第2次でなく、1次大戦の結果です

一部、勘違い、思い違いされているコメントがありましたので、ひとこと。

私は地理的人間で歴史は余りくわしくないのですが、第1次大戦での話です。古い話なので、大戦といえば大半の方が生まれる前の第2次を連想するのが普通ですが。

1次では伊は日本と同様、英仏、米側だったのではないかと思います。

独側はオーストリア(ハプスブルク帝国)、オスマン帝国などだったかと。敗戦で両帝国は解体され、オーストリアは今の領土だけに?、その際チェコスロバキアやハンガリー、ルーマニア、旧ユーゴなどは独立して、南チロルは伊に割譲だったかと。

メラーノのホテルの主は独名のメランは・・・と決してメラーノとは言いませんでした。イタリア人とは言わず、イッヒ・ビン・ティロラー(私はチロル人)とチロル人を名乗っていました。国籍は変わってしまったが、本当はオーストリア人でいたかったのだなと感じました。

ドイツ語系は伊では当然、超少数民族ですが、どこでも少数民族はいいというか、親しみを感じますね。台湾にはまったのも少数山岳民族との出会いですし、中国も少数民族の地はどこもいい思い出があります。言葉(中国語)の関係で、東南アジアはシンガポール、マレーシア止まりで、他はどこも最低一、ニ度は行ってますが詳しくはありません。
ルアンパバンでラオス人にモン族は顔が日本人に似ているといわれたせいか、なぜかうまがあい、値切りもちょっとまけてもらう程度であまりできませんでした。

伊は見どころが欧州一多いと思うので、伊旅行でドイツ語圏・南チロルまで足を延ばす人は数えるほどでしょう。ドロミテが世界遺産になってから、ドロミテだけは増えてるようですが。

やはりオーストリア旅行でチロルから足を延ばすほうが可能性が高いようです。私もチロルの谷を制覇する途中で、谷の最奥まで行ったら伊との国境で、バスを乗り継いだらメラーノだったという出会いで、伊に割譲されるまではメラーノがチロルの都ということを知りました。

高台にドルフ・チロル(チロル村)というチロルの発祥地もあります。アルプスが聳える、本場チロルより美しい村で観光化されたオーストリア側チロルよりいいかも。

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1件のコメント

  • そうでしたね

    前のあなたのレスよく読めば、第1次大戦の結果、というのが書いてありました。
    確認しました。ありがとうございます。

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    退会ユーザ @*******
    17/05/05 18:41

    どうしようかなあと思ったのですが・・

    補足というか何やら多少訂正したくなりました。
    単純に第一次大戦にオーストリアが負けたから割譲ということではなくて、もっと複雑な背景があります。
    イタリア統一・独立前、北部はオーストリアの支配下にあり、独立戦争後に国土を少しずつ回復していくプロセスを経て統一国家がようやく成立します。
    ところがオーストリア領の中にイタリア人が多数居住する地域が残り、そのような「未回収地」を回収する運動が第一次大戦参戦の理由の一つになりました。
    どさくさに紛れて参戦したイタリアは戦勝国側だったので、結果として未回収地をいくつか回復でき、その中にトレントやトリエステが含まれたわけです。おまけとして南チロルまで転がり込んで来たのですが、これは住民の民族的帰属を無視して川の分水嶺を根拠として領土設定した結果でした。彼らがオーストリアに戻りたいかどうかは我々には分からないし勝手な推測はしません。
    もっと高地にはラディーノ語という更に少数言語を使用する人たちもいますから。
    ついでに言うと、第一次大戦後回収できなかった未回収地がイストリア半島などにまだ残って、これが右翼ナショナリズムに火を付ける結果となりました。第二次大戦後住民交換が行われています。
    というわけで若干のおまけ話でした。

    確かにブレーシャ駅には荷物を預けるところがないと思います。この都市は武器産業でも有名なきな臭いところですので・・。ちょっと困りましたね。ただ、駅前右側に長距離バスステーション(青色バスが多く駐まっているところ)があるので、そこに荷物預けがある可能性もあると思います。確信はありませんが。