地下鉄でオールドデリーに向かうことにする。

     地下鉄は開業したばかりできれい。おまけに激安。これは便利である。ただ、地下鉄駅からラールキラーまでも結構遠い。下町の商店街?といった感じのところを抜けていく。今度はサイクルリキシャでいっぱい。乗らないか?と声をかけてくるが乗るほどの距離でもなく、交渉が面倒なので、無視して歩く。

     ラールキラー~ラージガート~ガンディー記念博物館と見て回る。

    (ラールキラー~ラージガートの移動にサイクルリキシャを使用。)
      ~これから行かれる方へ~
    当然ふっかけてきたが、無視すると追いかけてきてかなり値引く。妥当な額になったと思われたところで乗る。「ボラれる」というより、「値段なんて初めから、無い」と思っておいて、ある程度の相場を情報収集しておいて、それから判断して、自分が妥当と思えば乗ればいいと思います。

     オートリキシャで国立博物館へ向かい、閉館ギリギリまで3時間くらい見学。ここも必見!!

     その後、ホテルに向かい、鉄道駅へ。

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  • インド行ってきました。 ~その6 リコンファームって何?そして得しちゃったあ・・・?~

    第6日め:デリーへ(&デリー市内観光)

     ほとんど寝てないまま、おなかもすいていたので、朝食を食べて、ホテルをチェックアウト。
    なんと、航空会社から連絡があり、すでに支払済みだと。
    丸損だけはどうにか防げたか。
     ところが送迎付きで、ちゃんと頼んでいたはずのお迎え車が来ていない。ドアマンはすぐに来るというが、待てど暮らせど来ない。おまけに空港付近で早朝なので、そんなに時間の余裕を見ていない。こればかなりヤバイ!!もう一度、配車係に急かせる。

     ようやく、車が来る。平謝り&ホテルのちょっと偉いっぽい人が一緒に乗ってくれる。彼は、携帯で空港に連絡を取ってくれている様だ。
     空港着。フライト30分前。ダメだ。と思ったら、なんと航空会社の昨日空港でやりあったメンバープラス今度は本物のマネージャーが空港玄関で待っていた。フライトキャンセルの件、ホテルの予約の不手際の件を丁寧に謝られて、VIP待遇でセキュリティーチェックを受け、そのまま飛行機へ。

     
     ところで、レポートはしばし中断して・・・。

     リコンファームって何?って今回考えさせられてしまいました。

     もしリコンファームしていなかったら、フライトキャンセルの件は知らずに、空港でチェックインするときに初めてわかって慌てることになった、と思われる。
     空港のカウンターで、予約した時点のままのE-チケットを出したら、「少し席に戻って待っていてください。」ということになり、かなり慌てた様子で、誰かに電話して聞いた結果、「ムンバイでマネージャーが待っています。」「ムンバイ~デリーのフライトは明日朝の便に振り替えられてますのでご安心を!」ってことだったけど、それは日本で既にメールでやり取りしていたからの結果。
    もし何も知らないまま、空港にE-チケットを持って行っていたら、こうも簡単に早朝便は取れたのだろうか?(早朝便は完全に満席だったかどうかわからないが、周りの席はすべて埋まっていました。かなり混んでいたことは確かです。)
     今回(必要とはされていない)リコンファームをしたおかげで、フライトキャンセルを知ることができて、あらかじめ早朝便に振り替えることができたのは間違いない。それで、当初の旅行計画からのズレは最小限に抑えることもできた。もし、空港で初めてフライトキャンセルを知り、「振り替えて」ということになって早朝便が満席だったら、もっと遅くなって、デリーの観光日が1日削られてしまったかもしれない。
     そういう意味では、リコンファームした価値はあったと思う。

     しかし一方で、フライトに遅れが出ていたため、我々と同じキャンセルによるものか、遅れによるものかはわからないが、ムンバイで乗り継げなくなった人たちが他にもかなりして、みんな結構すんなりと航空会社が用意したというホテル(結構いいところだったみたい。というか空港ホテルはどこも$200クラスだった)に連れて行ってもらっていたようである。
     僕たちもリコンファームせずに、「ムンバイで乗り継げない!」ってことになれば、おそらくそのホテルに連れて行ってもらえたであろう。
    リコンファームしたばっかりにフライトキャンセルをあらかじめ知ってしまい、その後うまく連絡が付かなかった(というかマネージャー以外は「ホテルは用意できない。」という返答しかしていない)ので、こっちでホテルを取らざるを得なくなり、どっちのホテルに泊まるかとか、キャンセル料や宿泊料は誰が負担するかで、1時間も空港でやり取りすることになって貴重な睡眠時間を削ったことも否めない。
    さらに、「マネージャーと話をさせろ!」などと、メールではあったものの粘っていたから、最終的にホテルを用意してくれていた。
    諦めていたら、ホテル代は自分持ちで勝手に予約を取って泊まっていたはずである。
     また何も知らなかったら、すんなりといい宿が用意され、もっとゆっくり眠れたのである。(おまけに早朝便が取れなかったら、もっと長くホテルで寝られたし・・・。実はデリーのホテルは無料でアーリーチェックインを受け付けてくれたので、朝からすぐに部屋に入れて、あまりに眠たかったのと疲れていたので、昼近くまで寝てしまいました。)

     つまりリコンファームしていたら、ホテル代は自分持ち!。していなかったら、空港でホテルが用意されていてラッキー!ってことも十分あったわけである。それって何か納得できない!!


     実際、(航空会社からは必要ないとされている)リコンファームってした方がいいのでしょうか?
    得したとか、損したとかいうお話があればお聞かせください。



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  • インド行ってきました。 ~その5 ムンバイ空港にて~

    第5日め(続き):観光後、デリーへ(のはずが・・・)

     ホテルに戻る。フライトまではまだ少し時間がある。(当初の予定では、19:55発の予定だったが、ホテルで訊いてもらったら遅延が出ているとのことで21:30発に変わっていたことは知っていた。)
     行きの便では空港で少し食べたあとにたった1時間のフライトだというのにしっかりした食事が出たので、今日は夕食は食べずに待つことにした。

     ところで、「その0」で書いたが、実はフライトキャンセルを食らっている。当初の予定(チケット購入時)では、ムンバイで乗り継いでデリーまで行くつもりだったが、ムンバイ~デリーの最終便がフライトキャンセルになっていて、勝手に振り替えられていた便が乗り継げないもっと早い便。そんなことの連絡は全くなかった。
    たまたま、メールでリコンファーム(飛行機に限らず、メールで予約したホテルなど最近ネットを使って予約するようになってからはできる限りするように心がけている。)した際に、
    「実は乗り継げない便が確保されている。どうしよう?」との返事。
    「それなら乗り継げる便を用意しろ。」
    「最終便になるので、次のムンバイ~デリーは次の日の早朝便になる。」
    「それなら、ムンバイで1泊する必要が出てくるじゃないか?こっちはすでにデリーのホテルを予約していてもうキャンセルするにしてもお金がかかる。さらにムンバイのホテル代を払わされるのは納得できない。航空会社でホテル代を持ってくれ。」
    「それはできない。それなら、アウランガバード~ムンバイの朝便を用意するから、それに乗って、乗り継いでデリーに行ってくれ。」
    「いや。その日の昼はアウランガバードで用事がある(エローラへ行く予定)なので、夜便しかダメ。何とかしろ。」
    「ホテルの件は対応できない。フライトはアウランガバード~ムンバイはよる便のまま。ムンバイ~デリーは次の日の第一便(早朝便)に振り替えておくから、あとのホテルは自分で何とかしろ。」
    「君がホテルの件を対応できないのなら、対応できるマネージャークラスの人に伝えろ。メールアドレスを教えてくれればこちらからもメールを送る。」
    「わかった。メールアドレスは○○だ。」
    マネージャーにメールを送る。事情を説明してホテルを用意しろという件ととにかく返事をくれと書いておく。
    アメリカに出張。出張中もメールをチェックしていたが、返事なし。
    日本に帰国。もう一度メールを出して、とにかくすぐに返事が欲しい。と書く。
    インドへ出発の前日、結局返事がない。もう一度メールをして、今度はムンバイのホテル(タージ・マハル)を書いておいて「もうメールを見ることは無理なので、ここに泊まっているから連絡してくれ。」と送る。
    しょうがないので、日本出発前日にデリーのホテルの日程を2泊から1泊に変更し、新たに、ムンバイの空港付近のホテルの予約も取っておく。

     こういった事情をアウランガバードの空港でもう一度掛け合ってみようと、少し早めに空港へ行く。
    空港ではそれなりに対応してくれた。ただ、ホテルの件はわからないし、ここでは返答できないので、ムンバイでマネージャーが待っているから、そこで話してみてくれ。とのこと。

     結局、変更になった9:30からもさらに遅れ11時前発。ムンバイに着いたのは12時前。約束どおり、マネージャー(実はマネージャーじゃなかった)が待っていてくれた。
    なんと「ホテルは用意してある。」と。
    「いや、そちらからの返事が来ないので、路頭に迷うのが怖くてこちらでもホテルを予約して来た。」
    「じゃあ、そのホテルはキャンセルしろ。」
    「今からじゃ1泊分丸ごとキャンセル料がかかるので、その分をそっち=航空会社が持ってくれるの?」
    「それは約束できない。それなら自分で予約したホテルに泊まればいいから。こちら=航空会社で用意したホテルはこちらで無料でキャンセルできるので、キャンセルしておくから。」
    「じゃあ、僕=てっちが予約しておいたホテル代払ってよ。」
    「それも今は約束できない。もうマネージャーはいないので明日朝連絡するから。」
    「マネージャーが帰ってしまったって、そっちが遅れるからやん!今ここで約束しろよ!」
    そんなやり取りを1時間位して、ようやく、「たぶんホテル代も払ってやるから。」という灰色決着のまま、ホテルへ向かう。

     ホテルに着く。もう午前2時。明日の朝市の便なので、ホテル出発は6時前。これからシャワー浴びてたら寝る暇ないやん・・・。おまけに出ると思っていた機内食はなく夕食抜き。でも、エローラ暑かったし汗かいたからな。まさに踏んだり蹴ったり。
    ほとんど仮眠レベルで、朝を迎える。これでホテル代払ってくれなかったら、最悪じゃあ・・・!!

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  • インド行ってきました。 ~その4 アジャンター・エローラ~

    第4日め:アジャンター観光

     昨日の飛行機の大幅遅れのおかげで眠い。
    チェックインの際にアジャンター観光、エローラ観光の車のチャーター料金を聞いたら、ネットで調べていた政府観光局の料金より安い。
    というわけで、ホテルの車で行くことにして予約しておく。
    (乗合バス利用だとアジャンターへはゆっくり見て回りたければ朝6時くらいに出かけなければならず、かなりキツイ。現地のツアーバスも2人分ならそこそこの値段になるので、自分のペースで観光できる車チャーターにした。)

     さて、壁画で有名なアジャンター。
    アクセス道路が整備されたらしく、かなり時間短縮できるようになったらしい。
    遺跡保存のために導入された駐車場と遺跡を結ぶ低公害車シャトルの乗り場にはずらっと土産物屋が並び、かなりしつこい。
    行きの車の中で、ドライバーが「絶対に相手にするな。」とアドバイスしてくれていたので、無視して突き進む。
    遺跡の入り口付近にも物売りがたむろ。ずっと付いて歩いてくる。

     中に入ってほっとする(遺跡の中には物売りはほとんどいない=入場料が必要なので中に入ってまで営業せず、出口で待ち構えている。)のもつかの間、どうやら、近くの小学校(中学校?)の遠足か社会見学のようで、子供の団体と鉢合わせてしまった。
    子供は東洋人の我々が珍しいのか、それとも馬鹿にしているのか、とにかく声をかけてくる。それも全く同じ質問("Hello!" "What's your name?" "Where from?")を1人1人が全員やってくる。最初は答えていたが、いい加減うんざりしてくる。

     あと、腹が立った(というよりさすがインド!とある意味感心した)のが、石窟がいくつもあるのだが、そのうちのいくつかは鍵がかかっている。保存のためか、修復中なのかな?と思っていると、観光客が何人か集まり、するとどこからともなくおじさんがやってきて鍵を開けてくれる。なあんだ、入れるんだ。で、中を見て出ようとすると、さっきのおじさんが金を要求!なんじゃそら!入場料を払ってるんだぞ!そもそもあんた誰?遺跡の保存か何かをしている従業員じゃないの?勝手に鍵をかけて、それを開けてやったから金よこせ!とはどういうつもりなんじゃ!!
    つつましい(笑)僕は、なんてことは思っても口には出さず、でも当然お金も払わず(たまに払っている人がいるが、払わない人も多い。日本人は払う人が多いのか、東洋系を見ると必ずそっちに寄って行くようだ。)、無視!
    あと、「日本人ですか?」攻撃にも無視!すると今度は英語で"Japanese? Korean? Chinese?"と来る。仕方ないので、"Korean."とウソをついてみると、見事なハングルで来る。(名前を訊いているとかくらいならわかる。)そして勝手に付いてきて一方的にガイド(もちろんお断りしているが)。で、また金を要求。当然払わない。
    これがインドの大変さなのだろうか?
    でも払わなくても手荒なまねをされたり、追いかけてこられることはなかったけど・・・。

     そこそこいい感じ(帰りに土産物屋に寄る?と誘われたが断ればそんなにしつこくなかった。)のドライバーだったので、明日はエローラに行くから、また君が来てね。と頼んで別れる。


    第5日め:ダウラターバード&エローラ&アウランガバード近郊観光

     まず、ダウラターバードの砦に行く。途中真っ暗な迷路のようなところを抜けないと、上にいけない。観光客が溜まるとこれまたトーチを持った兄ちゃん登場!もちろん金を要求!!もう慣れた。でも、誰も払う雰囲気がないと堂々とトーチを消す。どうやら誰かが払ったらしく、団体になって上る。ようわからんシステムだ。

     次はエローラ石窟。
    エローラはすごい。ヨーロッパの古代遺跡よりすごいかも?何がすごいって、石を積み上げて作ったヨーロッパの神殿や木を組んで作った東洋の寺院と違って、岩盤を削って寺院の形にし、その中に仏像も彫り、僧院も作り・・・。100年以上もかけて造られたらしい。8世紀~ということなので、奈良時代か・・・。それにしても岩盤を削ったとはとても思えない精緻な彫刻の数々なのである。
    一生かけても完成しないのに、毎日毎日彫っていたかと思うと・・・。
    やはり信仰心のなせる業か?

     ちょっと疲れたので、アウランガバード近郊の観光はちょっと短めにしてホテルに戻る。

     そして、事件が・・・。(続く)


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  • インド行ってきました。 ~その3 アウランガバードへ~

    第3日め(続き):(ムンバイ観光)&アウランガバードへ

     4時過ぎにホテルに戻って空港へ送ってもらう。かなり渋滞していて結構ピンチ?!一応ホテルでフライトスケジュールを言ってアドバイスどおりの時間に迎えに来てもらっているのだが・・・。
    国内線だから、最悪1時間前でもいいかと思っていたら、本当に1時間前になってしまった。
     さっさとチェックインを済ませるが、その後のセキュリティーチェックでも長蛇の列。これはヤバイ!
    なにやら言って後ろに並んでいる人を呼んでは連れて行って先に入れている係員がいたので、彼女に搭乗券を見せて急いでいることを伝える。すると、彼女は「大丈夫だから、並んでいろ!」と言う。「先に連れて行っているヤツがいるじゃないか。」と言っても「彼らは3時の便。」と平然と言う。
    3時の便??今6時だぞ!どうなっているんだ?確かに遅れている便も出ているようである。でも案内の画面では自分達の便(6:25発)はon-timeである。
    この調子で後から来る人がどんどん先に連れて行かれるので、列は一向に進まない。ようやく列が進み待合ロビーに着いたのは5分前。あわててゲートに行くと
    「まだ呼んでないよ。」
    「もう5分前だよ。」
    「じゃあ、5分くらいしたらもう一度来て!」
    「???」あまりに不安なのでちゃんと搭乗券を見せるが取り合ってくれない。
    しょうがないので、5分後に行く。すると、おもむろにどこかに電話して、
    「ああ、その便なら9:30発になった。」
    「画面にはon-timeってなってるよ。」
    「そのうちに案内も出るよ。アナウンスもするから、まあ心配するな。」
    アナウンスすると言われても、ヒンディー語のみなのでわかるわけない!頼りはヒンディーと英語が交互に出る画面の案内のみだ。(未だにon-timeのまま。)

     ゲートとか待合ロビーとか書いたが、実はそんな感じのものではなく、大きな1つのスペース(区切りはない)に移動式チケットカウンターのようなもの(欧米の道端にあるkioskや新聞スタンドのようなもの)が何ヶ所かあるだけ。
    おまけに、開いているのはそのうちの1~2ヶ所で、すべて手動式。
    行き先と便名を書いたパネルを吊り下げて、それを見て並ぶ。
    当然、搭乗券の切り離しもすべて手渡し。そのカウンターを抜けると今度は行き先と便名のプラカードを持ったおねえさんが立っていて、そこにもう一度並んでいるとバスが来て空港内を飛行機まで移動する。
    つまりゲートNo.なんてものは、あってないが如しで、どこのカウンター(ゲート)を通っても、同じバス停?(プラカードを持ったお姉さん)に行き、そこからバスに乗る。(その間にもう一度セキュリティーチェックがある。)
    これでは色々な行き先が混在すると、捌ききれなくなる。(違うバスに乗ったら大変だ!)
    だから、結局搭乗手続きが始まるのはせいぜい同時に2ヶ所くらい。
    つまり、2便分しか同時に手続きが始まらないわけだ。
    そして、その人たちがみんなバスに乗るまでは次の便の受付は始まらない。
    そんなわけだから、どの便かが遅れ始めると関係のない便もどんどん遅れていく。

     あまりにおなかがへったので、コロッケのような揚げ物とピロシキのようなものを買う。(ここで始めてコインをゲット。頼んで少し崩してもらう。)どちらもカレー味(笑)。

     30分おきくらいにカウンターをチェックしながら(結局案内画面はon-timeのまま)、ようやく10時前になって手続き開始。
    アウランガバードに着いたのは、12時前だった。

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  • インド行ってきました。 ~その2 ムンバイ観光(続き)~

    第3日め:ムンバイ市内観光2日め(&アウランガバードへ)

     ガイドブックなどでチェックしておいた観光ポイントを書き出したメモを持って、朝からムンバイ市内へ。位置的に離れているため、車が必要。ホテルでチャーターの値段を聞くと、さすがに高級ホテル価格なので、それはやめておいて、町で交渉することに。
     ホテルの前でたむろしているヤツや言い寄ってくるヤツはぼってくる可能性が高いので、少しブラブラ歩いて、ちょっと空いたところにいた気の弱そうなドライバーの兄ちゃんに声をかける。メモを見せて
    「これだけ回りたいんだけど・・・」
    「1000ルピー」
    「高すぎ!ほなさいなら。」
    「ちょっと待て、500ルピーでいい。」
    いきなり半額か?もうちょっと粘ってやろう。仲間が寄って来る。
    周りの連中が「400が相場だな。」というので、それで妥協。
    乗り込むと、メモのうち「ここは遠すぎる」だとか、「場所がわからない。」だとか言い出す。まあ、どうでもいいや。と思っていたところもあったので、1ヶ所削って300ルピーで手を打つ。(仲間がいないと予想通り気弱になる兄ちゃんだ!)

     まず下町に向かい、ジャマー・マスジット(ムスリムの塔)とムンバデヴィ寺院(ムンバイの語源になったそうである)へ。
    ついに来た。インドの下町。昨日散歩したところとは明らかに雰囲気が違う。これが、よく言われる雑踏か・・・。スリに気を使いながら、街の雰囲気の写真を撮る。
     ところが・・・。ついにインドの洗礼を浴びる。
    寺院に入ろうとすると、待てと言って引き止められて、額に印(インド人のアレです)を付けられ、聖水をかけられ、「じゃあ入れ。」と。
    で、一歩踏み出そうとすると、
    「バクシーシ!」手が出てくる。
    「えっ?!」
    「さっき、印をつけて、聖水をかけてやったじゃないか。だからバクシーシ。」
    「別に頼んでないよ。そっちが勝手に引き止めて、つけてきたんじゃないか。」
    「じゃあ、中には入れないよ。とにかくバクシーシ!」
    しょうがないなあ・・・。ついに負けて、10ルピー払う。(ホントはコインを用意したかったのだが、ホテルで両替(細かく崩す)しても、コインは無いと言われた。高級ホテルの連中はコインはどうでもいいものらしく、用意してないと。というわけで、手持ちには10ルピー札しかなかった。)
    しかし!これでは済まなかった。
    「オレは印をつけただけだ。聖水をかけたのはアイツだからアイツにもバクシーシ!」
    しゃあないなあ。根負けしてしまった。もう10ルピー取られ、さらには「嫁さんの分も。」と言われ(確かに妻も同じことをされているが)、結局計40ルピーの出費(涙)。
    それにいつの間にやら、関係のない連中まで寄って来てどんどん手を出して「バクシーシ!」コールをしてくる。
    関係のないやつらは無視して、やっとの思いで中へ。

     ああ、これがインドか・・・。確かにしんどいな。まあ額は大したことないけどな。今後とにかく何とかしてコインを手に入れねば・・・。こんなことなら、昨日の食堂でおつりのコインをチップにやらなかったらよかった・・・。なんてセコイことを考えながら、残りの寺院めぐりをする。

     その後も、寺では靴を脱げと言われ(言われなくても書いてある)、戻ってくると、「靴を見ておいてやったから金よこせ!」の攻撃にあう。
    しょうがないので10ルピー払う。すると、椅子が出てきて「ここに座って靴を履け。」という。さすがにサービスはいい?

     かなり回ってきて、1時くらいに博物館へ。ここでドライバーとはお別れして、約3時間、博物館(プリンス・オブ・ウェールズ博物館)見学。
    博物館はかなり見ごたえがある。特に、細密画が秀逸。妻はかなり気に入ったらしく、どこかでチャンスがあったら自分達用の土産に買おうということになる。

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  • インド行ってきました。 ~その1 到着・ムンバイ観光~

    アメリカ出張から帰国。中2日でインドに向けて出発。この間にメールのやり取り(予約のリコンファームなど)やバウチャー類、ちょっとした資料をプリントアウトする。

    第1日め:関空~クアラルンプール~ムンバイ(マレーシア航空)

     どうせ機内は寝るだけ。4人掛け1列占拠は無理だったものの、結構空いていて2人掛け独り占めは可。少し縮こまりながらも横になって寝る。かなり寒い(クーラー効き過ぎ!)。ブランケットの追加をもらう。
    帰りにクアラルンプールで17~18時間あり、市内観光するつもりだったので、乗継時にちょっと空港内を視察&情報収集。

     夜着&空港~ホテルの移動が最難関(特にデリー)と言われるインドなので、ホテル&送迎は予約済み。(というか今回はすべてホテルは予約してある。)
    市内観光に便利な位置のホテルはどこも高い。(通常僕たちのスタイルは、1泊1部屋が、物価の安いところor郊外のモーテル=$30~$100、高いところ=$100~$150くらいのホテルが目安。最近はいわゆるバックパッカー御用達の安宿には泊まらない。)
    で、どうせ高いならというわけで、一点豪華主義で、ランドマークにもなっているタージマハルホテルにした。

     入国&送迎&移動は問題なかったが、空港からは結構遠く、夜11時だというのに道は結構込んでいて、部屋に着いたのは12時。
    シャワーを浴びて寝る。


    第2日め:エレファンタ島観光&市内ブラブラ。

     朝食後、道を渡ってインド門へ。道を渡るだけでも一苦労。(歩行者がいても車は止まらない。もちろん信号なんてない。車が途切れるのを待っていると、タクシードライバーが「観光しないか?」って寄って来る。インド門前の広場には物乞い・物売り(つまらない土産物屋が多かったが、特に不思議だったのが直径1m位の巨大風船?ビーチボール?を売るヤツ&かなり長い鞭を売るヤツ(道を叩いてビシビシ音を立てていた。痛そう・・・。)。こんなにかさばるものを買う観光客っているの?)・写真屋(インド門をバックに写真を撮ってやるから金よこせと言う手合。)が、いっぱい。とにかく言い寄ってくる。「これがインドか・・・。」(後で考えると、まだまだ甘い!)と思いながら、インド門の記念撮影&一周グルッと見て回って、裏側の船着場へ。

     ボラれることもなく(周りのインド人がいくら払うかをチェック!実はチケットにも金額が書いてあった。)、往復のチケットを買う。フェリーは、アッパーデッキもあるのだが、はしごを上ろうとすると、「追加料金払え!」と言ってくる。かなり高い額を言うので諦める。(外国人)観光客は、ほとんどの人が上ろうとしては、「金払え!」攻撃を食らって諦めている。かなり長時間言い合いをしていた白人のおっさんがいたが、結局諦めたみたいだ。結局アッパーデッキは無人のまま、出航。何じゃこいつら・・・。
     1時間くらいでエレファンタ島着。遺跡はかなり破壊されたり風化が進んでいるものも多いが、なかなかグッド!写真撮影は可能だが、フラッシュを使うと「金払え!」と寄って来る輩がいた(やられている人多数)ので、こちらはフラッシュなしでがんばる。あと勝手に説明して、終わってから「金払え!」と言うヤツの多いこと。当然相手にしない。(説明し始める前に一応、要らん!と言って断っているのだが、それでも勝手に横についてしゃべる。)

     エレファンタ島を十分堪能して、フェリーで戻る。いったんホテルに戻ってトイレを済ませ、予約した鉄道のチケット(送付先をホテルにしておいた。もちろん、メールにてホテルにも確認済み!)を受け取る。(チェックイン時は夜遅すぎて、保管金庫の鍵を管理している担当がいないとのことだった。)
     時間は3時、結構中途半端。博物館に行っても閉館まで2時間半くらい。かなり大きな博物館であること&博物館系では時間をかけてしまう我々には無理か・・・。
     というわけで、ブラブラ散歩しながら、一応世界遺産ということでC.S.T.駅(旧ヴィクトリア・ターミナス)へ。途中のボンベイ大学や裁判所などヴィクトリア様式の建築物が多く、楽しめた。道中も危険な感じはなく、道は汚いが特に嫌な感じもない。それより空気が汚い。快晴らしい(確かに雲は一つもない)が、青空というより霞んだ感じ。

     まだ時間が早いが、後の見所はかなり離れているので、夕食にする。道すがら見つけた食堂って感じのところへ。パールスィー料理?というゾロアスター教の人たちの食堂だった。酒を飲めないのがちょっとショック(ドバイ以来か)。安食堂って感じの店だったが、味はまあまあ。食後、豪華な食器で手に水をかけて洗わせてくれる。宗教で水も神聖なものとしているそうだ。結構面白かった。

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  • 退会ユーザ @*******
    06/03/14 12:52

    Re: インド行ってきました。

     てっちさん、お久しぶりです。

     旅行記の書き込みが終わってからと思っていましたが、一休みのようなので、ご挨拶だけ差し上げます。

     インド旅行は、パッカー系かツアーの両極端に分かれるような気がします。
     フツーの中年(ごめんなさい。まだ早いですか)の個人旅行記、今後どう展開するのか楽しみにしております。

     なお、インドに行って人生観が変わるかについては、最近もこんなトピがありました。誰でも聞いたことはあるが中身のしれない、伝説のようなものかもしれませんね。

    http://bbs.arukikata.co.jp/bbs/tree.php/id/77482/-/parent_contribution_id/77482/

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    Re^2: インド行ってきました。

    ららさらまさん、お久しぶりです。
    お相手してくださって、ありがとうございます。(取り留めのない長文ですみません。)
    誰も来てくださらなかったらどうしようって思ってました(汗)。

    「インドに行って人生観が変わるか?」ですが、最初に書いたように、僕は変わらなかったです。
    確かに、道に溢れる物乞いやしつこい物売り、町の雑踏と汚さなど、今の日本の社会からは考えにくいことだと思います。

    でも幼い頃、親に神社仏閣の縁日に連れて行ってもらった(京都なのでいっぱいあります)ときの子供ながらに覚えている光景と変わらなかったような・・・。
    屋台が出て、そこには野良犬がたむろし、道も舗装なんてされてないし、沿道には子供が見ても「要らんやろ!」と思うものを売る人、痩せ細った赤ん坊を抱く女性やゲートルを巻いて松葉杖を突いた傷痍軍人さんがいて物乞いをする。
    ほんの35~40年前の日本の風景ですよ。(ちょっと大げさ??)
    ただ、40年後のインドが今の日本のようになっているとは考えにくいですが・・・。
    このあたりは宗教と政策、そして国民性の違いでしょう!

    で、影響されるかというと、日本に帰ってきて、インドと同じ状況(宗教・政策・社会通念)で暮らせるわけはないので、結局元の日本型に戻さないと生きていけない。だから人生観が変わるというよりは、「ああいう国もあるのだな。ああいう人もいるのだな。」といった別の社会(ある種の文化)の一面として記憶に留める。といった具合です。
    なんかうまく説明できませんが・・・。

    もちろん感じた内容は異なりますが、ヨーロッパの文化や芸術を見たときと、受けたインパクトの大きさは同じくらいなのかもしれません。
    (逆に古い遺跡は、もしかすると、イタリアのものよりもすごいかもって思ったりもしますが・・・。)

    おっしゃるように、「インド旅行」というものが、色々な意味で伝説化してしまって一人歩きした結果なのかなと思います。

    そんなところです。

    続きも、ボチボチ書いていきますので、またお付き合いくださいませ。



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  • インド行ってきました。 ~その0 いきなりフライトキャンセル!~

    実は最初の予定はインドではなかったんです。
    まず、時期的に考えてアジア。
    で、最初に考えたのがベトナム。
    でも調べていく内に「ベトナムはブームに火がついて日本人が大して下調べもせずに大挙していくようになった結果、日本人と見ると明らかに異常な額をふっかけてくる。」という情報があちこちに。
    下調べバッチリ派の自分としては、そういったふっかけにはまってしまうのはプライドが許さない!かといっていちいち交渉も面倒か・・・。

    というわけで、ベトナムはやめて、次の候補がミャンマー(ビルマ)。
    ところが、ミャンマーではあちこちでテロ発生。
    別にテロがあったからって旅行をやめることはあまり考えない方なのだが、ミャンマーの場合、政治形態があんな形だし、何と言っても情報がちゃんと伝わってくるかどうかも怪しい。
    万一、滞在中に何かあって、飛行機が飛ばないなんてことになってもそれを知ることすら出来ないかもしれない。また政治的な問題も抱えているので、何かあっても、大使館とかに駆け込めるかどうか、また助けてくれるかも不明。おまけに言葉もわからない。

    というわけで、4月・5月と続けてテロ情報を聞いた時点ではたまたヤメ。(実は年末年始は飛行機が取り難くなるためかなり早めにヤンゴン往復は押さえていたのですが・・・。)

    でも、せっかく行くつもりだったのに、旅行自体をやめてしますのは避けたい!と思い、回りの脅しにビビって避けていたインドについに行ってみることに。

    で早めに航空券確保に動いてタイ航空のインド行きを押さえる。
    ところが、9月になって料金アップ。さらに、帰りの便がバンコク~関空~ロサンゼルス便だったため、関空~ロス便の廃止に伴い、フライトキャンセルの憂き目に。

    次の便となるとバンコクでの乗継が7~8時間。長すぎる!乗継がいいからタイ航空にしたのに・・・。
    空港と市内がかなり離れているので7~8時間は非常に中途半端で、観光にあてるには短すぎる。おまけにバンコクは行ったことあるので、そこまでして市内に出ようとは思わない。
    それなら、いっそ、乗継の待ち時間が長すぎる(17~18時間)ので選ばなかったマレーシア航空にして(こっちの方がちょっと安い)、クアラルンプールで1日遊ぶか。
    10月になって急遽、マレーシア航空に変更。何とか取れたのでほっとする。(結果的にはあとでこれがまた大失敗だったのだが・・・。)

    非常に雲行きの怪しい計画になってしまった。

    おまけに身内や仕事でもトラブル続き!
    本当に行けるのか?

    12月に入ってようやくパソコンを使えるようになり、慌しく国内線の航空券・鉄道のチケット・ホテルを押さえる。
    どうにか形が整ったと思った矢先、リコンファームが必要って聞いたことがあった(実は必要ないそうだ!)ので、国内線のリコンファームにメールを書くと、何とまたフライトキャンセル!!
    それもアウランガバード→デリーで予約していた(これは直行便がなくムンバイで乗継となる)のだが、そのうちのムンバイ→デリー便がキャンセルになったとのこと。
    ひどいのはここからで、「予約されていた便がフライトキャンセルになったため、規定の代替便を押さえているのですが、それだとアウランガバードからのムンバイ着よりも、デリーへのムンバイ発の方が時刻が早くなるので、乗り継げません。」って。
    そんなの「押さえてる。」って言わへんよ!!!
    「次の便は?」って聞くと、「最終便なので次の日の朝になります。」

    おいおい先に言ってくれよ!
    もうホテル押さえてあるよ。デリーの宿をキャンセルしてムンバイの宿を取り直さなければならないの?
    そもそもリコンファームしなかったら(実は必要ないそうだし)、当日空港で知らされてどうなっていたのよ?ムンバイで路頭に迷うじゃない!おまけにデリーの宿は2連泊で押さえていたので、No Show で1泊分の金額を取られた上で、2泊めはキャンセルされてしまうだろうし。
    文句を書いてメールを送るが、埒があかない。
    さらには、仕事でアメリカに行かなくてはならず、もうどうすることも出来ずに、とりあえず、デリーの宿を2泊から1泊に変更し、ムンバイの空港ホテルを予約して、アメリカに行くこととなった。

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  • インド行ってきました。 ~プロローグ インド旅行再考(その2)~

    検証1.なぜ、インドが大変って言われるの?

    一般にそう言われるのはやはり物乞いの数の多さ、そして絡んでくる人の多さ、町の汚さ等が理由ではないでしょうか?

    でも、感想としては、
    物乞いは圧倒的に多いもののある程度は無視でやり過ごす。
    絡んでくる人も物売りは中国・香港よりもしつこくない。
    騙そうとする人もタイやバリほど巧妙じゃない。(言ってくる内容はあんたウソでしょ!って丸わかりなことのほうが多いです。)
    但し、ウソを言ってくる人のほうが多いので、誰も信じられなくなりそうですが・・・。
    町の汚さは僕達にとっては我慢できる範囲内。(これはいわゆる安宿には泊まってないので、耐えられたのかもしれませんが。)
    あと、インドではそれなりの人を相手にすれば英語が通じるので、この辺は楽ですよ!中国では英語で話しかけても無視されます。タイやインドネシアでは一般人は英語で話しかけると逃げられます。(多くの日本人が外人に話しかけられたときに取る行動パターンと同じ。)向こうから英語で話しかけてくるヤツは悪いヤツが多いし。(これはインドでも同じですが・・・。)

    僕達にとって最も大変だったのは移動です。
    こればかりはどうにもならず、辛かったです。
    もしかすると中国でもそうなのかも知れませんが、中国では北京一都市のみの滞在だったので移動の大変さは感じませんでした。

    インドはとくかく広いです。
    見所はあちこちに散らばっているので、一都市滞在というわけにもいかず、市内は市内でバスは使いにくかったので、いちいちタクシーやリキシャとの交渉が必要。(北京では市バスにも乗れました。)交渉はとにかくふっかけてくるので、時間がかかる。
    おまけに長距離移動は飛行機はキャンセルや遅れは当たり前。
    鉄道も遅れまくり。と散々でした。
    おかげでちょっと得したこともありますが・・・。

    検証2.インドに行くと人生観変わるって本当?

    あと人生観が変わるなどということもよく言われます(帰ってきてから何人もの友人に人生観変わった?って聞かれました。)が、これも僕達はどうってことなかったです。(身内の死もあった直後なのに。)
    ただ鈍いだけかもしれませんが・・・。
    夫婦ともども結構自己主張の強い方なので、自分達と異なる世界を見ても、それはそれで認めつつ、あまり影響を受けない方かもしれません。もちろん素晴らしい!と思えば、自分達も取り入れようとしますが、インドに関しては「ものの考え方や生き方が彼らとは違うな。」と感じるくらいで、人生観が変わるってことはないです。
    やっぱり「軽くなでただけでしょ!だから本質を見ていないしわからないんだ!」って言われれば確かにそうなのかも知れませんが・・・。

    例えば、物乞いたちも子供を使ったり、もっとひどいのになれば、わざと腕や足を切り落としたり、複雑に曲げたりして同情を引いてきます。
    子供も体の不具も彼らにとっては商売道具にしています。(明らかに先天的なものではなく、同情を引くためにそうしているとしか思えない人たちが多かったです。)
    それを見て何も感じないかって?
    冷たいかもしれませんが、とりあえず、無視です。相手にすればそれこそいいカモで人だかりが出来てしまいます。
    あえてひどい言い方をすれば、自分達ならそこまでして「生きたい!」とは思わないだろうな・・・。
    同情を引くために自分の子供や自らの体に傷をつけるなんて事考えません。で、これは行く前も帰ってきてからも変わっていないので、結局影響されなかったのでは?と納得してしまってます。
    もちろんそこまでしないと生きていけない人たちがたくさんいるという社会の現実を目の当たりにして、何も感じないわけではないですが、日本に戻ってくれば、そういったことは少ないので、「インドはインド。日本は日本。」です。だからといってまたインドに行ってボランティアをして彼らを助けようとも思わないですし・・・。
    まあ、ある意味、これも宗教や政策?に根ざしたインドの文化の一面なのかな?って感じです。

    ただ、僕達は元々価値観がずれているそうですので、その辺は当てにはならないでしょう!(笑)
    我々の旅行の趣味(行きたがるところや回り方)も日本人好みというよりは欧米人好みに近いそうですし。(友人談)

    僕達なりの結論としては、インドだからと言って肩肘張らなくても、その他のアジアと大して変わらないですよ!と思います。
    これから行かれる皆さんで、ためらっておられる方、まあ何とかなりますよ!
    但し、日程的にキツイ(詰め込みすぎ)のは避けましょう!
    運がよければ、スケジュールどおりに進むこともありますが、基本的に移動は予定の倍くらいの時間がかかると思っておいた方が無難です。

    重い話はこれくらいにして、あとは旅のレポートです。

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