どうしようかなあと思ったのですが・・ 補足というか何やら多少訂正したくなりました。 単純に第一次大戦にオーストリアが負けたから割譲ということではなくて、もっと複雑な背景があります。 イタリア統一・独立前、北部はオーストリアの支配下にあり、独立戦争後に国土を少しずつ回復していくプロセスを経て統一国家がようやく成立します。 ところがオーストリア領の中にイタリア人が多数居住する地域が残り、そのような「未回収地」を回収する運動が第一次大戦参戦の理由の一つになりました。 どさくさに紛れて参戦したイタリアは戦勝国側だったので、結果として未回収地をいくつか回復でき、その中にトレントやトリエステが含まれたわけです。おまけとして南チロルまで転がり込んで来たのですが、これは住民の民族的帰属を無視して川の分水嶺を根拠として領土設定した結果でした。彼らがオーストリアに戻りたいかどうかは我々には分からないし勝手な推測はしません。 もっと高地にはラディーノ語という更に少数言語を使用する人たちもいますから。 ついでに言うと、第一次大戦後回収できなかった未回収地がイストリア半島などにまだ残って、これが右翼ナショナリズムに火を付ける結果となりました。第二次大戦後住民交換が行われています。 というわけで若干のおまけ話でした。 確かにブレーシャ駅には荷物を預けるところがないと思います。この都市は武器産業でも有名なきな臭いところですので・・。ちょっと困りましたね。ただ、駅前右側に長距離バスステーション(青色バスが多く駐まっているところ)があるので、そこに荷物預けがある可能性もあると思います。確信はありませんが。
ふむふむ イタリア統一前はイタリア人はいてもイタリアという国はなくて、神聖ローマ帝国領だったり、ハプスブルク家の領地だったり、自治都市だったり、ローマ教皇領だったり、統治者によって領土がばらばらだった。 イタリア統一後も未回収地があったのも了解できました。 国民国家ができても、国境がきれいに分割できないような地域があったのが歴史の経過ですね。 南チロルがイタリアに帰属することになった経緯がわかりました。 だんだん旅行の道筋が見えてくるのは楽しいことです。