国境が変わる

戦争のたびに国境のラインが変わるのはヨーロッパではよくあったことで珍しくはないのでしょうが、一つの民族を分断する国境線は日本人には違和感がありますね。

政治的な国境と言語国境の差異は、海外旅行で注意して観察している点の一つです。何世代も民族の分断が続いて互いの交流がなければ次第に文化的な差異も大きくなっていくように思います。

東南アジアでも同じようなことがあり、一つの国の中では違う民族との同一化が進んでも、国境の向こう側とは話す言葉も生活も違いが大きくなってゆきます。大きいところではミャンマー・シャン州のタイ(タイヤイ)族、中国・雲南省西双版納の泰(タイルー)族、タイ東北部(イサーン)のラーオ族なんかですね。
カンボジアでもタイ国境近く、シェムリアップではラオス語で通じます。

第二次大戦後のオーストリアは小さな国になってしまいましたが、イタリアに編入された国土もあったのですね。
イタリアも枢軸国だったのにどういうわけか、興味深い情報です。

いつか行ってみたいと思います。

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1件のコメント

  • 第2次でなく、1次大戦の結果です

    一部、勘違い、思い違いされているコメントがありましたので、ひとこと。

    私は地理的人間で歴史は余りくわしくないのですが、第1次大戦での話です。古い話なので、大戦といえば大半の方が生まれる前の第2次を連想するのが普通ですが。

    1次では伊は日本と同様、英仏、米側だったのではないかと思います。

    独側はオーストリア(ハプスブルク帝国)、オスマン帝国などだったかと。敗戦で両帝国は解体され、オーストリアは今の領土だけに?、その際チェコスロバキアやハンガリー、ルーマニア、旧ユーゴなどは独立して、南チロルは伊に割譲だったかと。

    メラーノのホテルの主は独名のメランは・・・と決してメラーノとは言いませんでした。イタリア人とは言わず、イッヒ・ビン・ティロラー(私はチロル人)とチロル人を名乗っていました。国籍は変わってしまったが、本当はオーストリア人でいたかったのだなと感じました。

    ドイツ語系は伊では当然、超少数民族ですが、どこでも少数民族はいいというか、親しみを感じますね。台湾にはまったのも少数山岳民族との出会いですし、中国も少数民族の地はどこもいい思い出があります。言葉(中国語)の関係で、東南アジアはシンガポール、マレーシア止まりで、他はどこも最低一、ニ度は行ってますが詳しくはありません。
    ルアンパバンでラオス人にモン族は顔が日本人に似ているといわれたせいか、なぜかうまがあい、値切りもちょっとまけてもらう程度であまりできませんでした。

    伊は見どころが欧州一多いと思うので、伊旅行でドイツ語圏・南チロルまで足を延ばす人は数えるほどでしょう。ドロミテが世界遺産になってから、ドロミテだけは増えてるようですが。

    やはりオーストリア旅行でチロルから足を延ばすほうが可能性が高いようです。私もチロルの谷を制覇する途中で、谷の最奥まで行ったら伊との国境で、バスを乗り継いだらメラーノだったという出会いで、伊に割譲されるまではメラーノがチロルの都ということを知りました。

    高台にドルフ・チロル(チロル村)というチロルの発祥地もあります。アルプスが聳える、本場チロルより美しい村で観光化されたオーストリア側チロルよりいいかも。

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    そうでしたね

    前のあなたのレスよく読めば、第1次大戦の結果、というのが書いてありました。
    確認しました。ありがとうございます。